"驚きを通り越して"
神妙な面持ちのフェリエとヴィクトル。
言葉を失うとは、まさに今の状況を言うのだろうと二人は考えるも、その思考はそれ以上先へは進めずにその場を停滞しているようだ。
流石にそれなりの人生経験を積んできている二人をもってしても凄まじいと言えてしまうその内容に、驚くなという方が無理な話である。
しかし、イリスの話はまだ半分に過ぎない。
これからの話を彼女はまだしていないのだから。
食後に用意していただいたお茶を口に含みながらイリスは呼吸を整えるように一拍して、北東へと向かう話をしていった。ここより大凡二十日ほど遠くにあるとしか言えない最後の石碑の場所を伝え、今後彼女達が取る行動を説明する。
そして、ここから先へは徒歩でしか向かうことができないと予想されるので、エステルをセルナで預かって欲しいという旨も伝えていった。
これについては即答でもって快諾してくれた二人に感謝をするイリス達だった。
非常に辛い選択ではあるが、先に何が待ち受けているかも分からない以上、彼女を連れて行くことはやはりできないだろう。
食料品や薬を持ち込み、まずは石碑まで半分と思われる場所を目指し、装備の状況を考えながら先に進むか引き返すかを仲間達で話し合おうとイリス達は決めていた。
可能であればそのまま進みたいところではあるが、本当に危険な状況となった場合は無理をせず、安全を最優先に行動を取らなければならない。
命はひとつなのだから。
失われてしまえば、もう二度と戻らないのだから。
イリスの言葉にファルも続く。
自分もイリス達に付いて行くと。
非常に強い意思を込めて両親へと伝えていった。
随分と考え込んでいた夫妻だったが、瞳を閉じながら深くため息をついたフェリエは再び瞳をゆっくりと開け、イリスへと言葉にした。
「……正直なところ、想像していたものを遙かに凌駕している事態に、驚きを通り越して思考が止まってしまいました。
ですが……そうね……ファルがそれを選んだのなら、私達は止めません。
……いえ、元より止めることなどできません。私達は猫人種ですから」
「……母さん」
「そうだね。私も反対はしないよ。
ファルが自分で選んだ道なのだから、親が口を出すものじゃない。
アルト様の教え通り、自由に行っておいで」
「……父さん」
それにしてもとヴィクトルは続けて話す。
イリスの話によれば、ここよりも北東に位置する場所となるようだ。
「"暗闇の森"は危険極まる場所。私達でさえもそれほど奥へと行ったことはありません。その先の情報を知る者も、セルナにはいないでしょう」
「……そうだ。先代様なら何か知ってないかな?」
彼女ほどの人生経験と技術を持ち合わせている者は、このセルナにはいない。
技術と強さという意味では既にフェリエの方が遙か高みにいるが、知識という意味では彼女であればと期待をしてしまうファルだった。
しかし、残念ながらそれは難しいとフェリエは話す。
彼女も"暗闇の森"へは殆ど進んだことがないと話していたらしい。
どうやら目的地へは、誰もが行ったことのない場所となるのは間違いないようだ。
だがそれも想定していたイリスは、ここまでの経路で考えていたことを話していく。
「私の魔法であれば、広範囲の地形を知ることができます。
それをしっかりと使えば、近道のような場所も見つかるかもしれません。
正直なところ、"暗闇の森"を進むのは非常に危険な予感がします。
回り道をしてでも森を避けるべきかもしれません。
漠然としたものではありますが、そんな気がするんです」
いつになく不安な気持ちを感じさせる彼女の言葉に、シルヴィアとヴァンは尋ねた。
「イリスさんの"暗視"を使えば、たとえ暗闇でもよく見えるのではないかしら」
「うむ。それに"消臭"や"潜伏"、"気配遮断"を使えば、ある程度は必要以上な危険を回避しながら進めるのではないだろうか」
二人の言うように、これらの魔法や"防音空間"などの効果を目一杯効かせれば、安全に目的地へと行けると思われた。
しかしイリスはそれを否定していく。
これらの魔法に頼ることは非常に危険だと。
使わない選択肢はないが、それでも過信は非常に危ないと彼女は話す。
「ダンジョンで遭遇した地底魔物は、"気配遮断"の効果が軽減される程度でしか表れていませんでした。恐らくは私のマナが隠しきれずに溢れた微量のものを感知した可能性があると考えています。
"暗闇の森"に地底魔物のような存在や、危険種に近い強さを持つもの、更には全く異質な存在もいるかもしれない点を考慮すれば、これらの魔法を使ってもこちらを見つける可能性があると考えた方がいいかもしれません。
魔物の数もどれほど存在するのか分からない以上、軽いスタンピードのような事態を招くことも私は危惧しています。……私達の方へ向かって来るなら対処もできるかもしれませんが、フェリエさん達のご迷惑にもなりかねません。
可能な限り、森は避けるべきと私は思います」
確かにそうかもしれないと思う仲間達。フェリエ達もイリスの考えに頷く。
未知の場所を進むくらいなら、多少遠回りでも迂回するべきだと判断するのは当然かもしれないが、だからといって大回り過ぎても時間がかかり過ぎる。
さてどうするかと考えていたイリス達へ、ヴィクトルはひとつ提案をしていった。
「……ここから東北東の浅い森を抜けて行くのはどうでしょうか。それならばもしかしたら"暗闇の森"を通ることなく北へと進める道もあるかもしれないですから」
「あの方角へも私達は行ったことがありません。ツィードまでは相当離れているため、誰もあの辺りは行かない土地となるでしょう。未知な場所という意味では変わりませんが、それでも深い森以上の暗い場所へは行かない方がいいと私も思います」
「……正直に言うとさ、あたしもあの森は行かない方がいいと思うんだよね。
あの森は尋常じゃないほど暗いし、何よりも怖い気配がするんだよ。何かは分からないし実際にはいないかもしれないんだけどさ、正直入らない方がいいと思うんだ。
イリスの魔法があればある程度は安全に進めるとも思えるんだけど、ルンドブラードで遭ったガルドや、エグランダ鉱山にいたザグデュス並みの強さを持つ魔物と遭遇したら、今度は無事じゃ済まないかもしれない。
あたし達はまだまだ経験が足りなくて、イリスの強さの足元にも及ばないからね」
こんなことを口にしたくはなかったが、真の覇闘術を体得したファルでさえも、残念ながらイリスには遠く及ばない強さにしか届いていない。確かにシルヴィア達よりは強いと言えるが、それも練度の差を考えれば未熟であることは変わらない。
アルトと比べることさえできないほどまだまだ修練を必要とする状態では、これまでと同じようにイリスと肩を並べて戦うことはできないとファルは感じていた。
そしてそれはシルヴィア達も同じような気持ちだった。
ダンジョンの時のようにただ待つことしかできないことや、たとえ共に行動をしたとしても、最終的にはイリスを置き去りにして逃げていた自分がいた。
確かにあの時、シルヴィアがいなければファルもどうなっていたか分からない。
いや、仲間の為にと決意したことでアルトの知識の一部を開放できたのだから、恐らくは最悪の状況となっていただろう。シルヴィアの存在はなくてはならなかった。
だがイリスをひとりで死地に置いてしまった事実は変わらない。
あんな思いをするくらいならばと思わなかった日は無い。しかし、現実的にそれしか選択することができなかった状況で、どうすればいいのかなど一つしかないだろう。
あの時、彼女達が選んだ答えは間違いではなかった。
それでも思わずにはいられない。
もう二度と、あんな思いはしたくないと。
だからといって、この短期間で何が変わったというわけではない。
急激に強くなったわけでも、言の葉を極めたわけでもない。
しいて言えばマナの総量がかなり上がり、よりブーストを維持した状態で戦闘を続けることはできるが、魔法の練度を上げなければ強くなったとは言えないだろう。
ひと月やふた月程度で、劇的に強さが変化するようなものでもない。
残念ながらセルナで修行をしたところで、大した成果は得られない。
圧倒的に時間が足りないと言える状況でできることなど、本当に少なかった。
悔しい。
シルヴィア達は一言そう思う。
しかし、一年半という短い時間で言うのならば、彼女達は十分強くなっている。
彼女達は既に"剣聖"と呼ばれている最高峰のプラチナランク冒険者ですら、強さという意味では遙かに凌駕している。
残念ながら経験や練度という意味では、ルイーゼやエリーザベト、そして目の前にいるフェリエとヴィクトルよりも弱いと言えてしまう。
徐々に母の背中に追いつきつつあるシルヴィアでさえも、未だ届かぬ強さしか持ち合わせていない。その現実が、彼女達に重くのしかかる。
そんな想いを肌で感じているイリスではあったが、修行をしている時間はないと確信していた。本音を言えば、今すぐにでも出立した方がいいと考えているほどに、残された時間は短いと思っているようだ。
だが、これは言葉にはできない。
何故そう思うのかという問いに答えられない曖昧さは残るし、それを言葉にした時点で仲間達を不安にさせてしまうだけとなってしまうだろう。
未だ確たる解決法が見出せない以上、早急にレティシアと再会しなければならない。
逢って伝えたいこともある。聞きたいこともある。
彼女であれば、いや、彼女と話すことができれば、恐らくは"答え"を導き出せる。
そうイリスは思いながら、口を噤んでいた。




