大切な"お友達"のために
出てきたのは小さな女の子だった。そうだ、この可愛い子のために私は頑張ってきたんだとイリスは再認識をしていた。
こちらの顔を見た少女は、一瞬で花が咲いたような笑顔を見せながら挨拶をしてくれた。
「わぁ! おねえちゃんたちだ! いらっしゃいませ!」
「うふふ、こんにちは、アンジェリカちゃん」
「やぁこんにちは、アンジェリカ」
「こんにちは、アンジェリカちゃん」
「おねえちゃんたち、こんにちは!」
笑顔で応えてくれるアンジェリカに頬が緩みながらも、用件を伝えるべくアンジェリカの母親であるカーティアを探そうとする一同であったが、すぐに奥から出てきてくれてその心配は必要がなくなったようだ。
「まあまあ皆様、どうぞ中へお入り下さい」
一同の顔を見たカーティアはどうぞどうぞと中へ招いてくれた。早速お邪魔させてもらう3人は席へと座らせていただいた。
カーティアがお茶を淹れている間アンジェリカとお話をしていく3人は、とても幸せそうな顔をしていた。楽しくお話をしているとカーティアは戻ってきてお茶を3人へ用意していく。
その後、アンジェリカ用と自分用にカップを用意し終え、お茶をいただきながら一息ついていく。少々まったりした所でテーブルへ小瓶を3つ並べて本題へとレスティが話をしていった。
「こちらがご希望のお薬となります。既に鑑定済みでどれも高品質の物ですので、効果はお約束出来ると思います」
その小さな瓶を見つめ涙ぐんでしまうカーティアに、アンジェリカが首を傾げてしまった。
「おかあさん? どうしたの? おなかいたいの?」
そんなアンジェリカの頭を優しく撫でながらカーティアは大丈夫よ、ありがとうねアンジェリカと答えていった。
そしてこちらに向き直り真剣な表情でお礼を述べていく。
「このたびは本当に、ありがとうございます」
その様子にイリスはまた心が温かくなりながらも、その素敵な母親を優しく見つめていた。
カーティアの方を向いているため、イリスが座っている場所からだとミレイの顔を見ることは出来ないが、きっと同じ顔をしているんだろうなと思っていた。
そんな中、レスティは服用方法を説明していく。真剣に聞くカーティアにアンジェリカは口を挟まず、ちょこんと座って大人しく待っているようだった。
なんとも微笑ましい姿に抱きしめたくなる3人だったが、まずは先にきちんとお話を済まさねばならないので気持ちを抑えたようだ。
薬の用法を説明し終えると再びカーティアはレスティへ感謝を伝えていった。
「何とお礼を申し上げればよいか…… ただだた感謝の言葉しか出て来なくて申し訳ございませんが、本当にありがとうございました」
溢れそうな涙を堪えつつ、カーティアは頭を深々と下げながらお礼を述べていく。頭をゆっくりと上げたカーティアはそのまま席を立ち、戸棚から袋を取り出してレスティの前まで来て両手でそれを差し出してきた。
「とても少ないですが、気持ちばかりのお礼です。どうぞお受け取り下さい」
目じりに涙を溜めつつカーティアは言うが、その言葉をレスティは断っていく。
「このお薬を作ったのも、材料を採りに行ったのも全てイリスです。なのでお礼はイリスへお願いします」
笑顔で応えるレスティの言葉に目を丸くして驚くも、すぐさまイリスへ向かってお礼を言い直していった。
「本当にありがとうございます、イリスさん。あなたがいなければこの子はどうなっていたのか、恐ろしくて堪りません。どうぞ受け取ってください」
えっと、という困った顔になりながらレスティを見るイリス。どうしていいのかわからないようだ。察したレスティはイリスへこう答えていく。
「イリスの自由にして良いのよ」
「いいの?」
「ええ」
そうなんだと呟きながらカーティアに向き直りイリスは答えていく。
「それでしたら、お礼はもう頂きましたので結構ですよ」
その言葉にきょとんとするカーティアにイリスは続けて言った。
「お礼を言って下さいましたから、それで十分です」
笑顔で答えるイリスに戸惑いながらもカーティアは聞きなおす。
「で、ですが、何もお支払いしないわけには」
「私はお金の為に頑張った訳ではありませんし、どうかお気になさらず」
「な、ならばせめて、お薬代だけでも受け取って下さいませんか?」
ちらっとレスティを見る少女に、イリスの自由にして良いのよと頷きながらレスティは笑顔で答えてくれた。
それならばとイリスは気持ちを固め、カーティアにはっきりとした声で話した。
「お薬代も結構です。私はただお友達のために頑張っただけですから。お金を頂いてしまったら、それは意味が変わってしまいます。ですのでどうか本当にお気になさらないようお願いします。私は私の大切な人の為に行動しただけですから」
優しい笑顔で答える少女に、カーティアはもう涙を止める事ができなくなってしまっていた。なんて優しい子なのだろうか。このお薬を作るためには聖域まで行かなければならないと言っていた。
なのにこの子はただ自分の大切な人の為に頑張っただけだと言ってくれる。それはそんな簡単に片付けられるようなことでは決してないはずだ。
文字通りの命をかけて採取してくれた貴重なものを使って作ったお薬を、惜しげもなく差し出してしまっている。
私はなんと言って良いのかわからずにいた。アンジェリカの手前あまり良くないのだが、それでも感情が抑えられなくなってしまった。
ただひたすら涙を流しながらお礼を言う事しか出来ない自分の情けなさに悲しさすら覚える。
それでも目の前の少女は笑顔で優しく微笑んでくれていた。感謝という感情以外が本当に出てこない。
涙を流しながら途切れ途切れの拙い言葉を繋げるカーティアを、イリスはとても嬉しそうな満面の笑みで見つめていた。
それをレスティはイリスがそうするとわかっていたような表情を浮かべながら微笑み返し、イリスもそれに微笑みで返していく。
そしてイリスは逆の方向から少々違う感覚を感じ、ミレイの方を見てみた。
「ひぐっ、イリズ、ほんどにいいごだ。おねえぢゃんどっでもうれじいよ」
立派なお耳をふにゃふにゃにしたミレイは号泣寸前であった。声はもはや震えており、出来る限り泣かない事を我慢しているようだが、それが却ってミレイをくしゃくしゃにする原因となっているようだ。
おろおろとするイリスにあらあらまあまあと頬に手を当てながら微笑むレスティ。そしてアンジェリカはきょとんとしていた。
泣き止んだ二人は次第に落ち着きを取り戻し、カーティアは再びイリスにお礼を言い、よろしければ今日は皆さんもお食事をご一緒しませんかと提案してくれた。
それに賛同した3人は食事をご一緒させてもらう事にして、アンジェリカとカーティアは心から喜んでくれた。
その日の食卓には笑顔と笑い声が絶えることのない温かい時間が流れていった。
こんな幸せな日はいつぶりだろうかとカーティアは思っていた。あの人がいなくなってから無理をして笑っていたせいだろうか、こんなに楽しめた記憶がない。
アンジェリカは本当に素敵な人たちと出会えた。いくらお礼を言っても言い尽くせないほどの感謝の念に堪えない。
そんな気持ちをカーティアは女神様へ心からの感謝を捧げていた。
食後を終えるとアンジェリカに早速お薬を飲ませることにした。
お薬というのだから苦いものを想像していたアンジェリカとカーティアだったが、これを飲めばおめめが治るのよと優しく言った母親を信じて飲んでみる事にしたようだ。
一口飲んで一瞬止まり、すぐにこくこくと飲みだしたアンジェリカ。そしてそれを目を丸くして見つめるカーティアがそこにいた。
製造過程から出る香りでおおよそ察しがついたイリスとミレイは納得しつつも少々安堵した様子だった。
実際飲んだ訳ではないのだからもしかしたら苦い物なのかもと頭をよぎったが、香りがマナポーションのような清々しい香りだったので、きっと大丈夫だろうと思っていたようだ。
アンジェリカの飲みっぷりを見てどうやら正解だったらしいと思い微笑みながら薬を飲み干す友達を見つめていた。
はふぅと息をつくアンジェリカに頬が緩んでしまう4人は、安心したように話を続けていった。
「もう1本は来月に、そして最後の1本は再来月にお飲みください」
「はい。わかりました」
「おいしかったー」
「ふふっ、よかったぁ」
「あはは、美味しくてよかったね、アンジェリカ」
「うん!」
もし万が一に瓶を割ってしまっても、まだ薬がありますので遠慮しないで来て下さいとレスティは続けて話していく。実際にはまだルナル草1本分しか作っていないのだが、それでもまだ3本薬の完成品がある。残りの素材で今日中にイリスは作るつもりなので、全て失敗無く作ることが出来れば後12本は作れると思われる。
それに気になることも出来てしまった事だし、どの道レスティとミレイには話しがあるイリスであった。
食後の休憩も終わりそろそろお暇しようかという空気の中、アンジェリカがみんなと遊びたいと言い出し、3人がそれに笑顔で応えていった。
申し訳なく思いながらカーティアもそれに賛同し、5人でまたおままごとをして遊んでいった。またミレイが大家族だねーと笑いながら、みんなでゆっくりとその幸せなひと時を過ごしていた。
次第に空が暗くなりつつも、もう少しだけ、もう少しだけと遊んでいく5人であったが、とうとう日も落ちてしまい暗くて遊ぶ事が出来なくなってしまった。
とても残念そうに思っている少女にまた遊ぼうねと言って納得させ、3人は二人から分かれていった。
* *
「あー、楽しかったねー」
「ふふっ、そうだね」
「うふふ、また遊びたいわねぇ」
噴水広場まで出たところでイリスが二人にお願いをした。
「もう少しだけミレイさんもお付き合いしてもらって良いですか?」
「うん? いいけど、どうしたの?」
「おばあちゃんにもお話があるの」
「あら、なにかしら」
イリスへそう話を返すレスティであったが、完成した治療薬を見つめながらイリスが考えていた時の事かしらね、と思っているようだ。
「ちょっと気になったことがあったから、それについて聞こうと思って」
「それじゃあおうちでゆっくりお茶をしながら聞きましょうね」
「あはは、喉も渇いたからちょうどいいね」
そう言いながら3人はまた他愛も無い話に花を咲かせつつ、森の泉へと向かって歩いていった。
* *
お茶を飲んでまったりした頃合を見計らい、レスティが質問した。
「それでお話って何かしら」
「うん。実はね、ヘレル病の治療薬を作った時に思った事があったの」
そしてイリスはその疑問に思った点を二人に話していく。その内容はヘレル病治療薬の使用期限のことだった。
「そもそも使用期限が関係してくるのって何でだろうなって思ったの。普通の魔法薬は大丈夫、でも特殊な薬はダメなのは何でだろうって」
それは聖域の素材を使っているからじゃないかしらとレスティが答えるも、最初はイリスもそう思ってたのだが、やはり気になる事が出来てしまったようだった。
その内容を告げる前にイリスはレスティに気になることを聞いてみた。
「それでね、おばあちゃん。聞きたい事って言うのは、ヘレル病治療薬を街で作ったことしかないのかなって事なの」
その疑問にいまいちぴんと来ないレスティは首をかしげながらイリスへその答えを返していく。
「ええ、そうね。基本的に採取をして、街に戻ってから調合しているわね」
わざわざ調合機材を持ち歩いて採取場所で調合する薬師などいない。冒険中ならそういったこともあるかもしれないが、それでもそんなことは薬がなくなり街までの距離が遠いという緊急事態に限ってとも言える。
病気の治療薬を薬師自ら採取した上にその場で調合するなど、薬師ではありえないとも言えるやり方だった。
そもそも魔物が闊歩しているような危険地帯で火を焚き、治療薬を作るなど暴挙とも言う薬師も多いことだろう。誰もそんな事を試そうなどとは思いもよらない事だろう。
「やっぱりそうなんだね。私が思ったのはね、素材の鮮度の差で効果が落ちるんじゃないかなって気になったの」
「素材の、鮮度?」
レスティが問い返すも、イリスはそれはまだ調べてないから確定じゃないんだけど、それが試したいことに繋がるんだと答えていく。
「私が試したいことは、聖域でヘレル病治療薬をすぐに作る事なの。そうすればルナル草の品質を落とさずに治療薬を作ることが出来るかもしれないでしょ? そしてその作ったお薬の性能に違いが出るのかを長期的に保存をして試してみたいの。もし私が思っている通りの結果になれば――」
「――まさかイリス、期限のないお薬が出来ると予想してるの?」
ミレイが目を丸くしながらも口を挟むが、どうやらその考えは当たっていたらしく、イリスはミレイに頷きながら笑顔で答えていく。
「まだ可能性の話だけど、もし作ることに成功すれば誰も悲しい思いをしなくて済むと思ったからまずは試してみたいの。そこでまたミレイさんとロットさんに護衛をしてもらって、聖域でお薬を作ってみたいんだけど、お願いできるかな?」
「それは全く構わないけどイリスの考えている事が凄すぎて驚きが止まらないよ」
「そ、そうね。イリス、それがどれ程凄い事なのかわかって無さそうだから念の為に言っておくわね。もし使用期限が無いヘレル病治療薬の製作に成功すれば、世界で初めての事なのよ? そしてそれは世界中からヘレル病の脅威を取り除く事となり、世界中にイリスの名が轟き後世まで語り継がれる事になるという事なのよ?」
イリスはきょとんとしていた。どうやら考えているらしい、というよりも固まっているようでどこか遠くの方を見つめていた。
おーい、イリスーと声をかけると氷解したように動き出し、姉に助けを求めた。
目がぐるぐると回っていてそれはとても可愛らしかったと後のミレイは語った。
「どどどどどうしようおねいちゃん!」
「あはは、取りあえず落ち着こうか」
顔面蒼白でかたかたと音を立てながら持ったティーカップの中身をぐびっと飲み、ふぅっと息を吐くイリス。
「どうしようお姉ちゃん!」
「あんまり落ち着いてないけどまぁいいか」
「うふふ、こういう所は年齢相応なのよね」
「そうだね、とっても可愛くて堪んないよね」
イリスを放置しながら話している二人は、とても楽しそうに話している。
「イリスは世界に名前を残す気は無いのね?」
「うん、もちろんだよ。あ! おばあちゃんが発見したって事に――」
「それはだめよイリス」
言い終わる前にきっぱりと否定されてしまった。
「イリスが発見したものはイリスの功績であって、それ以外の者が名乗り出るだなんて、とても良くない事なのよ」
「ぁぅ……」
しょぼくれているイリスを見ながらミレイは冷静に話していく。
「まぁ、まずは薬を作ってみた上で、1年以上放置しないとダメなんだよね?」
「そういうことになるわねぇ。高品質でも1年は保てるからそれ以上は必要ね」
「じゃあまずは聖域に道具を持って作ってみよう。だめもとでもいいじゃない」
「そうね。作る事が出来ればとても凄い事だけれど、まずは試してみないとね」
それじゃあ次の太陽の日に早速試してみようという事になり、その日はお開きとなっていった。まずは試してみないと何とも言えないのだから。
例え期限が1年増えるだけでもそれは凄いことになる。それだけ保存がきくということだけでも十分に評価されることとなるだろう。
翌日の昼にこの件をロットへ伝えたイリスは護衛をお願いしたのだが、ロットは快く返事をしてくれた。その際に彼は、とてもイリスちゃんらしいねと優しい笑顔で微笑んでくれた。
* *
そして次の太陽の日がやってきた。
その日はとても良く晴れた暖かな春の日で、とても清々しい朝を迎えられていたことを今でも良く覚えている。
朝の鐘が鳴り、しばらくして迎えに来た姉と兄に付き添いながら、少女は再びあの聖域を目指す。その後姿を温かく見守りながら送り出す優しい祖母だった。
春の日差しが暖かく照らし、頬を優しく撫でる風に包まれながら、少女は優しい姉と兄に護られながら草原を歩いていく。今日も先週と変わらない日だった。
ただひとつ先週と違うのは、今日が私たち3人にとって、とても素敵な日になったという事だ。
そんな事になるとは思いもよらない3人は、いつもと同じように楽しそうに話しながら、その特別な場所へと向かって歩いていった。