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この青く美しい空の下で  作者: しんた
第三章 小さな天使
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"ホーンラビット"


 尚も迫り来るホーンラビットは、イリスに目掛けて攻撃をしようとしていた。それにミレイが反応する。


 「イリス!! 前を見て!!」

 「!?」


 目前まで迫るホーンラビットは、イリスへ向かって飛び掛りながら角で攻撃をしようとしている。


 (はや)――。 一瞬で目の前まで角が見え、イリスは飛び出しながら転ぶように横へ逃げた。なんとか回避には成功したものの、あまりの恐怖に足がすくんでしまい立てずにいた。


 それを把握しているミレイは、ホーンラビットの首を踏んづけ、取り押さえてくれていた。暴れてそれを抜け出そうとしているホーンラビット。ミレイはそんな事をお構いなしにイリスへと注意を促す。


 「イリス、立って。今は戦闘中だ。そのままじゃ、ただやられるだけだ。立ち上がって、敵をしっかり見据えて」


 そう言われたイリスはふらふらとしながらも立ち上がり、ホーンラビットに向き直るが、その瞳はとても弱い色をしている。

 それを察したミレイは、恐怖で染まりつつあるその瞳に胸が張り裂けそうになる。


 イリスは目の前の恐怖と戦えず、ただただ恐れ続けていた。


 怖い、怖い、怖い! ……これが、魔物……。こんなに怖いだなんて思っていなかった。"角の付いた兎の魔物"だなんて単純に思っていた。

 けれど、これは違う。絶対に違うと一目で理解させられてしまった。


 あの眼は…… あの眼は異常だ……。


 エリー様が仰ってた『言葉が通じず一方的に襲ってくる存在』という表現は、私を怖がらせないための優しい、ううん、あれはとても優しく配慮して下さった言い方をしていた。


 これは違う、明らかに。そういった生易しいものじゃない。これは――


 『何の躊躇(ためら)いも無く確実に命を摘み取ろうとする眼』だ。


 これ(・・)に言葉など通用するはずがない。するわけがない。そういう存在ではない。そういった考えを微塵も持つことが出来ない。これは、圧倒的な力で踏み(にじ)る者の眼だ。


 怖い…… 震えが止まらない…… 身体が動かない……。


 まるで全身が痺れているようだ。ホーンラビット動きもすごく速い、身体もとても大きく感じる、角を向けられただけで寒気が止まらない。

 何よりもその眼が恐ろしくてたまらない……。どうしよう、どうしよう……。頭が何も考えてくれない。どうすればいいの……。


 その心の内を手に取るように理解しているミレイは思う。


 そうだ、イリス。これ(・・)が魔物なんだよ。イリスにはわからなかったよね、知らなかったよね? 

 これについては、この世界の本じゃ知り得ない事なんだ。なぜならそれが、この世界では当たり前のことなんだから。


 女神様から貰った知識には『言葉が通じず一方的に襲ってくる存在』とあったんでしょう? そう女神様からも言われたんだよね? 

 それに間違いは無い。間違いは無いけど、違う(・・)んだよ。この世界の住人にとっては。


 そいつらに理屈なんて通用しない。するわけがないんだ。ただひたすらに、あたし達を刈り取ろうとする存在だ。この世界の住人も、この世界の動物達も、そいつらにとっては食料でしかないんだよ。


 草原での属性変換の時からずっと悩んでた。あたしもロットも、それに気がついてしまったから。

 たったほんの少し草が揺れた程度で怖がるほど、イリスにとっては魔物という存在が恐怖の対象となっているんだ。


 それなのに、アンジェリカの為に自分からルナル草を採りに行きたいと聞いた時は本当に驚いたよ。でも、あたしもレスティさんもこの事を言えなかったんだ。

 これは誰かに聞いても理解しづらい事だし、イリスはそれを聞いても納得しないと思った。悩んで、悩んで、散々悩み続けて、辿り着いた答えが、イリスを突き放す結果になってしまった。



 イリス。あたしはもうひとつ、イリスに伝えていない事がある。そいつは、最弱(・・)の魔物なんだよ、そのホーンラビットは。


 攻撃力こそ少々強めだが、それも少々という程度で、下から数えれば2番目か3番目という弱さなんだ。耐久力も低く、素早くもなく、攻撃も単調だ。

 そんな魔物がここらでは弱い魔物として定着しているが、あたしはこれ以上に弱い魔物と出会った事がない。

 本には最弱なんて書いてしまうと、自惚れた冒険者が餌食となってしまう可能性が出てくる。だから書かれていなかったんだよ。



 イリスは完全に恐慌状態にあった。その瞳は明らかに不安と動揺が混じった濃い恐怖の色で染められている。そんな瞳を見つめているミレイの胸はずきずきと痛み、一瞬全てを投げ出して助けようと思ったが、その心を戒めた。

 なぜならイリスを信じると決めたからだ。そして目標達成失敗の約束事を、まだイリスの口から発せられていないのだから。ミレイの独断で勝手に決める事は、今恐怖と向かい合っている少女の想いを穢す事になる。それだけはダメだ。絶対にダメだ。

 ミレイは全て覚悟の上でレスティと話し、条件をつけ、そしてそれをイリスは達成していったのだから。そんな想いを踏みにじる行為をしてしまえば、もう二度とイリスと一緒にいる資格がなくなってしまう。ミレイは強まる痛みの中で、それをひしひしと感じていた。


 ギィィ! ホーンラビットが怒りの声を上げるたびに、イリスの身体はビクっと跳ね上がってしまう。身体は振るえて動かず、その瞳はとても深い恐怖に染まりつつあった。

 もうここまでかと思ったミレイは、静かに、そしてとても優しい声でイリスへ向かって言葉を発していった。


 「どうする? もうやめる? 無理しなくていいんだ。イリスはイリスの出来る事をすれば、それで良いんだよ? なにも魔物と戦う事が全てじゃない。だから無理なんてしなくて良いんだよ?」


 とても優しく穏やかな声が、草原に心地よく通り抜けるように響いていった。


 そうだ、この子はまだ13歳なんだ。平和な世界の出身で、魔物も知らず穏やかに、幸せに生きてきた。出来なくて当たり前なんだ。(むし)ろ出来る人の方が圧倒的に少ないはずだ。

 いや、あたしならきっと出来ない。そういう事をイリスはしようとしているんだよ。あたしにも出来ない事を、あたしよりもずっと小さな子にさせようとしているんだよ、あたしは。


 本当にごめんなさい。怖いよね? 辛いよね? 逃げ出したいよね? いいんだよ、それで。たった一言、あたしに助けを求めてくれればいくらでも助ける。

 あたしはイリスにとても深い恐怖を植え付けてしまったけど、それでも、()に出るだけが全てじゃないから。壁に守られた世界だけで暮らしている人たちだって、フィルベルグだけでも何千人といるんだ。それはイリスが気に病むことじゃ決してないんだよ。


 だから、これからは街で幸せに暮らしていこう? イリスがしたい事なら何でもあたしがしてあげるから。イリスが望む事なら何でもあたしが叶えてみせるから。もういいんだ。もういいんだよ? だから……。


 ……だからもうやめよう? このままじゃ、イリスが壊れてしまう。


ミレイの音の無い悲痛な叫びは、草原の風に(さら)われて消えていく。


 イリスはミレイの言葉の意味を考えていた。

 そうだ、私がやめるとたった一声ミレイさんにかければ、それで全てが終わる。その言葉を聞けば、直ぐにでもミレイさんは私を助けてくれる。

 こんな怖い思いもそれで終わるのだから、直ぐに言ってしまえばいい。


 イリスはもう限界に近づきつつあった。心は折れそうなほど恐怖で満たされており、次第に頭が項垂(うなだ)れるように下がっていく。


 そしてゆっくりと口を開いていった。


 ……でも、本当にそれで良いの? ……本当に私はそうしても良いの? ……本当にこのままミレイさんに助けてもらうの? ……助けてもらってどうするの? ……逃げ出すように街へ戻るの?


 開いた口は言葉を発さなかった。そしてそれはミレイが動けない理由でもある。そんなイリスを見たミレイは、戸惑ってしまう。いいんだよイリス。もう無理しなくていいんだ。だから、もう、やめよう。


 イリスは口を閉じ、そして目を瞑り、尚も考え続けていた。


 ……私はなぜここにいるの? どうして採取をミレイさんに任せなかったの? どんな想いで防御魔法を覚えたの? 何の為に図書館で魔物の勉強をしたの? 誰の為にレナードさんに盾の事を教えて貰ったの? ……全部アンジェリカちゃんの為じゃない!!


 なにをやってるの私は!? もっとするべき事があるでしょう!? ミレイさんは言ってくれた。私は私のできる事をすれば良いんだって。それはミレイさんに助けを求める事なの? 違うでしょう!? しっかりしなさいイリス!!

 私はあの子の為に自分から頑張るって決めたんでしょう!? なら今、私がすべき事は何!? 逃げる事!? 助けを求める事!? 違うでしょう!? 


 イリスは瞳を閉じたまま両頬を勢いよく手で叩いた。


 ぱぁん! 勢い良く放たれた音は草原に響いていき、ミレイはその様子に驚いて思考が停止し、目を丸くしてしまう。


 3つ目の条件の意味を私はやっと理解できた。


 あれは『達成出来なければ、私を聖域へ連れて行けない』という意味じゃない。

ミレイさんは、『こんな事で挫けるようじゃ、私を世界へ冒険に連れて行く事など出来ない』と言ってくれたんだ! 

 私と一緒に冒険をして、世界を見るという夢を持ってくれているんだ! それなのに、私はなんて情けないんだろう。


 そうだ、この事はきっと、ずっと前から考えてくれていた事なんだ。きっとおばあちゃんも一緒に考えてくれて、どうすれば最善かを悩んで出してくれた答えなんだ。私の為に。

 なら、私はそれにきちんと答えなければいけない。伝えなければいけない。情けない姿なんて見せられない。見せてはいけない。


 今、私に出来る精一杯の事をしなさい!


 イリスは瞳を開け、ホーンラビットを見ていた。その瞳には確かに恐怖は残っているものの、いつもよりも美しい色をしていた。


 イリス……。そうか、そうなんだね。どんなに怖くても、どんなに恐ろしくても、それでも前へ進む事を選んでくれたんだね。ありがとう、イリス。ごめんなさい、あたしはイリスを軽んじていた。

 そうだ、あたしはこの子が前を見続けてくれる子だと信じていたはずなのに。それなのに、勝手な解釈をして、勝手な思い込みを押し付けようとして、イリスを穢そうとしてしまった。

 イリスのことを信じてると言いながら、あたしは自分が楽になる為に終わらせようとしてしまった。本当にごめんなさい。


 わかったよ、イリス。あたしはもう迷わない。悩まない。行こう、イリス。一緒に前へ進もう! だからイリス、その覚悟をあたしに見せて!



 イリスは集中し魔力を練り上げていく。それを見ていたミレイはタイミングを計る。やがて魔力を練り上げたイリスへ視線を送り、イリスもそれに頷き答えていく。


 そしてミレイはそれ(・・)を解き放った。それは押さえ続けたミレイではなく、イリスへと襲い掛かっていく。

 魔物の本能で弱いものから確実に(たお)すつもりのようだ。すぐ目の前まで迫る恐怖に、イリスは勇気を奮い立たせ、立ち向かっていく。


 使う言の葉(ワード)は〔盾〕、属性は風。集中し魔法を詠唱した。


 「風よ!盾となれ!!」


 瞬時に展開される美しく優しい色の盾。襲い掛かる攻撃を、その盾は受け止めた。


 ガキィ! 鋭い音が草原へ響くが、盾に変化は無い。成功したようだ。だが、イリスはまだ納得がいっていない表情をしている。


 そうだ、これじゃダメだ。これだけじゃ足りない。このままじゃ今までと大して変わらない。

 私は、意思(・・)を見せなくてはいけない。前に進むんだ! ミレイさんと一緒に!


 目の前に現れた(モノ)に、何度も何度も自身の角を当て続けるホーンラビットを見ながら、イリスはミレイへ伝えた。


 「ミレイさん、お願いします! それ(・・)を抑えていてください!」


 その言葉を聞いたその刹那、ミレイは答えを返すよりも早く行動に出ていた。盾を攻撃し続けるホーンラビットの首を足で押さえ込み、イリスを待つ。

 イリスはバッグからマナポーション・小を取り出し、それを一気に飲み込み、すぐさま空瓶をバッグへと戻す。ふぅっと一息つくと、すぐに集中し始めた。

 そして直ぐにミレイへお礼を言いながら、盾が消えたらそれを離してその場を離れるように告げた。ミレイはその指示に真剣な表情で頷き、盾が消えたのを見計らい、ホーンラビットを解き放つと同時にその場から離れ、イリスの横へと素早く移動した。


 使う言の葉(ワード)は〔刃〕、そして〔貫く〕、属性は風。


 「風よ!刃となりて、敵を貫け!!」


 言葉を紡いだ瞬間、凄まじい突風が吹き荒れ、ホーンラビットへ襲った。その身体を突き抜けた瞬間は風そのもので、何も起こらないようだったが、直後、ホーンラビットの首元からぶわっと血が噴き出して倒れていった。


 強烈な眩暈に襲われながらも足を踏ん張り、倒れる事を拒絶したイリスは、疑心を抱きながらその様子を見続けていた。また起き上がるんじゃないだろうかと不安になってしまったからだ。


 手放しで喜ばない所は、冒険者にとっては正しい事だ。何が起こるかわからない状況で、舞い上がるのは危険すぎる。

 だが、使った事もない攻撃魔法を放ち、しかもそれが2つの言の葉(ワード)を実戦でいきなり取り入れたことは、とても褒められたものではない。

 いくらミレイがいるからと言っても、そこは反省すべき点だとイリスは考えていた。


 ミレイがホーンラビットに近づき確認を取る。すぐさまイリスへもう大丈夫だよと笑顔で言ってくれた。

 ほっとしたイリスはその場にぺたんと座り込みながら、とても深いため息をついた。



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