"真実の愛"を
ネヴィアの言葉を遮りながら、シルヴィアが席から立ち上がり告げていく。
「……姉様」
シルヴィアの言葉に、悲しみを含んだ小さな声で呟くネヴィア。
それはまるで、自分の意思を否定されたかのような気持ちでいっぱいになってしまい、ネヴィアは言葉に詰まってしまった。
シルヴィアはゆっくりと妹のもとへ歩いて向かいながら、ネヴィアの手前でくるんと向きを変え、エミーリオの横で止まった。
呆気に取られるネヴィアに、シルヴィアは言葉にした。
「エミーリオ様との結婚など、私が許しません。この方は私の婚約者ですから」
「「「…………は?」」」
言っている意味がまるで理解出来ない3人は、シルヴィアの放った言葉の意味を懸命に考えていたが、思考の止まっている現状では全く理解する事が出来ない様だった。
そんな様子を見てエリーザベトは話を続けていく。
「シルヴィア、少々早いですよ」
「ですが、母様。私も気が気ではありません」
「……仕様の無い子ですね、全く」
「……あ、あの。これは、えっと、どういう事でしょうか」
目が点になったまま、イリスはおずおずとエリーザベトに質問していった。
イリスの問いに、鋭い表情と威圧を止めた女王は『仕方ないですね』と言いながら言葉を続けていった。
「これは、ネヴィアとロットさんの気持ちを確かめる為の狂言です」
「……どういう、事でしょうか、女王様」
かなりの動揺を隠し切れないロットは、混乱する頭を必死で落ち着かせようとしながらも、エリーザベトに質問していった。
そんなロットへ表情一つ変えない女王は質問に答えていく。
「狂言です。この結婚式も、結婚相手も、招待状も全て偽物です」
「で、ですが、女王様。招待状には国璽が押されていましたが?」
「あれは国王と女王の二名が承認しない事には押せないというものではなく、どちらかでも承認していなければ、国璽が押されていても効果は無いというものです。
今回は私の一存で押しましたが、夫の意思は反対でしたので、国璽としての効力はありません。尤も、諸外国への対応となると話は別になりますが」
「結婚相手のエミーリオ様は私の婚約者ですので、ネヴィアの為に協力して頂きました」
「で、ですが、結婚式で私に仰った誓いの言葉は……」
確かにエミーリオが誓ったはずの言葉。
教会で、しかもこれだけ大勢の前で発言してしまった事は流石に良くないのではないだろうかと思うネヴィアに、エミーリオが優しく微笑みながら答えてくれた。
「私が言った言葉は嘘ではないよ。シルヴィアとは婚約者の間柄だからね。まだ結婚はしていないけど、ネヴィアさんは私の義妹となる方なのだから、健康な時でも、病気の時でも、変わらずに慈しみ、敬い、助け合うのは当然だよ」
「で、ですがっ、彼女を愛し、その命の限り守る事を誓うという宣言も……」
「家族になるのだから、家族として愛し、命懸けで守るという事に嘘などないよ」
それは言葉遊びなのではないだろうかと思うネヴィアは、言葉が続かなくなってしまった。
ロットは既に状況の把握を済ませたようで、右手を額に当てて少々俯いていた。
彼はようやく理解したらしい。国ぐるみで画策したロットの炙り出しに。
煮え切らないロットへ女王が背中を押し、ではなく、背中を蹴っ飛ばしたのだ。
いくら娘の為とはいえ、国すら軽々と動かすその手腕。何という豪胆で恐ろしい人なのだろうかと、ロットは心底思っていた。
そしてエリーザベトは、尤もな話をしていった。
「そもそも王族が結婚すると言うのに、式日まで3日だなどという常識外れな事に思いが至らないというのは、少々早計でしたね」
うっと言葉に詰まる3人。
分かってはいたのだが、流石に狂言だとは夢にも思わなかった。いや、それどころではなかった、といった方が正しいだろうか。そんな余裕など微塵もなく、ただただ必死に動いてしまった。
へこんでいるイリスに、エミーリオが話しかけてきた。
「こんな形の初対面となりましたが、はじめましてイリスさん。エミーリオ・ヴァレンテといいます。シルヴィアからよく貴女の事は伺っていましたよ」
「あ、こちらこそはじめまして。イリスと申します。シルヴィアさんとは仲良くして頂いております」
お互いお辞儀をし合う二人に、聞きなれた笑い声が後ろの方からしていた。
そこには数日見かけなかったミレイの姿があった。というよりも、レナード達もいるようだった。
「み、ミレイさん!? レナードさん達も!?」
なんで!? という表情で驚愕しながら見つめるイリスに、手を振りながら微笑むミレイ。どうやらミレイ達も仕掛け人だったようだ。
話を聞くところによると、ミレイは秋雷の前日にお城に呼ばれ、エリーザベトから直接お話をされたらしい。その面白そうな話に乗っかったミレイは、以降はイリスとネヴィアに逢わない様にする為、お城で過ごしていたらしい。
どうやら国王より先にその事を知らされたらしく、それを聞いたロードグランツは暫くの間しょぼくれたのだそうだ。
この件を知る人物はなるべく少数であるべきとの考えにより、計画を知っていたのは王国の中枢である、女王、国王、宰相、騎士団長、第一王女、司祭と、ロットとネヴィアの友人達であり、またイリスの知り合いでもある、ミレイ、レナード、オーランド、ハリスである。
現在この教会の長椅子を埋め尽くしている新郎側と新婦側の列席者は、一部を除いて騎士団や兵士達とその親族で埋め尽くされているのだそうだ。
その一部の人物を、今のイリスを含めた3人は知らない。
だが、明日にはそれを知る事となる。
それがイリスにとって驚愕の出来事となるのだが、今のイリスには知る由もないことであった。
「あはは。一時はどうなるかと思ったけど、上手くいって良かったよ」
「だな。俺としては嬢ちゃんに後ろめたさが残ってるが」
「……昨日オーランドさんが急に訓練行ったのって、もしかして……」
「あー、えーっと。ごめんね、イリスちゃん」
「全く、君と言う人は。普段の冷静なイリスさんだったら、気づかれていたかもしれませんよ?」
「う。……わるい」
「まぁこいつにゃ芝居は無理っぽいからな。いっそこいつだけには知らせない方が良かったかもしれねぇな」
はっはっはと豪快に笑うレナードに、やっとイリスはホッとしたようだ。
その場にへたり込みながら、今まで溜め込んでいた想いの堰が切れたように、ぽろぽろと涙を零していった。その姿を見たほとんどの者達は、戸惑いながらやり過ぎた事への罪悪感が襲ってきた。
「申し訳ありません、イリスさん。少々悪ふざけが過ぎました」
流石に少女には辛かった事だったと判断した女王は、イリスへ謝罪した。
だがイリスは泣き止む事もなく、小さな声で呟くように話していった。
「……った。……よかったよぅ。……お芝居でよかったよぅ。
ネヴィアさんとロットさんが幸せになれて本当に」
その言葉を最後に、ふぇぇと声をあげて泣き出してしまった。
おろおろとする一同に、エリーザベトは静かにイリスの元へ訪れ、両膝を付きながらイリスを優しく抱きしめていった。
* *
イリスが泣き止んだ頃、エリーザベトが事情説明をしてくれた。
曰く、あまりにも二人の進展がなかったので、背中を押したのだとか。
そしてネヴィアを嫁にしたいと言う手紙が日に日に増えており、最近ではフィルベルグの貴族や豪商だけではなく、エークリオやアルリオンからも求婚の手紙が届いているらしい。
そのあまりの数に、いい加減職務に触るという事もあり、丁度良いのでネヴィア達の心持ちを確認してしまおう、というのが今回の騒動の顛末なのだそうだ。
淡々と説明を終えた女王にネヴィアとロットは開いた口が塞がらない様だった。
結局事情を知らされてないイリス達はその偽装結婚式に、ものの見事に引っかかったという訳であったが、そもそもこんなに立派な教会でそんな事をして良いのだろうかとイリスは思ってしまった。
その疑問にローレン司祭は、いつも通りの穏やかな口調で教えてくれた。
「女神アルウェナ様は温厚篤実なお方です。真実の愛を語る若者達を罰したりはしませんよ」
『真実の愛を語る』と言われて急激に恥ずかしくなるネヴィアとロットであったが、それはイリスにとっても同じような感覚を感じているようだ。
なにせこんな立派な教会で、王国を相手に愛を説いてしまったのだ。これを恥ずかしいと言わず、何を恥ずかしく思うのだというのだろうか。
自分の起こした言動に赤面しつつも、頭を切り替えようと深呼吸するイリスを見ながら、ロットは女王、いや、ネヴィアの母に謝罪をしていく。
「自分が不甲斐ないばかりに、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
そんなロットへ、イリスをちらりと一瞥するエリーザベトは言葉にしていった。
「構いませんよ。とても良いものを見られましたし」
「とても良いもの、ですの? 母様」
はて、と首を傾げるシルヴィアはその真意を考えてみるも、彼女には思い当たらないようだった。思えば仕掛け人とはいえ、大切なエミーリオが演技上でも花婿を演じたのだ。正直、余裕を持つ事など全く出来なかった。本来であれば、ネヴィアのいた場所は自分がいるはずだった。
いくらネヴィアの気持ちを確かめる為とはいえ、やはり内心はぐらぐらと揺れていても、それは仕方の無いことだろう。
そんな心中を察して、エリーザベトはシルヴィアの頬を優しく撫で、言葉をぼそりと呟いた。
「『衛兵、その者を摘み出せ』」
「ぶふっ!」
一同が意味も分からず呆けている中、一人だけ何かを噴き出したような音を出したようだ。その音がした方に向き直ると、騎士団長ルイーゼが視線を逸らしながら方をふるふると揺らしていた。
表情は見えないが、一所懸命に笑うのを堪えているようだ。
すぐさま反論するように宰相ロドルフは焦りつつ反論する。
「じょ、女王陛下がそう言えと仰ったのではないですか。私は従ったまでです」
「そうですが、まさかあれ程までに演技の才能がないとは、流石の私も誤算でしたね。危うく計画が露呈する所でした」
「……これでもそれなりにこなしたつもりですが」
「ええ、分かっていますよ。全ては頭の硬い貴方に任せた私の失態です。ごめんなさいね」
ぷるぷると震えるルイーゼを見ながら、ロドルフはそれを白い目で見ていた。
ロドルフという男は、かなりの堅物で真面目過ぎて面白みに欠ける人物なのだそうだ。こういった事に対してもよく反対をしてくるらしく、今回の件も否定派だったのだとか。国益を尊重する男で仕事熱心なのだが、真面目過ぎるためにあまり笑顔を見せる人ではないらしい。
その事をイリスへと説明をし、エリーザベトはロドルフを紹介してくれた。
さっきまでの彼とは打って変わって、落ち着いた口調で自己紹介をしてくれた。
「お初にお目にかかる。私はフィルベルグ王国政務官を勤めているロドルフ・ブアンという。普段は王国中枢で勤務している為、会う事は少ないが、宜しく頼む」
「本当に硬いですね、貴方と言う人は」
「はじめまして、ロドルフ様。私はイリスと申します」
「イリスさんも硬いですわね」
「イリスちゃんは丁寧なだけなのですよ」
イリスの礼儀正しいお辞儀を見ながら、くすくすと笑うネヴィア。いつものような微笑にやっと戻れたようだ。
随分と時間はかかったが、それだけ衝撃的だったのだろう。思えばイリスにとっても、とても大変な一日だった。まだ昼過ぎだと言うのに、相当の疲れを身体に感じているようだ。
一時はどうなるかと思ったこの騒動も、一応の収束を見せた。
狂言という驚きの内容ではあったが、無事にロットとネヴィアの関係も、これで落ち着きを取り戻す事となり、後は本当の婚儀を残すだけとなっていった。
本人達の意思もあるので、来年の秋以降という事となりそうではあるものの、それを語る二人の楽しく幸せそうな姿に、イリスは安心したように微笑んでいた。
全ては上手くいっていた。大切な二人を引き離す事もなく、幸せに過ごせて貰える事の、何と嬉しい事だろうか。全ては順風満帆であり、何ひとつ滞りなく進む。
イリスはそう思っていた。この時は、まだ。
だが、その幸せな気持ちは翌日には壊されてしまう。
たった一枚の号外によって、イリスは途轍もない衝撃を受ける事となることを、今この場で微笑んでいる少女には知る由もないことだった。