"仄暗い地の底から"
ファルの故郷であるセルナを旅立ってから随分と日が経った。
それでも未だ見えぬその目的地は、遙か彼方にあるかのように感じるシルヴィア達。
出立前の予定では二十日到着を考えてはいたが、それは様々な問題が起きることを想定しての目算であり、実際にそれが正しい距離なのかは正直なところ全く分からない。
寧ろ、想定通りに事が運ぶ方があり得ないだろうなとヴァンは話した。
石碑の場所は分かれど、正確な距離まではイリスにも分からない。
それは大雑把な方角を知るというような程度のものであり、それ以外は具体的なことが何ひとつ分からない旅となっていた。
だが、石碑が置かれている方向さえ分かれば、たとえ目的地を行き過ぎたところで理解することはできる。そういった意味では石碑を捜し歩くことはないだろう。
感慨深い街だった場所を移動して既に四日。
何もない草原から荒野へ、再び岩場になっていく地形に疑問符が抜けないイリス達。
八百年以上前にはもうなくなってしまっていたであろうあの街が存在するには、やはりこの周囲は厳しい大地だと言わざるを得ないような大自然が広がっているようだ。
せめて大きな森林でもあれば、人が生きていく上で必要となる食べ物の確保ができるだろうが、あれほど荒廃したとも思われる場所で生活することができるのかと聞かれても、素直に首を縦に振ることは難しいのではないだろうか。
当然北東へ進んでいるので、それ以外の方角をじっくりと調べたわけではない。
街の歴史に関わる何らかの手がかりとなるようなものも見つかるかもしれないし、少し離れた場所まで歩けば資源や食材が豊富に取れる豊かな大地が広がっている可能性も十分に考えられなくはない。
当然、荒野であろうと植物は存在している。
メスキートやサボテン、ユッカなどがそれである。
どれも食用として扱うことのできるもので、薬として用いられる植物もこれまで多数確認できていた。荒れ果てた大地のように見える荒野でも十分に生活することは問題ないと思えるが、それはあくまでも個人での話である。
大きな街で人が生きるには畑での作物栽培が必要不可欠になるし、あれだけの規模ともなれば相応の畑を作らなければならないだろう。
街門のようなものが見られなかったことも、今にして思えば気になるところではあるが、やはり様々な点から多くの人が生きるには不向きな場所と言えるのでは、という結論に達してしまう。
人が生活していた時代では、緑が溢れる豊かな大地だったのかもしれない。
そうであれば、これだけの規模を持つ街にも違和感を感じない。
では、それはいつのことだったのだろうかと考えてしまう。
それは決して答えが出ない疑問であり、それを知ることができない以上、考えることすら愚問だと言葉にする者もいるかもしれない。
それでも考えずにはいられなかった彼女達は、そんな話をしながら足を進めていく。
これまで通ってきた場所にも言えることだが、荒野と言えど植物があるのはごく自然なことだ。植物が一切なかった場所と言えばドライレイクになるが、あの場所だけは本当に特質的な地形となっているように今では思えるようになっていた。
あの場所が何故そうなったのか、かつて何があったのかは本当のところ分からない。
もしかしたら湖ですらなかった可能性もゼロではないかもしれない。
それを知ることは残念ながら不可能だと感じる一方で、それを知りたいと強く思えてしまうイリス達。
それが興味本位なのは自分達でも分かってはいるが、どうにも好奇心を搔き立てられてしまうとシルヴィアは話し、イリス達も彼女に賛同していった。
そう思ってしまうのも、それを知ることができないと理解しているからなのかもしれない。たとえそうでも思ってしまうのだ。この場所には何があったのだろうか、と。
それも全て、神と呼ばれる存在であれば知っているのかもしれない。
知識としてではなく、自分の眼でそれを見ているのだろうか。
もしそうであるのならば、エリエスフィーナ様にもう一度お逢いすることができれば、そういったことも全て教えていただけるような気がしてならないイリスだった。
「それにしても、また随分と険しい道なりになってきましたわね」
荒々しい岩が転がる道を歩きながらシルヴィアは話した。
以前歩いた岩山のような場所とも違うごつごつの大地。
急勾配にはなっていないので、落石に注意することはないだろう。
しかし、どんな危険が潜んでいるかも分からない。
突如として遠くから襲い掛かってくるような存在だっているかもしれない。
警戒を緩めるわけにもいかないが、見通しは悪くなく、周囲を目視する一同の目には魔物の姿は見られなかった。
「この辺りはかなり荒れている場所となっているが、それでも植物は生えているな」
「あれは何かのお薬になるのでしょうか、イリスちゃん」
ネヴィアの問いにそうですねと考えながら、生えている草を見つめていくイリス。
数箇所へ視線を向けた後、彼女は岩の間から伸びている草を幾つか指さしながら答えていった。
「とても珍しい薬草がありますね。
中でもあちらに生えているミープと、あちらに生えているティルザ。
この二つはかなり希少価値の高い薬草になります。二つとも未だ生息地を特定できない薬草ではあるのですが、これだけでは材料が足りずにお薬を完成させることができません。高山に生えている花と薬草が必要となってしまうので、残念ながら摘んでいくのは控えようと思います」
とても残念そうに答えるイリス。
彼女達薬師からすれば、貴重な材料を摘まずに放置してしまうことは、とても勿体無いことだと判断してしまうらしい。
先に述べた二つの薬草は、どちらも二度と見つけられないかもしれないというものではなく、希少ではあるものの入手困難なものではないと彼女は続けて話した。
冒険に必要となる薬の類はイリスのボンサックに全て入っている。この材料から作ることのできる薬は、風邪薬や胃腸薬といった一般的な病気に効くようなものではなく、使用者がとても限定された特殊な薬となるようだ。
「一体どんな薬ができるんですの?」
そうシルヴィアが尋ねるまでに時間はかからなかった。
寧ろこの問いは、ここにいる誰もが思ってしまう疑問となる。
ヴァンとロット達男性からすれば、必要となる薬以外は特殊な病を治す治療薬くらいしか用途が連想できなかったようで、見当も付かないといった表情を浮かべていた。
「この二つの薬草から作られる代表的なお薬は、"若返りの薬"と"長寿薬"ですね」
「…………なに、そのうさんくさいお薬は……」
思わず半目で聞き返してしまうファル。
どうやらシルヴィアも同じような表情をしているようだ。
他の三名はそれぞれ何とも言えない表情になっていた。
ミープを素材のひとつとして作られる"若返りの薬"は、その名の通りの効果を見せるようなものではない。当然と言えば当然だがそんな薬など世界には存在しない。
もしもそんな薬が作られたら、世界中から賞賛されることは間違いないだろう。
確実に後の世に名を刻むことは揺るがない、人類史上最大級の大発見となる。
あくまでもこの素材で作られた薬は、もうひとつの薬草であるティルザと同じような効果を持つ。尤もティルザを素材として作られたものは、塗り薬となる違いはあるが。
そのどちらも実際に年齢が若返るような効果はなく、ある意味では身体を元気にしてくれると言える効果をみせるとイリスは話した。
「美容と健康にいいとされ、お肌がぷるぷるのつやつやになるそうですよ」
「「ぷるぷるのつやつや!?」」
シルヴィアとファルの間にいるネヴィアを挟んで言葉にし、彼女はそんな二人へ視線を行ったり来たりさせてしまう。
しかし、そういった効果をみせるのであれば、ここにいる者達には不要なものではないかとヴァンが呟くも、シルヴィアとファルに勢い良く反論されてしまった。
「何を仰いますの!? お肌ぷるぷるつやつやは女性には重要なのですわ!」
「そうだよ! ぷるぷるつやつやしっとりもっちもちは、絶対必要なんだよ!」
「そうですわ! そこにうるうる具合も欲しいですわね!」
「む、むぅ……そ、そう……なのか?」
「「そうなんだよ!!」」
後ろに強く仰け反りながら二人に気圧されるヴァン。
そんな三人の姿に苦笑いが出てしまうイリスとネヴィアだった。
「……ね、姉様もファル様も、ヴァン様がお困りになられていますよ。
それにお二人はとてもお美しいのですから、お薬に頼らなくともよいのでは?」
「甘い! あまあまですわよネヴィア!」
びしっと人差し指を妹へ向ける姉。
その仕草に首を傾げてしまうネヴィアとイリス。
同時に頭を傾けた二人に、可愛らしさを感じるロットだった。
瞳を閉じ、こぶしを握り込みながらネヴィアに姉は答えていく。
「いいですか、ネヴィア。
今からお肌をお手入れすることは、とても重要なことなのです。
……そう、これは投資……。未来のお肌への投資なのですわ!!」
空へ向きながらクワッと瞳を開け、強く言葉にする姉に苦笑いしか出ない妹達。
そんな二人へファルは恐ろしい話を始める。
その声はとてもかすれたもので、地の底から響いてくるかのようなものだった。
「……お肌をほったらかしにしちゃうと、とっても怖いんだ……。
気が付いた時にお手入れを始めても遅いんだよ……。今は若いから気にも留めないだろうけど、これが後十年もすれば徐々にその歪が感じられるほどになるそうだよ……。
…………嫌でしょう? かっさかさのしっわしわに若くしてなるのは……。
……想像してごらん……。荒れ果てた大地のようなお肌を……。
……お水を弾かなくなるらしいと噂に聞く、恐ろしいお肌を……」
仄暗い地の底から這い出てくるかのような声で話す彼女に、"洗浄"を使っていれば不要な老廃物を全て綺麗にでき、普段からお化粧をしている女性よりもお肌を美しく保てますよとイリスが言葉にするまで、ファルの世にも恐ろしい話は続いていった。
そんな血の気を失った表情で恐ろしげに話すファルと、彼女の話を傍らで頷きながら聞いているシルヴィアがイリスの話にこれでもかと瞳を輝かせることになるのは、もうほんの少しだけ先の話となる。
 




