"言の葉"
「それじゃあ見ててね、おばあちゃん」
イリスが瞳を閉じ意識を集中し魔力を込めると、徐々に淡い緑色の風で覆われていく。その状態で言の葉を込めていく。使う文字は〔守り〕と属性の風だ。イリスは瞳を開け、魔法を唱えた。
「風よ、守れ!」
ふわっとイリスを覆っていた魔力がイリスを囲うように周囲へ壁のように張り巡らせた。どうやら成功のようだ――
* *
お店に帰ってきたイリスはレスティに挨拶をした後、早速報告をする。
とは言っても、今回は調べた事を全部伝えたわけではなくて、言の葉について調べたよ、という程度のものではあったのだが。
「魔法はマナの消耗が激しいから気をつけてね? マナポーション・小も近くに置いておくと良いわよ」
「そうなの? やっぱり言の葉を使うとマナの消費量が激変するみたいだね」
言の葉とは、魔法を発動させる際に威力を込めることが出来る言葉のことだ。魔法を使うのなら必須とされており、この言の葉の数を増やす事で威力を激増させる事ができる。
もちろんその分マナの消費量も激増してしまうので、しっかりと自身の出来る範囲をしておかないと、1回の魔法を行使するだけで意識を刈り取られる事になる。これはすなわち、命を刈り取られる事に繋がってしまう場合が多い。
そして言の葉の質によってもマナの消費は変わっていく。
例えば火の属性。〔火の玉〕と〔火柱〕の違い。これが言の葉の質の違いだ。更に〔燃え盛る〕、などの強烈な言葉。前者の〔火の玉〕と〔火柱〕は単純にどちらかしか選べないが、別の言葉である〔燃え盛る〕は更に追加させる言の葉となる。
つまり、『火の玉よ、敵を撃て!』は言の葉がひとつ。同じく変えるだけの火柱は同義であるが、例えば『火の玉よ、火柱となりて、敵を撃て!』などの2つが重なる場合は、先に発動させた言の葉が優先され、火の玉のみが魔法として行使できるようだ。
当然、〔火柱〕は発動できないので消費もないのだが、これでは魔法の詠唱としては不完全となってしまう。
そして〔火の玉〕と〔火柱〕という言葉の質の違いにより、威力が変わっていくことになる。消費マナの差も多少違うが高威力を求めるのなら、前者ではなく後者である〔火柱〕のような質の高い言の葉を選んでいく必要がある。
ここに〔燃え盛る〕という言葉を取り入れると、威力とマナ消費が激変する事になる。『燃え盛る火の玉よ、敵を撃て!』、この状態だと火の玉以上の炎となりつつ敵を攻撃する事ができる。もちろん火柱に変えれば威力も増える。
言葉の前後はあくまで発動させる言の葉の優先順位であるため、言葉を入れ替える事に意味はないようだ。
言の葉を複数追加する事で威力も激増させられるが、当然マナの消費量も激変してしまう。更には強い言葉を入れることで威力も激増させる事ができる。大切なのは言葉の質なので、接続詞はどうでもいいようだ。
また、『火よ放て』だけでも魔法を発動する事が出来る。この場合、火は言の葉として扱われずに"魔法の属性"として認識される。炎という言葉も同じと思われる。属性だけの言の葉を含まない魔法の威力は弱く、対魔物用としてはとても使える代物ではないようだ。
ただし、属性の火を炎にするだけで威力は上がる。これは属性の質が上がった事によるものであり、言の葉を使っているわけではないので、多少、火よりは消費は増えたものの、燃費が良くそこそこの威力が出ている魔法となる。
このように言の葉を使わなくても発動が出来るという点と、消費するマナが非常に少ない点を考慮して、魔法に重きを置いていない冒険者や、戦闘をすることがない一般人にも広まっている利便性のある魔法として親しまれている。
俗に生活魔法とも呼ばれているものだ。特に火属性と水属性を持つ者にはとても重宝されているようだ。
だがいくら質を上げた所で、対魔物用としては不十分といえるほどの威力となってしまい、威力を上げるにはどうしても言の葉を使うしか方法がない、と基礎魔法学には書かれていた。
尚、これはイリスの多大なる努力と、削られ続けた精神によって導き出された情報である。恐らくこの情報を知り得るのは、同じように本から学んだ者から師事するか、自らの努力で学んだ者だけである。
話を戻すと、逆に言うのならば、言の葉複数と強力な質の言葉を入れることで、途轍もない威力を発揮させてしまう事となる。これが図書館でイリスがはじめて魔法について調べた時に言っていた『強すぎる力』である。
例えるなら、〔焼く〕〔灰〕〔燃え盛る〕〔猛火〕、以上の言の葉から魔法を発動させる為に詠唱してみると、『燃え盛る炎よ、猛火となりて、敵を焼き尽くし、灰燼となせ!』、となるだろうか。
これは4つの言の葉と、強力な火属性の質である炎に、猛火、灰燼というかなり強烈な質の言の葉を使っている。
これを魔物に当てることが出来れば、まず通常の魔物で立っているものはいないだろう。だがマナの消費も凄まじく、ここまで強力な魔法が使える者は、恐らく世界には存在しないと思われるほどの強大な魔法となってしまうだろう。
マナの消費が凄まじいため、魔力総量の足りていない者が魔法を行使した場合は、消費できるマナまでの発動となってしまい、2つ、乃至は3つの言の葉のみの発動となってしまう。
だが、途中で魔法を切られてしまった形となり、中途半端な詠唱となってしまう為、言の葉の繋ぎ方次第ではあるが魔法自体が正しく発動されず、更には意識を刈り取られるという最悪の結果となってしまう。
要するに、魔法を詠唱するだけならば誰でも出来るのだが、完成させた詠唱として魔法を発動させられない、という意味だ。
故に魔術師は、自身が放てる魔法とその回数、言の葉の消費と種類、自身の魔力総量を把握した上で、状況に合わせた戦い方をしなければならない。
当然、威力も物理で叩くよりは遥かに強大な力ではあるのだが、以上の制限とも呼べるものから、単純に剣や槍などの武器で戦う冒険者が殆どとなり、ハリスのような魔術師はとても少ないという事にも繋がってしまう。
その少ない魔術師の中でも殆どの者が自身の手に余ると判断し、ある程度の威力の魔法で戦う事がとても多いようだ。
だが、これは一般的な常識の範疇として語られているものである。主に本で学んだ魔術師から後輩や弟子に伝えていったものが、現在いる魔術師の主流となっており、実際の所これは、言うなれば本の知識というものだ。
イリスが以前ミレイに伝えた魔法の応用と言っている代物は、魔法の応用などではない。言の葉ですらない。これに今現在気が付いているものは、どうやら存在していないようだ――。
* *
そして冒頭へと戻る。現在は夕食後の幸せなひと時も終えた夜である。ここは2階のイリスの自室の向かいにある空き部屋だ。どうやらイリスがちょろっと使ってみたら出来たと、1階へ降りてきて興奮気味にレスティに語っていた。
レスティは少々驚いたものの、そのままイリスに付いて行き、空き部屋の片隅で魔法を見学しているようだ。
魔法を初めて発動させたイリスは、きゃっきゃ言わんばかりに喜んでいる。どうやら魔法が成功しているようだ。ここまで魔力を具現化できれば、基本的には魔法を維持するのにマナの消費もいらないものもある。
例えば今、イリスを覆っている魔法の壁。一度発現させれば一定時間はそのままの状態を消費なしで使えるようだ。
逆に維持が必要な魔法もある。周囲を覆いながら発動させ続けるようなものだ。その代表的なものに補助魔法などが考えられる。自身の能力を上昇させる魔法で、維持するだけでマナが減っていく類のものだ。
さて。今現在、イリスの周囲には美しい風の色をした壁が綺麗に覆っていた。喜ぶイリスにレスティは微笑ましくするも、彼女の周囲を覆っている壁を見つめ続けていた。その視線に気が付いたイリスはどうしたの? とレスティへ聞いてみると、彼女は自身が感じたことを話してくれた。
「うーん。さすがにこの魔法じゃ危ないんじゃないかしら?」
「うん? どういうこと?」
「私の予想では耐久力がなさそうな魔法に思えるのよね」
そう言われてみると大したマナの消費もなく使えたような気がする。でも言の葉ひとつだし、低燃費なのも当然かもとも思ってしまうが、イリスは気になるので、レスティに試してもらった。
「おばあちゃん、これに攻撃してみて?」
「いいのかしら」
「うん。いいよ」
「……大丈夫かしら」
若干不安になるレスティだったが、目的のホーンラビットに耐えうる力でないと採取に行かせられないわけで、いきなり魔物で試す事など以ての外だ。仕方なしにレスティは風の壁に攻撃してみる事にした。
「えいっ」
その技の名はチョップ。まさかの王国一の薬師と呼び声の高いレスティが素手で攻撃してくるとは、さすがのイリスも目が点になってしまうが、それも次の瞬間にはそれどころではなくなってしまう。
パキィンとガラスが砕かれたような大き目の音が室内へ鳴り響き、イリスを覆っている壁が軽々と壊されてしまっていた。
「あらあら」
「あれ? あれ!?」
驚くイリスと何となく予想していたレスティ。まさかこんな簡単に壊されるとは思っていなかったイリスは、目を丸くしたまま思考が止まってしまっているようだ。
「うふふ、随分可愛らしい壁だったわね」
「私には強そうに見えたのに……」
「でもこんな短期間に魔法の壁を作り出すだけでも、とてもすごい事なのだけれど」
「そうなの?」
「一般的にはそうだと思っていたのだけれど、やっぱりすごいわね、イリスは」
魔法とは本来、並々ならぬ修練が必要とされる。……筈ではあるのだが、どうやら風属性を既に操れるようになったイリスには、あまり関係のない事のようだった。
だが、さすがにこんなぺらぺらの魔法壁では、とても魔物の攻撃に耐えられるものではない。
「残念だけどこのままじゃ危ないわねぇ」
「そうだよね。ちなみに今の攻撃って思いっきりしたの?」
「いいえ、相当軽めよ。強めの肩たたきくらいかしら?」
その表現はちょっとよくわからないよおばあちゃん、とイリスは思いつつも、相当軽めという意味は伝わってきた。
あれじゃだめなのかぁ。だとすると言の葉を増やす? ううん、試してはいないけど、今の私じゃきっと意識なくなっちゃうね。ならどうすれば。
イリスはメモを見ながら悩むように考えていた。そんなイリスを暖かい眼差しで見守るレスティ。ふと、イリスは何かに気が付いたようになり、しばらくするとメモをしまい、もう一度魔力を高めていく。
そうだ、さっきのじゃだめなんだ。それなら少し変えてみる。〔守り〕じゃだめだ。きっと言葉が曖昧すぎるんだ。言の葉として使うのなら、こうすれば――
意識を高め魔法を発動する。今度は違う言の葉で。
「風よ、盾となれ!」
イリスの前方に丸い盾が現れていく。どうやら今度も魔法が成功したようだ。やったという喜びの顔を浮かべつつ、胸の前で両手のこぶしをぐっと握るイリス。そしてそれを驚きで目を丸くするレスティ。どうやら魔法の発動はもう問題ないようだ。
「どうかな? おばあちゃん」
「どれどれ」
同じように強めの肩たたきをするレスティだったが、今度はぴしっと音をさせてレスティの手を止めたようだ。
「おぉー、今度は成功っぽい?」
「確かにさっきより強くなってるみたいね」
少しほっとした表情のイリスは答えていく。要は魔法を周囲に張るのと盾に集約する事との違いだ。身体を覆っていた風を盾に集約することで威力を上げた、というわけだ。
だがどのくらいの強さかがわからない。さすがに強く叩くとレスティの手が痛いし、威力に限度がある。それならばと、イリスをそのまま待たせレスティは部屋と一旦出て行く。
すぐに戻ってきたレスティは、昔愛用していたダガーを持ってきたようだ。危ないから動いちゃだめよとイリスに念を押し、鞘から剣を抜いてダガーで盾を切り付けるように攻撃する。かなり様になっている動きでイリスはびっくりするが、やはり次の瞬間にそれどころではなくなってしまった。
パキィンとさっきと似たような音をさせて、盾は崩れていった。再び目を丸くするイリス。今度は先ほどよりもびっくりしているようだ。
「あれ? あれ!? なんで!?」
「あらあら、今度はそこそこ強い盾だったわね。でも私なんかの攻撃で壊れちゃうようじゃ、まだとても危ないわねぇ」
「うーん。なんでだろう」
「うふふ、まだ一日なのよ? これだけ魔法を使いこなしてるだけでも相当すごいことなんだから」
「そうなのかなぁ。なんだか簡単に壊れちゃう魔法しか使えてない気がする」
そうそう強い魔法なんて発動できないわよとレスティは言ってくれるが、どうやらイリスにとっては納得が出来ていない様子だった。
この後も色々試した魔法で盾を作っていくが、レスティの攻撃を凌ぐ盾を作る事は出来なかった。
この日、飲んだマナポーションの透き通るようなさわやかな味と、身体に染み渡っていくような魔力の回復を、イリスは初めて知るのであった。