災厄の"兆し"
何処までも続くかのように先まで伸びた豪華な廊下を、一人の中年の男性が一人の侍女に連れられて歩いていた。その姿はこの美しい通路を歩くのには、些か似つかわしくないと言わざるを得ないような風貌をしている。
長身に筋肉が膨れ上がったような肉体、鋭く厳ついと言えるだろう顔と視線に髪の毛も生えていない為、かなりの場違いな雰囲気を醸し出してしまっていた。
男の名はロナルド・マルクス。
元プラチナランク冒険者であり、現フィルベルグ王国ギルドマスターである。
そんな男がこんな立派な王城を歩いている事そのものが、違和感を感じてしまう。意味もなくこんな場所に来るなど有り得ない。当然、必要に駆られて訪れていた。
それがこの目の前にある一室に関係している。
ロナルドは扉の前で立ち止まり、侍女がノックをして室内に合図を送っていく。すぐさま『どうぞ』と大人の女性の声がして、挨拶をしながら扉を開けていった。
その大きな部屋に置かれている豪華な椅子と机の前に、様々な人物が既に待機しているようだ。男は席に着く前に上座に座る女性へと頭を下げ、空いていた席に座っていく。
これでこの場には、この国の防衛の要が集結した事となる。
周りにいる侍女を除き、この場にいるものは5名。女王エリーザベト、国王ロードグランツ、宰相ロドルフ、騎士団長ルイーゼ、冒険者ギルドマスターロナルドである。
これだけの者が一堂に会するのは正直なところあまり無い事だ。
だがこれよりロナルドが説明する内容は、それを必要とするものとなるだろう。
ぴりぴりとした空気の中、女王は言葉を口にしていった。
「では、報告をお願いします」
「はい。事の始まりは1週間前に遡ります。この日を境に、冒険者からある内容の報告が、多数寄せられるようになりました。内容はどれも同じ、報告書に書いてある通りのものとなります」
ルイーゼ、ロドルフ、そしてロードグランツの眉間に皺が寄っていく。
報告書通りであるならば、それは容認できない物となる可能性が高くなる。
ロナルドは報告を続けていく。
「6日前、ギルド依頼として優秀な斥候4名を含む冒険者計7名を選抜し、その翌日、大規模調査を行った所、どこも同じ結果となりました。
調査範囲はエルグス鉱山周辺とその内部、古代遺跡、浅い森、ラーネ村周辺、シグルからエークリオ南の街道、フィルベルグ周囲の大草原、聖域奥の深い森までです。どれも冒険者からの報告通りの結果となり、どの場所でも魔物の存在は一切確認出来ませんでした。ある一箇所を除いては」
瞳を閉じていたロードグランツは、少しだけ瞳を開けながら言葉にしていく。
それはこの場に居る誰もが予測出来るものだった。
決して信じたくは無い事ではあったが。
「……森の奥か」
「はい。同行した狩人ミレイ・ミルリムの報告によりますと、森の中腹部より先に多数の魔物の音を確認。そのあまりの多さに数の判別は付かず、例の存在も恐らくは最深部にいる可能性が高いと思われます」
「ふむ。ミレイ・ミルリムとは、確か兎人種だったと記憶しているが」
「その通りです。彼女は戦闘技術は元より、そのずば抜けた聴覚による魔物の索敵を得意としております。信頼性の高い情報と言えるでしょう」
宰相ロドルフの質問に答えるロナルド。
ミレイの聴覚は凄まじく性能が高い。恐らくこの国に所属している冒険者の中でも、最高の耳を持っていることはまず間違いないだろう。
だがそんな彼女の耳を持ってしても、魔物の総数を把握など出来るものではないという報告を受けていた。それだけの雑音が入り乱れる程の魔物の数という事だ。
現状は切迫していた。だが腑に落ちない点もある。
それについての報告もロナルドは続けていく。
「ですが、今回の件より以前から深い森周辺の警戒はしておりました。報告書にありましたようにロット・オーウェンの報告によりますと、当時の魔物の数は通常と思われます。初夏から秋口にかけてそれが出現し、徐々に力を蓄えていったものと推察します。恐らくは、先人が遺した文献通りかと思われます」
「それだけの数を相手となると、下手に調査も出来ませんね」
ルイーゼの言葉に頷きながら答えていくロナルド。
「はい。下手に進めば巣窟となっている場所に飛び込むだけではなく、最悪の場合、眷属が出てくる可能性もあるやもしれません。ギルド側の現状では、静観する他に手がありません」
ロナルドの言葉にエリーザベトが答えていった。
「構いません。虎の尾を踏む事は避けるべきでしょう。ルイーゼ、何か対策はありますか?」
「はい。一つは魔物の浸入出来ない聖域を拠点とし、徐々に魔物を駆除していく方法です。この場合、聖域からフィルベルグまでの安全も確保せねばなりませんが、安全に魔物を駆逐できるでしょう。ですが、最悪の場合はスタンピードを起こすリスクも考えられます。
これを考慮した上で、浅い森入り口の草原からフィルベルグまでの場所に、いくつかの防衛線を張る事が必要となります」
「ふむ。恐らくそれが安全且つ確実な方法のように思えますが」
もう一つは? そう聞くエリーザベトにルイーゼは答えていく。
「もう一つは、聖域を盾として左右どちらかの森ひとつに絞り、魔物を駆除していく方法です。こうする事で魔物の進行方向に、ある程度の制限を設ける事が出来ます。ですがこれはかなりの集団を一度に相手とする事となる可能性が高く、更には挟撃されると大打撃に繋がる危険な手段とも言えるでしょう。
状況次第でしょうが、連絡役も多く配置する事となり、その分戦力も分けざるを得ません。あまり現実的とも思えませんが、上手く魔物の移動を操作出来れば、かなりの戦果を挙げる事が出来るでしょう」
「私は好まぬ作戦ではありますが、貴方はどう思いますか?」
夫を見ながら質問するエリーザベトにロードグランツは、真っ直ぐと彼女を見ながら答えて言った。
「元冒険者の立場から言わせて貰えば、前者一択ではないだろうか」
「理由は?」
「後者はリスクが高すぎる。甚大な被害に及ぶ可能性がある。そして挟撃されるかもしれないという精神的な重圧もあるだろう。
ならば聖域を拠点として徐々に魔物を狩っていく方が、安全性と確実性のある作戦だと思われる。スタンピードという不安要素はあるが、何よりも防衛線を敷く事である程度は軽減は出来るだろう」
だがこの方法にも危険性を伴っている事に違いはない。伝令役が遅れたり予期せぬ事態が起こった場合、聖域に拠点で戦う者達が孤立する可能性もある。
当然魔物を安全地帯から倒す事が出来るが、問題はその数だ。ミレイですら数え切れないと報告されたように、大量の魔物が一斉に聖域を囲うように襲われた場合、捌き切れるものでは無くなるだろう。
だがこの作戦には大前提であるものの、不確定要素と言わざるを得ない事があった。それにロドルフが質問していった。
「聖域が突破される可能性は?」
あの領域を越えられない事が大前提である作戦だが、そうはならないという保障などない。文献にもそんな事は記されていないし、誰も試した事がない。試しようのない事でもあるし、ましてやその耐久性を調べようだなどという輩も今まで存在しなかった。
そうだ。あの聖域が常に魔物を阻み続けるとは限らないという事だ。
そうなればあの美しい領域が踏み躙られ、女神アルウェナが顕現したという聖域が穢される事となる。何よりもその場所にいる戦う者たちの危険性が遥かに増すだろう。
どういう状況でその領域が壊されるか分からない。壊されないかもしれない。
そもそもどういった物で護られているのかすら、解明されていない未知の領域なのだから、どういった状況になるのか予測が付かない。
一箇所だけ阻んでいた場所が破壊され、その場所から魔物が入るだけとも限らないのだ。もし一気に聖域全体を覆っていた物が破壊される事になれば、大変な事となるだろう。
そうなった場合の危険性を考慮するのならば、やはり聖域を囲うように魔物が溢れる事態だけは避けなければならない。
破壊される壁なのか、それとも女神が創り賜うた絶対的な盾なのか、幾ら議論や推察を交わした所で、答えなど出るものではない事だ。
曖昧なものと言わざるを得ない物を使いながら、もしもの事があった場合、それに対処出来ずに混乱を引き起こす可能性すら出てきてしまう。そうなれば被害は甚大なものとなるだろう。最悪の場合は全滅という結果にも繋がるかもしれない。
正攻法で魔物を狩りたい所ではあるが、魔物の数がかなり多いと思われるだけではなく、密集した状態でいる可能性が高いと報告されている。もし真っ向から叩けば、それこそスタンピードになる可能性が高い。
例えそうはならなかったとしても、凄まじい数の魔物に押し潰されてしまう結果となるだろう。故に、この方法を取る事は出来ない。
「聖域に拠点を造り、魔物を釣りながら可能な限り間引き、草原での大規模戦闘、といったところだろうか」
「恐らくそれが最善かと思われます」
王の言葉にロナルドが答えていく。
眷族が出現したと思われる以上、選択肢など元より多く用意されてはいない。多少の犠牲で済むなら重畳だとまで言われる存在に、そもそも正攻法など論外だ。
おおよその作戦概要を決めた後、細かな事を決めていく一同。問題は山積みではあるものの、目下出来る事から始めなければならない。時間も限られている。このまま放置すればするほど悪い結果しか出ないだろう。
大規模な戦闘を想定して必要なものを話し合っていく。
武器防具の修繕、休憩に必要な資材、食料品など。
そして確実に必要となる物の話をロナルドは始めていった。
「次は回復薬についてですが、これはレスティ殿に依頼しようと思います」