"ただの人の身で"
尚も石版に書かれているものを議論し合う二人だったが、メルンの表情は先程とは打って変わって力強さが戻り、イリスは頼もしさを感じていた。
それは初めて対面した時よりも更に輝きが増しているようにも思え、研究をし続けながらもそれがとても嬉しくて仕方がなかったイリスは思わず笑みがこぼれてしまい、それを察したメルンも、少しだけ優しい表情をしながら微笑んだ。
だが、そこに書かれているものは、とても笑ってなどいられないものとなっている。
いくら読み進めてもその対処法は一切書かれておらず、最後まで読み終えてしまった彼女達は、本当にどうしようもない現状なのだと悟らされる結果となる。
それも当然なのかもしれない。
この世界を創造した女神ですら予期せぬことだったと書かれている。
であれば、人にどうこうできるようなものではないと諦め、絶望してしまう者が殆どなのではないだろうか。女神ですら対処できないものを、ただの人の身でそれを解決しようなど、不可能なことなのではないだろうか。
それでもイリス達は、議論に議論を重ねていく。
一体どうすればそれを乗り越えられるのかを話し合う中、彼女達は時間を忘れ、研究に没頭するように石版へ視線を向け、目を皿のようにして何か見落としがないかを探し、その解決法を模索していった。
エリエスフィーナが力を貸せない理由も、この石版に書いてある。
それは奇しくも、アルルが推察とも言えないような拙い"設定"とも言い換えられる、女神アルウェナ顕現の理由をその場で作り上げたものにとても近いものだったようだ。
世界に顕現する際は限りなく力を押さえなければ、降り立つ世界に多大な影響が出てしまうと、イリスは大切なひとから聞いたことがある。
しかし、この世界を創造した女神エリエスフィーナはその親しい友人と違い、力の制御を得意としていない。それを数少ない石版の情報から読み解いたイリス達には、様々なことが見え始めていた。
そのひとつが"聖域"と呼ばれた、世界に多数存在する魔物の不可侵領域だ。
これについての記述は石盤にないが、恐らくはそうなのだろうと二人は推察する。
仮に、彼女が水に系統する力を持つ、もしくは水を司る存在なのだとすれば、この世界に顕現した際、力を極端に抑えた状態でも、その強大過ぎる力で世界に影響が出てしまったのではと考えられた。
その魔物を寄せ付けない、人にとってはとても良いと言えてしまう影響だから良かったものの、それが悪い方へと向かう可能性だってあったのではないかとメルンは言葉にする。
「……いえ。もしかしたら、本当に悪い影響が出てしまったのではないでしょうか。
世界に点在するという"聖域"がエリエスフィーナ様の顕現された場所だとすれば、世界中を覆ってしまうような重大な影響が、後に出てしまったのかもしれません。
そして石版に書かれている最悪の事態が引き起こり、エリエスフィーナ様が収束させたものの、その影響は途轍もない爪痕として残ったのではないでしょうか。
残念ながら相応に時間を必要とし、世界を安定させる頃には多大な影響を地上に出してしまったようですが……」
「……それが"奈落"と、その直後に引き起こされた"人類滅亡の危機"か……。
正直、これを人の身で抑えるのは不可能だ、という答えに戻ってしまうな……」
奈落とは、世界の北側に存在する世界最大の大穴で、地の底が見えないことから、別の世界や、神の世界などに繋がっているのではないかと提唱する者がいるほどの、今現在でも議論の対象となっている場所だ。
その発生理由も、その存在理由も全く分かっておらず、女神アルウェナがお怒りになられた場所、だなとと口にする者もいるようだ。
現在の世界で語られているその話をメルンへすると、彼女は声を上げて大笑いしてしまった。
「あいつにそれくらいの力があれば、間違いなく世界最強だろうな。
まぁ、冗談はさておき。……あの穴は人がどうこうできるようなものではないと、アタシ達の時代では言われていた。その内部の調査に向かった者もいるそうだが、結局帰って来ることはなかったと話に残っている。
……怖い持論をするが、"深淵"でもそれらを連想してしまう存在と遭遇している。
イリスなら何となくでも、その恐ろしい考えに至っているんじゃないか?」
彼女の表情を見たメルンは『やはりな』と呟くが、当然この推察は、石版に書かれている情報がなければ想定すらできなかったことではあるのだが。
イリスに答えさせることを躊躇った彼女は、遮るように自ら言葉を続けていった。
人型の魔物が存在する時点で、アタシ達はその考えに至っていたと言葉にするメルンは、それについての推察を始めていった。
単眼の巨人"キュクロープス"。
魔物が動物から変異してしまった存在である事は、石版の情報から見ても明らかだ。
ならば、この魔物の存在そのものがありえないと、メルンは重々しく語った。
「……正直考えたくもないが、調査隊の成れの果てである可能性が考えられる。
長期的にあの場所に居続ければそうなってしまうのか、それとも他に何か要因があるのかは分からないが、下手をすればアタシ達もそうなっていたかもしれない。
二足歩行をする"ウェアウルフ"だって怪しいもんだ。
狼が直立して歩くこと自体、まずありえない。こいつらは長年、コアから発生された高密度のマナを浴び続け、異形の存在へと変異した可能性が高い」
だからこそ、あれほどまでに凶暴だった、ともメルンには思えていた。
並の魔物などではない存在として遭遇したが、もし仮に魔法を扱える者が核から溢れ出すマナを浴び続けて変異してしまったのだとしたら、眷属ではないにしても、それに近い非常に厄介な存在となっていた可能性が高いとメルンは予想する。
それはあの場所で長い時間を過ごした仲間達全てに言える事だし、下手をすればイリス達であってもそうなっていた可能性を捨てきれないだろうとイリスは青ざめる。
「……石版によると、眷族の発生はまた違ったものとなっている。
寧ろコアから発生したマナは高密度で、それを浴び続ければ危険であることに違いはないが、本来は世界に行き渡るのに必要不可欠なものとなっているらしいな。
高密度で生み出されたマナが地表へと向かうにつれ、徐々に分散されていくようだから、その影響を受けてしまった動物は魔物へと変貌を遂げる。
しかしコアが吸収できなかった問題のものが地中から溢れ出し、それを浴びると魔物は魔獣化して人は眷属となるようだが、それですらもまだ初期段階だと書かれている。
そうなってしまった存在はマナを感じ取ることができるようになり、自然と溢れ出すどす黒いマナへと向かって、力を自身に蓄えていくと石版に書いてある。
もしそうなれば、最悪などという言葉ではとても言い表すことなどできないほどの事態となってしまう。
そしてそれはもう、人の力では対処ができないほどの凄まじい力を持ち、世界全体を破壊し尽くす存在となるだろうと石版には記されているな。
……ったく。こんなもん、どうやって対処しろって言うんだよ、女神サマ」
珍しく言葉を荒々しく口にしてしまうメルンに、イリスは続いて話していった。
「エリエスフィーナ様は当時のことを『私の大罪』としか記されていませんが、恐らくこれは"聖域"を世界の各所に発現させてしまった影響で触発された"問題のもの"が、凄まじい奔流となってコアから噴出してしまい、"奈落"と呼ばれるほどの大穴を発生させてしまう結果となったと推察できます。
それこそが最悪の事態であり、それを対処できなければ、この世界の生きとし生けるもの全てが絶滅の危機に瀕することとなるでしょう。
女神様がもし"人の可能性"を信じ、その全てを人に託して下さっているのであれば、何かしらの方法が残されていると考えられるのではとも、私には思えるんです」
「……対処と言ってもな、アタシ達が使う、お前の言うところの"真の言の葉"だったとしても、それは所詮人の力に過ぎないんだぞ?
確かにこの力は絶大で、世界でも最強と言えるほどの強さを見せるが、それも人の領域での話になる。それ以上の力となれば、それこそ女神でもなければ対処などできないと思うが……」
確かにそうですよねと、頷きながら呟くイリス。
レティシアが創り上げた世界でも全く新しい魔法技術は、"想いの力"という絶大な力と言の葉を組み合わせ、凄まじい効果を見せる力となっている。
それは控えめに言葉にしても他に類を見ない世界最高の技術であることは、今現在の時代を含めたとしてもそれは揺らぐことがないと断言できるし、そういった新技術を創り上げた者は、世界にもレティシアとアルト以外にいないとメルンは記憶している。
特にアルトの編み出した覇闘術は、レティシアの力から触発されて派生させたに過ぎないと、彼自身の言葉でそれを聞いていた。
彼の技術は一対一にその力の焦点を合わせているが、彼女の力は全く別である。
ほぼ全ての言の葉に転用可能な、汎用性の非常に高い技術として確立してしまった。
そうそう新しい力などあるとは思えないとメルンは話そうとするも、話している最中に言葉が途切れてしまう。
「…………いや、アタシが冒険者に成り立ての頃、不確かで何とも言いようのない、説明もできないような現象を見たことがある……」
ぽつりと呟くように言葉にしたメルンは、それについての話を始めていった。
無事に一周年を迎えることができました。
ここまで読んで下さった皆様には多大なる感謝を。
そして、これからもどうか、よろしくお願いいたします。




