光溢れる"聖域"
何よりもここまで魔物と遭遇していないことにイリスは驚きを隠せないでいた。
そんな顔をしているとミレイがその疑問に答えてくれた。
「基本的に魔物はそんなに存在しないんだよ。この辺りは草原よりも多いけど、やっぱり魔物が多く蔓延ってるのは深い森とかになるんだ。……それにしても確かに少ないね。遠くにも魔物はいないみたいだ。間引かれたのかな?」
魔物が少々増えたという情報を冒険者から受けたギルドはそれを調査し、場合によっては魔物を間引く討伐隊が冒険者で結成される。
この場合はギルド依頼ではなく通常の討伐依頼なのだそうだが、報酬金額は上増しされた上に特別討伐報酬も手に入ることになる。
これに参加できる冒険者は祭りとも呼ぶ者がいるほど美味しい依頼らしい。当然危険もかなり付き纏う事にもなるのだが。
ミレイの予想は半分当たっていた。それにロットが答えていく。
「先週受けたギルド依頼がこれに関係する事だったんだよ」
今回のギルド依頼はあくまで調査ではあったものの、なるべく脅威になりそうと判断すれば倒していたロットたちであった。
今回の依頼は斥候3名、それを護衛する盾戦士2名、攻撃重視の剣士2名に加え、プラチナランクであるロットが同行し、合計8名での調査依頼となった。
戦力的には斥候2名がシルバーランク冒険者で、その他全てがゴールドランクとなっており、このパーティーに選ばれた者はギルドから優秀と判断された専門家達である。
エルグス鉱山周辺から古代遺跡周辺、さらには南に広がる森から聖域の先にある深い森の調査までという広い範囲を、5日近く時間をかけてじっくりと調査したようだ。
そのお蔭で魔物の数もかなり制限するほどに狩る事ができ、初心者冒険者やイリスのような護衛の多くが安全に冒険へ出ることが出来るようになった。
幸いな事に危惧されていた案件もなさそうで、魔物の数も予想していたほど多くは確認されなかったようだ。
現在のフィルベルグ周辺はとても安全に冒険が出来るようになっており、魔物の数もかなり減っているようで、イリスは魔物と出会う事もなく安全に聖域まで来る事ができたわけだ。
尚、斥候の役目もこなせるミレイが呼ばれなかったのには理由がある。以前別件でギルド依頼に参加して欲しいとギルドマスターであるロナルドに頼まれた際、それを固く断っていた。
あくまで自由でいたいからとの理由を考慮して、気を利かせてくれているロナルドではあったが、ミレイにはその自慢の耳にふれてしまった際の不安要素がある為、ギルド依頼はなるべく控えているようだ。
ミレイはとても優秀な冒険者だが、それを考えても不安要素の方がとても大きいと判断しているのが、ミレイを起用できない主な理由となっているようだ。
調査範囲と目的をざっと説明したロットにミレイは答えていく。
「なるほどねー。どうりで魔物が少ないわけだ。ありがとねロット」
「ロットさんすごい! そんな大変なお仕事してたんですね」
笑顔でお礼を言うミレイに目を輝かせたイリスがロットへ向かって言葉を話していった。
これは自身のためにもなることなので、少々くすぐったく感じるロットであったが、それでも嬉しそうに微笑んで答えていく。
「聖域に来る前にこの周辺の安全確認をしようと思ってたから丁度良かったよ」
もし依頼が別の内容だったとしても、ミレイを誘ってあらかじめ確認には来ていたはずだ。そうでもしなければ不安である事には変わりないのだから。
この浅い森はとても街から近いために半日もあれば確認が取れる。そういった意味ではイリスにとってもロットにとっても、またミレイにとっても都合の良い依頼ではあった。
そんな話をしているとイリスは不思議な感じがしたような気がした。何かにふれたようなそんな感覚を感じたからだ。
どうやら二人には感じられなかったらしく、気のせいだろうかと考えているうちにどうやら目的地へ辿り着くようだった。
「ほら、イリス。ここが聖域だよ」
ミレイが手のひらで示した先は光が差し込むように開けた場所となっており、中央に美しく大きな泉を構え、周辺は浅い森の中では聞くことが無かった小鳥のさえずりが静かに響いてとても穏やかな場所だった。
まるでぽっかりと森がなくなって出来た空間のように空からは光が降り注ぎ、ここだけ別世界のように感じられた。それはとても神々しく思える場所で、中央の泉は光の反射できらきらと煌き、その泉の水の透明度はとても高く、とても澄んだ清らかな水に思えた。
そしてこの泉はとても大きいらしく、反対側が木々で見えなくなっているようだった。一体どこまで続くのだろうかと一瞬思ってしまうが、それよりもまずその泉の美しさに見蕩れてしまっていた。
その美しく穏やかな場所に感動するイリスは思わず呟いてしまう。
「……ここが、聖域」
その声をロットが拾ってくれた。
「そうだよ。この一帯は安全区域とも言われている場所で、魔物の出入りが出来ないようになっているんだ」
「そういえばそう本にも書かれていましたね。おばあちゃんもここは不可侵領域になってるって言ってました」
この辺りは清らかな場所となっていて、澄んだ水と貴重な薬草が採れる場所らしい。ここでしか採取できない薬草やキノコもあり、薬師からすると素材が豊富でかなり素晴らしい場所のようだ。
ヘレル病の治療薬にも言えることなのだが、基本的に聖域で採取できるものは長期保存が出来ないらしい。高品質で作り上げた薬であっても長くて1年ほどしか保存がきかないそうだ。
何故かは解明されていないが、この場所特有の素材を使っているためとも言われているようだが、実際のところどうなのかはわからないために必要に応じて採取することになるようだ。
なのでなるべく必要数のみで街に戻る薬師やそういった依頼が多いらしい。
「それじゃあルナル草を探そうか」
「そうだね。そういえばルナル草の形状を、俺は聞いていなかったかも」
そうでしたねとイリスがうっかりした顔をしながらロットへ説明していく。
ルナル草。その名に草と付くが正確には草ではなく花のことだ。なぜこのような名前が付いたのかというと、当時この花が発見された時期がとても早かったため、花が咲くどころか草が多少生えた状態で見つかってしまったことが名前の由来としての説が有力らしい。
文献にも残っていない昔の事らしく、その活用方法もこの20年たらずで知られた方法なのだとか。それまでヘレル病は原因不明の怖い、そして名もない病として知られていたそうです。
この花の特徴はその真っ白で美しい花の部分だ。パーシフォリアの花の部分を大きくしたような真っ白な花を、直立した一本の茎に一輪だけ釣り鐘形でやや上向きに咲かせる。葉はヨモギのような裂けた形をしているようだ。その葉の部分は薬効成分が強すぎるため使わない方がいいそうだ。
草丈20センルから30センルほどで10センルほどの真っ白な美しい花を咲かせる。主にヘレル病の治療薬に使うのは茎の部分と花の部分になる。これについてもレスティに説明されている。
ここまでイリスが説明するとロットは納得したように話し出した。
「なるほど。つまり茎の部分と花の部分が重要なんだね」
「草は薬効成分がかなり強いみたいで、お薬としてはあまり使わない方がいいかもとの事です」
「お薬って難しいんだね。強ければいいって訳じゃないのか」
しみじみと納得するようにミレイが呟く。今回の薬は目に効く物ではなく身体から毒素を抜いて正常に戻す薬のようだから、という理由が強いようだ。必要以上に強い効果が出てしまうと身体に変調をきたす恐れも出てくるらしい。
それでも気分が悪くなる程度のものなのでそこまで強い影響は出ないようだが、そんな影響が出ない方が良いに決まってますよねとイリスは笑いながら言った。
「生息地域は聖域の畔周辺だそうですよ」
「そっか。それじゃあ泉を周るように歩いてみようか」
「そうだね。もう咲いている時期だって聞いてるし探してみよう」
そう言った3人はゆっくりと散歩をするように歩いていき、畔に咲くというルナル草探しを始めていく。
ちょうど聖域に出た場所の反対側に来た頃だろうか。白く美しい花がちらほらと見えてきた。
「あ。あれかな、ルナル草って」
「おぉー、結構咲いてるねー」
「本当に真っ白で綺麗な花だ」
どうやらこの辺りには20株ほど咲いているようだった。咲き始めの花がとても多く、やはり時期としては少々早かったようだ。
その中でも成長している花をいくつか見つけ、イリスはナイフで採取をしていく。大切な祖母に貰った大切なナイフで、丁寧に。
基本的に薬の材料として使うのは一輪で十分だ。なので調合を失敗した時の為にもう二輪採取し、採取用の籠に入れていく。これも出かける前にレスティに借りたものだ。
彼女も昔はこれで採取をしていたが、月日を重ねるにつれてその必要も無くなってしまったため、今現在では使っていない籠なのだそうで持って来た時に懐かしいわぁと呟いていた。
ルナル草を三輪採取し終えたあと、ナイフを綺麗な布で拭き取っている時にミレイがイリスへ聞いてきた。
「これで採取完了なの? 他に必要なものとかある?」
「あとは聖域の泉の水を300ミリリットラほど必要になるそうです」
「それじゃあ一旦さっきの場所に戻って休憩するかい?」
「そうだね、結構歩いたもんね」
お水はここで汲むよりも戻ってからの方が良いよねとミレイが言い、ロットがそれに頷きながら答え、イリスは自分の非力さに苦笑いしていた。
再び来た道を戻りながらイリスはその美しい泉を見つめながら歩いていく。
「本当に綺麗な泉ですね」
「そうだね。ここは本当に特別な場所なんだと思うよ」
「特別な場所、ですか?」
「聖域って言うくらいだからねー。魔物が来れない不思議な場所だよね」
実際、この場所に魔物が入ることはありえないらしい。以前ここまで逃げてきた冒険者が聖域の周辺で壁のようなものに突き当たった魔物が、その場所から先に進めない姿を目撃しているのだとか。
それ故に神聖な場所という意味で、聖域と呼ばれているらしい。
「なんでも聖域と呼ばれる場所は世界の各地にあるらしいよ」
「ここだけじゃないんですか?」
「あたしも他の場所には行った事ないけど聞いた事ならあるよ」
「どこもここみたいに魔物が入り込めない領域なんでしょうか?」
「どうやらそうらしいね。大昔にこういった聖域と呼ばれている場所に、女神アルウェナが顕現された場所と言われているそうだよ」
聖域について文献に載っている最古のものは数百年前となるらしいが、それによると世界を憂いた女神アルウェナは御身自ら地上へと顕現し、その影響で何も無かった土地に美しい泉と魔物が浸入する事が出来ない不可侵領域を創り、人々が安心して暮らせるようにしてくれたのだとか。
その際、近くに存在した魔物をなぎ払ったという記録も残っているそうだ。
イリスはブリジットの話が頭をよぎったが、今はアンジェリカのことを考えるように頭を切り替えていく。
採取はできた。あとは泉の澄んだ水を汲み持ち帰るだけだ。
そんな事を思っていると次第に聖域へ出た場所へ戻ってきた。そこで少々休憩を取りながら他愛無い話を続けていく3人。
次第に話は自然とアンジェリカの話になっていき、可愛い可愛いと二人は言い、ロットも微笑ましそうにそれを聞いていた。
しばらく休憩した後、あとは聖域のお水を採取しないとねと思いながらイリスは立ち上がり、持ってきた空瓶に泉の水を採取していく。
ちょうどこの空瓶に入る量が1リットラとなっているため、この瓶に汲んでいけば採取したルナル草分の製作するには十分な量となる。
イリスは汲み終えた瓶に栓をして再び立ち上がりながら、ぽつりと呟くように言葉にした。
「これでアンジェリカちゃんの病気を治せる……」
それを聞いた二人はとても優しい笑顔になりながらイリスへ話しかけた。
「そうだね。あとは材料を持ち帰って薬を作るだけだね」
「イリスなら問題なく作れるよ。アンジェリカの為だもんね」
「がんばりますっ」
瓶をバッグにしまい両手を握り締めて胸にぐっと持ってくる仕草を取るイリス。その表情は仕草とは違い決意に満ちた顔をしていた。
「それじゃあ休憩も出来たし、採取も終わったから街へ帰ろうか?」
「はい! 帰り道の護衛もお願いします!」
「あはは、大丈夫だよ。街に帰るまでが冒険だよ」
「やっぱり聞いたこと無いなぁ」
笑いあう3人はとても楽しそうだった。ようやく薬の材料が揃った。ここまでとても色んな事があった気がする。
期間としてはたったの2週間だけど、それでも私にとっては大冒険をしたような充実感で一杯になる。
でもまだ半分だ。ここから薬を完成させてアンジェリカちゃんを治してこそ達成となる。だからまだ気を緩めちゃダメだ。しっかり最後まで気を抜かずに頑張ろう。
必ずアンジェリカちゃんを治してみせるんだ!
そう心に誓いながらイリスは聖域を抜け森へと向かっていく。途中、やはり不思議な感覚を一瞬感じるも原因はわからずそのまま森を進んでいった。
ロットたちが間引いてくれたおかげで特に魔物と遭遇せずに草原まで戻ってくる事が出来たようだ。
草原まで戻るとどこかホッとしたように見えるイリス。やはり恐怖心はそうそう克服できるものではない。
ましてや見知らぬ魔物が3種も存在している森だ。それもホーンラビットよりも強い魔物なのだから仕方の無い事だろう。
イリスにとって草原とはとても居心地が良い場所のようだった。
それはかつての草原を思い起こす事ができる場所であり、大切なひとと過ごした思い出の場所でもあるからだ。
今は遠い、会う事も出来ないほど遠い場所にいる大切なひとを想い、少女は草原を姉と兄とで歩いていく。
途中また他愛無い話で盛り上がりながら、やがて見えてくる街を眺めるように見つめ、これからのことをイリスは考えていた。
まずはヘレル病の治療薬を完成させないとね。
そんな想いを胸に抱き、少女は城門を潜っていった。
1ミリリットラは1ミリリットル
1リットラは1リットルです。