店内に咲く"一輪の花"
「そ、そうなんですか!? ネヴィアさん!」
イリスは今、盛大に驚いていた。
その声に真っ赤になりながら肯定していくネヴィアを、可愛く見つめるミレイとシルヴィアだった。どうやら例の作戦は成功したらしい。それも中々の成果を得られたような手応えを感じたそうだ。
お茶を飲みながら、こんなに嬉しい事は無いと言わんばかりに喜ぶイリス。
ここはお城のテラスの先にあるガゼボだ。
お茶とお菓子を広げたこの場所には、イリスとミレイにお姫様達のほか、ガゼボの外にはリアーヌがいつものように笑顔で待機している。
今日のお茶請けは、甘さを上品に控えたクッキーとなっており、リアーヌの淹れてくれた絶品のお茶を飲みながら、さくさくと美味しそうにイリスは食べていた。
少々暑くなってきた日差しの中、日除けがあり風通しの良いこの場所は、お茶とお話をするには最適ではあるのだが、彼女達がするのは相も変わらず恋バナであった。
先日ネヴィアたちが行った、王国一とも噂されるパティシエールがお店を開いている、パティスリーFleurでの出来事をイリスとミレイは詳しく聞いていた。
話を始める前から顔が真っ赤だったネヴィアなので、おおよその見当はついていたのだが、それでも詳しく聞きたいと思うのは仕方の無い事である。
これには大切なお友達の幸せが関わっているのだから、正直なところ気になって仕方が無かった二人であった。
ミレイの話を聞くところによると、どうも相当目立っていたとの噂だったらしい。
とは言え何か騒ぎを起こした訳でも、大きな声で話していた訳でもない。
何故目立ってしまったのでしょうかと首を傾げながら疑問に思うネヴィアは、どうやら気が付いていないようだった。
その姿に瞳を閉じながらお茶を飲みシルヴィアは、一息入れて答えていく。
「そんな事決まっていますわ。こんな可愛い妹が目立たない訳がありません」
えへんと自慢するような表情を見せるシルヴィア。いや、確かにそうなんだけどね、と続けるミレイは少々言葉に詰まる。
ネヴィアだけでなく、シルヴィア自身もそれに気が付いていないようだ。お姫様というのはそういう所がズレているのではないだろうかと思ってしまう。
どんな格好でどんな会話をしたのか、ミレイは聞いただけで苦笑いをしてしまった。美しい容姿、上等な服装、気品漂う仕草、淑やかな立ち振る舞い、丁寧な話し方。どれを取ってもどこから見ても、良いところのご令嬢か、お姫さまとしか思えない過ごし方をしたようだ。
恋人同士で溢れた店内に一際美しく咲く一輪の花のように、物凄く周囲の注目を集めていたという事が良くわかった二人であった。
「まぁ、楽しく過ごせたようで良かったよ」
そう語るミレイはお茶を飲みながら笑顔で語る。
イリスも同じような事を思っている表情をしていた。
ロットと二人きりになるとネヴィアが『ぁぅぁぅ』してしまうのではないかと正直心配していたが、どうやら予想と反して冷静にお話とお茶を楽しめたのだそうだ。
少々不思議に思うイリスとミレイであったが、シルヴィアは普段通りにお茶を飲みながら静かに聞いていた。
* *
カランカランと可愛らしい音が鳴り、扉が開いていく。
「いらっしゃいま、せ……」
元気良く挨拶をする店員であったが、来店したお客様を見て動きを止めてしまう。入店してきた女性は、とても上品で清楚な格好をした綺麗なひとだった。あまりの美しさに同性である店員も、言葉を途切れさせて見蕩れてしまっていた。
扉を開け、先に女性を通してから入って来た男性も、とても美しい人で、店員の女性は言葉を完全に失ってしまった。
はっと気が付いたように仕事に戻る女性は、人数を確認してから窓際の端にある席へと案内していく。
男性は連れの女性をエスコートしながら椅子を引き、連れの方を座らせる。
その優雅で流れるような作法に、頬を染めてしまった店内の女性客が連れの男性にイラっとされる中、彼らの居場所にだけ別の世界が出来上がったような雰囲気を作り出し、周囲の注目を一気に浴びてしまったようだ。
勿論周りが見えていないので、そんな事になっているとは知る由も無い本人達は、とても楽しそうな笑顔で会話を静かに楽しんでいた。
恋人限定ケーキが運ばれてくると、二人はとても美味しそうにゆっくりと味わいながら、二人だけの世界に浸っているようだった。
その様子を傍から見ている他の客達は、彼女達の優雅で美しい姿に息を呑みながら、それをまるで物語の1ページを見るような感覚に包まれていた。
ゆったりとした笑顔の絶えない優しい時間は過ぎていき、二人が店を去るときも、同じように男性が女性をエスコートしながら席を立った。
男性が会計を済ませると、女性は店員に満面の笑みで話していった。
「とても美味しかったです。ありがとうございました」
あまりの美しい声と表情に、言葉を返す事が出来なかった店員は呆けてしまった。
そして連れの男性も笑顔でごちそうさまと言い残し、また男性が扉を開けて女性を先に退店させ、男性も後に続いていった。
残された店内は、その異質とも言える美しい人たちに呆気に取られてしまい、暫くの間、誰一人として口を出す事はなかった。
* *
これが事の顛末である。
店に訪れた二人には自覚が全くない。
当然、イリスとミレイがそれを詳しく知ることはなかった。
ミレイに関しては噂からおおよそは把握しているようだった。
ネヴィアから掻い摘んで話を聞いたミレイは苦笑いをしてしまい、イリスは二人が楽しめたようで何よりだという表情をしていた。
確かに二人が楽しめたのなら、それに越したことは無いのだが、ミレイは二人が普通のお店に行くと、迷惑がかかるのではないだろうかと思っていた。
ちらりと見たシルヴィアは、さも当然といった顔をしているようで、それは何の自信なのだろうかとミレイは続けて考えていた。
「まぁ、ネヴィアが楽しめたみたいだし良かったよ」
「ふふっ、良い感じになってそうで、本当に良かったですよ」
「私はもっともっと良い感じになれるようにしたいですわね」
「ね、姉様ってば」
顔を真っ赤に染めるネヴィアは、恥ずかしそうに微笑んでいた。
「でもあんまり目立ち過ぎると良くないんじゃないかな」
ミレイが呟くように言った言葉をシルヴィアはどういうことですの、と聞き返した。
「あんまり目立つと周囲の注目を集め過ぎちゃうよ?」
「それならばいっその事、見せ付けてしまえば良いのではないかしら」
「そ、それは流石に恥ずかしいです、姉様」
「それにしても、随分と普段通り接する事が出来るようになったみたいですわね」
どうやらネヴィアは随分と落ち着いてロットと接する事が出来るようになったらしい。あがり性で若干男性が苦手で内気な彼女ではあったが、ロットとだけは自然体で接する事が出来ているようだ。
これはイリスたちには分からないが、シルヴィアとしてはかなり驚くべきことだった。執事とさえ目を合わせて話すことが出来ないような子だったのだから、如何にロットが特質的な存在なのかは理解出来る。
理解出来るのだが、それでもやはりこれは驚くべきことであった。あのネヴィアが、と言えるほどに。
そしてロットの方もかなり楽しそうに見えたらしい。
ミレイが直接彼に聞いた話から察すると、ロット自身もネヴィアに対して思うところがあるようだ。
良い感じの中になりつつあるのはわかるのだが、このままでは全く先に進めないのではとも思うミレイとシルヴィアだった。
「兎も角、このままでは恋愛に必要なモノが、まだ足りない事はわかりましたわ」
「足りないもの、ですか?」
イリスとネヴィアは同時に首を傾げてしまった。
何だかもう一人可愛い妹が出来たような錯覚をしてしまうシルヴィアは続けて言葉にし、この場にいる者達に聞いてきた。
「ところで皆さんは、恋愛に一番必要なものは何だと思いますか?」
「あはは、やっぱりそれは一緒にいて楽しいって思える事じゃない?」
「私としてはやっぱりお互いを思い遣る心じゃないでしょうか?」
「私は何よりも安らげる穏やかで落ち着けるものが欲しいです」
「甘いですわ、あまあまですわ!」
断言してしまうシルヴィアに、恋愛って言うのは甘いものなんじゃないのとミレイが答えてしまった。
だが彼女にとっては違うらしく、一番必要なものを答えていった。
「恋愛に一番必要なもの、それは情熱ですわ!」
こぶしをぐっと胸の前で握りこみながらそう答える彼女の周りは、赤い炎で覆われていた、気がした。属性が違うので彼女に火は出せないのだが、そんな事はどうでも良いと言わんばかりに話を続ける。
かなりの熱度で語る彼女の言葉を掻い摘んで説明すると、このままネヴィア達に任せていたら、実るものも実らないまま長い月日が過ぎてしまう、という事らしい。どうにもネヴィアは奥手というか、少々積極性に欠ける節があり、今のままでは居心地の良さのみを求めてしまう気がするのだそうだ。
さすがは姉と言った所だろうか。妹の性格をよく知った上での言葉に、納得する二人と、いまいちぴんと来ていない本人であった。
要するにこのまま二人を放っておくと、ひたすらに楽しい時間を過ごすだけの関係になりかねない、という事らしい。
でもそういうのはじっくり時間をかけて育んでいくものではとイリスが聞くと、少々問題もあるのだそうだ。
現在ネヴィアは16歳の女性であり、また恋人がいないと思われている。実際思い人はいるが、交際している訳でもない事が少々問題なのだそうだ。
普通の女性であれば全く問題ないが、彼女はフィルベルグ王国の第二王女という肩書きがある。16になっても恋人の一人もいないと、不安に思う国民も出てくるらしい。
そうなれば我先にという貴族や大商人の倅が、ネヴィアにこぞって会いに来る事になりかねない。現在は母親が目を光らせ、父親が婿選びの選別という名目で叩き返しているらしいが、それも時間の問題となっている。
要するに、ネヴィアはとってもいいお年頃なのだそうだ。フィルベルグの実権を握りたい、などという者はこの国にはいないらしいが、ネヴィアという存在は、世の年頃の男性からすれば途轍もなく魅力的なのだそうだ。
イリスには流石に男性の気持ちはわからないが、ネヴィアがとても魅力的な女性と言う意味は理解できた。
見た目も性格も仕草も、声でさえも。魅力的、などという言葉では語り尽くせぬほどのものをネヴィアは持っていた。それ故に近寄る男性や、近寄りたいと思う男性が星の数多ほどもいるのだそうだ。
流石にその数の表現は言いすぎではと思っていたミレイであったが、それを察したシルヴィアはこう答えた。
最近では毎日のように父が、送られてくる手紙を叩き返しているらしいですわ、と。
「そ、そうなんですか? 姉様」
「ええ、そうらしいですわよ。今は母という策士と父と言う鉄壁の守りがありますが、あまり時間をかけては二人も考えを変えてしまうやもしれませんわ。その為に見せ付けるのもありと思ったのです」
「なるほど。流石に両陛下が乗り出して来ちゃうと不味いかも」
「でも、女王様も国王様も、ネヴィアさんの幸せを願って下さるのでは?」
「幸せの形は人それぞれですわ」
もしこのままネヴィアがロットに対して煮え切らない態度を取っていれば、
痺れを切らしたように動き出す可能性もあるのだとシルヴィアは話していく。
幸せの形は人それぞれとよく言ったものだが、それを願って親が決める事もまた幸せの一つなのだと。
「そうならない為に、ネヴィアには幸せを自分自身の力で掴んで欲しいのですわ」
とても優しい笑顔で語るシルヴィアに何か引っかかるミレイは、小さな声でぽつりと呟いた。
「シルヴィアにはいるの?」
「え!?」
「いや、シルヴィアにはそういった人がいるのかなーって思ったんだけど」
「……そうですよね。姉様にも浮いたお話を聞いた事がありません」
「ええ!?」
「となると、まずそのお話が来るのもシルヴィアさんなのかな?」
「あ、いえ、それは……」
全て跳ね返ってしまったシルヴィアの様子にぴんと来たミレイは、悪戯っぽい口調で喋った。
「ほら、シルヴィア。どうなの?」
瞳を閉じ深いため息をつきながら、シルヴィアは観念したように告げていく。
「……私にも居りますわ」
「そ、そうなのですか? 姉様。初耳です」
「前にも言いましたわ。意中の殿方くらい居ると」
「あはは、まさかほんとに居たなんてね」
「どんな方か聞いても良いですか?」
「見た目は違いますが、性格はロット様のような方ですわ。戦う事が苦手な貴族の方です」
「一体どこで、いえ、お付き合いしている素振りなどありませんでしたよ?」
「直接会うのは控えてますの。手紙での遣り取りが殆どですわ」
どうやら相当昔からの付き合いらしい。子供の頃に開かれたお茶会に来ていた少年に、淡い恋心を抱いた少女、というのが始まりらしい。
以降は手紙での遣り取りをしながら、思いを募らせていったのだとか。
なんとも純粋な恋をしている二人のようだが、ミレイは続いて尋ねてしまった。
「で、どこまでの関係なの?」
「……仕方ないですわね。今はもう結婚を前提に、お付き合いをさせて頂いておりますわ」
「そ、そうなのですか?」
驚きの表情が止まらないネヴィアは聞きなおしてしまった。
シルヴィアは、ですので貴女よりもずっと先にいるのですわと恥ずかしそうに答えていった。
瞳をこれでもかという感じに輝かせたイリスの視線に気が付いたシルヴィアは、顔を真っ赤にしながら話を区切っていく。
「もうっ、私の話はどうでもいいのです! 問題はネヴィアの方なのですわ!」
なるほどと納得していく一同の視線がネヴィアに集まる。
それからは、今後のネヴィアさんがどうすればいいのかを話し合っていった。
ああでもない、こうでもないと楽しそうに話す少女達は、お茶にお菓子にお話にと、充実した日を過ごしていった。
結局最後はネヴィアに任せ、なるべく自由に積極的に逢ってみてはどうか、という話に落ち着いたようだ。
ガゼボとは、西洋の庭園や公園などによく見られる建物で、屋根と柱があるだけのシンプルに作られた建造物の事です。
用途は日除け、雨よけ、休憩などに使われていたそうですが、ここで登場するものは主に、日除けとお茶を飲む憩いの場として使われております。