"子供のように"
水晶園とも言えるような美しい場所を越えて二日が経った。
今日も清々しい青い空の下を歩いていくイリス達だったが、どうやらシルヴィアは少々不服そうな顔をしているようだ。
折角フード付きのローブだというのに、全く雨が降る気配のないことが彼女にとっては残念でならないらしい。
そんなシルヴィアに苦笑いをしながら答えるファルだった。
「気持ちは分かるんだけどねー。でもこの時期の雨って冷たいから体調にも影響が出かねないし、雨なんて降らない方がいいとあたしは思うんだけど……」
「それもそうなのですが、やはり一度くらいは体験してみたいではありませんかっ」
これでもかというほど瞳を輝かせるシルヴィア。
本当に子供のように思えてしまう姉に、苦笑いが出てしまうネヴィアだった。
「撥水性って言うんでしょうかね。どのくらいの雨までこのローブが弾いてくれるのかは確かに気になります。"乾燥"もありますし、風邪薬も常備していますから、一度くらいは雨が降ってもと思ってしまいますよね」
「ですわよねっ」
イリスの言葉にきらきらと瞳を煌かせるシルヴィアだった。
エデルベルグを調査した時から思っていたことではあるが、彼女が一番冒険というものを楽しんでいることは間違いないようだ。
イリス達も確かに冒険を楽しく思っているし、とても貴重な体験をしていると感じてはいるが、シルヴィアの様子を見てしまうと彼女以上だとはとても思えなかった。
とても微笑ましそうにシルヴィアを見つめるイリス達。
そんな様子に気付くこともなく、彼女は周囲を警戒しながらも楽しそうに足を進めていた。
水晶園を越え、しばらく進んだ先は再び平原となっていた。
見通しのいい場所を歩きながら、シルヴィアは何気なく言葉にした。
「随分と進んできましたが、ドルトから更に北へ向かうと眼前に広がると言われている"奈落"も、これだけ進まなければならないのかしら」
「そうらしいよ。街が造られている場所が立地的に都合がいいらしいけど、奈落へ行くには相当の日数がかかるらしいね」
ロットが奈落の調査隊に参加した熟練冒険者に話を聞いたところによると、最低でも三十日は見積もって準備をするらしい。
奈落までの経路には相当強い魔物が出るとの噂もあることや、様々な物資を運びながらの移動となるので、かなりの時間がかかるようだ。
実際にそれほど長くはかからないとも思えるが、何か問題が起きた際、その場で足止めされることが非常に多いそうで、そういったことも考えての日数だろうねとロットは話した。
「これは俺の推察になるんだけど、たぶんセルナから奈落を目指すと、距離的には同じくらいなんじゃないかな。正確なところは分からないんだけどね」
「大空洞があるだなんて、あたしは勿論集落のみんなも初耳だろうし、ドライレイクや水晶園みたいな凄い場所が世界にあるだなんて、全く想像もしていなかったからね。
アルト様なら知っていたとも思えるんだけど、石碑の位置から考えるとレティシア様はアルリオンから北を目指したんじゃないかなぁ。
まぁ、危険な場所や険しい岩場なんかではブーストを使っての移動になってたし、正確な距離までは分かんないから、流石にドルト側の経路とは比較はできないよねぇ」
どこか楽しそうに話すファルと、彼女の言葉に納得しながら頷いて答えていくイリス達だった。
ドルトとは、エグランダの北西にあるという大陸最北端の街だ。
ロットの話では、リシルア以上の実力を持つ冒険者がいると聞いていたが、実際に彼も含め、ヴァンとファルも行ったことがない街なのだそうだ。
あの街はかなり特殊な場所で、冒険者ギルドも置かれているが依頼の類は殆どない。
ドルト周辺の警備か見回り、周辺の魔物討伐といったものはある程度行われている。
しかし、必要以上にギルドが冒険者に依頼を出すことはなかった。
正確にいえばドルトは街ではなく、城砦といった方が正しいのかもしれない。
所謂その先へと進む為の強固な野営地のようなものだと先輩達は聞いているそうだ。
とはいえ、野営地というにはかなり大きい造りとなっているようで、その強固な城壁とも思える壁に囲われたその場所を"城砦都市"と呼ぶ者も少なくはないらしい。
尤も、都市と名が付くほど、人も店も存在はしていないようだが。
基本的に調査目的で利用される場所のようで、それ以外はある程度街を護るための守備隊が警備をするだけだと先輩達は聞いているとイリス達に話した。
「周辺調査は割と行われているらしいが、それも魔物の間引き程度だと聞いている。
"奈落"への調査には大隊を組んでの大規模調査となるそうだが、前にも話したように前回調査が行なわれたのは十年近くも前のことになるらしい」
「大規模調査には莫大な資金を投入しなければならないから、そう何度も行うことはできないだろうね」
大規模調査依頼に参加した冒険者だけでも、その数は四十チームにもなるらしい。
最低でも百六十人の精鋭冒険者達が参加する最大級の依頼にかかる費用は、凄まじい額になることは間違いない。
更には食料品や武具の修理、馬の食事や水など必要となるものは非常に多く、途轍もない額が一回の調査依頼で動くことになることは想像に難くない。
そう何度も依頼など出せるわけもなく、資金を貯めてからの調査となるのだろうとも思えるが、実際に莫大な資金がどこから出ているのかという疑問にも繋がってしまうシルヴィア達だった。
エークリオにはそういった調査に心血を注ぐ学者が多く集まるコミュニティーが存在するとの噂だが、それだけで資金が貯まるとはとても思えない。
恐らくは豪商と呼ばれる凄腕の商人達の中でも学者に近いような思考を持ち、奈落の解明をしようとする者が資金提供しているのではとイリスは考え、言葉にした。
「……なるほど。であれば、莫大な資金の調達も可能とするのかもしれないな」
顎に手をあて、頷きながら答えるヴァン。
現実味を帯びたイリスの推察であれば、それも不可能ではないだろう。
そんなことを話しながらゆっくりと先を目指し、歩いていった。
ふとネヴィアは、少しだけ首を傾げながら言葉にする。
「そもそもレティシア様は、どういった方法で石碑を置かれたのでしょうね。
険しいと思えてしまう場所ですし、街からも遠いように感じます。
とてもあれだけの大きさのものを運んだとは思えないのですが」
その疑問も尤もだと思えるシルヴィア達だったが、実際に石碑を背負って北に向かってはいないのではとイリスは話した。
「石碑の構造がどういったものなのか理解できませんが、恐らくレティシア様は石碑を置かれる場所で製作したのではないでしょうか。エデルベルグだけでなく、アルリオンの石碑もレティシア様が造られたのだと思いますが、恐らくメルン様には必要となる知識を渡しただけのかもしれませんね」
"真の言の葉"であろうと、無から有を生み出すことなどできない。
恐らくは何らかの原材料を加工し、強力な保存魔法である"極大の保存魔法"を使用したことは間違いないだろうが、石材に関しては全く見当の付かないイリスだった。
ただ、造り方や理論を含む知識などに関しては、"知識共有魔法"で情報を共有することができるので、メルンほどの知識と技術を持つ者であれば石碑を造り出すことも可能とするだろうと思えた。
それもすべてイリスの推察に過ぎない。
残念ながら、それらをレティシアに聞くことはできないだろう。
そんなことを考えながら足を進めていくイリスは、ようやく見えてきた平原の先へとやって来れたようだ。
魔法の効果ではずっと理解していたが、やはり見るのと知るのとでは大違いだと思うイリス達だった。
未だ数リロメートラ先の場所となるが、その目に映っている景色はこれまで体験してきたものとも全く違った場所に感じられた。
遠目でも理解できるその清らかな泉は、フィルベルグ南西にあるものと同質の泉ですとイリスは断言し、仲間達を戸惑わせてしまう。
何故こんな場所にという疑問が湧かないわけではない。
しかしそれ以前に、どうして彼女がそう言葉にできたのかを考えてしまうシルヴィア達は、尋ねることもできずにイリスの方へと視線を向けることしかできなかったが、どうやらその確たる理由を彼女は強く感じ取り、確信しているようだ。