"どうしようもない"こと
秋雷の日から2日後。
天気はすっきりとした涼しげな空気で、透き通るような青さの空をしていた。その清々しく、ほのかに冬のにおいを感じるような昼下がりに、イリスは図書館へ向かう途中の噴水広場まで来ていた。
今日は特に誰とも会えないようなので、そのまま図書館まで行こうとすると、一人の中年の男性が紙の束を高らかに持ちあげながら叫んでいた。
「号外! 号外! フィルベルグ王国第二王女ネヴィア様、御婚約! 御結婚式はなんと3日後の太陽の日、正午だ!」
その言葉に目を見開きながら、すぐさま男性に近寄るイリス。
「あの、すみません! ネヴィア様ご結婚されるって本当ですか!?」
イリスには全く持って信じられない事だった。つい先週も会ったばかりだし、その時にはそんな素振りは一切見せていなかった。一緒に居られるだけで幸せですと言っていたくらいだ。それが行き成り結婚式だなんて、信じられるものではない。
それも3日後だなどという有り得ない早さに、いくら13歳とはいえそれが常識外れな事くらいは理解出来る。あまりの衝撃の出来事に、頭がくらくらするのを必死で抑え付けながら、イリスは詳細を男性に問いただした。
中年の男性はイリスに気が付くと、それを丁寧に教えてくれるのだが、どうやら相当焦っているように見え、彼もまた急な出来事に対応しかねるといった表情を見せていた。
「あぁ、お嬢さん。そうなんだよ、昨夜急に王室から発表があってね。何でもネヴィア様の御結婚式を執り行うとの事で、大々的に報じて欲しいとお達しがあったんだ。こちらも行き成りの事で驚いてしまってね。急遽、号外を作ったんだよ。
流石に一晩じゃ号外を作りきれなかったんだけど、早朝に王室から急遽、複製魔法師さんを派遣して下さってね。なんとか号外を配るまでに至ったんだよ」
詳細はここに書いてあるから読んでみてねと渡された紙を、お礼を言いながら受け取るイリス。おじさんの邪魔にならないよう少々離れ、その書かれた内容を読んでみると、それは驚愕どころの衝撃ではない事が書かれていた。
ネヴィアが結婚するという事と、3日後の太陽の日正午に式が執り行われると言うのは、号外を配っていたおじさんの言う通りのようだ。
それも驚くべきことではあるのだが、そんな内容が全て飛んでしまうような衝撃的な言葉が書かれている。
イリスはそれを読みながら、目の前がぐにゃりと歪んだようにふらふらとしてしまった。
「……なに、これ……。誰……? ネヴィアさん、誰と、結婚するの……?」
ネヴィアの結婚相手。それはロットではなかった。
そこには美しい字で、エミーリオ・ヴァレンテと記されていた。
目の前が真っ白になる。頭がくらくらする。心臓がばくばくしてる。
必死で現状把握に努めるイリスであったが、幾ら考えても一向に思考が纏まらない。意味がわからない。何故ネヴィアが知らない人と結婚をするのか。どうして相手がロットじゃないのか。
まるで悪夢の中にいるようだ。体中が痺れたように動けなくなる。
「……そうだ。ネヴィアさんに――」
直接本人に聞こうと思ったイリスは、噴水広場を後にして王城へと急ぎ走り出す。体力が無いためすぐに息切れしてしまうが、今はそれどころではない。
走って歩いてまた走っての繰り返しで、王城まで出来る限り速い速度で進んでいく。徐々に下の中庭の入り口が見えてきて、いつも通り兵士が二人待機していた。
必死にその近くまで来たイリスは、息も絶え絶えで話しかけるも、兵士達にとりあえず落ち着いてからにして下さいと言われてしまった。
何とか話せる程度まで回復したイリスが、兵士達へと話しかけていく。
「あ、あの。ネヴィアさんに会いたいんですけど、通っても宜しいでしょうか?」
「すみません。王城はネヴィア様の御結婚式の為に、現在どなたも入れないようにとのお達しが来ております」
「申し訳ございません。イリスさんであっても、お通しする事が出来ないんです」
「そ、そんな……。何とか通して頂けませんか?」
必死な様子のイリスに、個人的には通してあげたいんですが、王室からの命令の為、どなたもお通し出来ないんですよと申し訳なさそうに答える。
ならばせめて、どなたか呼んで下さいませんかと聞くイリスだったが、急な御結婚式という事もあり、城内も慌しく準備をしているそうだ。
兵士たちに受けた命令は二つ。
誰も城に通すなという事と、緊急時以外の連絡は控えるように、との事らしい。
「それにここを通っても、エントランスで止められてしまいますよ」
「……そう、ですか。ありがとうございました」
流石にネヴィアの友人であるイリスであっても、今現在の王城に入る事は難しいらしく、諦めてとぼとぼと帰っていく。その暗く沈み込んだ様子を、とても申し訳なさそうに見つめる王国兵士たちであった。
噴水広場まで戻ってくると、今度はロットを探そうと思いつき、すぐさま行動に移していく。広場にはいないようだ。だとするとギルドか図書館かもしれない。まずは近いギルドへと向かっていく。
両開きのドアを押して入るイリスは、入り口からギルド全体を眺めていく。どうやらここにもロットはいないようだ。そのままギルドを後にして図書館へと走っていく。途中、すれ違いが起きないように周囲を見渡しながら。
図書館前まで来ると、呼吸するのが難しいほどの息切れを起こしてしまっている事に気が付いた。そのまま呼吸を整えるように休憩し、ある程度落ち着いてから館内へ入っていく。
すぐさま異常に気が付いた受付の司書は、イリスへ驚いた表情で駆けつけてくれた。
「ど、どうしたんですか!? イリスさん!」
「ま、マールさん、こん、にちは」
「何かあったんですか?」
「実は、ロットさんを、探しているんです」
「そんなに必死になるほど、大切なご用事なんですか?」
はい、と真剣な瞳でイリスはマールを見つめていく。
本来であればこういった事をお教えする事は出来ないんですけど。
そう言いながらマールは話してくれた。
イリスは冒険者カードを預け、奥へと進んでいった。
「……ロットさん」
「……イリスちゃん」
受付から見えないほど奥まった場所にある本棚の場所に、ロットは綺麗に収納された本を取るわけでもなく、ただ眺めるように見つめていた。
何でこんな所にいるの? これはどういう事なの?
ロットさんとネヴィアさんが結婚するんじゃないの?
様々な考えが交差していく中、イリスは言葉を発せずに立ち尽くしてしまっていた。言葉が出ない。もしかしたらその答えを聞くのが、イリスにとっては怖かったのかもしれない。
静かな時間が流れていき、意を決したように口にしていくイリス。
「……どうして、こんな事に」
聞き取りにくいほど小さな声を発したイリスに、しばらくの時間をかけてロットは答えてくれた。
「……今朝、王城から招待状が届いたんだ。内容は、3日後の結婚式に招待するというものだった。相手は名門貴族のヴァレンテ家の次男だ。噂に聞く程度しか知らないけど、文事に秀でた好青年だそうだ」
「……ロットさんは、それで、いいんですか?」
「仕方が無いよ。彼は俺とはまるで生きる世界の違う方だ。家柄も、人柄も、非の打ち所が無いとまで言われている」
「でも、ロットさんはネヴィアさんの事を……」
言葉に詰まってしまうイリス。途中でずきんと胸に痛みが走ってしまう。
内心ではイリスもどこか理解しているのかもしれない。もうどうしようもないと。
ロットは表情を一切変えずに、淡々と言葉にしていく。
「……元々叶わぬ恋だったんだ。俺とネヴィアでは住む世界が違いすぎる。きっといつかはこうなっていたと思ってしまうほどに」
言葉が続かないイリスはそれでも納得など出来ない様子だった。
あれほど楽しそうにしていた二人が、まるで急に引き裂かれたようになってしまうだなんて、絶対に信じたくも無い事だった。
その様子を察したロットは、静かに話を続けていった。
「もうどうしようもないんだ。招待状には国璽が押されていた。これは国王、女王の両陛下が許可を出さなければ押せないものなんだ。
つまりこれは両陛下のお考えで、お二人が結婚を認めてしまったという事なんだ。もう俺なんかがどうこうする問題じゃなくなってしまったんだよ」
だから、もういいんだ。そう言いながらロットは図書館を後にしていった。
しんとする図書館に一人残ったイリスは下を向き、その表情は見えなくなってしまう。
そして少女は、誰にも聞こえないような小さい声で呟いた。
その声は静まり返る図書館の片隅に空しく響いていった。
「……なら、どうしてそんなに、悲しそうな顔をするんですか……」
秋雷とは文字通り秋に起こる雷の事です。季節の変わり目って、思えば天気が荒れますよね。