"何よりの宝物"
大切な姉の両親を前に、流れ落ち続ける涙を拭うことなくイリスは、鎧から短剣を静かに取り外し、大切に両手で掬うように持ちながら二人へと差し出していく。
「お姉ちゃ……いえ、ミレイさんの短剣です」
イリスの発した言葉に目を丸くした二人。
震える両手をゆっくりと伸ばしていくミレーナは白銀に輝くダガーを受け取ると、愛おしそうに胸へと持っていき、愛娘の名前を言葉にしながら瞳を閉じて涙を零した。
アレイはとても辛そうに見つめていた短剣と、最愛の妻を抱きしめていく。
ダガーを渡していいのだろうかと思いながら、イリスへと視線を向けていく仲間達。
その短剣は確かに家族の下へと返すべきなのだろうが、ミレイ自身はイリスの傍に居たいのではないだろうかと思えてしまうヴァンとロットだったが、それを言葉にすることはなかった。
視線を仲間達へと向けた彼女は、涙を流しながらもはっきりと頷いたからだ。
それは、こうすることが一番だと言っているように、彼らには思えてしまった。
イリスからすれば、この国で逢えるかもしれない姉の両親にもしも逢うことができたのなら、ダガーを渡そうと決めていた。
姉ならば苦笑いをしながらも、"ありがと"と答えてくれるのではないだろうか。
愛娘を抱きしめるように、愛おしそうに短剣を包み込む二人を見ながら、イリスはそう思っていた。
* *
時間にすれば、本当に僅かな間だったのかもしれない。
そんな短い合間の中で落ち着きを取り戻した二人は、イリスへと向けて言葉を綴っていく。
「……ありがとうございます、イリスさん。
まるで娘を抱きしめているような気持ちになれました」
「どうかこの短剣は、そのままイリスさんがお持ち下さい。
ミレイもきっと、それを望んでいるはずですから」
そう言葉にしながらミレーナは、大切な形見をこちらへと差し出していく。
そんな彼女達へとイリスは驚きながらも答えていった。
「このダガーは、お姉ちゃ……ミレイさんの大切な、形見……です。お渡しするのに二年近くもかかってしまいましたが、お二人の傍にいることが一番だと私は思います」
イリスの言葉の端々に、どれだけ娘が大切なのかが伺えた二人は、ゆっくりと首を横に振りながら言葉にしていった。
「あの子が望んでいるのは、貴女の傍です」
「ミレイも貴女と同じ冒険者。
ならば、どうぞそのまま、旅に連れていってあげてください。
それとどうか、ミレイのことを"お姉ちゃん"と呼んであげてください」
「あの子もそう呼ばれることを、強く願っているはずですから」
とても優しい眼差しで言葉にする二人に、一度は落ち着いた涙が再び溢れ出してしまうイリスだった。
震える両手で手にしたダガーは、これまで感じたことのないほど愛おしく思えてしまっていた。ほんの僅かでも離れていただけなのに、とても寂しく感じられたイリスは、愛おしそうに短剣を撫でていく。
そんな彼女の姿に感極まったミレーナは、イリスを優しく抱きしめ、彼女の頭をとても丁寧に撫でながら言葉にした。
「……ありがとう、イリスさん。あの子の大切な妹で居続けてくれて。
ありがとう、イリスさん。あの子のことを大切に想い続けてくれて……。
貴女に、心からの感謝を。あの子にとって貴女に逢えたことが、何よりの宝物だったと、私達は思います……」
ミレーナの言葉にイリスは、堰を切ったように大粒の涙を零しながら、声を上げて泣き出した。姉との幸せな日を思い起こし、もう逢うことのできない大切な姉を思いながら、声を上げて泣き続けた。
そんなイリスをミレーナは優しく微笑みながら、まるで娘を撫でるかのように愛おしく頭を撫で続けていった。
* *
「……随分と取り乱してしまいましたが、もう大丈夫です。
本当に、ありがとうございました」
笑顔を見せながらイリスは、抱きしめながら頭を撫で続けてくれていた彼女から御礼を言葉にして離れていくと、それをどこか寂しそうな笑顔で『そうですか』と返していくミレーナだった。
彼女達からすれば、愛娘の為にあれほど感情を込めて涙してくれていたことが、嬉しくて嬉しくて堪らなかったようだ。
そんなイリスの為に胸を貸すことくらいはと思えてしまうミレーナは、少々寂しい気持ちを抑えながらもソファーへと腰をかけ、対面の彼女に話を続けていった。
イリスの存在を知ったのは、ミレイが送り続けていた手紙によるものだという。
いつもは不定期で連絡が届くらしく、まるでそれは近況報告のようなものだった。
問題がおきる事もなく、自由な暮らしを満喫しているのだろうとは手紙から読み解けても、内心は不安で不安で仕方がなかったのだと夫妻は語る。
そんな時、送られてきた一通の手紙。
その内容は、とても楽しそうに語るミレイの姿がはっきりと目に浮かぶようなものだったそうで、その手紙でようやく安心することができたのだそうだ。
始めは放っておけない子だったその少女は、やがてとても大きな存在へと変わっていき、いつしか大切な妹になっていたのだと手紙には書かれていたようだ。
愛娘からの手紙を読んだ二人は、微笑みながらいつかはご挨拶をと思っていたが、一昨年の立冬に届けられた彼女の私物と一通のギルドからの通達に絶望することとなる。
震える手で開いたその通達には、愛娘が戦死したとの内容が書かれていた。
彼女がどれだけ凄い事をしたのか、どれだけの貢献をしたのか、そしてどれだけ多くの人々を救ったのかという詳細を細部に至るまで書かれた内容ではあったのだが、その結果として書かれた単語に、まるで心臓が止まるような想いをしたのだとミレーナはとても辛そうに言葉にした。
日々、塞ぎ込むような暮らしが続き、何の為に生き続けるのかも分からない状況で、ただただ惰性のように生きる毎日。
いっそ通達が間違いであればと思う一方で、それをその目で確かめに行くことなどできず、涙する毎日だったと彼らは話していく。
そんな彼らを立ち直らせたのもまた、ギルドから送られてきた通達だった。
宛名はあくまでもロナルド個人として送られてきたものではあるが、その手紙に心を救われたのだと二人は語った。
送られてきた手紙には、愛娘が大切な妹として懇意にしていた少女が絶望の淵から立ち上がり、前を向いて走り出したといった趣旨が書かれた内容で、そこには冒険者を目指す可能性があるとまで書かれていたそうだ。
もしかしたら、リシルアへとやって来てくれるかもしれない。
そんな期待を寄せ、未だに娘の眠る地へと足を運べない自分達を情けなく思いながらも、ようやくほんの少しだけ前へと進む事ができたのだとミレーナは話した。
「もしも、その時が訪れた場合を考えて、元老院であるヴェネリオ様に相談をさせていただいたところ快諾して下さいまして、現在に至るということです」
「……様を付けないで貰いたいのだが、まあいい。
ミルリム夫妻に話を聞いたのは随分と前になるが、もしイリスさんがこの国を訪れた際は連絡が行くようにと各所に伝えるつもりだったのだが、その情報が少な過ぎてな。
大きな国であるが故、個人を特定するのも困難だったのだが、ロナルド殿から英雄ロット殿と猛将ヴァン殿の二人と行動を共にしていると知り、思わずこれだと叫び出すように言葉にしてしまったのを、まるで昨日のことのように覚えている。
お二人がこの国では注目される点を考慮し、言葉は良くないがお二人がこの国へとやって来れば、イリスさんを特定できると思ったのだ。
まさかファル殿までご一緒だとは、思いもよらなかったが……」
「それでイリスさんに逢いたいと、ジルドさんが宿へとやって来たのですわね」
シルヴィアの問いに、うむと短く言葉にするヴェネリオは話を続けた。
「だが、少々問題もあってな。アルリオンへと向かったとの情報が入り、非常に残念に思っていた矢先、リオネスが行動を起こしてしまってな。あまりの勢いに口を割ってしまった自分を恥じ、お逢いしたらその件について謝罪をするつもりだった」
「謝罪だなんてそんな……。どうぞお気になさらないでください。
リオネスさんに出逢えたことも、私にとってはとても貴重な体験でしたから」
「ふむ。興味深い表現をされる方だ。しかし、それなんだがな……」
その時に起こった話の詳細を始めていくヴェネリオ。
どうやらアルリオンで石碑を探しているとの情報が入ると、どこからそれを嗅ぎつけたのか彼がやって来て、この周囲に石碑が存在するのかを追及したのだそうだ。
まるで噛み付かんばかりのその表情に、遂には折れてしまったヴェネリオは、あの大樹の中に存在する石碑の場所を答えてしまったのだと、申し訳なさそうに話した。
「現在では誰も住むことのない朽ちた遺跡となってしまったあの都市の名は、唯一残された文献によると、"ルンドブラード"と呼ばれた場所だという。
残念ながら街の歴史などを含む情報は記されておらず、三十年程前に行なわれた調査で、周囲の鉱山からペグマタイト鉱床が発見されたと当時の報告書が残っている。
建造物の素材からも考慮して、それらを特産物として栄えた都市なのだろうと推察されるも、何故滅びてしまったのかは情報量の少なさからそれを知ることは難しい。
大方、採掘量が少なくなり、自然と人が離れていったのでは、という推察で落ち着いてしまったのだが、場所がここよりも離れている点や、魔物が厄介という点から調査は打ち切られ、今現在ではその名ですらも再び忘れ去られてしまっているようだ」
ヴェネリオの話を聞いていたイリス達だったが、ふと疑問に思えてしまうことができてしまったようだ。
それについて真っ先に言葉にしたシルヴィアは、彼へと尋ねていった。
「リシルアは建国千年を超えるのではないのかしら。
であれば、ルンドブラードに関しての情報も存在するのでは?」
何気なく言葉にした彼女だったが、少々その思惑とは違った意味で反応を示しているミルリム夫妻とジルド。そしてヴェネリオまでもが同じような顔をしていた。
それはまるで、彼女の話したものに驚いているようにしか見えなかったが、ヴェネリオは瞳を閉じて呼吸を整えるようにしながら、シルヴィアへと尋ね返した。
「……ふむ。……何故、リシルアの建国の歴史を知っているのか尋ねたいところだが、三人の様子から見て分かるように、この国に住まう者達はそれを知らぬ。
歴代の元老院からは"負の歴史"とも言われ、我々が外に出ぬようにと厳重に保管した書物に記されているものの中に含まれている事実なのだが、どうやってそれを知るに至ったのか尋ねてもいいだろうか?」
どうやらシルヴィアの発した言葉は完全に失言だったようで、取り乱してしまう彼女は会話が途切れさせてしまった。




