"困った"問題
まだ朝日も出ないような早朝の噴水広場で、レスティは彼女を待っていた。
段々と空が白み始めた頃、彼女は広場まで走ってやってきたようだ。少女がその姿に気が付くと軽く手を振ってくれて、こちらもそれに応える。
やがてレスティの前までやってきた少女は、笑顔で挨拶をしてくれた。
「やぁ、おはよう、レスティさん」
「うふふ、おはよう、ミレイさん」
今日も早いねーと言いながらミレイは身体をほぐしていた。
さて、なんと言ったら良いのやらとレスティが悩んでると、どうやらそれに察して貰えたらしい。私も顔に出ちゃうみたいねと心で苦笑いをしつつ、それに答えていくが……。
「それでどうしたの? なにかあったの?」
「ええとね、何と言って良いのか未だにわからないんだけれど……」
うん? っと、首を傾げるミレイに可愛く思いつつも、レスティは言葉を切り出していく。
「実はね、ミレイさん。ちょっと問題が起こったのよ」
「問題、ですか?」
そのまま直接言ってもいいのかしらと悩んでると、ずばっとどうぞとミレイが言ってくれた。レスティはミレイにお礼を言った後、1拍置いて話し出す。恐らくミレイですら予想していないであろう事態を。
「イリスが防御魔法を完成させちゃったのよ」
「……ふぇ?」
ミレイは今まで出した事のない声が出てしまっていた。今、なんて? いや、聞こえていたけど、意味がわからない。でも、レスティさんはすごく困った顔をしている。という事はほんとに? ミレイは考え込むが、どうしても思考が追いついてこない。
「いやいやいや、ありえないでしょ、それは」
これが考えた末に出た彼女の答えである。さすがにそれはありえない事だ。あまりにも早すぎる。
「だってまだ二日目だよ!? それも練習期間で言うなら徹夜をしたって丸一日しかないし、いくらなんでも早すぎる」
「私もそう思っているのだけれどねぇ。あの子、何かコツを掴んじゃったみたいでね……」
取り乱すように驚くミレイに、頬に手を当ててはぁっと深いため息をするレスティ。
「……どうしましょう」
「いや、どうしましょうってレスティさん、いくらなんでも想像の範疇を飛び越えて、あたしの常識が国外へ旅立ってるんだけど……」
混乱しているミレイはそう伝えるも、未だに信じられずにいた。
「……規格外すぎて何にも浮かばないよ」
「本当に困ったわ。幸いルナル草がまだ生えていないのが救いかしら」
これは不味い。この事態は全く考えてなかった。確かに物覚えのいいイリスのことだから、すぐに魔法を手に入れるかもとは思っていたけど、それでも1週間はかかると思っていた。あのイリスでも、だ。
そもそも魔力の属性変換とは全く違う。あれは前の世界での経験が上手く重なったに過ぎない。魔法なんてなかった世界の住人がいきなり勉強して習得できるほど、簡単なものではないはずだ、魔法とは。
「「愛孫の出来の良さに私はびっくりだわ」」
ぽつりと呟いたふたつの言葉は、朝の鳥のささやきよりも小さく、静かに響いていった。
* *
レスティ家の2階空き部屋にて、イリスは魔法の練習をしていた。現在は夕食後のお茶会も終わり、お風呂に入った後だ。
だんだんと魔法盾のコツがわかりかけてきたイリスは、その使い方を考えていた。
イリスが使っている風の盾は一度使うと一定時間消えず、その場に維持する魔法盾のようだった。発動させてから使用者であるイリスが動くと、そのまま盾は発動した場所で残るようだ。
発動させられる距離はおよそ1メートラ前後といったところだろうか。試しに背後にも盾を作ってみたところ、問題なく作ることが出来るようなので、突発的に何かが起こっても対処がしやすい利便性が高い魔法のようだ。
さわってみても移動させることはできないようで、空中にくっついたようになってしまうらしい。
このまま放置してると、およそ1ミィルほどで消えるようで、もちろんこれは正確な時間はわからないため、大体そのくらい、としか言いようがないのだが。
不思議とイリスの周囲を覆わせた風の壁よりもマナ消費が落ち着いているようで、連続で2つまでなら出現させる事ができるようだ。
ただし、3つ目をすぐに使ってしまうと眩暈が起きてしまうので、私の魔力総量は風の盾2つとちょっと、ということになるんだろうね。
でも2回連続で使えるのはすごいよねきっと。そんなことを思っていた時に、部屋の扉がノックされた。はーい、と私が返事をすると扉が開いていく。
「おばあちゃん、どうしたの?」
「うふふ、イリスにお客様よ」
そう言われて扉の奥を見るイリスに、可愛らしい耳を乗せた女性が入ってきた。
「あ、ミレイさん、こんばんは」
「やぁ、こんばんは、イリス」
こんな時間にどうしたんだろうと思っていると、ミレイはその理由を答えてくれた。
「聞いたよイリス。もう防御魔法が出来ちゃったんだって?」
「はい、たぶん、としか言えないんですけどね」
苦笑いしながら答える私に、ミレイさんはあははと笑いながら確認しようと思ってねと話した。
「ありがとう、ミレイさん」
「正直驚いたよ。まさかもう完成するなんてね」
「なんとなくコツを掴めた、のかなぁ。それなりに立派な盾には見えるんですけどね」
それなりとはどういう事だろうかとミレイが首をかしげていると、横にいるレスティが教えてくれた。
「実はもう私の攻撃じゃ盾を壊す事ができないの。だからミレイさんに確かめてもらおうと思ったのよ」
「な、なるほど」
レスティは冒険者ではない。それなりに魔物への対処法を知ってはいるが、自衛目的程度のものしか扱うことが出来ない。世界を旅したとは言っても、冒険者に依頼し世界を護衛してもらいながら放浪したに過ぎない。
あくまでも彼女は薬師なのだからそれで十分ではあるのだが、今回ホーンラビットの攻撃に耐え得る防御魔法という約束事の確認については、さすがに本物の冒険者でないと判別できない事だろう。
それでもたったの二日足らずで、レスティの攻撃を守り通す盾を作り上げた事が既に驚きなのだが、イリスに期待させ過ぎても良くないので、あえてここは言わないでおく二人であった。
そこでミレイにお願いした、というのが理由の半分だ。正直な所、今朝噴水広場で二人が会った時に対処法がわからず、ミレイすら保留としてしまっていた。
と、とりあえず魔法の確認をしようか、とレスティに引きつった声で聞くと、そ、そうね。それでいいんじゃないかしら、と同じような声で返していた。
なかなかここまで混乱している二人を見るのは珍しい事ではあるのだが、時間帯が早朝ということもあり、誰もその姿を目撃する事は適わなかった。
恐らくイリスが魔法の練習をするであろう時間帯の夜に、ミレイはお邪魔したという訳だ。まずは魔法の確認を。もしかしたら、目標である攻撃力に耐えられない魔法である事も十分に考えられるのだから。
そしてそれまでの間に、もう半分のお願いである次の課題を用意しておくと言ってミレイ達は分かれていった。
「それで、どんな感じなのかな?」
ミレイは優しくイリスに状況を聞くが、内心ではかなり心が揺れていた。色々理由はあるが、魔法がホーンラビットに耐えられるものだった場合が一番困るようだ。
「いまいちどのくらいの強度の盾かわからないんですよ。おばあちゃんの攻撃を守っているので相当強いとは思うんですけど、ホーンラビットの攻撃事態が私には良くわからないので、それに耐え得るのか全く見当も付かないんです」
そう答える妹に若干引きながらも、ミレイは話を続ける。まずは確認してみないと、何とも言えないのだから。
「とりあえず魔法盾を使ってみて。今度はあたしが攻撃してみるから。作った盾は移動できるの?」
「いえ、その場に設置するような感じみたいです。私が移動しても、作った場所にそのままあるみたいですね」
所謂設置型の魔法というやつだっただろうか、とミレイは思いながら腰に下げている業物のダガーに手をかけ、鞘からゆっくりと引き抜いた。
「こっちの準備はいいよー。いつでも魔法を使って。危ないから盾を使ったら離れててね?」
「はいっ」
ミレイはダガーを構えず魔法の準備を待った。イリスはすぐに魔法詠唱に入る。属性魔法の時はもちろん、防御魔法を使い始めた頃と比べると魔法行使がかなりスムーズになってきている。
「風よ、盾となれ!」
イリスの前方へ魔力が収束していき、すぐに美しく立派な盾を発現させた。そのあまりの完成度に驚くミレイではあったが、イリスが離れたのを確認してからまずは攻撃してみる事にした。
正直な所、これに耐えられないのでは形など意味のないものだ。歪でもしっかりと防御出来る方が遥かに良いのだから。
ミレイの攻撃が盾へと向かう。そのあまりの速さにイリスには、ミレイが動き出してから攻撃が当たる瞬間まで瞬きすら出来なかった。
ガキィ!
鋭く響く斬撃音にイリスは一瞬びくっとなるが、盾の方は無事のようだった。物凄い音だったので、さすがに壊れたとも思ったのだが。
ミレイは一瞬眉を動かしたが、傍から見ると特に動じている様子はない。次はもう少し強めに切りつける。
ガキィン!
先ほどよりも大きな音を部屋へ響かせたが、盾は無事のようだった。
これにはさすがにミレイも驚いた。既に目標を達成している魔法ではあるが、気になる事が出来てしまい、もう一度攻撃する事にした。
ミレイは一瞬腰を落とし、一歩踏み込んでダガーを両手で突き刺した。
ガギイィン!
一瞬、ミレイの突きを抑えた魔法盾ではあったが、すぐに貫かれて形状を維持できなくなり散って消えていく。ミレイは突きの体制のまま冷や汗をかいていた。
ミレイが攻撃をする姿に目をきらきらしているイリスには気が付いていないようだ。自分が何を作り上げてしまったのかを。しばらくその様子で固まっていたミレイは、ゆっくりと体勢を戻し、ダガーを腰にしまってから口にした。声色は平常心に近いが、内心はかなり揺れていた。
「うん。いい魔法だね。これならホーンラビットにも耐えられるよ」
その言葉を聞いてイリスはぱぁっと明るくなって喜んだ。
「それじゃあ盾の耐久は合格でしょうか?」
「そうだね。これなら大丈夫だと思う」
この魔法盾は及第点どころではないのだが、その気にさせても良くないので、ここは言わずに今後のことを話し始めたミレイだった。
「ルナル草が咲くのはまだ2週間近く先みたいだから、まずはこの魔法の耐久性を落とさずに、早く魔法を発現出来るようにした方が良いと思うよ」
「具体的にはどのくらいの速さで使えるようになれば良いんでしょうか?」
イリスならそう聞くと思っていたミレイは、予め用意していたあるものを取り出した。それは小さな布製の袋を手に持っているようだ。イリスはそれをまじまじと見つめていると、ミレイはその説明をしてくれた。
「これには小さな石を布で包んだものが入ってるんだ。これを天井付近まで放り投げて、落ちてくる間に魔法を発動して布の袋を防御できれば成功だよ。それくらい早く発動できれば、危ない時の対処法としてはかなり良いと思う」
なるほど、とイリスは呟きながら袋を受け取った。
「いきなりはまず出来ないから、焦らずじっくりするといいよ。あたしはちょっと休憩して、しばらくしたらまた様子を見に来るよ」
笑顔で言うミレイに行ってらっしゃいと言いながら、イリスは真剣に魔法の練習に入っていった。それを見た二人は静かに部屋を後にしていった。