早期に"決着"を
「ありがとうございました、またお越し下さい」
「また来るよ、聖女さま」
「あはは……」
そう言って男性冒険者は店を去っていった。
正午の鐘が鳴り、客足が遠のいた店内にひとりぽつんと佇む少女は、はぁっと深いため息を付きながら呟いていた。どうしてこんな事に、と。
あの事件の翌日、大量の人で溢れ返った店内に戸惑い、質問攻めにあった。
大凡の問いは、聖女さまですよねという確認のものであったが、否定しても否定しても納得のいかない人たちが嬉々として、さも自分を高みの存在のように見つめながら問いかけてくる姿に、イリスはかなりの驚きと戸惑いを見せてしまった。
要するにどん引きである。
自分自身が聖女などという崇高と思われる存在とはとても思えないし、何よりもあの事件は自分の我侭を通しただけに過ぎない。
何かしらのお咎めは覚悟した上での行動だったのだが、どうも世間一般的には全く違う印象を受けたらしい。ミレイやレナードが言うには、様々な言い方をされているようだが、中でも凄い言われ方は、これだろう。
『聖女降臨』
もうほんと何なのこれ。
そうイリスが頭を抱えてしまうのも致し方無い事であった。
あれだけの騒ぎをしてしまったわけだし、目立ってしまうのも仕方が無い。その後のお咎めも全く無く、ロットとネヴィアは幸せになれた。結婚式自体も作り物と分かり、全てが丸く収めることが出来た。
……と思っていた矢先にこれである。
あの後すぐにルイーゼさんが騒ぎを収めてくれて、店の迷惑になるから止めなさいと、王国からの告知の号外を新たに発行してくれた。それ以降、用件の無い人はお店に来なくなって貰えて、通常の薬屋としての営業が戻って来た。
それが新鮮に思えていたレスティはとても残念そうだったが、イリスとしては落ち着いた日々が戻って来た方がよっぽど嬉しかったようだ。
だが既に1週間という時間が流れているにも拘らず、一向にその呼び名が変わる気配がなかった。何度も違うと言っても聞き入れてもらえず、流石にイリスも諦め気味になっていた。
言うなればこれは、大事にしてしまった私自身のお咎めなのかもしれないと、そんな事を思っているようだった。
当然、その呼び名でイリスに話しかける人たちは、面白おかしく呼ぶものと、本気で思って呼ぶもの、真っ二つに分かれるらしい。しかもその割合は、イリスの見立てでは8割が本気で言っているように思えてならなかった。冗談の色をしている瞳をしていないからだ。
恐らく本気でイリスを"愛の聖女"だと思っているようだった。正直本当に困るのだが、それも自分のせいだと半ば諦めつつあるイリスであった。
お昼の鐘が鳴ってから調合器材の片づけを始めるので、レスティが戻ってくるまでの間はお店を開いたままにして伝票の整理をする。もう毎日の日課だ。今日もいつも通り伝票の整理をしていると、カランカランと扉が開いた音が鳴り、イリスはいらっしゃいませと満面の笑みで来店者に挨拶をしていく。
「ふふっ、素敵な笑顔ですね」
店内に大人の女性の声が響いていった。
イリスがその女性を見ると、見知った方のようだった。
「ルイーゼさん、こんにちは」
「はい、こんにちは」
カウンターまで歩いて来たルイーゼに、イリスは以前のお礼を言った。
「お蔭様でお店もすぐに落ち着きを取り戻す事が出来ました。有難う御座います」
「いえいえ、元はと言えばこちらのせいですからね」
「それでも王国から告知がされなければ、どうなっていた事か」
「それにしても凄い呼び名がされてしまっていますね」
「あはは……」
お互いに苦笑いをしてしまう二人であった。
本来であれば、その様な事にはならなかった筈なのだが、記者を置いた上にまさかそれを誇張して書かせるとは、流石のルイーゼも予想していなかったそうだ。
全てはエリーザベトという策士がいたからに他ならないのだが、こういった事を楽しんでしまう癖は若い頃から変わらないようだった。
何だか自分が仕出かした事のように思えて、申し訳なく思ってしまうルイーゼではあったが、取り敢えず落ち着きを取り戻せたという事なので、あまり思い出させないようにするのがいいと判断した。
そんなルイーゼにイリスは話しかけていく。
「今日は何かご入用ですか?」
「あぁ、そうでしたね。実はレスティさんにお話があるのですが」
「おばあちゃんにですか? もうすぐ調合を終えて隣から来る頃だと――」
そんな事を話している時、横の扉が開いてレスティが出て来る。
目の前にいたルイーゼを見つけ、挨拶をしていった。
「あらあら、こんにちは。ルイーゼさん」
「こんにちは、レスティさん。王国から依頼のお話をさせて頂きたいのですが、ご都合の良い時に、お時間を頂いても宜しいでしょうか?」
「えぇ、構いませんよ。これからお昼なので、宜しければご一緒に取りながらお話をお聞きしますよ」
「いえ、流石にそれは申し訳ありませんので」
国からの依頼とは本来、緊急性を要するものが多い。
薬屋である以上は、その依頼の殆どが大量発注となり、ギルドを通さず直接使者を使い交渉する。当然、騎士団長が赴く必要性もないのだが、彼女の性格で頼み事をお願いするのに上の立場のものが行かないのは礼儀に反するとの考えから、こうやって彼女自らが交渉に来ていた。
何とも律儀な方であるが、それこそが彼女の誠実な人となりを表しており、国民や騎士達からの信頼が厚い理由の一つと言えた。
レスティは今回の王国依頼に緊急性を感じ、話を返していった。
勿論『そんな気がする』という程度のものではあったのだが。
「そうは言っても、なるべく早めの方がいいのではないかしら」
「それは、そうですが……」
「うふふ、ならご飯を取りながらお話をお聞きしますよ」
「それじゃあお店閉めちゃうね」
「えぇ、お願いね」
そう言ってイリスはお店の扉に鍵をかけ、昼食の準備を手伝っていく。
手伝おうとしたお客様という事で、ルイーゼは申し訳なさそうにちょこんと席に座っていた。
昼食をご馳走になりながら、ルイーゼは王国からの依頼の話を始めていく。大切なお話なら自分は席を外した方がいいのかとイリスが確認を取ると、イリスにも関係する事なので、ぜひ同席して欲しいとルイーゼに言われた。
そしてルイーゼは用件を話していく。その内容はレスティを以ってしても、驚愕の表情を抑えられないものであった。イリスは驚愕と恐怖の表情を見せ、真っ青になってしまっていた。
いや、レスティには予想出来ていた事だ。だが、それが本当に訪れる事になるとは、流石に思いたくなかった事だった。
だが現実にそれが訪れた以上、レスティとしても看過する事など出来ない。
レスティは真面目な声ではっきりとルイーゼに応えていく。
「現状は理解しました。王国の為、全面的に協力させて頂きます」
「ありがとうございます。納品出来る薬の数はどれ程までか予測は出来ますか?」
「そうですね、見て貰った方が早いと思います」
どうぞこちらにと、ルイーゼを二階の倉庫へと案内する。
扉を開け、天井まで積んである箱を見てルイーゼは、目を見開きながら口にしていく。
「ま、まさか、これは……」
「えぇ。こちらにあるのは全て鑑定済みのお薬になります。分かりやすいように全て箱毎に分けてあります。後は一階にある調合部屋の隣に保管されているお薬も合わせると、その総量は――」
* *
立派なテーブルと椅子が並ぶ部屋に、この国の中枢が集まっていた。
現在いるのは両陛下と、ロドルフ、ロナルドの四名である。ルイーゼは定時になっても現れず、女王の言葉を皮切りに先日行われた会議の経過報告をしていく。
「では報告を」
「はい。現在フィルベルグ王国に所属する冒険者は千八百三十九名。内、ブロンズランクに満たない冒険者、未成年者や戦闘に不向きなものなど、今回の作戦に前線で参加出来ない者を除くと二百五十八名となります。
シルバーランク以上である二百五十八の内訳は、二百十一名がシルバーランク、残りの四十七名がゴールドランクとなります。
尚、プラチナランクであるロット・オーウェンは、ここに含めておりません」
「思っていた以上に厳しいな。ブロンズランク冒険者で有能と思われる者も起用してはどうだろうか」
ロドルフの言葉を返すようにロナルドが告げ、王がそれに続けていった。
「いえ、現状でそれは厳しいと言えるでしょう。技量と経験が少ない者を作戦に参加させる事は、相応のリスクが伴います。ましてや今回の敵は通常のそれとは違います」
「確かに作戦自体を危ぶむ切欠となるやもしれん。冒険者の安否も危うくなるのだ。前線に出さない方が良いと私は思うが」
ルイーゼの代役としてそれを知る女王が話を続けていく。
「王国兵士の中に、戦術的な意味で戦える者はおりません。前線に送れるのは全てルイーゼが管理している騎士団、二百名のみとなります」
「冒険者のランクで分けるとどの程度のものか、ご存知でしょうか?」
「単純な力という意味では、シルバーランクに満たない程の強さではありますが、統率の取れた者達なので、シルバーランク冒険者のパーティーに引けは取らないだろうとルイーゼは言っておりましたね」
ロドルフの問いに答えるエリーザベト。
戦える者は、冒険者二百五十八名と騎士二百名の合わせた四百五十八名。ここにロットと指揮官ルイーゼを加えた四百六十名が前線へと向かう予定となっている。
ルイーゼはあくまで指揮官であり、最前線に出る事は無いが、もしもの時は戦えるだけの実力も兼ね備えている。その実力はプラチナランクに匹敵するとまで言われている人物で、万が一に備えての戦力として扱われる事になるだろう。
エリーザベトは続けて魔物についての話をしていき、ロードグランツとロナルドが続く。
「文献によると、二百を超える魔物が現れたとありました。多く見積もって三百として、現状の戦力で足りるかは微妙ですね」
「ふむ。正直な所、戦況次第と言わざるを得ないな。眷族が出現した時点で引っ繰り返るだろう」
「そうならない為に、最大戦力であるロット・オーウェンを待機させる必要があります。当然、彼だけでは対処出来ない為、ゴールドランク冒険者を可能な限り待機させようと思います」
だが、基本的に冒険者はチームを組んでいる。それもゴールドランク冒険者の殆どはチームリーダーを務めている為、待機させる為だけに彼らを引き抜く事は、本来であれば避けるべき事態となる。
チームリーダーの代役が務まるパーティーを考慮した上で、引き抜けるゴールドランク冒険者は僅か六名。だがその誰もが、技術、経験共に問題がない者達であり、彼らが抜けても彼らのパーティーは機能するため、安心して引き抜くことが出来る。話を詰めていく必要はあるが、まずはゴールドランク冒険者が確保出来るという点で十分だ。
レナードのチームは四人がゴールドランクという特異なパーティーではあるが、なるべくミレイを前線に出して周囲を警戒する任に当たって貰う予定なので、待機メンバーには入れない方が良いという話で落ち着いた。
続けてロナルドが必要となる物資の話をしていった。
「食料や水、武具修繕の為の人員確保は既に完了しております。現在は必要物資の調達と準備を始めており作戦前には滞りなく集まります。後は薬剤についてです」
必要となる薬の確保は容易ではない。前線に出る者への配給となるとその数は多く、国中の薬師からかき集めても集まり切れず随時調合して貰う事となるだろう。
前線に出る者達は、ルイーゼを加えた四百六十名。最低限度であるライフポーション5、マナポーション3、スタミナポーション3を、前線に出る全ての者達に配給する。
これだけで単純計算にして二千三百本のライフポーションが必要となる。当然、ライフポーション・中などの半端な物は使えない。命に関わるのだから、出し惜しみなど出来ない。
そして備蓄としてその倍は用意しておきたい所だ。どんな状況下でも対応出来るように用意しなければならない。
その数、およそ魔法薬・大が五千本。ライフ、マナ、スタミナをそれぞれ集め、尚且つ、多く必要となるであろうライフポーションに関しては、七千本は用意しておきたい。
マナポーションに関しては使わない者を考慮したとしても、二千本は用意するとして、スタミナポーションは二千七百六十本は必要となる。
つまり合計で、約一万二千本もの魔法薬・大が必要とされる。
当然これはあるに越したことはないという程度のものであり、薬が余るならそれに越したことはない。それはそれだけ安全に作戦が遂行されたという事に他ならないのだから。
まして薬の消費期限はない。今後騎士達の訓練や、魔物を間引く際に使えるものなのだから、多い分には一向に構わない。
寧ろ魔法薬が足りなくなった時の方が遥かに危険な事だ。もしそんな事態になれば、取り返しのつかない事になりかねない。魔法薬が多い分にはいくらあっても問題ないのだ。
だがこれだけの魔法薬を短期間で用意するとなると、王国中の薬師が寝ずに作り続けても、かなりの時間が必要になる。冒険者が所持している魔法薬を買い取ったとしても、用意しなければならない魔法薬は膨大な数となってしまう。圧倒的に時間が足りない。
だが、時間をかければかける程、魔物の数は増え続けていく事だろう。
何としても早期に決着を付ける必要がある。
一同が悩み室内に静寂が訪れた時、こんこんと小さなノック音が聞こえ、女王がそれに応えていく。
「どうぞ」
がちゃりと開けられた扉から入って来たのは、ルイーゼだった。
「申し訳ありません。遅れました」
「構いません。珍しいですね、貴女が遅れるなんて」
「少々、話が弾んでしまいまして」
ルイーゼは笑顔で語り、それに女王が理解した様に言葉にしていく。
「では報告を」
「はい。先程、レスティさんからの全面的な協力を得る事が出来ました。懸念していた魔法薬についての目処も立ちましたので、ご報告させて頂きます」
その言葉に驚く一同。エリーザベトのみは瞳を閉じただけだった。
驚愕の色を露にしたまま、ロドルフが問い返していく。
「目処が立った、とはどういう意味だ?」
「言葉通りです。魔法薬に関しての問題が解決した、という意味です。
先程、レスティさんが保存していた魔法薬を見せて頂きました。ライフ、マナ、スタミナ共に、それぞれ一万本を超える数を所有しております。全て魔法薬・大です。ライフポーション・大に付きましては二万本以上は所有しているそうです。
また、小と中の魔法薬につきましても、それぞれ三千から五千本は所有しておりました。故に、魔法薬に関してはレスティさんのみで解決となります」
目を大きく見開き、口を開けながら呆けている一同の姿をエリーザベトは見ながら、中々の貴重な瞬間を記憶しようと瞼に焼き付けていた。