明るく"浅い森"を
目の前に広がる森の入り口で、3人は話をしていた。
どうやらここから草原ではなく森になっていくようで、この先に目的の聖域があるのだという。
ロットさんはお仕事を終え、私達と一緒に私の護衛を引き受けてくれた。ここまでホーンラビットとも出会わなかったが、この先にはそれなりに多くの種類の魔物がいるようだ。
この目前に広がる森はまだ浅いものらしく、木漏れ日も眩しいほどしっかりと日が射していた。とても明るく先まで見えることが出来る場所のようで、イリスはどこかほっとしていた。
森を抜ける、だなんて聞いていたものだから、てっきり深い鬱蒼とした森の中を歩くと思っていたからだ。そんなことが無く安心した様子で森を見つめていると、どうやらまた顔に出てしまっていたらしくふたりから優しく微笑まれてしまった。
私はなんとなく大人になってもこのまま顔に出続けるのだろうかと思ってしまうが、それもひとつの個性なのだと自分に言い聞かせるように強引に納得させ、二人と会話をしていく。
「ここが聖域に続く森の入り口ですか?」
「そうだよ、イリスちゃん。ここから20ミィルほど歩いた場所に聖域があるんだよ」
「あはは、今日も良い天気だからね。先までよく見えて綺麗だねー」
ミレイさんひとりでも安心なのにロットさんまで一緒にいてくれて、私はとても心が安らぐように落ち着いていた。この先にはホーンラビットよりも強い魔物がいっぱいいると本にも書かれていたのに。それでもふたりが護ってくれるという安心感の方が遥かに強いようだった。
正直またホーンラビットと遭遇しても震えが来るのではないだろうかと不安ではあったが、そんな様子を見て察してくれたミレイさんが、大丈夫だよ、イリスはまだ冒険者じゃないんだから戦わなくていいんだ。あたしたちがしっかり護るからねと言ってくれた。その優しい声に心が静かになっていくように思え、次第に私から恐怖心が消えていった。
実際に全て無くなったわけではないから魔物に出会ってしまったときに心が揺らぐ可能性は高いのだけれど、それでもこの頼もしいふたりが私を護ってくれるということだけでも本当に嬉しかった。
さあ行こうかとミレイが言葉を出し、ロットがそれに相槌を打っていき、私も元気に返事をする。ここから先は未知の場所だった。
もちろんここまでの草原を歩いたことも初めてではあるのだが、やはり違った地域、というのだろうか、森というものに入ったことがないイリスは胸がどきどきしていた。
思えば山も海も川もそして森も、どれもが本や大切なひとに教えて戴いたものでしか知り得ないことだった。
こういったことも冒険と呼ぶのだろうか。まだ見知らぬ場所を歩くという事にとても真新しさを感じてしまうイリスは、どうやら目を輝かせて周りを見回しているらしく、それを優しい表情で姉と兄は大切な妹を温かく見守っていた。
「そういえばイリス。この辺りの魔物に関しても勉強したの?」
「はい。というよりも、調べていないと不安だったのでつい……」
「はは、イリスちゃんらしいね。なるべくなら勉強はしておいた方が良いと俺は思うよ。何かあった時に必ずと言って良いほど役に立つはずだから」
ロットは知っている。その勉強した事が冒険者には何よりも大切なのだという事を。いきなり情報も知らずに敵対する怖さを何よりもロットは理解しているのだ。
リシルアでの一件もそうだった。あれほど恐怖を抱いた事はない。対処法もわからずただただ慎重に行動する事となり防戦一方だった。
次々と仲間が倒れていく様は悪夢としか言いようの無い最悪の出来事だ。もう二度とあんな体験をロットはしたくなかった。
あの件以降"英雄"などと呼ばれているが、それこそがロットを苦しめる原因でもあった。たくさんの命が失われ、仲間も一人護れなかった。それなのに英雄も何もあったものじゃない。
確かにあの状況下では最小限の被害で済んだと言われてはいるが、そんなものは結果論に過ぎない。問題はその過程だ。
もっと違った行動をしていれば、あの時ガルドとの位置を気をつけていれば、もっと奴の視線をこちらに向けさせていれば。
そう思えば思うほど、何か他に方法があったのではないだろうかとロットは日々悩んでいる。
もうあんな思いは二度としたくない。あんな事は二度とさせない。必ず護ってみせる。そういう気持ちで自己鍛錬をこなしてきた。
そしてその大切な護るべき人にも出会えた。この子は絶対に俺が護りきってみせるとそう心に誓うロットであった。
それはミレイも同じである。正確には多少違うが、方向性はほぼ同質の想いであった。この子のために自分が出来る最大の事をしてあげたい。それこそ自身の命よりもずっと重いものになってしまった。
イリスに出会う前まで、いや出会った直後でも、まさか自分がこういった気持ちになるだなんて思いもよらないことだった。
本当に不思議な縁だと二人は思う。もしイリスと出会えていなければ、きっとこんな気持ちはもしかしたら一生手にすることは無かったのかもしれない。
そんな気持ちにすらさせてしまう、とても不思議な魅力を持った少女だった。
そのような想いを向けられているとは露ほども思わず、目を輝かせて歩く少女は目の前に広がる新しい世界を隅々まで眺めていた。
それはまるで目に焼き付けるかのような仕草にも見えてどこかおかしく、それでいてとても可愛らしく思えてしまった。
「それで、この辺りにはどんな魔物がいるかわかるかい?」
何とはなしにイリスが勉強した魔物の話に向かっていった。ここは浅い森だから見通しが良く、魔物のようなものが隠れるような場所は木の後ろくらいしかない。
それもこの辺りの木はあまり大きくも無いため、魔物が隠れようとも姿が確実に見えるものが殆どだった。シルバーランクの冒険者クラスでも十分に安全の確認が取れるほど、ここの森は安全といえる場所だ。
かといって油断はしない。いかなる状況にも対応する覚悟が必要だ。普段と同じような会話を笑顔でしつつも、ふたりは確実にそれを守り気配を探る事を優先している。
これは安全のためというよりは、急に魔物に出て来られるとイリスが驚いてしまうためという事が大きいようだ。
何よりもイリスの安全を。だけど恐怖心も植え付けさせないために必要最低限の衝撃に抑えつつ魔物を倒さねばならないと、ふたりはそう思っているようだった。
そんな二人にイリスは図書館で勉強した知識を述べていく。
「この辺りの浅い森から聖域周辺にかけて出現する魔物は大きく3種類です。オレストボーア、オレストディア、オレストアドヴァクとなっており、どれもホーンラビットよりも強いと本には書かれていました。聖域よりも奥へ行った深い森まで進んでしまうと、オレストエーランド、オレストホルス、オレストベアといった危険な魔物が出てくるようなので注意が必要と本にはありました」
この浅い森に出現する魔物は3種で以下の通りだ。
まずはオレストボーア。
猪型の魔物だ。大きいものになると体長が約2メートラにもなる大猪で、その体重は300リログラムにもなるという。大昔の文献によると体長3メートラ、体重450リログラムを越える大物も出現した事があるらしい。
平均的には100センル程度に体重120リログラム程度だそうだが、それでも油断など出来ない。最大時速40リロメートラで走るとも言われており、その体重で突進をされるとゴールドランク冒険者でも跳ね飛ばされてしまい、打ち所によっては大怪我をしてしまう。
オスの場合には緩やかな曲線を描き鋭く伸びた大牙が生えており、立ち止まっている時でもその場で鼻先をしゃくりあげるようにして大牙を用いた攻撃をしてくる。これが何よりも危険とされている。
そもそもここは森である為、全力疾走で襲ってくる事はありえない。故にその最大速度を気にする必要はないのだが、大牙での攻撃の方が危険視されている。
巨体から繰り出される攻撃は並みの冒険者を弾き飛ばすほどの力がある。
メスの場合は大牙はなく小さ目の牙になっており攻撃力は低くなった。変わりに大きな顎で噛み付いて攻撃してくるらしい。
その強靭な顎に噛まれるとただでは済まないほどの威力がある為、オスだろうがメスだろうが危険である事に変わりはない魔物とされている。
ホーンラビットほど上質ではないものの良い毛皮を持っており、その肉はたいへん美味とされている。角兎よりも獣臭さが強いらしく苦手な人もいるのだとか。
続いてオレストディア。
これは鹿の魔物だ。オスは枝分かれした大きな角を持っており、その鋭く尖った槍のような角で攻撃をして来る魔物だ。
メスは角を持たないが、こちらも代わりに強靭な脚力で飛び上がり襲ってくるらしい。オスメス両方に言える攻撃方法として、急に後ろを向いたら要注意だそうだ。強靭な脚力で鋭く重い後ろ蹴りが飛んでくるらしく、その威力は鍛え上げた冒険者の腕をへし折らせてしまうほどの威力がある。
当たり所によっては最悪の事態にも繋がるそうだ。全長はおよそ100から150センルほどで、体重は60から80リログラムほどになるらしい。
ディア種の革は柔らかくとても薄いため、なめして細かい加工を要する手袋や、靴、ソファーなど広い方面で活躍する素材である。
また枝角は乾燥させて粉末状にするとアントレルという素材となり、様々な効能を持つ薬を作る事が出来るらしい。
ちなみにではあるが、『人の恋路を邪魔する奴はディアに蹴られて転がってしまえ』ということわざがあるそうだ。誰が言ったのかもわからないくらい大昔からある言葉なのだとか。そのくらい脚力がすごいって意味で捉えたほうが安全かもしれない。いろんな意味で。
ボーア種もディア種も世界各地に存在するが、中でもディア種は様々な種類がいるらしく、その大きさも様々なのだそうだ。
大きい個体になると体重が800リログラムにもなるものも存在するらしい。
そしてディア種のお肉は低脂肪で栄養価が高く、食べるとお肌がつやつやになるという物で、世の女性達に好まれて食されている。
臭みもボーアに比べると少なめのため、一部ではあるものの一流料理店でも扱われている最高級の上質な肉も取れるそうだ。
そして3つ目はオレストアドヴァク。
全長100から160センルほど、肩高60から65センルで尾長が45から70センルの豚のような魔物だ。
全身は淡灰色の体毛で覆われている魔物で門歯や犬歯はなく歯根のない臼歯があり、耳介は大きく長細い形状をしている。
蹄が発達しており強靭な脚力での突進を主にしてくる。脅威という意味ではボーア種の方が遥かに危険ではあるものの、アドヴァクは攻撃力で勝るホーンラビットよりも危険とされている理由として言われるのがその耐久力である。
硬く攻撃をまるで弾くかのような鎧を纏っている錯覚すら覚えさせる強靭な革で守られており、優れた聴覚も持ち合わせている。
また嗅覚も鋭いために血の匂いにとても敏感で、遠くから嗅ぎつけてやってくる厄介な存在だ。周囲にアドヴァク種が存在していると多数での闘いになることもある為に、ホーンラビットよりも遥かに危険視されている。
主に素材は革が上質とされており、鎧などに扱われる貴重な材料だ。
肉もホーンラビットまでとは言えないが、そこそこ美味しいらしい。少々硬いために良く煮込まないとあまり美味しくはないらしい。体毛も硬いためブラシなどの使い道がある。
オレストとはこの世界の言葉で森を意味する言葉だそうで、そこに生息しているから付く名前となっている。
以上が聖域までの浅い森に出現する魔物とされている。
聖域の更に先にある深い森、通称大森林まで行ってしまうと、ギルドから危険種認定されている魔物であるオレストホルスやオレストエーランド、オレストベアが目撃されており、初心者冒険者はそれ以上先に進まない方が良いと言われている。
あくまで冒険者とは自由な者達という意味合いがとても強く、ギルド側も推奨しているだけで強制はギルドの理念に反する為にしないらしい。
ちなみにホルス種とベア種は世界の森で見かけられるが、どれもかなり強い魔物のようだ。ホルスは馬型の魔物、ベアは熊型の魔物らしい。
調べた情報によるとオレストホルスは首と頭、四肢が長い魔物で、強靭に発達した蹄があり、素早く走りながら攻撃をして来る。
その方法は急速に近づいてから前足を高く上げて振り下ろし地面に叩きつけてくる。大きな固体になるとその豪快な攻撃で、大地すら揺らぐほどの威力を出してしまう。
体高だけで180センルから2メートラ、体重は1000リログラルを軽く越えるとされており、その威圧感もかなりのものだ。
また力も凄まじいものがあるらしく、通常の馬の10倍は軽々と越えるものらしい。あくまで計りようのないものなので、恐らくそれ以上の力があるとも予測されているほどその力は恐ろしく、また驚異的である。
顔の両側に目が位置するために視野が広い代わりに、両眼視できる範囲は狭く距離感を掴む事が苦手のようだが、それを補ってなお余りある発達した聴覚と嗅覚で敵を発見し遠くから襲ってくる厄介な存在。
全身の体毛は短いがある程度の寒冷地でも生活できるとされており、世界各地で見かける種類の魔物らしい。
次にオレストエーランド。
これは言うなればディア種よりも大型の鹿の魔物だ。オスメスともに大きな2本の角があり、その形状はねじれながら真っ直ぐ伸びている。とても硬くまた鋭いためその角はかなりの危険性がある。
大きいものになると肩高200センルに体重は500から1000リログラルにもなるといわれ、角も60から70センルととても長い。その大きさから3メートラもの体格に見えてしまうこともあるそうだ。
尚、メスの体重はオスに比べて4割ほど少なくなるそうだ。そして角に関してもオスよりもやや細く長い傾向が見られるようだ。
強靭な脚力から生まれるその跳躍力に優れている魔物で、2メートラは軽々と飛び上がってしまう。その巨大な体躯から飛び上がり襲ってくる様は悪夢のようだとも言われている危険種だ。
そしてオルストベア。
灰色がかった茶の胡桃色で熊型の魔物だ。体長はオスの成獣で250から300センルにもなり、その体重も300から500リログラルとされている。
メスは一回り小さいものの180から250センルはあり、どちらも他の魔物と比べても獰猛かつ驚異的な強さだ。とてもがっしりしている頑丈な体格で頭骨が大きく肩もコブのように盛り上がっている。
強靭な前足から繰り出される攻撃は凄まじい威力を誇り、鋭い爪も相まって直径40センルくらいの木など軽がるとへし折ってしまう。
脚力もあるために瞬発力にも優れ移動が早く、フィルベルグ周辺ではとても厄介な魔物という位置づけをされており、恐らくこれがフィルベルグ周辺で最も強いと言われる魔物とギルドが認定している危険種だ。
しいて言うなら長距離を走るだけの持続力がないため走って逃げる事が出来きるらしく、発見されたとしても冷静に行動すればまだ安心は出来るらしいが、そもそも数がとても少ないためこれに出会ってしまった冒険者は余程運が悪いと言わざるを得ない。
まともに戦って勝てる冒険者はゴールドランクのみとも言われるほどの驚異的な強さの魔物だ。
ここまで本から得られた知識をイリスが説明すると、どうも二人にとっては驚くのに十分な事だったようだ。
ふたりは目を丸くしながら同じ顔でイリスを見つめていて、それに気が付いた少女は何か変な事言っちゃったかなと不思議に思っていた。
その疑問に先に動き出したロットが答えてくれた。
「……たった1週間でそんなに完璧に覚えたの? イリスちゃん」
これは本の知識であるが、イリスは一切メモを見ずに自身の言葉で話していた。本来であればこの知識量は熟練冒険者でも持ち合わせていない。ある程度の情報で十分だからだ。
イリスが説明してきたものは冒険者としての知識ではない。これはもはや――。
「イリス……魔物学者みたいだ……」
とても小さく呟くミレイに目を向いて驚いてしまうイリス。彼女にとってはただ本で得た知識に過ぎないわけで、正直なところ丸暗記に近いものだからだ。いざ戦闘となればこの知識が役に立つかどうかもわからないほどのものだ。
そんな事を思っているとふたりはイリスを見つめ、将来魔物博士の道も開けてきたねと言い出した。
「い、いえ、これは本の受け売りですからっ」
焦るイリスに戸惑いもせず、イリスちゃんだからありえるよねとロットが話した。それに続くようにイリスなら何でもありなんじゃないかなと笑いながらミレイも答えていく。
さらに戸惑うも可能性が広がるという意味では決して悪い事ではないし、少なくとも魔法研究よりはずっといいかなと思うイリスであった。
しばらく歩いていると次第に目の前に光が強く差し込んでいる場所が見えてきた。どうやらあの辺りが聖域になるらしい。思ったよりもずっと近くて驚いてしまうイリスであった。
1ミィル=1分
1センル=1センチ
1メートラ=1メートル
1リログラル=1キログラムです。