"眠らせる方法で"
どうやら眼前のそれは、"周囲地形構造解析"の効果では洞窟のように見えていたが、実際に内部を調査してみると巨大な空洞になっているようだ。
奥へと進みながら周囲の壁に触れていくイリスだったが、どうやらそれはあのダンジョンのようなものとは違い、彫り進められたと思われる形跡は見つからなかった。
だからといって危険がないかと言えば、そうではないだろう。
この先に待ち受けている魔物が、危険種並みの存在であることも考慮しなければならない以上、必要以上にシルヴィア達の緊張感が走ってしまう。
一行のぴりぴりとした空気を感じ取り、イリスは静かに言葉にした。
「大丈夫ですよ。
この場所はダンジョンではないと思います。
天然に広がる大空洞なんでしょうね、ここは」
イリスは天井を指差しながら、穏やかに話していく。
「見てください、天井を。……凄いですね、鍾乳石ですよ。
周囲にも沢山形成されていますね。中には地面にまで延びているものも。
ここまでになるには、何千年も、何万年もかかると聞いたことがあります。
そういった時間の重みを感じる場所を、私達は歩いているんですね……」
とても感慨深いイリスは、人がいたのかも分からない遙か彼方の時代を見つめる。
何万年だなんてとても人では体験することもできない悠久の時の中を、この場所は静かに過ごしてきたのだろう。
きっと訪れた者など少ないと思えてしまうような静かな場所で、イリスはその時代を感じ取るように瞳を閉じて余韻に浸る。
あのひとならば、時の流れを見守り続けているのだろうかと思いを馳せながら。
イリスの言葉で落ち着きを取り戻したシルヴィア達。
ネヴィアはダンジョンかもしれないという恐怖心から、シルヴィアとファルはあの忌まわしい場所と認識してしまい、神経質なほどに強くしていた警戒心から、ヴァンとロットは仲間達を護ることに集中し過ぎていたことから、一行は必要以上に意識を強めてしまっていたようだ。
イリスのみ冷静に行動ができているかと言えば、それも違うと言わざるを得ない。
彼女は大空洞とも言うべき場所を観察しながら、あのひとの事を思い起こしていた。
それは完全に集中力が切れてしまっているようで、大空洞の入り口を入るまでには確かにあった周囲への警戒が疎かになっていた。
こういった時間の流れを非常に強く感じる場所であれば仕方がないのかもしれないが、一番危険な状態とも言えなくもなかった。
当然それに自分自身で気が付いた彼女は周囲へと意識を向け始め、警戒を解いてしまった自分を戒めた。
いくら警報の効果が効いているとはいえ、いくら索敵による魔物の位置を把握しているとはいえ、危険な行為であったことには違いないのだから。
気を取り直して進む一行だったが、ここでイリスはひとつの提案をしていった。
この場所で魔物と戦うことなく、"願いの力"で眠らせる方法で進みたいと話した。
そう彼女が言葉にした理由はひとつである。
「鍾乳石を傷付けるわけにもいきませんものね」
静かに響くネヴィアの言葉に、イリスは満面の笑みではいと答えた。
残念ながら、現在確認できるだけでも十二匹ほどの魔物が存在するようだ。
しかし、どんな魔物であろうと戦闘すれば周囲に被害が出てしまう。
何万年もの時を経て創りあげたものを傷付けるなどできようはずもなく、できるだけあるがままの状態に留めておきたいとイリスは話した。
その言葉に頷き、了承していく仲間達。
それを壊す権利など、誰にもありはしないのだから。
しばらく歩いていると、"周囲地形構造解析"を始め、かけていた魔法の効果が切れてしまったようだ。
正確な時刻は分からないが、凡そ正午にこれらの魔法を使ったことから考えて、夕方の鐘が鳴った頃と思われる。
再び保護魔法と索敵、暗視を使い直して歩みを進めていった。
そろそろ休息にしようと考えていた頃合で、一匹の魔物と遭遇する。
こちらに気が付いていない存在に対し、イリスは"願いの力"で静かに眠らせた。
天井に張り付いていた存在が落ちて来るのを受け止めたイリス。五十センルほどの大きさではあるが、あの高さから落ちてしまえば地面にも影響が出ていただろう。
丁寧に横に寝かせた魔物を確認するように見ていくシルヴィアは、ぽつりと話した。
「……これはもしかして、ルーセットですの?」
「うん、そうだね。あたし達が倒した地底魔物の変異前、なのかもしれないね」
どこか切なそうに言葉にするファル。
寝かされたのはコウモリ型の、いや、コウモリから変異した存在と言えるだろうか。
大きい翼を広げれば、推定三メートラにはなると予想された。
これだけの巨大さにまで成長したのも、マナを取り込んでのことなのかもしれないが、その確かな答えを手にすることができないイリス達には、寝かせた子の魂が天上へ迷うことなく辿り着けるようにと願うだけだった。
「魂を送らなくて大丈夫か?」
心配したようにイリスへとヴァンは尋ねる。
だがイリスは、通常の魔物であればきっと大丈夫だと思いますと返した。
実際にどうなのかは分からない曖昧な答えになってしまうのだが、世界中で魔物が狩られている現状で、この子だけ特別扱いはできないと答えたイリスは、とても悲しそうな表情をしていた。
例外は危険種だとイリスは続けて話していく。
あれほどまでに"黒いマナ"の影響を受けてしまえば、正直なところ倒された場所に焼き付くように残ってしまうのではと、彼女はとても辛そうに言葉にした。
そういったどす黒い感情に動かされてしまっている存在であれば、やはりこの世界から天上の世界へと旅立つことができないのではと、イリスは思っているようだ。
もしそれが正しいのであれば、ガルドやザグデュスのように彼女が魂を導いてあげる方がいいだろう。
自分ではどうしようもなくなってしまう状態なのだとすれば、誰かがそれを導いて上げなければならない。
そしてそれができるのは、この世界においても自分にしかできないことなのではないだろうか。そう彼女は考えていた。
休息をしっかりと取っていくイリス達。
既に外は夜の鐘が鳴る頃合となると思われた。
女性と男性で分かれて四アワールずつ睡眠を、そしてもう二アワールを休息を取る。
これまでそうしてきたが、流石に洞窟での休息は初めての彼女達はしっかりと身体を休めることは流石にできなかったようだ。
少々残る疲労感をスタミナポーションで回復していく。
精神的な疲労はまだまだ大丈夫のようで、しっかりと回復ができたようだ。
現在においての薬はとても貴重なものではあるが、安全には変えられない。何か起きてからでは遅いのだから、常に万全に近い状態を維持しなければならないだろう。
それこそ、とんでもない存在が出現する可能性も捨てきれないのだから。
魔物を眠らせながら進み、眠らせ、また進む。そんなことを繰り返しながら進んでいくと、ようやく大空洞の終わりが見えてきたようだ。
どうやら先へ抜けられるようになっているらしく、徐々に光が差し込んでいた。
思わず笑みが零れてしまう一行だが、気を取り直して警戒しながら進んでいった。
眩しい光に目を覆ってしまう。
眼前に広がる景色に驚愕しながらイリスとファルは呟いた。
「……これ……は……」
「……凄いね……これは……」
感嘆のため息をつく一同。
大空洞を抜けた先は、果てなく続くかのような何もない白い大地が広がっていた。




