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この青く美しい空の下で  作者: しんた
第十八章 役目は達せられたと
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"まるで輪のように"

 冷静にイリスは話す。

 女神であるエリエスフィーナでも予測できなかった事態を。

 "私の大罪"と嘆きの言葉を石版に刻むことになった元凶、"魔王"が発現したことを。


 初めは魔人化する前の魂を浄化する為に、女神は世界の各地に降り立った。

 これが後に、魔物の侵入を拒む結界となる"聖域"と現在でも呼ばれている場所だ。

 彼女の力に反応したその場所は、美しい湧き水が絶えず溢れ出し続けている。

 恐らくこの現象も彼女の予期せぬことだったと思われるが、世界にある四箇所に顕現したことによって、想像だにしなかった現象を引き起こすことになってしまう。


 人の持つ負の感情が濃密に込められたマナを空高く噴き出し、破滅の雪を降らせる。

 古代の人々が眷属と呼んだ脅威を退けることができようとも、舞い落ちる漆黒の雪には対処などしようもなく、ただただ恐怖し、抗うことなど決してできない無慈悲な存在として絶望を与えたのだろう。


「"魔王"と呼ばれ、恐れられていた最悪の存在はあくまでも現象であり、魔物を統率するような王という意味を持たないと、イリスもアタシも考察した。

 恐らく古代では黒いマナが"魔"と呼ばれ、途轍もない力を持つ魔をこれ以上ない頂点という意味を含み、"王"と名称したんだろう。

 魔の神という意味での"魔神"と名称しなかったのは、神に対して失礼だろうと判断したのかもしれないが、これについては正直どうでもいい話だな」


 はっきりと言い切ったメルンは、話を続けていく。

 歴史の文献は勿論、言い伝えですら存在しないほどの古代。

 恐らくは、エリエスフィーナが顕現した時代に生き残ることができた者達。

 いつの時代かも定かではない太古の人類は、すべてを滅ぼす漆黒の雪を恐れ、黒いマナに汚染されたものである凄まじい強さを持つ存在に"眷属"と名を付けたのだろう。


 あれほどの脅威に眷属と名称するくらいなのだから、必ず何かがあると思わない方が不自然なのではとも考えていたイリスだったが、その更に上どころか、生きとし生けるものを消失させてしまうと思われるものが存在するとは、流石の彼女も、そしてメルンでさえも想像だにしなかった衝撃的な事実だった。


 これらは女神が残した石版から考察した、イリスとメルンの憶測に過ぎない。

 それはとても少ない情報から導き出された曖昧と言えるもので、確証など持つことなどできない極論だと多くの者は言い放ってしまうだろうとも思える。

 それでも二人はこの推察が正しいと確信を持っていた。


 だが、正直なところ名称など瑣末なことだなと話したメルンは、続けて厄介なこととなる話題へと変えていく。

 問題はこの世界を、エリエスフィーナのみが管理している可能性がある点だ。


 実際にその現象を鎮めたのは、地上に顕現したエリエスフィーナであったと石版に残されていたが、彼女以外の存在を示唆する言葉の一切がそこには書かれていなかった。

 それが意味するところは一つだろうとメルンは話す。


「つまりこの世界を管理している者は、女神エリエスフィーナ以外存在していない可能性が高いということだ。

 イリスの生まれた世界では、十三柱もの神々が人々に寄り添いながら暮らしていたと聞く。……なんとも凄まじい世界だと言えるが、問題はそこではない。

 もし仮に、この世界を管理している神が一柱だとすれば、対処などできようはずもない。流石に十三柱は多過ぎるとは思うが、世界の維持を神々がしているのだとすれば、アタシ達には想像もできないような世界であることは間違いないだろうな」

「恐らくエリエスフィーナ様だけでは、その対処が追いつかないのだと思います。

 であれば"魔王の顕現"も、そう遠くないうちに必ず起こってしまうのでしょう。

 それも私の推察では、本当に時間がないのだと確信しています」


 悪い夢であればどんなに良かったことか。

 そう思ってしまうほどの事態が、この美しい世界では起こり得ると彼女は続ける。


 もし仮に、八百年前よりも更に人で溢れていた世界であったのなら。

 破滅の雪によって恐怖の最中に消失させられた人達が、遙かに多くいたのなら。

 その人達の想いは、一気にコアへと向かっていったのではないだろうか。


 人から流れた負の感情をコアが抑えきれなくなり、徐々に地表へと溢れ出す。

 それをたった一柱の女神が対処をする方が、無茶だと言えるのではないだろうか。

 イリスの推察通りであるのならば、それはそう遠くないうちに世界へと噴き出す可能性を秘めた、不可避な必然の現象だということになる。


 それはもはや、人がどうこうできるようなものではない。

 無力な人はそれが過ぎるのをただ黙って耐えなければならない。

 触れただけですべてを消失されるという破滅の雪が過ぎ去るのを、ただ黙って。

 いつ収まるのかも分からない、永遠にも思えてしまう重い時間の中を、ひたすらに。


 そんなものを収束させられるのは女神だけだろう。

 それも"奈落"と呼ばれる場所を創り出してしまうほどの大穴を開けるだけの力を放って、ようやく鎮静化させることができた可能性が非常に高い。


 そして人と呼ばれる存在がいる以上、感情を抑え続けることなどできない。

 いずれは必ず抑え切れなくなった負の感情が溢れ出し、大地を侵食するだろう。

 これの極々一部が流出し、エデルベルグ近郊にいた魔術師の少女が触れてしまい、眷属化してしまった。


 これが世界中に悲しみを振りまいた事の発端であり、六十万以上もの人の命が失われた史上最悪の惨劇なのだが、当然これはレティシア達が知る史実に基づく見解となる。

 古代には更に多くの者が犠牲になったと予想できてしまう中で、こんなことを抑えられる存在など、女神であるエリエスフィーナ以外いないと言い切れる。


 重苦しい空気が穏やかな世界に流れる中、イリスは表情を変えずに話し始めた。


「問題は、その時に発生した負のエネルギーの強さと、この世界をエリエスフィーナ様のみが管理している可能性があるという点でしょう。

 一瞬で人が消し去ってしまうほどの、途轍もない威力を帯びた破滅の力。

 それに触れてしまった方を先に目撃してしまった方達は恐怖し、絶望し、その無念の想いで倒れていったのだと私は思います」


 それによりコアへと感情が向かい、吸収できないほどの力となって再び地上に噴き出してしまう。そしてそれを目の当たりにした者達が恐怖と絶望を抱く。

 決して終わることのない永遠に続くかのような負の循環に、人は翻弄され続ける。


 まるで輪のように。

 ただただ廻るように。



 しかし、負の感情がすべての元凶なのではない。

 これを無くすことなど、エリエスフィーナだけでは改善できないはずだ。

 だからこそ"リヒュジエール"では九柱もの神々が降り立ち、人と共に暮らしながら地表から溢れ出た負のマナを浄化していたのではないだろうか。

 街の周囲も含め、そのほぼ全てをそれぞれの場所から調整し、それでも浄化しきれない場所を天上の世界にいる神々が担当していたのではないかとイリスは話す。

 そうしなければ魔物の発生や、魔人や魔獣の発生に繋がるのだからと彼女は続けた。


 だが、この世界の女神であるエリエスフィーナは何もできない。

 力を貸したくとも地上に顕現することができず、傍観せざるを得ないのが現状だ。

 ここで私達が取れる道は二つしかないと、イリスは変わらずの表情で話した。


「このまま何もせずに傍観し、エリエスフィーナ様の顕現を待つこともその選択のひとつでしょう。

 当然これは、非常に危険な方法だと言えます。

 もうひとたびでもこの地上にエリエスフィーナ様が顕現なされば、世界にどういった影響があるか分かりません。女神様の推察するように、世界そのものが消滅する可能性も高いと私も思っています。であれば、この方法は選びたくありません。

 エリエスフィーナ様もそれを望んでなどいませんから」


 そうでなければ石版の意味をなさないと、イリスは話を続ける。

 あんな深き場所に置かれた物を、その場に到達した者だけに読ませる必要などない。

 地上に女神の痕跡を残せば、世界中が大混乱に陥ることになるのは間違いない。

 それはつまり、世界を漆黒の闇が覆い尽くすのを早めることに他ならないのだから。


 地上に顕現することのできない女神エリエスフィーナは、その直面した苦境を耐え凌ぎ、苦難を跳ね返すことのできる"強者"にこの世界の未来を託した。


 人によっては、それを無責任だと言葉にする者も少なくはないかもしれない。

 それでも彼女がそうであるとは、イリスにはとても思えなかった。

 対面した女神は心優しいお方だったと、心から思えたのだから。

 本当に無責任なのは、この星を創り、棄て去るようにいなくなってしまった神々なのではないだろうか。


 人などには到底理解できない、やんごとなき理由があるのかもしれない。

 そうせざるを得なかった窮地に陥っていたのかもしれない。

 取り返しの付かない事態になってしまっていたのかもしれない。

 だが、たとえそうだとしても、イリスにはそれがとても哀しい事に思えてならない。


 どうして神々は、この美しい世界を棄ててしまわれたのだろうかと。

 分不相応ではあるが、自分であればこの世界を去るなど絶対にしないと。


 そんなことを考えていたイリスの下に、女性の声が響いてきた。

 イリスの話に疑問を持たない方がまずないと思えるレティシアは、彼女の話を聞きながら考え続けるも、聡明な彼女をもってしてもその答えを導き出すことはできなかったようだ。


 確かに彼女の生きる場所は、自分達がいた時代とは遙かに年数が経っている。

 それも八百年という途方もないと言えてしまうような歳月が過ぎ去ってしまった。

 これまでに起きた悲しい出来事はメルンからイリスの推察を聞いてはいたが、それだけではイリスの確信には至らないとレティシアには思えた。

 その根拠となるものが見えてこない彼女は、イリスに尋ねた。


「何故、時間がないとイリスさんには判断ができるのでしょうか。

 それも起きることを正確に把握しているようにも聞こえました。

 それにもうひとつの方法など、私には無いようにも思えるのですが……。

 よろしければ、それについてもお話していただけませんか?」


 レティシアの問いにイリスはとても美しい表情を見せ、この場にいる者達をどきりとさせてしまう。

 だがそれは、彼女の美しさに魅了されたのではない。

 その奥底、根底ともいえる場所に、彼女のしようとしていることを感じ取った彼女達は、同時にある感情が溢れてくる。


「…………イリス……お前……一体何をしようと……しているんだ……」 


 心が押し潰されてしまうような非常に強い不安で溢れてしまうメルンは、取り乱す気持ちを押さえ込みながらも震える声で呟くように尋ね、イリスもふたりの問いを丁寧に答えていく。


 その全身が凍り付くような彼女の言葉に、この場にいる全ての者が言葉を失った。

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