"我々は負けたのだ"
重々しい沈黙に口を開いたヴェネリオは話していくが、そんな彼の言葉に含まれた意味を大凡理解できたイリスは、静かに何かを考え込んでいるようだった。
「……そうだな。この話は、そう簡単には口に出せないものとなる。
ジルド、ミルリム夫妻には、これから話すことの一切を他言無用に願いたい。
できないのであれば、申し訳ないが退室をしてもらおうと思うのだが……」
その言葉に即答で持ってジルドは言葉にする。
どうやら彼にはそれを護ることで忠義を果たしたいと思っているようで、その想いを察したヴェネリオは嬉しいような、申し訳ないような気持ちにさせられていた。
「私は残らせていただきたく思います。当然、一切の他言はしないと固く誓います」
はっきりとしたジルドの言葉が室内に響くと、ミルリム夫妻は互いを見遣りながら頷いて言葉にしていった。
「お話し辛い内容なのであれば、私達は退室させて頂きます。
必要以上にそれを知る者は少ない方がいいと思いますので」
「イリスさんにお礼を伝えることはできた。俺達はこれで失礼するとしようか」
そう言葉にした二人は立ち上がり、退室していく彼らをイリスは引き止めていく。
そんな彼女に視線を向けた彼らは首を傾げていると、真剣な面持ちで彼女は話していった。
「もしよろしければ、こちらでお話をお聞きいただきたいと思います。
正直なところ、にわかには信じられないことや、とても衝撃的な話を沢山話すことにはなると思うのですが、それでもお二人には聞いて欲しいと思うんです」
「リシルアの秘密に当たるほどの重要なお話であれば、私達は聞かない方が、とも思えてしまうのですが……」
「ヴェネリオ様のお話だけではなく、私達の旅の目的と、今後の話をお伝えしたいのです。これまで体験してきたものは、お姉ちゃんにも関わってくることですから」
ミレイにも関わること。
そう言葉にされてしまえば、気持ちが揺らいでしまうミルリム夫妻。
それが何か重要な意味を持つことくらいは二人にも理解できるが、それ以上に愛娘に関係するという話に引かれていった夫妻は、この場に同席することを決めた。
ソファーへと戻った二人を確認し、ヴェネリオはぽつりと呟くように話していく。
「……ふむ。どうやらイリスさんの方が、かなりの重要性を秘めたものと思われるな。ならば先に私の方から話すとするか」
彼の語った真実は、イリスが想定したように過去の出来事についての話となった。
八百年前に起こった大災厄。本物の眷族の存在。言の葉が齎したと推察される最悪の事態を見越して、世界の英雄達が創り上げた新たな言の葉を確立させるという奇跡。
眷属が刻み付けるように残したその爪痕、そしてこの国の建国の歴史や、かつては"学者の街"と呼ばれていたことまで。
その内容のどれもが、それを知らぬ三人にはとても衝撃的だったようで、目を丸くしたまま言葉を失ってしまっている。
そんな三人へと視線を向けたヴェネリオは言葉を続けた。
「……八百年前の眷属が齎した影響は計り知れぬ。
世界の半分が焼け落ち、世界に住まう半数以上の者が亡くなったと伝わる忌まわしき事件。その引き金となったのが、嘗ての世界に広まった魔法だと言われている。
このことは、かつてこの国が学者の街と呼ばれていた名残となる書物に記されていたものではあるが、時の元老院達はそれら全てを封印することを固く誓った。
そのひとつが建国の歴史を噤むというものなのだが、そうでもしなければかつて世界に何が起こったのかを調べようとする者が溢れる可能性があった。
始めは小さな好奇心という灯火であろうと、いずれは大火となるだろう。そうなってしまえば、もう遅いのだ。取り返しの付かない事態となる可能性が出てくる。
我らはそれを噤む事で世界を護ろうとしたのだが、それは言い訳に過ぎないな」
瞳を閉じて深くため息を吐くヴェネリオは再びゆっくりと瞼を開き、言葉にした。
「これが、我ら元老院が八百年という歳月の中で守り続けてきた真実となる。
表情から察するところ、やはりイリスさん達には、この真実ですらも知る様子。
良ければそれについて、可能な限りで構わない。話をしてもらえないだろうか」
「はい」
そしてイリスはこれまでのことを話していった。
あの雨の日から始まる強い決意、夢に見た不思議な話、石碑でのこと。
合間にヴァンとロットが体験したミレイに起こった事態を挟み、イリスは冒険者となって世界を巡りながら、姉がそうなってしまった原因を探している事を話していく。
その答えとなるものをメルンは出してしまっているが、それについてはまだイリスは信じたくないという気持ちから、言葉にすることはなかった。
話の流れ上、アルエナのことも伝えた上でメルンの話となり、そこで手にした情報である、この世界を創造した女神エリエスフィーナの事も包み隠さず伝えていった。
当然、自身の生い立ちの事も説明していくイリスは、ほぼ全ての話を掻い摘んでではあるが、嘘偽り無く言葉にした。
そして、今後取ろうとしている彼女達の行動についても、全て。
荒唐無稽な話と切り捨てられても仕方がないだろう。それほどの話となる。
だが、それでもイリスは、八百年という長きに渡って何かしらの情報を得られたのではないだろうかと、まるで藁にもすがる気持ちで話をした。
それがたとえ、ほんの僅かな希望であったとしても、姉がああなってしまった原因の解決法を手にできるのではないだろうかとイリスは考えていたようだ。
勿論、下手な嘘を吐きたくはなかったということもあるのだが。
それを察したヴェネリオは、彼女の言葉にした真実に驚愕しながらもイリスに話してくが、残念ながら彼女の期待していたものを手にすることはできなかったようだ。
「申し訳ないが、イリスさんが思っているような事について書かれた文献の類は、八百年前に消失してしまった。それ以降、学者の街と我々は呼ばなくなってしまっている。
ミレイ殿の身に何が起こったのか、その見当も付かなければ、解決法も我々には知る由もない事だと言えてしまうのが現状なのだ」
彼はその時に何が起こったのかを伝える書物を、当時の元老院が残していたのだと言葉にした上で、その詳細を話していく。
眷属に一瞬で大国が消し飛ばされたという情報に危機感を覚えた当時の元老院は、貴重な文献となる書物の殆どをリシルアから遠ざけようとしていたそうだ。
だが、運悪く眷属の攻撃に触れてしまい、その文献の半数は消失し、もう半分は読めないほどの状態となってしまったという。
「当然、被害も甚大だったそうだが、歴史とは先人の生きた証だ。
命を賭して書き記されたものも、決して少なくは無かっただろう。
時にはそれが、人の命よりも重いと言える場合もあるのも事実となる。
非情なことに思えるかもしれないが、情報さえ残っていれば、より多くの者を救う手立てとなる可能性だってあるのだ。
残念ながらそうはならなかったようだが、その中の書物にもしかしたらイリスさんの望むものが含まれていないとも言い切れない。
しかし、メルン様の件を聞く限りでは、それは非常に低いと言えてしまうだろう」
実際に文献の類を眷族が狙ったわけではないらしく、運が悪かったとしか言いようのない事態だったと文献には残されているようだ。
だからこそ、より一層苛立ちを覚えるのだと、彼は瞳の奥に強い光を灯しながら言葉にする。
「眷属事件が収束したのち、このリシルアは学者の街ではなく、力こそ正義と言われるような"強者の国"へと次第に変わっていったようだ。
生き残った人々の心には学問よりも、"力"が何ものにも勝るのだと思えてしまったのだろうか……。悲しいことだが、それもまた時代の流れなのやもしれないな……」
そんな状況であれば尚のこと、かつての言の葉として残った情報を広めるわけにはいかなくなり、その文献の一切を元老院は回収し、永久的に封印されることが決められたのだそうだ。
「フィルベルグの始まりも、その建国の母となるレティシア様の存在も我々には語り継がれていたが、もし口外すれば何故それを知っているのかとなってしまう以上、語ることのできない歴史としてこれまでの間、口を閉ざし続けてきた。
後に残ったものは、力が無ければ何をしても無意味だという無力感と、力こそ正しいのだといった悲しい思想のみとなる。
我々は負けたのだ。眷属にも、人々の想いにも、時代の流れにも。
あの日、書物を焼かれてしまった瞬間に、学者の街リシルアは終ったのだ。
"負の歴史"とはよく言ったものだ。まるで力に負けたようにも思えてしまうな」
そんな我らが、この国を表立って行動を起こすわけにはいかない。
そう彼は言葉にし、何故ひっそりと隠れ住むようにしているのかを話していく。
元老院と名乗る存在が国の運営に関われば、いずれは必ず反感を持つものが出てくる。だからこそ強者の国であることを利用し、豪傑の国へとその姿を変えていった。
闘技大会優勝者に王となれるような仕組みを作り、視点をそちらへと向けたのだと彼は語る。
実質現在の元老院は、かつての時代で言われていた"古き時代を学ぶ者"と言う意味での学者と呼ばれていた者達の集まりとは全く違い、一言で言うならば"闘技大会管理運営委員会"といったところなのだと、ヴェネリオは小さく笑いながら話していた。
「……そうすることが当時の残された元老院達の望みでもあったし、真実を黙したまま内々で語り継ぐことができると彼らは考えた。恐らくはそれが正しかったのだろうと思えるように、現在の我々が元老院として存在し続けることができている。
だが、本当に我らは何もできない存在だ。国の行く末も、何かが起きた場合も何もできない、ちっぽけで、無力な存在なのだよ……」
とても悲しそうに話すヴェネリオの言葉が、イリスの胸を深く抉っていく。
彼女もまた、同じように感じ、考えていた時期があった。
それは今も変わることがないとも思えてならないが、新たな力を手にしたことでそれも変わるのではないだろうかと、イリスは考えるようになっていた。
実際にそれがどう影響するのかまでは全く予想も付かないことではあるが、それでもあの雨の日に感じた無力感はなくなっているとも感じられた彼女は、今の自分であればもしかしたら、より良い選択が選べるのかもしれないと思っていたようだ。




