お茶の"合間"に
一階まで降りた二人はテーブルに着いてふぅっと息を吐いた。しばらくするとお茶を淹れるわねと言いながらレスティは席を立った。
「あ、いいよ。ありがとう」
「うふふ、私が飲みたいのでお付き合いして頂戴な」
そう言われると断れないので、お礼を言いしばらく休憩をするミレイ。彼女は物凄く疲れてしまっていた。ぐったりするほど精神的に。
お茶の入ったポットとカップ、ソーサーを持ってきた。二人はゆっくり味わうように飲みながら、話を始めていく。
「それで、あれはやっぱり十分な魔法だったのかしら?」
「そうだね、あれなら安心できるほど十分なんだけどね」
語尾になにやら含んでいるのが気になるレスティはミレイに尋ねるが、またしてもイリスに驚かされる結果となってしまう。
「だけどって、何かあったのかしら?」
「ええっとね、順を追って話した方が良いかな。まず最初の攻撃は、ホーンラビット以下の攻撃力を含んだ威力だったよ。当然、あれに耐えられないようじゃ、危なくて連れて行けない。これは問題なく達成できたみたいで安心はしたんだけど、あの時にちょっと気になった事が出て来たんだ」
「あの一瞬眉がぴくっとなったあれかしら?」
「気づかれてたんだね。実はあの時、イリスが作り上げた魔法盾が、思ったよりも硬いことに気が付いたんだよ。一瞬、あれ? って気になった程度だったんだけどね。その後すぐに攻撃した力は、ホーンラビットの攻撃を確実に耐えられる斬撃をしたんだ。そして、その時に確信した。これはおかしいって」
「それは思ってた以上に魔法の完成度が高かったって事かしら?」
レスティはそう思えた。あの斬撃音はかなりすごい音だったのだから、あれに耐えられる時点ですごい魔法なのはよくわかる。
問題はたったの二日でそこまで辿り着いてしまった事なのだろうかと思っていたが、どうやらミレイには他に理由があるようだ。
「うん、それもあるんだけどね。たった二日で作り上げたにしては完成度が高すぎる。でも、問題はそこじゃないんだ。最後の攻撃はかなり思いっきり攻撃したよ。力を込めてね。でも、一瞬とはいえ壊せなかった。完全に貫くだけの力を込めたつもりだったのに」
確かにあの攻撃が当たった瞬間、ダガーの勢いが完全に止められていた。その後すぐに貫き盾を壊したのだが、問題はそこでもなく、一瞬とはいえ攻撃を止めた事にあるとミレイは言う。
「あたしは速度重視のスタイルだから、攻撃力はそんなにないんだ。でも、あの攻撃はかなりの力を込めたのに一瞬で貫けなかった。ゴールドランクのあたしの力を止めたんだよ。あれは明らかに異常な硬さだった」
ゴールドランクとは、熟練冒険者クラスの存在であり、ある程度の力量がなければなる事が出来ないランクでもある。
例えばシーナのように探索型で戦闘に不向きな冒険者は、ゴールドランクへ上がる事はない。シルバーランクの壁を越えられない、と言った方が正しいのかもしれない。
ゴールドランク冒険者が受けられる依頼はとても危険なものが多く、シルバーランク程度の冒険者では太刀打ちできない魔物も多く存在するほどだ。
ミレイがゴールドになれたのも、経験や信頼だけではなく、戦闘能力が高いという理由が明確に分からなければシルバーランク止まりになっている。
確かに単純な力という意味では同じゴールドランクのレナードやオーランドには届かない。本気で攻撃はしなかったとは言っても、シルバーランク程度の冒険者よりは遥かに強い力を所有しているミレイの攻撃を、イリスが作り上げたあの盾は防いでしまっていた。それもたったの二日練習しただけで。
それを説明していくと、いつの間にかレスティの眉にしわを寄せていた。
「まぁ、あの子は魔法の才能がかなりありそうだからねー。思えばここまで物凄い速度で上達しているから、こういった事もあるんだろうねって思った方が良いかもしれないね」
あははとミレイは苦笑いをしながら答えるが、内心は少々複雑のようだった。
あの子はすぐに自分に追いついて、ささっと追い越してしまうのではないだろうか、と。
上達速度と知識に関しては、もう子供だと思わない方が良いかもしれない、そんな気すら起こさせるような子だ。
後の問題はあの事だけだ。あれさえ乗り越えてくれれば、もしかしたらイリスと一緒に世界を旅できるようになるかもしれない。
イリスに嫌われる事を一番危惧しているミレイではあったが、同時に乗り越えてくれさえすれば、イリスにとっても、またミレイにとっても、輝かしい未来が待っているのではないだろうか。
共に旅をし、共に世界を見、共に様々な事を共有する。これはある意味、ミレイの夢にもなっていた。
もちろんイリスが望むのであれば、街での暮らしを重視したっていい。それが後ろ向きの気持ちじゃなければいくらでもいいんだ。
あの子が前向きに街で生きていこうと決めるのなら、あたしも冒険者を辞めて一緒に暮らしたいとも思ってる。
そうだ。いくらでも生きる方法はある。冒険者なんて危険な職業にわざわざ就かなくったっていい。薬草採取はあたしが、イリスはそれを調合して暮らしたって十分幸せに生活出来るんだ。
そんなことを考えながらミレイは静かにお茶を飲んでいた。
しばらくまったりしていると、さっきの練習法に疑問を持ったレスティが質問してきた。
「ところで、あの練習法はちょっと難しいんじゃないかしら? さすがに出来ないと思うのだけれど」
天井に放り投げた物を発動させた魔法盾で防御するなど、熟練の魔術師にも出来ない事だろう。そこまで早く魔法を発現させる事が出来る魔術師などいるのだろうかと、レスティは思ってしまうのも仕方の無い事だ。
どうやらミレイも、イリスがそれを出来るようになる事を望んでいる訳ではないようだ。
「あはは、さすがにあたしもその速度で魔法を使う人に会ったことはないねー。ある程度は早くなると思うからそれでいいよ。でもああ言っておけば、2週間は魔法盾の修練と魔法速度の修練が両方同時に出来るかなって思ったんだ。魔法速度が上がる事はとても良いことだし、何か目標があった方が練習に打ち込めると思ったんだよ」
そこまで言われて納得できたレスティだった。
「なるほどねぇ。さすがにその方法には気が付かなかったわ。あれならイリスも頑張って練習してくれると思うし、2週間までまだまだあるから、じっくり練習できそうでいいわね」
うんうんと頷くミレイは、先ほどの魔法の威力について話していく。あの盾はすごかった、完成度が高かった、とても綺麗な盾だったと、そういった事を他愛無い話として語りあっていた。
しばらく休憩をしていた二人は、お茶を飲み終えた頃合を見計らって、イリスのもとへ戻っていく。部屋をノックして返事を待った後、部屋へ入って行く二人。イリスはどうやら休憩しているようで椅子に座っていた。
「どう? 練習は上手くいってる?」
これに他意はない。ただの挨拶のようなものだ。……そのはずだった。
「はい! 良い感じになったと思いますよ!」
元気良く素敵な笑顔で答える少女に、二人は理解が追いつけずに目が点になっていた。あぁ、そうか、少し速度が上がってきたのかなと思った二人は、再び動き出したが、どうやら二人にはまだ理解できていないようだ。
……イリスがなにをしてしまったのかを。
そうとも知らないレスティはイリスへ上達具合を聞いたようだ。
「うふふ、それでどのくらい上達したのかしら?」
「えへへ、結構すごいかも?」
「あはは、それは楽しみだねー」
「うふふ、そうね」
それじゃあ見ててねと言いながら席を立ち、二人から少し距離を開けるイリス。うーん、と背伸びをして身体をほぐしていく。手にはミレイが渡した布の袋がある。
「じゃあ、いくよ」
ふぅっと息を整え、袋を舞わせるイリス。それを見ている二人に変化はまだない。だが次の瞬間、イリスの行動に凍り付いてしまう。
使う言の葉は〔盾〕。イリスは魔法を詠唱していく。
「盾となれ!」
瞬時に展開される魔法の盾、先ほどと変わった様子は無い。だが、舞っている袋が落ちる前に盾で受け止めてしまった。袋を盾に乗せたまま、イリスは二人を見てえへへっと笑ってこう話した。
「えへへ、どうかな? って、あれ? 二人とも、どうしたの?」
二人は口を開けてぽかーんとしていた。まるで心ここにあらずだった。開いた口が塞がらない、とはこの様な時に使う言葉で、それを二人は体現してくれているようだった。
そのまま凍りついた二人は、盾が消えて袋が床にぽすんと落ちた音で気が付いたようだった。すぐさますごい勢いでイリスに質問攻めをする二人。その剣幕にイリスはかなり身体を引いてしまっていた。
「なにあれ!? どういうこと!? なにしたの!?」
「おばあちゃんも聞きたいわっ。どうやったのイリス!?」
イリスはかなり身体を仰け反りながら答えていく。そしてその答えは二人の勢いで意味を成していないものとなった。
「ええっと……。なんか、こうなった、的な? そんな感じの……」
それじゃわからないよとすごい剣幕で顔を寄せる二人に、イリスは更に仰け反ってしまい、体勢を崩して床にぺたんとお尻から転倒してしまった。
その様子にはっと気が付いた二人は冷静さを取り戻し、イリスに謝りながら起こしてあげた。
「ごめんね、イリス。痛かったでしょ?」
「本当にごめんなさいね。ついつい熱くなっちゃったわ」
「ううん、大丈夫。ちょっとびっくりしただけだから」
笑顔に戻るイリスに、申し訳なさそうな二人であった。
* *
一階に戻った3人は、お茶を飲んで気分を落ち着かせてから、ゆっくりと先ほどの話をしていく。今度は焦らないように。
「それで、あれはどうやったのかしら? おばあちゃん何がなんだかわからなかったわ」
「うんうん、あたしも全くわかんなかった。一体どうやったのイリス。正直な所、天井に放った物を防御できる速度の魔法なんて、あたしは知らないよ?」
ミレイの信じられないその一言にイリスは目を丸くさせて物凄い驚いていた。
「えぇ!? あれ出来ない事だったの!?」
驚愕しているイリスに、ミレイはそのはずだよと答えて更にびっくりするイリスであった。
ちょうど落ち着きを取り戻した頃に、再びミレイが聞き直した。
「で、どうやったの、あれ。あたしにも何がなんだかわかんないよ」
「あれは詠唱を短縮してみたんですよ」
「え、詠唱の、短縮?」
驚くミレイにレスティが言葉を続けていった。そしてその言葉にも驚きが満ちていた。
「で、でもイリス。短縮といってもイリスの魔法は言の葉ひとつよね? さっきの言葉は属性の風が入っていなかったけど、あれじゃ魔法としては不完全なものになってしまうんじゃないかしら?」
言の葉を入れなければ、魔法は発動させられたとしても威力がかなり弱まる。これは常識である。そして先ほどの詠唱には言の葉は入っているものの、最低限必要とされている属性の言葉が入っていない。これでは魔法は発動しないというのも常識である。だが、"その常識はどこからの情報なのか"、という事をイリスはずっと考え続けていた。
「そうだね。でもそれも必要ないかもって思ったんだ」
「必要ないかもって、属性の風を詠唱から切ってしまうと、魔法として完成されないんじゃないかしら」
そのレスティの推察は正しい。言の葉ならまだしも、属性を削ってまともな魔法になるわけが無い。
「魔法として完成されないなら、盾が具現化するのもおかしいよね?」
そのミレイの問いも当たっている。そしてイリスはある言葉を述べていく。
「『基本的な魔法の使い方は、言の葉を自ら選び、どう力に変えるかを想像し発動させるというもの。ただし使おうとする言の葉の"質"によって、効果や消費するマナが変わっていくらしい。言の葉の数が増えたり、強力な言葉を選んだりすると、消費マナも激変する』」
その言葉にレスティは聞き覚えがあった。あれはたしか……。
「確かそれはイリスが魔法についてお勉強してた時のメモに書いてきたものの文章よね?」
「うん。私ね、ずっと気になってたんだ。なんでみんな気にしないで魔法を使っているんだろうって」
「どういうこと? あたしには全くわからないよ」
つまりね、といい始め説明していくイリス。そしてそのイリスが気になったという部分を聞いても、どうやら二人にはぴんと来ないようだった。
「なんでみんな『どう力に変えるかを想像し発動させる』という部分に引っかからないのかなって思ったの。これって私には、"想像する力を具現化する"という意味に聞こえるの。マナを練り上げ魔力にして、属性に変えて魔法として放つ。これが出来るなら魔法はかなり自由に使えるんじゃないかなって思ったんだ」
そして話は先ほどの属性なし魔法盾へと戻っていった。
「ふたりが部屋を出て行ってから色々練習してみたんだけど、どうやっても『風よ、盾となれ』では詠唱が長かったから、盾で袋を受け止めることが出来なかったの。それで属性である風を切ってみて魔法を唱えてみたら、本当に弱っちかったけど盾が作れたの。そして作り出した盾を強化するような想像をして更に魔力を込めてみたんだ。最初は上手くできなかったけど、何度かやってるうちに少しずつ魔力を込めやすくなっていった感じがあって、二人が来る少し前に上手く魔法盾が作れたの」
そしてそれが何を意味するのかをイリスは答えずに黙っておこうと思った。これはまだ確証は得られていない事だし、もしもこの推察が正しいのであれば疑問が大量に増えてしまうからだ。それはとても危険な考えのような気がした。さすがに軽々しく言えるようなものじゃないと。
イリスはさらっとすごい事を言っているが、これはミレイにはどこか聞き覚えのある事だった。
「……もしかして、あたしに教えてくれた"纏わせる"方法の応用?」
「そう、なるの、かなぁ?」
いまいち実感が持てないような、そんなあいまいな答えが返ってきたが、正直ミレイには信じられなかったし、あまり信じたくも無かった。
「……つ、つまりイリスは、あたしたちがお茶飲んでる間に、魔法の常識を壊した上で、新しく魔法を応用させて、それを完成させたって事かな……?」
「新しいかどうかはわからないけど、上手にできた、かも?」
「ミレイさんに教えたって言う"纏わせる"方法ってどんなものなのかしら」
頬に手を当てて首を傾げるレスティに、イリスはミレイに教えた魔法の応用を話していく。次第にレスティは驚愕の表情を浮かべていく。
「そ、そんな事も思いついたの?」
「その時はあくまでも可能性の話だったよ。本を読んで勉強してそう思ったっていう個人的で曖昧な想像だから、正しいかはその時にはわからなかったんだ。ミレイさんがその方法を試してみて、良い感じになったって言ってたから、もしかしたら同じように盾も強化できるかなって思ったんだ」
そう簡単に語る孫の凄まじさに驚愕するレスティではあったが、毎度毎度驚かされていたためか、イリスなら仕方ないのかもしれない、となまじ考える事を放棄したように思うようになりつつあった。
そんな中、急におとなしくなったミレイはイリスの視線からいなくなっており、イリスはミレイを探しはじめた。
「あれ? ミレイさん? どこ行っちゃった…… って、ミレイさん!?」
ミレイは部屋の隅で、膝を抱えて座っていた。その全身はまっしろな灰のようになっており、あたしは何日もかかったのに、お茶飲んでる間にイリスは、それも常識を壊して更なる応用とか、どういうことなの…… と、ぶつぶつと独り言をしていた。