"危険種と凶種の関係性"
あれから更に三日が経った頃、周囲の景色が変化した。
高い岩壁で囲われた峡谷とも言えるような道が、まるでうねるように続く。
幸いこのまま北東へは行けるように見えるが、実際にこの道で石碑へと辿り着けるのかは正直なところ分からない。
ただ、かなり近付いていることは理解できたイリス達だった。
それも漠然としたものではあるし、実際にどれだけ近いのかも未だに分からないが。
この道がレティシアや彼女の仲間達が通った場所ではないかもしれない。
彼女達が通ったのかもしれないし、別の場所を歩いていたのかもしれない。
それを判断することは残念ながらできないが、石碑が置かれている周囲を探索すれば、別の道を見つけられるとも思えた。
しかし、たとえアルリオン側から石碑を目指しても結局は深い森を進み、そう遠くないうちに人が踏み入れない場所に着いてしまうだろう。
恐らくはどの経路だろうと険しく、とても充填法なしには辿り着けないような、非常に危険な場所となっているのではとイリスは話した。
"暗闇の森"を進まないだけまだマシなんじゃないかなと、ファルは答える。
「そもそもあの森は、猫人種でさえ寄り付かない危険な場所なんだ。
何がいるかも分からないし、どれだけ魔物がいるのかも分からない。
もしかしたら危険種がごりごりいるんじゃないか、だなんて言われるくらいだからね。あたしは勿論、母さん達もパストラ姉達も、先代様も行かないらしい」
「危険種、ですの? 放置すると厄介な存在になる可能性は考えられませんの?」
シルヴィアの言う厄介な存在とは、女神エリエスフィーナが石版に残したという"魔獣"へと変貌を遂げないか、という意味である。
そもそも世界のどこに黒いマナが噴出すかも分からない以上、世界のどこにいてもその危険性はあると考えるのも、極々当たり前と言えることなのかもしれない。
危険種が今現在で文献として残されている"眷属化"してしまう可能性も捨てきれないが、それはないかもしれませんねとイリスは少々曖昧に答えた。
そもそも危険種から魔獣へ変貌を遂げた場合、相当の強さにまで上り詰めた危険種が更に黒いマナで強化されることになる。
そこに、並の肉体では耐え切れないほどの衝撃がかかるのではとイリスは考える。
それこそ魔石を食した魔物がその身体を維持できずに崩壊してしまうことと原理としては同じだが、受ける衝撃は遙かに大きいはずだ。
そしてもし危険種から魔獣へと変化するのであれば、この八百年という歳月で大変なことになっていたはずだとイリスは仲間達へ話す。
「想像も付かないほど高密度の人の黒い感情を凝縮したマナを浴びているのですから、その影響も凄まじいと考えるのが妥当だと私は思います。そういった存在が文献にも残っていない以上、危険種と魔獣は別の存在だと言えるのではないでしょうか」
「……なるほど。確かにそうであれば、辻褄が合うように思えるな」
「魔獣とは、一般的な動物か魔物が黒いマナに触れてしまった存在、ということが考えられます」
もしその推察が正しいのであれば、危険種とは地底魔物のようにマナを取り込みながら変化していった、若しくはある一定量のマナを採取した時点で激変した存在なのかもしれない。
危険種から魔獣への変化がないのであれば、女神の言うところの全てを一瞬で滅ぼす魔獣にはならない、ということにも繋がると思われた。
勿論これらの推察は仮定の話であり、それが真実かどうかはイリス達には判断ができない。
実際にそうであると思えてしまうような説得力を感じるイリス達だったが、全く違う答えがあるかもしれないという考えも捨てきれなかった。
「やはり全てを崩壊させかねない存在は、黒いマナを浴び続けなければ変異しないと思われます。エリエスフィーナ様は石版に魔獣についての記述を残してくださっていましたが、危険種については残念ながら一切書かれていませんでした。
凶種についての記載がなかったのは、"コルネリウス大迷宮"を最下層まで辿り着いた強者には必要ないとお考えになられていたのかもしれませんね」
人の踏み入れるような場所ではないと断言できてしまうような場所、ダンジョン。
ここを突破できる者など、この場にいる者達でさえも不可能だといえた。
唯一今のイリスであればそれも可能とするかもしれないが、とても一人では辿り着けないだろうともシルヴィア達だけでなく、本人でさえもそう思えた。
それを突破できた者が、危険種の情報を欲しているとは思えない。
そして凶種の記載も石版になかった以上、考えられるのは危険種の派生で凶種に変貌するという意味なのかもしれないとイリスは考えていた。
であれば、世界は安定を保てる、とも言い換えられるのではないだろうか。
当然、凶種は凄まじい存在だし、現在の世界で倒せる者はイリスだけかもしれない。
凶種のマナが尽きるまで戦い続けるしか勝利を見出せない現状で、一体どれだけ多くの犠牲を出すのかまるで見当も付かないが、イリスであれば安全とはいかないまでも、討伐することは可能とするだろう。
そんな凄まじくも凶悪な存在が、更に変貌してしまうとは思いたくもない、という方が正しいのかもしれない。いくら人の悪意の集合体のようなマナの塊であろうと、凶種がそれを強く浴びても魔獣化はしないだろうとイリスは考えているようだ。
想像していた以上に魔物との遭遇がない旅となっていることに驚きを隠せないが、安全に進めることはありがたいし、魔物がいないわけでもないらしい。
魔法の効果では峡谷の西北西と東南東には幾つか反応があることから、たまたまこの辺りにはいないというだけの可能性が高いと思われた。
必要以上に危険なことは避けていくイリス達が、その魔物の詳細を確認するために方向を変えることはなかった。
凶種の可能性もゼロではない以上、わざわざ歩いて危険に向かう必要など皆無だ。
大切な目的もあるため、流石に寄り道をするわけにはいかないイリス達は、楽しげに話しながら峡谷を進む。
食料品も果物や野草、キノコなどを採取したので、随分と潤っている。
魔物も存在するのであれば、いざという時にも問題ないと思われた。
現在まで戻る選択も考えることすらなかったのは、非常に幸運だったと言えるだろうが、それに驕ることなく、そして油断することなく渓谷を歩くイリス達だった。
流石に峡谷を登ることはできないほどの高さがある。
無理に昇る必要もない以上、安全な道を進んでいく。
こういった場所は崩落や落石の可能性も十分に考えられるので、気を引き締めながらいつでも回避行動を取れるようにしておくのがいいだろうと、ヴァンはここまでの旅で後輩達へと話していた。
落ちてくる岩の大きさにもよるが、もし巨大なものが降り注ぐことになれば、一気に命を刈り取られることになってしまう。
回避するにも、こう狭い峡谷では逃げる場所も限られるだろう。
あらゆる想定をしながら進むのが旅には欠かせないことではあるが、流石に大空洞以降、とてもではないが想像だにしないことが続いている気がしてならないイリス達だった。
周囲に警戒をしながらもそんなことを話し、峡谷をゆっくりと進んでいく。
流石にサーチとアラームに反応しないような魔物はいないと思いたいが、それも頼りきっては命を失いかねないこととなる非常に危険な油断に繋がるだろう。
気の休まる場所の少ない石碑の旅ではあるが、それでもどこか楽しげにしているように見える後輩達だった。




