"世界の安寧のために"
周囲には恐ろしいほどの静寂が戻り、これまでのことが夢ではないだろうかと思えてならないシルヴィア達は、現実感のない空気を感じながら佇んでいた。
きっとこれは悪い夢で、自分達がようやく立つことのできた場所は、未だ夢の中で。
もしかしたらまた酒を呑み過ぎて、ひどく酔っている状態で。
目が覚めれば、いつもと同じような日々が続いていく。
そんな日常に戻るまでの悪夢なのではないだろうかと、彼女達は定まらない意識の中で考えていた。
無情にも置かれた彼女の持ち物と白銀に輝く大樹が、彼女達を現実に引き戻す。
彼女の持っていたバッグも、大切な剣も、お守りのダガーも。
その全てが彼女のいた現実だと、はっきりと自覚させられるものだった。
そこに置かれた数通の封筒に視線が向かう。
彼女が"願いの力"、いや"想いと願いの力"で創りあげた手紙。
とても大切に両手で触れるように手にしたシルヴィアは、書かれている宛名を見る。
レスティ宛、エリーザベト宛、テオ宛、ヴェネリオ宛、フェリエ宛、ブリジット宛。
これまでお世話になり、とても重要な話を共有してきた者達へと宛てたその手紙は、きっと彼女が何を成そうしているのかを書いたものなのだろう。
瞬時に複数枚の手紙を力で現実としてしまう彼女に、言いようのない寂しさを感じるシルヴィア達。それはまるで、"自分とは違う"のだと、彼女ではない誰かに言われているかのような辛さをとても強く感じてしまっていた。
今にも涙してしまいそうになりながらも、書かれた手紙の宛名を確認するようにしていると、一番下に"みなさんへ"と書かれた手紙を見つける。
目を見開きながら仲間達と視線で確認をしたシルヴィアは、震える手で恐る恐る封を切り、手紙に目を通していく。仲間達も彼女の背後に回り、彼女もまた仲間達に見えるように手紙との距離を少しだけ離した。
中にはとても丁寧な美しい字で、これから自分が成そうとしていることについて仲間達に黙っていたことへの謝罪が、彼女の悲痛な想いと共に綴られていた。
その中でも特に重要だと思える、この眼前に広がる大樹についての記述に注目が集まる。
スラウの種を大本として"想いと願いの力"を用いることで、現実の大樹を顕現させること。
現在、過去を含め、世界にいる一般的な研究者では、まず考えもしないだろうこと。
漆黒のマナや負の感情と表現されている凄まじい力を吸収することで、コアの補助と世界の安定を保つために必要となる媒体として、眼前に広がる大樹を創りあげること。
手紙に書かれたすべてに、戸惑いを感じざるを得ないような内容が含まれているが、それを可能とするだろう力は彼女にしか持ち得ず、これは奇跡のような最初で最後の機会なのだと、彼女は語るように手紙に綴っていた。
しかし、そんなことが本当に"人の器"で実現することは可能なのか。
それは実行した彼女でさえも、唯一疑問に思っている点だと書かれている。
これほど凄まじい力を発動させるに至って、無事に身体が保てるのかということが不安ではあったようだ。
それは自身の肉体を心配してのことではなく、成す前にそうなっては困ると言葉にしているようにも思えるシルヴィア達は、ひどく物悲しさを感じていた。
レティシアが到達してしまった"魔力限界領域"を越えることのできる力"魔力過剰発動"と、"世界改変魔法"を"想いと願いの力"で使用し、スラウの種と高密度のマナを含んだ宝玉から創りあげ、彼女が命名した"浄化の種子"に膨大な力のすべてを集約することで、想像も付かないほどの力を発現させることができると彼女は手紙に記した。
"想いの力"、"願いの力"、"真の言の葉"、"想いと願いの力"。
そのどれもが欠けても実現できず、そのどれもを一人が発現できなければ、世界は確実に訪れるであろう"魔王の顕現"に未来永劫怯え続けることとなる。
だがそれも、大樹が聳えるように存在しているのなら成功しているはずですと、とても悲しい曖昧な言葉として、彼女の残した手紙には記されていた。
彼女にはもう確認ができないという意味にしか受け取ることができないその物悲しい言葉は、結論から言えば、彼女はもう帰ることができないと言っているのと同義だと、彼女の手紙を読んだ者達には思えてならなかった。
それをすべて知った上で。
その並々ならぬ覚悟の上で、彼女は力を使った。
すべては世界の安寧のために。
誰もが笑って、幸せになれる世界を創造するために。
こんなにも近くにいても、彼女の気持ちを察することのできなかった自分達。
腹立たしさを通り越して、あまりの悲しみに気がおかしくなりそうになる。
しかしそれも、彼女の力無くしては実現しなかった。
彼女の力をよく知るレティシア達三人でなければ、理解すらできなかった。
こうして文書として残してくれてはいても、まるで現実感のない悪い夢のように思えてならない彼女達がこの計画を聞いたところで、何もできなかったのは確実だ。
ただ、"それを使えばどうなるのか"といった目の前のことしか、彼女に尋ねることができなかったのではないだろうか。
それよりも遙か、遙か彼方の未来を見据えている彼女達の想いを受け取れず、ただただ子供のように我侭を強く言葉にすることしかできず、彼女を困らせてしまっていただけだったのではないだろうか。
そんな姿しか思い浮かぶことがなかったシルヴィア達だった。
非現実を現実のものとして実現しまう"創造の力"、"想いと願いの力"。
それを彼女達の立つ時代に生きる誰よりも理解しているからこそ、シルヴィア達は強い悲しみを感じることしかできていないのかもしれない。
どうしようもないほどの無力感に苛まれ、思考が全く追い付かない状況でありながらも、彼女達は手紙に目を通していく。
彼女の理論通りに事が運べば、コアを補助するための"世界樹"として、その役割を果たしてくれるだろうと手紙には書かれていた。
その為のお力添えをレティシア様達にも手伝って頂いたのだと、彼女の言葉は続く。
石碑に触れて使った魔法である"発動"は、石碑の内部に埋め込まれた宝玉を動かすために必要となる魔法で、本来は魔石を何かに利用できないかとレティシアが考案していた、彼女独自の魔法となると記されている。
これはアルトも知らない魔法であるため、彼の知識を託されているファルも知らないはずだと手紙には書かれていた。
世界最高の魔術師であるレティシアの膨大なマナが込められた宝玉を四つも使い、更には大陸各地に散らばる石碑すべてを"魔法連結"で結ぶことで、新たな言の葉を創り出した五人の英雄達が発動した力と似たような力として発現できるとレティシアは推察し、そのことも含め、四人で世界を救う方法を選んだのだと、手紙には書かれている。
どこか誇らしげな彼女の笑顔が頭に浮かび、世界は涙で歪んでしまう。
とても美しい字で事細かに書かれた手紙には、自分のことよりも優先してしまっていることがはっきりと伺えた。
彼女は微塵も後悔などなかった。
そう言い切れるほどに迷いのない意思が文字として、数枚の紙に詰められている。
そこには自分がどうなるのかなどは一切書かれておらず、世界と大切な人達のことだけしか考えていないような書き方をしている彼女に号泣してしまう女性達だった。
空を見上げ、瞳を閉じる男性達も、声を出すことなく止まらない涙を流し続けた。
何か自分にできたのではないだろうかと思う一方で、彼女の成そうとしていること、彼女が成したことを考えれば、何もできることなどないのだと思い知らされた。
それを全て理解した上での謝罪に、申し訳なさしか込み上げてこない五人だった。




