より良い"選択"を
レスティの朝は早い。鐘が鳴るずっと前から起き出し、店内の掃除と店外の掃除をし、朝ごはんの準備をする。ちょうど朝ごはんが出来る頃に鐘が鳴りだし、しばらくあとに可愛い孫が起きてくる。そんな毎日が彼女にはとても幸せであった。
だが今朝に限っては、そうは言っていられない状況であった。考え事をしながら珍しく噴水広場のベンチで座っていたレスティは、そこで早朝訓練で通りがかったミレイと出会う。
こんな朝早くにベンチに座っている人もいない為、とてもよく目立っていたらしい。レスティが見えるとまっすぐミレイは近づいてきたようだ。そのまま朝の挨拶を口にすると、レスティはミレイの存在に気が付いたように顔を上げた。
「おはよう、レスティさん」
「え? あら、ミレイさん、おはよう」
ずいぶん考え込んでいたらしい。どうしたんだろうとミレイは思うが、こういう場合は聞くよりも待った方がいいと判断し、普通の会話を続けていった。
「今日も言い天気になりそうだねー」
「うふふ、そうね。きっと晴れるわね」
そう言いながらミレイは身体をほぐすように伸ばしていく。少し走り込んでいた為、彼女にとっては丁度良い休憩になっているようだ。
ミレイの朝も早い。朝早くから自己鍛錬を欠かさない。今頃レナードとオーランドは、昨夜飲んだ酒が効いていてまだ眠っているだろう。ハリスはそろそろ起きて魔法の修練を始める頃だろうか。
ミレイはパーティーメンバーの誰よりも早く起き、誰よりも鍛錬をしていた。無理のないように、怪我をしないように努力を重ねてきた。全ては前へ進むために。今の自分よりも、パーティーメンバーよりも、ロットよりも、前へ進むために。
以前、『ロットには勝てる見込みがまったくない』とイリスに答えていたが、あれは今のミレイなら、という意味だ。一時は腐りそうになった事もあったが今は違う。イリスがいるからだ。あの子を護るためなら、ミレイは何だってする勢いで努力を重ねている。
ロットには勝てる見込みがない? 速さだけなら勝てる? 冗談じゃない。必ず追いついて、追い越してみせる。イリスを護るのはロットだけじゃない、あたしも護るんだ。
そんな強い意志から彼女は毎日努力を続けている。全ては大切な妹の為に。そしてそれこそが自分の為にもなっているということに、ミレイは気が付いていた。
レナードさんたちには悪いんだけどね。あたしはあたしの大切なものを見つけちゃったんだよ。今度ちゃんと説明して許してもらわないとね。いきなりパーティーを抜けたりはしないけど、それでもイリスとの時間を大切にしたいんだ。そうミレイは思っていた。
どうやら彼女の決意は固いようだ。もう揺るがないほどに。
身体をほぐし終わる頃、躊躇っていたレスティはゆっくりと話し始めた。それがミレイにはとても嬉しく思えた。それはミレイを信じてくれていないと話さない事だったからとても嬉しかった。
だが、徐々にその言葉を聞いたミレイは眉をひそめてしまった。それはだめだ、それは簡単に容認できない。最悪の場合、イリスは……。
「――まさかこんな早く来るとは思ってなくてね」
* *
昨晩、レスティの話を聞いた後、イリスはひとつの頼みごとをしていた。だが、レスティは、その言葉を聞いて頭が真っ白になってしまった。一瞬言ってる意味すらわからなくなったくらい、彼女にとってはとても衝撃的なものだった。
「もうひとつおばあちゃんにお願いがあるの」
「うふふ、なにかしら」
この時のレスティには知る由もなく優雅にお茶を飲んでいた。次の一言に一瞬とはいえ、自身の理解力では追いつかない言葉が出てくるとは思いもしなかった。
「ルナル草の採取は私が行きたいの」
「……え?」
完全に固まるレスティ。一瞬のことではあるのだが、イリスが言った意味を理解できなかった。以前、聖域の話をした時に、イリスは行ってみたいと話してたから、いずれはそんな日も来るだろうとは思っていた。でもまさか、こんな早く行きたがるとは思ってもみなかった事だ。なぜならイリスは……。
「る、ルナル草は聖域にあるのよ?」
「うん。理解しているつもりだよ」
凍りついた思考をなんとか奮い立たせ、引きつりつつも言葉を発してみたものの、どうやらイリスの意思の強さに気づかされてしまっていたレスティだった。
だがなにもイリスが行く必要はない。ルナル草の詳細を教えて、ミレイ達にお願いすればいい事だ。浅いとはいっても、森を抜けて聖域まで行こうとしなくてもいいはずなのに。
そんなことを考え続けていたレスティに、痺れを切らしたようにイリスは話した。
「だめ、かな?」
直ぐにだめとは言えないレスティ。これは自分の為に行きたいと言ってる訳ではない事が良くわかっているからだ。
だが正直認められるものでもない。直接見ていた訳ではないが、草原での出来事を聞いてしまったからだ。恐らくこれはミレイやロットでも反対するはずのものだ。
なんとか上手く納得させられないものかと考えつつ、レスティはイリスに優しく質問をした。まるでそうしなさいと言うように。
「冒険者さんに任せたら良いんじゃないかしら?」
「それも考えたんだけど、どうしても私が行きたいの」
イリスは完全に決意をした瞳をしている。だがレスティにはそれでも簡単に認めるわけにはいかなかった。しばし考えても一向に良い答えが見つからず、結局レスティは保留する事を選んでしまった。
「……少し、考えさせてちょうだい」
「うん」
そのひとまず保留という考えに、少女は綺麗な瞳ではっきりと応えた。
* *
そして現在に至る。早朝のベンチで悩んでいた所にミレイと会えた。これは運が良いのか悪いのか。正直な所、今のレスティには判断する事はできないが、これも何かの意思のように思え、一人で抱え込むよりは事情を良く知るミレイに話すのもありなのでは、とレスティは思っていた。
「イリスがね、自分でルナル草を採りに行きたいと言って来たの。いつかは自分から言い出す日が来るとは思っていたけれど、まさかこんな早く来るとはさすがに思ってなくてね」
心の内を話してくれたレスティの言葉を、真剣な表情で聞いてくれたイリスの姉は、表情が驚きに変わっていきながらも、しっかりとその言葉を聞いたあと静かに口を開き、レスティへ聞き直していく。
「ルナル草って聖域に生えてるんでしょ?見たことはないけど、聖域なら知ってるつもりだよ。イリスは本気で言ってたの?」
ミレイは信じられないような顔をしていた。そうだ、これはただの薬草採取ではない。イリスがその場所まで行くという事が、イリスにとって全く別の意味に変えてしまう可能性がある。
その事を身に染みてわかっているミレイは、険しい顔をしながらレスティへ答えるが、どうやらレスティと同じ考えのようであった。
「あたしは反対だよ。イリスには厳しいと思う。まだ早い、と言った方がいいのかもしれないけど」
その答えをレスティは予想していたようで、同じ答えをミレイに話した。
「私もよ。今のイリスにはとても行かせられないと思うわ」
「なら――」
「とても強い決意の瞳をしていたの。美しくて純粋で、真っ直ぐな瞳を。あの瞳をしたイリスを納得させるだけの言葉が、今の私にはいくら考えても出て来ないの……」
あの瞳は揺るがない決意とも言えるほど、とても強く、澄んだ色をした瞳だった。だからといって軽々しく認めるわけにはいかない自分と、それでもあの子が望むのならばと思う自分がいてしまう。何が正解で、何が間違っているかという答えが一向に出ない。
「そっか。だからこんな所で考えてたんだね」
ミレイにはその気持ちがよくわかった。大切な家族なのだから、あんな思いをさせる可能性が少しでもあるのなら、それは簡単には決められない事だ。それは、かつての草原でミレイもロットもわかってしまった事だ。
今のイリスがそれに出会ってしまったら、もしかしたらもう二度と心から笑ってくれないかもしれない。塞ぎ込んでしまい、二度と街から出なくなってしまうかもしれない。最悪の場合、イリスに嫌われてしまうかもしれない。ミレイにはそれが何よりも怖い。
恐らく、レスティとミレイは同じ立場にいる、とても似ている状況なのだろう。孫と妹という違いはあるが、それでも大切な家族なのだから。何よりも大切にしたいという気持ちに、何の違いがあるというのだろうか。
ミレイは瞳を閉じ考える。最善の方法を探る。答えなんて出ないかもしれない。それでも探し続けた。言ってしまえば、イリスの想いに応えるか、応えないかの二択になるだろう。あたしはどうすればいいの? イリスの想いには応えてあげたい。でも、悲しまれたくはない。危険な目にも遭わせたくない。
巡らせている思考の中で、ミレイの頭を少女の顔がよぎった。とても可愛い、まるで天使のような子だった。
……そうだよね。イリスはあの子の為に頑張りたいんだよね。それならあたしも頑張らないといけないよね?
大切な子の為に何かが自分に出来るなら、躊躇いたくなかったんだね、イリスは。それなら…… あたしは……
瞳を開けた少女を見ていたレスティは、気が付いてしまった。その少女の瞳がイリスと同じ瞳をしていた事に。あぁ、なんて情けないんだろうか私は……。こんなにも若い子達が頑張ろうとしているというのに。それなのに私のなんと情けない事か。
そうね。きっとそれでいいのよね。あの子が望んでるんだものね。そうどこか納得する事ができたレスティは、ミレイの言葉を待っていた。彼女の口から聞かなくても内容はわかる、その強く輝くような決意の言葉を。
「あたしが連れて行く」
「……お願いしてもいいのかしら?」
「うん。でも――」
言葉を止める少女にレスティはその先も理解している。理解しているからこそ口を挟まない。挟んではいけない。これは彼女の覚悟と決意なのだから。それを穢すような事は誰一人として許されないのだから。
「条件をつけようと思う」
「条件?」
ミレイにもわかっていた。レスティも同じ事を思っていると、確証じみたものを感じ取っている。ミレイは話していく、その条件という名の約束事を。そしてイリスならば乗り越えられると信じて。
これが達成できないのであれば、冒険者になる事など決して出来ない。でもイリスならきっと、その先へ行けるはずだと信頼して。
そう心の中で思いながらもミレイは淡々とレスティに話していき、その言葉をレスティも口を一切挟まず、ただただ静かに聴いていた。
* *
朝、鐘の音で目が覚める。今日もとてもすっきり目が覚めたようだ。私はいつものように着替え、いつものように歯を磨き顔を洗い、おばあちゃんに挨拶をする。いつもと同じ日常のはじまりだ。
――ただ、どうも今日はちょっといつもとは違うようで……。
「おばあちゃん、おはよう。……あれ、ミレイさん? どうしたんですか、こんなに朝早く」
祖母だと思って挨拶をしたら、そこにはミレイが椅子に座っていた。初めての事でイリスはちょっと驚いてしまっていた。何かあったのだろうか。
「あはは、おはよ、イリス」
「はいっ、おはようございます、ミレイさん」
あはは、ございますはいらないよー、とミレイが言ったのをイリスは嬉しそうに笑顔になりながら、おはよう、ミレイさん、と言い直した。
「それで、何かあったんですか、ミレイさん」
「うん。ちょっとねー」
「おはよう、イリス」
「あ、おばあちゃん、おはようっ」
ミレイと話しているとレスティがテーブルまで来たようだ。レスティはいつもと変わらないが、ミレイはいつもとはちょっと違う感じをしている事に気が付いてしまうイリスだった。
でも、何がどう違うかもわからずにいるようで、そんな中ミレイが話を始めていく。
「レスティさんに聞いたよ。イリスが聖域までルナル草採取に行きたいって」
「はい。そうなんです。それで、ミレイさんに護衛をお願いしたいのですが」
その言葉が返って来るのも予想していた二人は動じない。問題はここからだ。
「いいよ。でも、条件があるんだ」
「条件、ですか?」
はて、と首をかしげてしまうイリス。でもすぐに採取場所は危ないし、ミレイの指示に従う事とかそういった冒険者としての決まり事かなと思い直していたイリス。
だが、今のイリスには想像もしていない言葉が、これからミレイの口から紡がれようとしていることに、きょとんと目を丸くした少女はまだ気が付いていない。