"王族"からのお言葉
フィルベルグが見えてくるとネヴィアは心から安堵した様子でため息をついた。いくら浅い森とは言っても恐ろしい魔物と遭遇してしまったせいで落ち着くことは出来なかったようだ。
真っ直ぐ街へと戻っていくが、城門にいる兵士にはさすがに驚かれた。それはそうだろう。ネヴィアはこの国の第二王女なのだから。
兵士で彼女を知らないものは存在しない。特にフィルベルグのお姫様たちは、この国の民からとても大切にされている存在だ。国の象徴とも言っていいほどに。
イリスはさすがに知らなかったが、そういった存在はフィルベルグへ遠くから訪れた冒険者くらいだろうか。
特にネヴィアはその通り名というか、その性格や容姿を現したものがあり、フィルベルグ国民からとても愛されているお姫様だ。
姉君である第一王女とはまた別の、真逆とも呼べるようなその愛称に多くの人たちから憧れていた。
そんなお姫様を歩いて護衛している者たちに驚くのも仕方の無い事である。そもそも公務でシグルを訪れていると伝わっている。何らかの事態が発生し、現在のような事になっているのは予想がつくが、それでも驚きは隠せない城門兵士たちであった。
そんな彼らにロットは軽く説明をして、一向は街へ入っていく。途中ネヴィアは目を輝かせながら街並みを見ていた。歩いて来る事がまずないため、どれもが真新しく映って見えるようだ。
そんなネヴィアの様子を見た一向は、ゆっくりと歩いて街を進んでいった。
ちょうど噴水広場まで来ると、ミレイとイリスがここで分かれることにしたようだ。きょとんとするロットにネヴィアは若干顔を赤らめていた。
「それじゃ、ここであたしらは失礼するね」
「ふふっ、おばあちゃんにお薬渡さないとね」
「あはは、そうだね。ロットはちゃんとネヴィアを送るんだよ?」
そのつもりではあったけど、と言いかけてロットは森の泉は右側で、王城は真っ直ぐだったと思い直し、ミレイの指示に従っていく。
やはりというか本気でわかんないのかこいつはという顔をミレイはしたが、それもロットには伝わらないようだった。
そんな中イリスはネヴィアに挨拶をしていった。
「それじゃあネヴィアさん、私達はここで失礼しますね」
「は、はいっ。……またお会いしていただけますか?」
イリスとミレイにネヴィアは少々不安になりつつも、お願いを込めて話した。
「もちろんですよ。私はギルド通りにある魔法薬店"森の泉"で働いていますので、平日はそこにいますよ」
「あはは、あたしは冒険者だから大体ギルドか、この噴水広場でくつろいでいると思うよ」
その言葉に安心して、ぱぁっと花が咲いたようにネヴィアは明るくなり、挨拶をして分かれていった。
ロットと話をしながら歩くネヴィアの後姿を見つめていた二人は、それがまるで騎士に恋をする少女のように見え、心から応援してしまうほど可愛らしい姿に見えた。
さて、とミレイが言いながら、イリスへ話した。
「正直あっちも心配だけど、あたしたちはレスティさんに報告しようか」
「ふふっ、そうだね。こっちはこっちでお薬が気になるもんね」
まぁすぐには判別できない物だから、保存する事くらいしかやる事ないんだけどねとミレイが言い、それにイリスもしっかり作れたと思うのであとは時間だけですね、と返しながら森の泉へ向かって行った。
* *
「ではイリスちゃんはロット様とミレイ様の大切な妹なのですね」
「うん。すごく放っておけない子だと最初から思っていたけど、まさか俺もここまで大切な子になるとは思ってなかったよ」
それはイリスとの出会いから始まり、現在まで至る話だった。ゆっくりと街を歩きながら、ロットはネヴィアにイリスの事について話していた。
もちろんネヴィアが尋ねてきた事から始まった訳だが、どうやらロットもネヴィアと話すのはとても楽しいようだった。
ネヴィアは既にロットの内面をおおよそ理解しつつあった。
その上で更に惹かれてしまっているようで、きっと周りにいる女性であれば誰もが察するほど、ネヴィアの潤んだ視線に含まれる感情を理解してくれる事だろう。
……残念ながらロットにそれは通じないのだが。
徐々に王城の入り口である門が見えてきて、兵士がこちらに気が付いて走ってきてしまった。
彼らは特に警護をしているわけではなく、案内役として配置されているだけなので、場所を離れる事は問題ないのだが、その焦った表情からロットは、本当にこの国は良いところだなとしみじみと思ってしまった。
ネヴィアを知る誰もが現状を把握し、心からの心配をして駆けつけてくれるからだ。本当に良い国だ、フィルベルグは。どこぞの国のように歩いているだけで勝負を挑まれる事もないし。
心配で近寄ってくれた兵士にネヴィアが丁寧に説明すると、ほっとした表情になってくれた。
馬車を呼びますので少々お待ちくださいと言われたが、ネヴィアはゆっくり歩いて向かいたいのでと笑顔で答え、差し出がましい事を言わぬように兵士もそれに畏まりましたと返答していった。
ここから王城までは大分あるのだが、それでもふたりは楽しそうに会話をしながら王城へ向かっていく。ロットも未だかつて感じたことの無い安心感に包まれているようだった。
しばらく歩いていくと、城入り口の大きな扉が見えてくる。
徐々に近づく我が家にネヴィアは寂しさを感じつつも、まずは報告せねばならないと少しずつ王女の顔に戻っていった。そんな横顔をロットはとても美しい女性だと優しく見つめていた。
場内に入り暫くすると、慌しくネヴィアへ近づいて来た者がいた。
「ネヴィア様! どうなされたのですか!?」
綺麗に揃えられた薄い金色のショートヘアが印象的な女性だ。足元を隠すほど長いロングスカートに、とても品良く誇張し過ぎないフリルをあしらえた真っ白なエプロンと、白くシンプルなヘッドドレスを頭につけたメイド服を身にまとったその女性は、とても焦った様子でネヴィアの元へ小走りで来た。
ネヴィアは彼女のここまで焦った様子は未だかつて見た事がなく目を見開いてしまうが、それほどまでに心配してくれた事に感謝の念が尽きなかった。
そしてネヴィアは彼女を安心させるために、穏やかな声と表情で話していく。
「大丈夫ですよ、リアーヌ。こちらにいらっしゃるロット様に助けて頂けましたので」
その言葉に瞳を閉じつつ息を整えたリアーヌは瞳を開け、ロットへ深々と頭を下げ声を震わせながら感謝の意を表していった。
「ロット様。この度は真に有難う御座います。心からの感謝を捧げます」
「いえ、ネヴィア様をお救い出来たのは偶然に過ぎません。そして本当の意味でお救いしたのは護っていた騎士殿達であり、私ではありません。その事についての詳細を説明させて頂きたいのですが宜しいでしょうか?」
勿論で御座いますとリアーヌは応えながら、応接室にロットを連れて行く。応接室はエントランスを真っ直ぐ進み右側の部屋になる。さすがに中はとても豪華な造りになっており、ロットには少々落ち着かない雰囲気を醸し出していた。
リアーヌはネヴィアを連れて着替えるために出て行き、代わりのメイドに淹れて貰ったお茶を飲みながらしばしの時をロットは待っていた。
恐らくは大臣であるロドルフ殿がいらっしゃるだろうなと思っていたロットは、のんびりとその到着をとても美味しいお茶を飲みながら待っていた。
その姿に近くのメイドたちも見惚れてしまうほどの優雅さと美しさを感じ、頬に手を当てて顔を赤らめていた。
どうやらまたふたりロットは落としたようだが、本人がそれに気づくことはなかった。
* *
ちょうどお茶を飲み終えた頃に扉が開き、ひとりの男性が入ってきた。その人物にロットは驚き、すぐさま立ち上がり跪いて最敬礼をしながら目を伏せた。
「まさか国王陛下御身自らが御出でになられるとは、思ってもみませんでした」
ロットが少々焦りながらもその御仁に語りかけるが、その毅然とした佇まいを崩さずに彼はロットへ告げた。
「構わないよ。公式の場でもなし。それに私は元冒険者だ。君と大して変わらない。そこまで王として扱ってくれる者はなかなか少なくて斬新ではあるのだが、どうか止めて貰いたい。それに君は大切な娘を救ってくれた命の恩人だ。そのままでは礼も言えないではないか」
ロードグランツ・フェル・フィルベルグ。フィルベルグ王国の現国王その人である。銀色の髪に銀の瞳で、元々は冒険者でありがながら王族の血を引いた現女王陛下と婚姻をし、国王となったお方だ。
正しくは王配であるため、実質この国の頂点は王族の血が流れる女王陛下となるのだが、フィルベルグ王国ではどちらも頂点におられるお方、という表現で通っている。
彼はかつてプラチナランク冒険者ということもあり、一線は退いたもののその瞳の奥は未だ鋭く見えるようで、当時を知る元冒険者達からは今も尚語り継がれる逸話もあるくらいだ。
……もっとも、現在では女王陛下の"生きた伝説"に隠れてしまっているが。
ロットは言われた通り姿勢を戻すと、王は座ってくれと手で椅子を指し示したので一礼してそれに従う。メイドが王のお茶を淹れ、それを一口飲むと王はロットへ感謝の意を表した。
「有難う。君が居てくれたお蔭で、最愛の娘が助かった。本当に有難う」
テーブルへ付かんばかりに頭を下げた王に焦るロットは、どうかお止め下さいと懇願するも聞き入れられず、王は頭を下げ続けた。だが狼狽えているのは何故かロットだけで、メイドたちは平然としていた。
いくら公式の場でなかったとしても一介の冒険者に頭を下げる王など聞いたことがない。目を白黒させて戸惑うロットの元へ更なる来客が現れた。
上品なドレスを身に纏った女性だ。黄金の美しい髪を綺麗にまとめ、黄金の瞳でロットをとても優しい眼差しで見つめていた。
フィルベルグ王国現女王であられるエリーザベト・フェア・フィルベルグ様だ。
この国は君主制ではあるが現国王は下冒険者であり王家の血筋ではない。王族の血が流れているのは女王であるこちらのエリーザベト様だ。そして王族という事に驕らず豪胆なお方で、若かりし頃は冒険者の真似事のような事もしていたそうだ。
その強さは常軌を逸していると言われてしまうほどの豪傑だったそうで、様々な伝説を残した豪快なお方であり、その強さのみに秀でている訳では決してなく、内政や外交を卓越した手腕で国を支えながらフィルベルグの中枢にいられる方でもある。
まさか国の頂点が現れるとは露ほどにも思わず、更なる驚きに教われるロットはもはや思考が追いついていかないようであったが、そんな中、女王は言葉にした。
「貴方がロット・オーウェンですね。噂はかねがね聞き及んでおります。此度は娘を救って頂いたそうで本当に有難う御座います」
そう言いながら女王は頭を深々と下げ、ロットに対し礼を述べていく。さすがのロットも頭が真っ白になり思考が止まってしまうが、なんとかそれを立て直し言葉を述べていく。
「女王様もどうかお止め下さい。私はただ出来る事をしただけに過ぎません」
「それでも娘を助けて頂いた事に何の代わりがあるのでしょうか。せめて礼くらいは母親としてさせて下さい」
母親として。そんな風に言われてしまうとロットには何も言い返すことが出来なくなってしまう。
ネヴィアは王女である前に一人の女性なんだと理解してしまった。だからこそ両親である二人は直接会ってお礼が言いたかったのだ。
大切な娘を救ってくれた恩人に対し、人を介するなど以ての外だと。
ロットは何も言えずにいると、扉の方から美しい女性の声がした。
「お二人がそんな様子ではロット様が驚くばかりですよ? 国王と女王なのですから、戸惑うのも仕方ない事です」
ロットが顔を声の方向へ向けるとそこには赤いドレスと身に纏った、ネヴィアよりも大人びた顔立ちの女性が立っていた。シルバーブロンドの髪に銀の瞳の女性はロットに向かってこう告げていく。
「ですので私位の者が丁度良いのです。有難う御座います、ロット様。大切な妹を救って下さり感謝の念に堪えません」
そう言いながら頭を下げたこのお方は、フィルベルグ王国第一王女殿下である、シルヴィア・フェア・フィルベルグ様だ。
さすがに驚きが麻痺したロットはどうすれば良いかを考えているが、その間に最後の一人が応接室に戻ってきた。
「父様も母様も姉様も、皆揃って頭を下げてしまうと、ロット様がお困りになるではありませんか」
別のドレスに着替えたネヴィアの顔を見たロットは、とても安心したような顔になっているようだ。
「何を言うネヴィア。娘の為に尽くしてくれた御仁に礼を尽くさず何が国王か」
「そうですよネヴィア。礼儀を重んじてこその王族です」
「私はただ大切な妹を救って下さったお礼をお伝えしたいだけですわ」
三者三様ではあるが、つまりは皆大切な家族を救ってくれた恩人へ感謝が言いたいのだ。それが王族だとか国王だとかは彼らには関係のない事だ。
ロットが居なければ確実に消えていただろう大切な家族の命を救ってくれた。ただそれだけで直接会って礼を言うのは至って普通のことなのだから、と。
ロットをそっちのけで話している4人を見て、あぁ、この国は本当に良い国だなぁと思ってしまうロットであった。