"幸せになる"とは限らない
図書館を出ようとして、今までに見せた事がない表情を見て焦るようにマールが心配してくれたが、イリスは大丈夫ですと小さな声で呟き、カードを返却してもらい図書館を後にしていった。
何も考える事ができず、ただただ歩いていたイリスはミレイを探してみるも、出会う事はなかった。
家に帰ると、そのイリスの徒ならぬ様子に、飛んで来るように駆け寄ったレスティに心配されてしまったイリスであったが、とても小さな声で『おばあちゃん』と言葉にしたイリスは、手にした一枚の紙をレスティへと差し出した。
その紙を受け取って読んでみるレスティは驚愕の色を露にし、目を大きく見開きながらその紙を食い入るように読んでいた。
全てを読み終えてイリスを見てみると、両手で頭を抱えるようにしながら、もうどうしていいのかわかんないよと、消え入るような小さな声を出していった。
その言葉はまるで、あまりの悲痛に心が叫び出しているようにレスティには聞こえ、イリスをそっと抱き寄せてしまっていた。
「今日は休んでて良いのよ? 疲れたでしょう?」
「ううん、大丈夫だよ。それに何かしてないと逆に辛いの」
そう言いながらひたすら仕事をしていくイリスに、レスティは不安と心配の色を含んだ瞳で見つめていく。
夕方までなんとか仕事を終えたイリスは、レスティと普段通り調合をしていく。
寝る前の魔法の修練を空き部屋でしていたイリスは、早々に練習を切り上げてしまった。壁に置いてある椅子に腰をかけながら、深いため息をついていく。
集中力が全くと言って良いほどなくなっており、魔法を維持するどころか、発現させる事もままならなかった。
どうしてこんな事になったんだろう。どうすればいいんだろう。
イリスは何か自分に出来ることは無いだろうかと考えていた。
きっと出来ることなんて凄く少ない。もしかしたら何も出来ないかもしれない。
それでも、何か良い方法があるのではないだろうかと考え続け、やっぱりロットを見つけて話をするくらいしか思いつかなかった。
そしてイリスは昼になるとロットを探していく。思いつく限りの場所を。
1日が過ぎ、2日目となっても、ロットを見つかる事は出来なかった。
人に尋ねてみたり、ありとあらゆる店の中を探したりしても、誰もロットを見ていないか、知らないという。
焦るイリスは一旦お店に戻り、レスティにお仕事をお休みにしてもらい、一日中探し続けた。
ひたすら王都を駆け回る少女は、足が棒になっても探し続けていった。
だが、努力は必ず報われるとは限らない。
結局、王都中を捜し歩いても、ロットを見つける事は出来なかった。
日が落ちた夜空を見上げながら、少女は足を引きずる様に広場まで戻ってきた。
街灯が優しく照らし、幻想的に魅せている広場のベンチにすとんと腰を下ろしていった。座ったのはどれくらい振りだろうか。今まで溜まっていた疲れが一気に噴出し、少女は瞳を閉じかけてしまう。
意識が無くなる寸前に、少女はある事を思い出す。
今はもう夜の時間帯だ。ならばあの場所にいるかもしれない。
そう思いながら立ち上がるイリスは、ギルドへと駆けて行った。
がやがやと、昼とは違う賑やかさに驚くイリス。
思えばこの時間帯にここへ来る事は初めてだった。
戸惑いの色を隠せないが、目的の人物を探していく。
どうやら飲食スペースの真ん中辺りにいるようだった。
イリスはその人たちに近寄り、話しかけていく。
「こんばんわ、レナードさん」
「お? 嬢ちゃん? 何でこんな時間のこんなとこにいるんだ?」
「イリスちゃん、こんばんわ」
「先々週振りですね、イリスさん」
そこにいたのはレナードチームの面々だった。
オーランドとハリスはいるが、どうやら一人足りないようだ。
「実は人を探しているんです」
「人探し? こんな時間にか?」
「いえ、今日一日中探していたんです」
その言葉に驚く3人は固まってしまった。
「おいおい。何か理由はあるんだろうが、とりあえず座れ」
レナードは隣の席の空いている椅子を引っ張ってきて新しく席を増やし、その席へお礼を言いながらすとんと座るイリス。レナードがウェイトレスにノンアルコールのジュースを頼んでくれた。
しばらくすると、お待たせしましたと元気な声で大き目のガラス製のコップを持ってきたお姉さんに、軽く礼を言いながらそれを受け取り、レナードはイリスの前にコップを置いて話しかけていく。
「まぁ、なんだ。とりあえず一息付いてから話を聞くから、まずは飲め」
酒じゃねぇから安心して飲んで良いぞと笑うレナードに、ありがとうございますと言いながらイリスは一口飲ませてもらった。
それは甘くほのかな酸味と爽やかな風味に、ほんのりとある苦味が後味を引く柑橘系のジュースだった。疲れた身体にまるで染み込むように溶けて広がっていく感覚を感じながら、イリスはジュースをこくこくと飲んでいった。
「……その飲みっぷりだと、飲まず食わずで捜し歩いてたのか」
「どうしたんだ、イリスちゃん。何かあったの?」
「何か無ければこうなってないでしょうが。全く君という人は」
「う、うるせえなっ」
「はふ。大分落ち着きました。ありがとうございます」
それでと話を続けていくイリス。探し人のロットの事を。
だが3人もここ数日見ていないのだという。
「そういえばあいつ見てねぇな」
「どっか依頼受けて街にいないんじゃないかな」
「それは有り得ますね。あれだけ目立つ人ですからね」
「……そうですか」
しょぼくれるイリスに声をかけられなくなってしまう一同は、酒をちびちび飲んでいく。そんな中、ふとイリスは気になる事をレナードたちへ聞いてみた。
「そういえばミレイさんはご一緒じゃないんですか?」
「ん? そういや、あいつも最近見てないな」
「そう、ですか」
静かになるイリスを横目に、オーランドはジョッキの酒を一気に飲み干し、ハリスへと話していく。
「うし! 酒も飲んだし、そろそろ訓練行くぞ、ハリス!」
「……全く、君という人は」
「いいぞ、行って来い。……程々にな」
「わかりました。それではイリスさん、これで失礼しますね」
「またね、イリスちゃん!」
「あ、はい。ありがとうございました」
そう言って二人は席を離れ、訓練場へと進んでいった。
その後姿を見ながらレナードは、次の模擬戦でオーランドをぼころうと心に決めたようだ。がやがやと賑やかなギルド内でも一際静かなテーブルで、レナードは話していった。
「まぁ、おおよそ察しは付いてるぞ。明日の件だろう?」
「……はい」
「探し出してどうすんだ?」
「え?」
レナードの言葉に思考が停止してしまった。
探してどうするの? 私はどうしようとしていたのだろうか。
ロットさんに何かを言うの? ネヴィアさんを諦めないで、だなんて無責任な言葉をかけるの?
「まぁ何て言うかな、恋愛なんてのは人それぞれ違うもんだ。それぞれ違う価値観や想いで、全く違うもんになっちまう事だってある。
人の幸せ、なんてのもそうだと俺は思ってる。人には人の幸せがある。それは他人にとってはくだらないもんだって言う奴もいる。人それぞれ違うもんで、周りがどう思っても、本人達にとっては必ずしも幸せになるとは限らない。
どんな形であっても、誰もが笑って幸せになれるもんなんて、無いんじゃねぇかな」
静かに語るレナードにイリスは胸がずきんとしてしまう。
確かにそうかもしれない。人には人の、他人にはわからない幸せがある。私がしようとしている事は、誰のためになることなんだろう。誰かが幸せになれるんだろうか。それとも、自分自身がそうしたいだけなのだろうか。
だとするとそれは偽善と言われるもので、それを私は一方的に押し付けてしまうのではないだろうか。
誰かの為に、だなんて都合の良い理由をつけて、私はただ自分がしたいようにしようとしているだけなのではないだろうか。
レナードの言葉に黙ってしまうイリスは考えるも、一向に良い答えは見つからないようだった。もう遅いから送ってくぞと言ったレナードは立ち上がり、ウェイトレスに勘定はここに置いとくなと言い、イリスを連れてギルドを出て行った。
"森の泉"は目と鼻の先とは言っても、この時間なのだから女の子を一人で歩かせる訳にはいかない。レナードは家までイリスを送り届け、飛んで来たレスティに『偶然イリスと出会って、茶を誘って飲んでた』と言いながら、レスティに遅くなった事を詫びていく。
間違いではないのだが、レナード一人悪者になってしまうその言い方に、イリスはレナードを驚いた表情で見つめるが、ポンと頭に手を置かれ、笑顔でそれに応えるレナードだった。
その『いいから黙っとけ』という、優しく暖かい心の声が伝わり、申し訳なさでいっぱいになるイリス。
じゃあなとイリスへ伝えて店を去るレナードの後姿に、レスティはありがとう、レナード君と答えていった。
レナードが去った店内に、穏やかな声が響いていった。
「遅くて心配したけれど、おかえりなさい、イリス」
「ごめんなさい、心配かけて。ただいま、おばあちゃん」
「うふふ、いいのよ。さぁ、ご飯にしましょうね」
「うん。おなかぺこぺこだよ」
「あらあら、すぐ用意するわね」
食事をしながら今日あった事を話していくイリス。
とは言っても、ひたすら走り回っていたという程度の事しかしていないので、主にレナードの話になっていった。自分がギルドにロットを探しに来て、レナードに良くして貰ったという経緯もしっかりと伝えていく。
どうやらイリスが言わずともレスティには、先程のレナードへの反応で大体想像がついていたそうだ。
食後のお茶が終わるとイリスはお風呂に入り、すぐに寝る事にした。こんな精神状態では、訓練も何も出来ないだろうと思えたからだ。
身体がすごく疲れているのに、気持ちが昂ぶっていて眠る事が難しかった。
明日にはネヴィアが結婚してしまう。未だにどうすれば良いのか分からず、もやもやした気持ちの中、イリスは明日の事を考えていった。
どうすれば誰もが笑ってくれるんだろう、と。
だが幾ら考えても、良い答えなんて出てくる事はなかった。ぐるぐると思考が纏まらず、一向に解決法が出てこない中、レナードの言葉が心に響いてきた。
『どんな形であっても、誰もが笑って幸せになれるもんなんて、無いんじゃねぇかな』
……そうかもしれない。
誰かが幸せになれば、別の誰かを傷つける事になるかもしれない。人は皆、別々の想いを持っているのだから。
でも、それでも思わずにはいられない。
誰もが笑って幸せになれる世界を。
そんな夢物語みたいな世界を。
子供じみた考えかもしれない。
だからって想い合っている二人が手を取り合う事が出来ないなんて間違ってる。
あんなに幸せそうな二人を引き裂いて、恋バナをしている時にも名前すら出て来ない人と結ばれたって、きっと幸せになんてなれない。いや、なれる筈がないんだ。
イリスはそう信じていた。そして少女はある決断をする。
期限は明日の正午だ。
それまでにロットさんを見つけ、話をつけなければならない。
このままではきっと二人が不幸になってしまうから。
それだけは絶対に止めなければならない。
自分に出来ることなんて、本当に小さくて些細な事だけど、それでも何もしなければ後悔するだろう。二人だけではなく、私自身も。
だから私は、我侭を通す。
例えそれが、多くの人に迷惑がかかろうとも、私は私を通す。
"大切な兄"と"大切なお友達"の為に。
二人が幸せに笑って貰える世界を守る為に――。