そう遠くない"未来"に
お茶を飲みながら3人が落ち着きを取り戻した頃、エリーザベトが話し始めた。
イリスに話した充填法と、その使用方法を。どうやらほぼイリスのやり方と合っているらしい。
属性によって、初めて使う際の魔力を練り上げるやり方に、ほんの少し違いがあるそうなのだが、基本的にはどの属性の者でも訓練次第で強化出来るようだ。
だが二人の王女はふと思ってしまう。何故こんな凄い事を母は知っていたのに教えてくれなかったのか。そして何故今になって教える気になったのか。
それは恐らく王位継承時に渡すものだったのではないのだろうか、と。
その問いを口にする前に、母は答えてくれた。
「そうです。"充填法"とは本来、王位継承の儀式後に教える筈のものでした」
「では何故、いま教えて下さるのでしょうか」
「もしかして、私達が不甲斐ないせいかしら……」
シルヴィアがしょぼんとしながら口にするが、どうもそうではないらしい。
「充填法を習得させるのは今後の為です。ネヴィアはもう身を以って知っていますね? ブルームの恐ろしさを」
その名を聞いただけで、ふるっと軽く震えてしまうネヴィア。
「あんなものがまた出ないとも限りません。何よりも自身の身は自身で守る力をつけねばなりません。その為の力を授けようと思ったのですよ」
もうネヴィアが襲われた等という報告を聞きたくもありませんからねと、ぽつりと寂しそうにエリーザベトは呟いた。
だが次の瞬間、表情を少しも変えずに娘達を見ながら話を続けていった。
「それにスパロホゥク程度の魔物くらい、素手で倒せるようになりなさい」
「「……は?」」
王女二人は完全に固まってしまった。母の口から飛び出た言葉を、二人の姫様の頭は最速で情報処理をしているようだ。
しかし答えが出ない。何度考えても意味がわからない。あまりの出来事に思わず聞き直してしまうネヴィアに、当たり前のように返す母。
そしてシルヴィアはそれを冗談だと思ったようだ。
「……か、母様? あの、いま、何て仰ったのですか?」
「スパロホゥク程度の魔物くらい、素手で倒せるようになりなさい、と言ったのですよ」
「ふふふっ、母様ったら、また面白い冗談、です、わよね?」
いたって真面目に答える母に、徐々に言葉が小さくなるシルヴィア。
『いやいやいや。スパロホゥクを素手とか有り得ないからー』と、今はここにいないお友達の声がこだまして聞こえて来た気がした。
若干現実逃避とも思える言葉を頭に響かせながら固まっていると、女王は軽いため息を添えながら再び話し始めていく。
「全く。私がネヴィアの年齢の頃にはそのくらいの事は出来ましたよ」
「ち、ちなみに母様、いま現在ではどの位のお力が、あるのかしら?」
「今は鍛錬も殆どしておりません。かつての力なぞもうありませんよ」
「そ、そうですか」
どこかホッとするシルヴィアに女王は、凄まじい一撃を繰り出していく。
「今ではもうオレストホルス程度しか、一撃で倒せないでしょうね」
「……ホルスってあれですわよね? 前足を振り下ろしただけで大地が揺れるほどの巨体と、凄まじい破壊力を持つ馬のような大型の魔物の事ですわよね?」
「そうですよ。しっかり覚えていたようで何よりですね」
「オレストホルスを一撃って、そんなに鋭い斬撃なんですね」
「何を聞いていたのですか、ネヴィア。私は素手でのお話をしているのですよ? 剣などを振るってしまったら、ホルスなど真っ二つになってしまうではないですか」
「「……」」
暫く考えた二人は話を流す事にした。考え続けると自分の常識が、音を立てて崩れてしまう気がしたからだ。
要するに考える事の放棄である。母はあまりにも世間一般的な強さとかけ離れていて、こういった会話が通じないのだと、しみじみと思ってしまった。
ふと二人はイリスがとても大人しい事に気が付いた。
彼女を見てみると、どうやら落ち着いた様子で聞いているようだ。
取り乱さないイリスに驚きを隠せない二人はイリスを良く見てみると、どうやら意識が飛んでしまっていた。イリスの理解出来る許容量を軽く越えてしまったようだ。
涙目で取り乱すネヴィアがイリスをかくかくと揺さぶり、それを慌てて止めるシルヴィア。
女王の生きた伝説がまたひとつ増えたようだ。
* *
こちらに戻って来たイリス達と再びお茶で一息つく3人は、女王の話を聞いていた。
「先程もお話をしましたが、貴女達の王位継承の儀式を終えてから二人に話す予定ではありました。ですが、"充填法"をイリスさんが独自に見つけ出してしまった事で、その内の幾つかを大きく変更しようと思います。それでもイリスさんと同じく、貴女達もまだ時期尚早だと判断しております。よって幾つか条件を付けた上で、本来然るべき時期に教える予定だった事を前倒しして伝えようと思います。その一つは、イリスさんが大人となる15歳になり、ある条件を満たす事。そしてその時、シルヴィアとネヴィアにも同じ事を尋ねるでしょう。それを了承した時、改めて"その先"を伝える事にしました」
「イリスさんのある条件とは、伺っても良いのかしら?」
「貴女達は知らない方がイリスさんの為にもなると思います」
「なるほど、良くは分りませんが、母様がそう仰るのであれば」
「そうですわね。それも後に分かるのだから、今は知らなくて良いですわ」
だがイリスは腑に落ちない点がひとつあった。
「私が大人になった時にその条件を満たせなければ、どうなるのでしょうか」
「その時は予定通り、王位継承の儀式後に二人に話す事となるでしょうね」
「特に悪い話ではないですわね。私は異論などございませんわ」
「そうですね。私も異論はありません」
だがエリーザベトは、ある種の確信じみたものを感じていた。
イリスは問題なくその条件を満たす事になるだろうと。
現状では特にその様な変調を来していないが、いつそれが彼女に訪れる事になるのかなど、誰にも予測する事など出来ない。
確実にわかる事は、そう遠くない未来にそれを手にする事になる、という事だ。
その為に念を押したのだからこれでその力が発現しても、イリスが闇雲に力を使うことはないだろう。
だがそれも幾分かましになった、という程度のものに過ぎない。まさかの13歳という低年齢の少女が、それを扱う可能性があるという事には流石に驚いたエリーザベトであったが、これも何かの導きなのかもしれないと彼女は思っていた。
それはイリスが何か大きな流れの中にいる様な気がしてならない。
まるで巨大な何ものかに導かれていくように。
それが人なのか、それとも神なのか。今のエリザには理解しかねるが、このままでは確実に悲しい事になっていたであろう事だけは回避できた筈だ。
だが逆にそれはこの小さき少女に、何か途轍もない使命のようなものがあるのではないか、とも同時に思えてしまう。
それをこんなに可愛らしい少女一人に託す事など、フィルベルグ王国始まって以来の恥となるだろう。
これはその為の布石でもある。もしこの少女が本当に何らかの使命を担うのであれば、王国は総力を挙げて彼女を支えねばならない。
幸いな事にシルヴィアとネヴィアが、彼女と仲良くなる事が出来た。
これで彼女に何か困った事が起きれば、手を貸す事も容易となるだろう。
ちょうどお茶が切れた頃を見計らって、そろそろお暇させて頂こうと思ったイリスは、話を切り出し、時間も時間ですからねとシルヴィアが残念そうに呟いた。
寂しそうなネヴィアにまたご一緒にお茶しましょうねとイリスが言い、笑顔でそうですねと答えていった。
女王は立ち上がり、執務机の引き出しから一通の手紙を取り出し、イリスへと手渡した。
「こちらをレスティさんへお渡し下さい。急な召還に関する謝罪状となっております」
しっかりと両手で受け取りイリスにエリーザベトは、無理にお越し頂き有難う御座いましたと頭を下げた。
おろおろしてしまうイリスはどうか頭を上げて下さいと言いながら、真っ直ぐ女王を見つめ、こちらの方こそとても良くして頂きありがとうございましたと、頭を下げながら感謝を述べていく。
「もし、何か困った事がありましたら、遠慮する事無く仰って下さい。何か我々に出来ることもあるかもしれませんから」
「はい。ありがとうございます」
笑顔で語る少女の姿に、再び子供の頃のネヴィアの姿が重なって見える女王は、懐かしさと愛くるしさに包まれながら、イリスを送る馬車を手配していく。
もう一度今日のお礼を言ったイリスは執務室を退室し、エントランスを出るとそこには冒険の時に使わせて頂いた馬車が待っていた。
3人で"森の泉"まで馬車の中で他愛無い話をしながら送ってもらい、今度はのんびりお茶しましょうねといって別れていった。
イリスは家に戻ると、レスティがすぐにおかえりなさいと言ってくれた。
どうやらずっと起きて待っていてくれたようだ。
イリスは女王からの手紙をレスティへ渡し、目を丸くするも彼女はその手紙を受け取った。
そのままお風呂に入ったイリスは、髪が乾くまでの時間をレスティと今日あった話をしていった。既に遅い時間という事もあり、すぐに夜の鐘がなってしまい、残念そうなイリスだったが、また明日お話しましょうねと言われ、納得しながらもおやすみなさいを言って部屋へ戻っていく。
今日は本当に色んな事があり、ベッドに入るとすぐに心地よい眠気に包まれていき、明日も頑張ろうと思いながら、イリスはとても静かな寝息を立てていった。
夜の鐘が鳴るのは21時です。