"自由である者のはず"
一体今、何が起こったのかと、その場に固まり続けてしまうイリス達三姉妹。
テーブルに広がる書類に目を向けていくと、それはどうやら依頼書のようだった。
一つの依頼が書類一枚である事は、ギルド依頼であろうと変わらないだろう。
であればと滑るように広がっている書類の枚数をざっと数えるも、その数は十枚もあると思われた。
いきなり十枚分も依頼してくることに驚きを隠せず硬直していると、ギルドマスターである女性はヴァンの横に佇んでいた二人へと静かに言葉にしていった。
「ロットとファルも同行しているとは都合がいい。お前らも行って来い」
一瞥しただけで淡々と言葉にしてしまうこの女性は、獣王国リシルア所属冒険者ギルドマスターのグラツィエッラ・オルドリーニ。
山荒人種というとても珍しい種族だそうだが、これについてイリス達が知ったのは、この場所を出て暫く時間が経った後となる。
言葉の端々に冷たいものを感じ取れてしまう彼女の口調は、グラツィエッラを知らぬイリス達にとってはかなり衝撃的だったようで、未だに思考が追いつくことはなく、ひたすら現状把握に努めていた。
しかし、ようやく石碑前でリオネスが言っていたことを理解できたイリスは、これこそが彼の言葉にしていた、次々とギルド依頼を受けていた為に勝負を受けられなかったというヴァンの断りが、真実であった事を確信できたようだ。
どうやらそれは全くもって間違いではなかったらしく、目の前に広がる依頼書はそれをしっかりと肯定していた。
そしてイリスは、彼が"所用でフィルベルグに来るのに時間がかかった"と言っていた理由も、ここにきてやっと把握できたようだった。
そんな中、ロットは彼女へと向かって尋ねていった。
「グラツィエッラさん。これは一体どういうことか、説明していただけますか?」
書類に目を通していた彼女はぴくりと眉を動かしながらロットの方へと視線を向けて一言答え、ヴァンの方をギロリと睨み付けて冷たい口調で言葉にしていった。
「……説明だと? そこにいる奴がサボった分の皺寄せだ。
文句なら、勝手に居なくなったそいつに言え」
「……勝手に居なくなったわけではない。
こちらに来て、ここを発つ旨を直接話をした筈だが?」
淡々と言葉を返していくヴァンだったが、ぴりぴりとしたものを感じられるほど苛立ちを覚えているようにイリス達には思え、内心では不安になっていた。
しかし、グラツィエッラはそれを否定する。
それもイリス達が思わず聞き返してしまいたくなるほどの言葉で。
「こちらは了承などしていない。山ほど依頼が残っていると伝えた筈だ。プラチナである以上、ギルドの要請を受けるのは義務だと何度も言っているだろうが。
口答えしている暇があるんなら依頼をこなして来い。
お前らもだ、ロット、ファル。無駄口叩いてないでさっさと行け。
ファル、プラチナになったそうじゃないか。先週ギルド統括本部から通達が来たぞ。
グラディルを倒したというお前にも、これからは存分に働いて貰うからそのつもりでいろ」
その言葉にファルは、途轍もない不快感を顔に表していた。
彼女達猫人種からしてみれば、命令を強要される事を何よりも嫌う。
それは勿論、アルトよりも遥か以前から彼らの種族は自由を求め続けてきた。
そこに命令を、それも頭ごなしに強要されては、どんな猫人種だろうが今のファルと同じ反応を取ってしまうだろう。
だがグラツィエッラは、それをしてしまった。
よりにもよって、何よりも自由であるべきだという信念を持つ猫人種に向かって。
不快感から徐々に敵意へと変化するファルの心を背中越しにビリビリと感じ、取り乱すようにイリスはファルとグラツィエッラの交互を目で追いながら最善の解決法を探っていく。
ファルへと言葉をかけても、大した効果は得られないだろう。
それだけのことをしてしまったのだと、既に視線を書類へと戻し、話を終えたと解釈している彼女には全く気が付いていない。
そんな彼女に向かって何か言おうものなら、別の何かを返されてしまうだろう。
そうなれば火に油を注ぐことになりかねないと思えてならないイリスは、様々な展開を脳内に巡らせていくも、その解決となる方法を導き出す前に仲間の一人が動き出してしまった。
「…………その言い方は……如何なものかしら…………」
これまで聞いたこともないシルヴィアの重く低い声に、完全に思考がそちらへと向いてしまうイリス。
明らかな不快感を感じ取れる声色と、彼女からは見えないがその鋭い眼光は、母エリーザベト以上に凄まじい光を灯していた。
沸々と怒りが奥底から込み上げているのが手に取るように理解できたが、どうやらそれは彼女だけではなかったようだ。
「……冒険者とは、自由である者のはずです。
それがたとえギルド依頼であろうと、あくまでもその決定権は冒険者にあり、依頼受注を強要したりはできないはず。それは、貴女様がギルドマスターであろうと、変わることがないのではありませんか?」
冷静な口調で言葉にしているネヴィアだったが、その心中は燃え滾るように怒りが込み上げているようだ。
それはロットでさえも彼女に視線を向け、目を丸くして驚いてしまっているほど、激しい怒りに包まれていた。
だが、そんな彼女達の気持ちでさえ伝わることがなかったグラツィエッラは、鋭い瞳を向けながらあまり感情の込められていない声で言葉にしていく。
「…………誰だお前ら。関係のない奴は引っ込んでいろ。
……いや、その風体、噂に聞くフィルベルグのお姫様か。
この国に来た理由など興味も湧かないが、邪魔をするな。不愉快だ」
「……関係ありますわよ。私達は同じパーティーなのですから。……ヴァンさん達にギルド依頼を押し付けるということは、私達にも大きく関係してきます」
「……言ってる意味が全く理解できないな。私が、いつ、お姫様に、依頼をした?
こいつはギルド依頼だ。力量の乏しい半端者を使えば、却って迷惑になることくらい分からんのか? お姫様に勤まる依頼じゃないと、言われなくとも理解しろ。
それすら分からないのなら、お姫様はお姫様らしく、国に帰ってお茶でもしてろ。
もう一度だけ言う。邪魔をするな。これは遊びじゃない。正式なギルド依頼だ」
急激に部屋の温度が下がり、凄まじい怒りが仲間達から止め処なく溢れていた。
それだけのことを彼女は言葉にしてしまったのだが、それでも抑えねば大変な事態となるとも思えてしまうイリスと、その様子を涙目でおろおろと見つめていたアドリアだった。
何とか落ち着かせようとするも、一向にその方法が思い浮かばずにいたイリスの下へ、グラツィエッラはヴァンへと向けてとんでもない言葉を口走ってしまった。
「いつまでもお守りなんぞしてないで、さっさと仕事に行け。
期限は一週間以内。全て終わったら再び戻って来い。次の依頼を与える」
「……俺は、一言も受けると言葉にしていないのだが?」
苛立ちを込めた言葉が、はっきりと部屋全体へと響き渡る。
そんな彼へと一瞥もくれずに、グラツィエッラはどうでもいいと話を切り捨てた。
「そんなことはどうでもいいし、聞いてもいない。
お前はただ、私の依頼をこなしていればいい。
考えるな。疑問に思うな。ただ依頼だけを淡々とこなせ」
……考えるな? 疑問にも思うな? 淡々と依頼をこなせ?
……一体何を……何を言っているの、この人は……。
……分からない……。今まで出逢ったどんな人にも当てはまらない……。
……対処法がまるで思い付かない。どうすればいいのか全く分からない……。
……なんだろう。胸が……ざわざわする……。
グラツィエッラの言葉にイリスはひどく混乱していた。
何か他に意図があるのだろうかとも考えるが、答えとも思えるようなものへと辿り着くことはなく、ただただ疑問符ばかりが脳内に留まる。
彼女の言葉にしたものを理解できないわけではない。
そして悪意を持って言葉にしているわけでもない。
グラツィエッラは淡々と、業務をこなしているだけに過ぎないという認識にしかなっていないのだろう。
だからこそイリスは思う。
何故、そんな悲しい言葉が口にできるのかと。
それではまるで――。
「……まるでヴァンさんは、貴女のものだと言わんばかりの言い草ですわね……」
「私の所有物ではない。奴はリシルアギルドの有能な駒のひとつに過ぎない」
顔色一つ変えずに断言してしまったグラツィエッラに、激しい怒りが込み上げて来るが、それを先に爆発させたのは、シルヴィアが想定もしていなかった人物だった。
「いい加減にして下さい!! ヴァンさんは誰のものでもありません!!」
後方から激しい怒号のような声が飛び出し、思わず真後ろにいた女性へ一斉に視線を向けていくと、そこには鋭い瞳をしたままグラツィエッラを睨み付けるように見つめるイリスの姿があった。




