"優れている"
ネヴィアの放った魔法で、九メートラほど豪快に吹き飛ばされるガルド。
地に脚を付けて体勢を立て直そうとするもその勢いは止まらず、脚で支えようとした反動で大きく体を回転させながら更に五メートラを転がり続け、ようやく勢いが止まったようだ。
瞬時に体勢を立て直し、ネヴィアに向けてか一度威嚇をしたガルドは、こちらに駆け寄ろうとするが脚はガクンと地面に膝を付き、力任せに強引に体を起こしていった。
ダメージはある。
だが正直な所、その程度しか影響がないことに驚き、目を丸くしてしまうヴァン達。
先程のネヴィアの攻撃は、凄まじい威力を秘めていたと確信を持てる魔法だった筈。
それをその程度で抑えられるなど、とてもではないが信じられなかった。
それを一番理解しているのは、魔法を放った本人に他ならない。
あれほどのマナを込めた本物の言の葉を使った魔法に堪え得るなど、ましてや傷ひとつ負っていないなど、とてもではないが悪夢を見ているようだと、彼女の思考は軽い錯乱状態に陥ってしまった。
「相手がガルドである以上、想定済みですわ!!」
彼女の思考を現実へと戻したのは、尊敬している姉の言葉だった。
たったそれだけの言葉で意識を取り戻し、彼女の思考は澄み渡るような感覚を感じられたネヴィアは、今まさに襲いかかろうと脚に力を込めている存在をしっかりと見据え直す。
そもそも相手はあのガルドだ。
イリスの考え通りであれば、ギルアムやグラディルのような特殊個体とも言える危険種の種類によって、その強さも大きく変化する可能性があるのではと推察していた。
であれば、"リシルアの悪夢"とも畏怖された存在を前に、想定の範囲内と言葉にしたシルヴィアの考えは正しいと言えるだろう。
凶悪な危険種を相手に混乱する余裕など、ありはしないのだから。
気合を入れ直したネヴィアは、再びガルドへ向けて魔法を繰り出す。
「シュート!! "水の騎士槍"!!」
彼女の持つ杖から美しい水の槍が瞬時に形成され、目標へと向けて飛び出していき、ガルドの左前脚を捉える事に成功する。
巨体を横にしてもがくガルドを視界から外さず、呼吸を整えていくネヴィア。
彼女が普段から使っていた水槍の、ある意味では完成系となるこの魔法は、イリスから言の葉の勉強をした際に真っ先に覚え、すぐさま習得してしたものとなる。
その習熟速度に驚く仲間達ではあったが、イリスは至って自然に対応していた様だ。
彼女のように普段から使い続けた魔法であれば、イメージがとても持ち易く、すぐにでも習得できるとイリスは思っていたようだ。
魔術師であるネヴィアは魔法を使い続けていた事もあり、言の葉をふたつ習得できたロットの三倍もの言の葉を使いこなせるようになっていた。
姉であるシルヴィアは、魔法よりも剣の方が性に合っているらしく、残念ながら妹のように多数の言の葉を覚える事は難しかったようだ。
それはヴァンも同じだったようで、二人はたったひとつの魔法しか習得することができなかったが、それでも覚えたものを研ぎ澄まし続け、威力は申し分ないほどにまで高めることに成功させ、短期間で高めたその魔法の完成度にイリスを驚かせていた。
アクアとは、風属性で言うところのエアと同等、ウィンドの上の威力を秘めた下から二番目に位置する属性の言葉になる。
既に中級攻撃魔法ですらひとつ習得してしまったネヴィアは、仲間達の中で魔法の習熟速度が一番速いようだった。
『そんなところも、イリスさんに似ていますのね』
誇らしげに微笑みながら話す姉の言葉が、何よりも嬉しく感じられたネヴィアだった。
だが――。
破裂音のようなものと同時に"水の騎士槍"が霧散されていってしまい、再び驚愕の表情を露にしてしまうネヴィア。
突き刺さったように見えていた水槍は、ガルドの表面すらも傷付ける事ができなかったのだと理解する。
しかしあの魔法は、一点集中型の攻撃魔法だ。
たとえアクアランスが初級攻撃魔法だとはいえ、水圧で吹き飛ばす魔法とは違い、その攻撃力は段違いと言えるとイリスから学んでいる。
それを易々と受け止めて勢いを押さえ付け、弾き飛ばしたようにも見えた。
信じられないと思考を止める妹に、再び姉の声が周囲に響き渡る。
「――来ますわよ!!」
先程よりも鋭い速度で距離を詰める相手に、緊張感が高まっていく。
やはり最初から全力で攻めて来ていなかったのだと、冷静に分析する先輩達。
今までよりも遥かに速い速度で突っ込んでくるガルドは、その体勢のまま仲間達の中央を抜けようとするも、ネヴィアは魔法でそれを阻止していく。
「シュート!! "水の衝撃"!!」
大岩が落下してきたかのような凄まじい轟音が周囲に響き渡り、激しく魔法と衝突したガルドは、その勢いを完全に失った。
だが恐らく、ダメージらしいものは与えていないだろうと推察するネヴィアだったが、彼女がそう思っている間にも仲間達は"魔法剣"を発動させながら、動きを止めたガルドとの距離を一気に詰めていく。
先陣を切ったのはファルだ。
ガルドの真正面に一瞬で詰め寄った彼女は、顎下を右手で跳ね上げて隙を生み出し、左こぶしを真っ直ぐに放って強打し、仰け反るような顔にめがけ、自身の腰まで引いた渾身の右こぶしを当てながら、ガルドの横を走り抜けるように通過していく。
走り抜けた彼女は右こぶしを伸ばしたまま、小さくも鋭い声色で言葉にした。
「――アルチュール流覇闘術、"双覇一閃"」
ファルの言葉とほぼ同時に、爆発したかのような轟音と共にガルドの体内に送り込んだ"覇"が暴発する。
覇闘術最大火力を持つ技のひとつとなる三連撃に耐えられるはずもなく、あまりの衝撃に悲鳴すら上げずに、立ち上がったまま微動だにしないガルド。
その隙を見逃すほど、彼らは甘くなどない。
即時行動をしていくヴァンとシルヴィアは、一気に距離を詰めていく。
ガルド正面左側で力を溜めていたヴァンは、渾身の一撃と共にマナブレードで強化した戦斧を振り下ろしながら言葉にしていった。
「"大地を深く切り裂け"!!」
背中から心臓を貫かんばかりに振り下ろされていく戦斧は、ガルドに直撃する。
凄まじい威力を持つその攻撃は、眼前の敵を地にひれ伏させていくだけでは収まらず、周囲の大地を大きくへこませてしまうほどの一撃となった。
彼の攻撃の合間にマナを剣に鋭く練り込んでいたシルヴィアは、ガルドの頭蓋を貫こうと凄まじい突きを繰り出していく。
「――"純水清冷の刺突"!!」
速度を重視したその美しく輝く水色の剣は、あまりの速さにその剣閃ですらも僅かにしか見せないほどの攻撃となってガルドへと迫る。
しかしその攻撃は、無情にも弾かれてしまう。
まるで頭部を滑るように彼女の突きをずらされてしまった事に、シルヴィアは戸惑いと焦りを隠せない。
今繰り出した攻撃は、ずらすとか、ずらさないとか、そういった話を凌駕する一撃のはずだ。イリスの教えからも学んでいた彼女が、自身が放った魔法の本質を誰よりも理解しているはずだった。
これはたとえ保護魔法で身を固めようと、その全てを貫けるようにと彼女自身が突きに特化した魔法に鍛え上げ、手にした新しい力だ。
それを防御するなど理解に苦しむ彼女は、瞬時にその答えを導き出す。
それはつまり――。
「つまり私の攻撃魔法よりも、あちらの保護魔法が優れている、という事ですわね」
魔物如きに鍛錬を続けた自身の力が通じないことに、苛立ちを覚えるシルヴィアではない。彼女だけでなく、仲間達は言の葉を本格的に学び始めて、まだたったのひと月にも満たないのだ。
ましてや本能とも言える様な力の使い方をする特殊な魔物に対し、攻撃が通じないのもありえない話ではない。そしてそれをシルヴィア達も想定の上で戦いに挑んでいる。
それでも彼女の思考は、凍り付いてしまうほどの異常さを感じてしまっていた。
ヴァンの攻撃に瞳を瞑っていたガルドは、ギロリとシルヴィアを睨み付け、彼女の心に揺らぎを与えていく。
同時にガルドの周囲に透明な靄のようなものが満たされていき、全身から怖気立つものを感じた仲間達は、それをいち早く伝えたロットの言葉に身体を反応させ、寝転がる存在から距離を開けていった。
「――バック!!」
ヴァンとシルヴィアはロットの近くへ、ファルは更にガルドの奥へと距離を取ると同時に、周囲を爆発させるかのような衝撃波が襲い掛かる。
奴の周囲二百センルほどが吹き飛ばされ、ヴァンの攻撃で付いたへこみを更に大地を抉っていく。
驚愕しつつも、ガルドの周囲を大回りで避けながら、仲間達の下へと戻るファル。
事なきを得たシルヴィア達だったが、目にした攻撃に言葉を失っていた。
ほんの僅かな間沈黙が続くが、心の声が漏れるようにぽつりと言葉にしたファルに、その場にいる誰もが答えられず、ただただ立ち竦んでしまっていた。
「……攻撃としても……マナを、使うのか……こいつは……」
体内にあるマナを暴発させたとしか思えないその力の使い方に一同は驚愕し、その思考は完全に凍り付いてしまう。
「……化物め」
ヴァンの攻撃すらも、大した威力を感じさせないガルドへ向けて放つも、その言葉は無常にも空へと溶け込むように消えていった。
全身から冷たい汗が噴き出してくる彼らに向けて、怒りを露にしたガルドは後脚に力を込め、今にも襲い掛かろうとしていた。




