"単純で明快なもの"
尚も凍り付いてしまっているイリス達をよそに、リオネスの意識は眼前のイリスへと向けていた。
「……り、リオネス陛下? ……その、仰っている意味が理解しかねる私に、申し訳ございませんが、もう一度お教えいただければ大変嬉しく存じます……」
「お前自身が、奴等の代わりに俺と戦えと、そう言っている」
その言葉に解凍されたヴァンとロットは動き出し、激しく言葉にしていった。
「貴様! 勝負を挑んでいたのは俺達だろう!?」
「そうですよリオネスさん! まずは俺との勝負ではないのですか!?」
「お前達との勝負に興味がなくなった訳ではない。ただ優先順位が変わったに過ぎない。当然、お前達との勝負は付けさせて貰うが、それはまた別の話だ」
「ならばまずは俺と戦え! 今すぐにでも相手になってやる!!」
「イリスと勝負だなんて何言っているの!? 訳が分からな過ぎだよ!!」
反感を持つように、痛烈に言葉にするヴァンとファルだったが、既にリオネスは憑き物が落ちたかのようなすっきりとした表情で、随分と穏やかな口調になっていた。
冷静さを取り戻したリオネスの言葉に、ただただ驚くばかりのヴァンとロットは頭が真っ白になってしまうも、必死に打開策を考え続けていく。
しかし、そんな彼の標的が自分達ではなくイリスへと移ってしまった事に今更ながら気付かされた二人は、完全に冷静さを失っていた。
様々な思考が凄まじい速度で彼らの脳内を駆け巡るも、そのどれもが的を射るようなものではなく、全くと言っていいほど良い考えなど纏まる気配はなかった。
時間だけが無駄に費やされていき、焦りばかりが募っていく。
そんな中、先に言葉にしたのはイリスだった。
「……私がリオネス陛下のお相手をすれば、ヴァンさんとロットさんとの勝負は、ご遠慮願えるのでしょうか?」
「そうだ。しかしそれも、今に限っての事になる。奴等との戦いは俺の願いでもある以上、それを取り消す事は最早できないが、この場では大人しく引いてやる。
幸い、ロットはリシルア国に行くと言っていたからな。その意思が今も奴の中にあるのであれば、俺はもう何も言わん」
「……そうですか。分かりました。
リオネス陛下との勝負を、お受けさせていただきます」
イリスの言葉と同時に、彼女の名をとても大きく声にしてしまう仲間達。
彼は非常に執着心が強く、一度でも勝負を受けてしまえば、今度はイリスが標的として追い回される可能性が非常に高い。
勝つまで諦めない姿勢は、本来であれば素晴らしい心持ちではあるのだが、それは彼には一切当てはまらないだろうし、勝つまで執拗に付け狙い続けると思われた。
聡明なイリスが、彼との勝負が意味するものを理解できない筈がない。
となればそれを知った上で、彼の提案を受けたとしか思えない。
何か深い理由があってのことかと深読みをし続ける仲間達であったが、イリスの思考は至って単純で明快なものであった。
このままリオネスを煙に巻いてこの場を離れたとしても、必ずどこかで追いつかれ、避けようのない勝負を挑まれることは確実だろうと思われる。
それはニノンのような長閑な場所であっても、エルマのような子供達が元気に走り回る場所であってもだ。彼はお構いなしで挑んでくる可能性が高いだろう。
彼は勝負事を何よりも好み、執着心が非常に強い。
これは、ヴァンと出逢った日からイリスは知っていた事だ。
そして今日、改めて知ることとなった事実があった。
話に聞いただけでは決して窺い知る事のできない、"彼の本質"とも思えることを。
リオネスは闘争本能とも呼ぶべき闘争心の塊を持ち、それを抑え付けることを苦手としている、ということだ。先ほど彼が言葉にしたように、それを制御するのを不得意としている以上、理性で行動できない場合もある、という意味にもイリスには思えた。
それは本人の意思とは無関係に、まるで意識なく当り散らすような状況となってしまう可能性もあるかもしれない。
人から聞けば傍迷惑な事この上ないが、それを意図して行動していない可能性がある以上、溜まりに溜まった鬱憤を発散させねば、爆発するかのように心を抑えられなくなってしまうのだろうとイリスは考えていた。
それを証明するかのように、彼は落ち着きを取り戻して以降、怒鳴り散らすようなそぶりを見せてはいない。
恐らくはこちらが彼の本質なのだろうと、イリスには思えてならなかった。
彼自身が言葉にした様に、このままではヴァンとロットを襲いかねないだろう。
それは逆に言うのであれば、自身の意思を抑えきれず暴れ出してしまう、という意味にも彼女には聞こえていた。
要するに彼は、ある感情に関して抑えることを不得意とした人物であり、持ち前の荒々しくも激しい気性や言動から、非常に誤解されやすい人物でもあるということだ。
正直なところ、これを冷静なヴァンとロットが分からない筈がないとイリスには思えてならないが、恐らくはあの国にいる冒険者達がリオネスを見つける度に勝負を挑み、彼の心が戦う者としての意識を高め、感情を昂ぶらせてしまっているのだろう。
こうしてあの国から離れて話をしてみれば、少々気性は荒いものの、極々普通の方に思えてしまうイリスだった。
だが残念な事に彼もまた、あの国から離れる事は難しい性格をしているのだろう。
勝負を受けるとイリスが言葉にした瞬間から、その瞳に移る光がより一層増して見えている。本当に戦うことが大好きで仕方がないのだろう。
その点に限っては、イリスには全くと言っていいほど理解する事は難しいのだが、
やり場のない想いを発散させたいという気持ちは良く分かる。
つまるところ彼は、身体を動かしてその鬱憤をなくしたいだけなのだ。
ならばその相手は、イリスにも十分務まると思っていたようだ。
しかし、ひとつだけ気がかりな事が残っている。
それについてイリスはリオネスに、穏やかな口調で尋ねていった。
「ですが、勝敗についてはどのように付けるおつもりなのでしょうか?」
「ふむ。それを先ほどから考えていたのだがな、俺は喧嘩を吹っかけてくる奴ならば女だろうが構わず戦っていたのだが、お前はどう見てもそういった連中とは明らかに違うからな。さてどうしたものかと考えていたところだ」
「であれば勝負をしようだなどと、口にしなければ良かったのではないかしら?」
「少なくとも此奴はお前よりも遥かに格上なのは、見ただけで既に理解していた。
それよりも俺は、意識が別のところにあったからな。
いや、正直苛立ちの方が遥かに大きかった、というのが正しいか」
かなりの皮肉を込めた挑発をしてしまうシルヴィアだったが、至って平然と言葉を返していくリオネスにシルヴィアだけでなく、イリスを除いたこの場にいる誰もがその激変振りに戸惑いを隠せずに、再び思考が凍り付いてしまったようだ。
どうやら彼は、自分が推察した通りの人物らしく、やはりここは戦うべきなのだろうと覚悟を決めていくイリスだった。
「……ふむ、そうだな。ではこうするか。
"どちらかが背中を地に付けた時点で負け"としよう。
だが俺は女を殴る趣味はないからな。こちらから攻撃をするつもりはない。
それでも地面に叩き付けられる様に、投げ飛ばされるくらいの覚悟はして貰うが」
随分紳士的な言葉に思えてしまう彼の言葉に、思わず周囲を確認してしまうファルだったが、どうやらこの辺りにリオネス以外の人物はいないようで、更に彼女を混乱させてしまう結果となっていたようだ。
彼の提案を聞き入れたイリスは、ここでは狭いので外に行きましょうかと言葉にすると、素直に彼も了承し、付き従うように歩いていった。
シルヴィア達はというと、そんな彼の様子に戸惑いながらも言葉を発することもできず、イリス達の後ろを付いていく形となってしまっているようだ。
中でも驚愕の表情を浮かべ続けているヴァンとロット。
彼のこんな姿は、未だ嘗て見た事も聞いた事すらもなかった。
本当に奴はあのリオネスなのかと考える推察は、既に二十回目を超えてしまっているようだが、残念ながら明確な答えに辿り着く事はなかったような顔をしていた。
洞穴のような狭い入り口を抜けると、彼女の存在に気が付いたエステルがイリスの下に駆け寄り、いつものように声を優しくかけながら彼女を撫でていると、興味深そうにそれを見ていたリオネスは言葉にしていった。
「……ふむ。良い馬だな。良く主人に懐いている。馬車から離していることに驚きは隠せないが、お前が主人であれば納得できてしまう」
「ありがとうございます。
彼女はエステルと申しまして、私達の頼もしい仲間にございます」
相も変わらず口調に変化を見せないイリスに、思わず苦笑いをしながらリオネスは話していく。
「もういい加減、その王様扱いはいいぞ。先程は言われ慣れぬことに気分良く思えてしまったが、今はもう気恥ずかしさの方が強い。俺は王ではない。俺は――」
「"武を探求する者"、でしょうか」
リオネスの言葉を遮るように言葉にするイリスに、少しだけ口角が上がった彼は彼女に尋ね返していった。
「ほう、良い表現だな。何故にそう思う?」
「リオネスさんは戦いがお好きだと以前より伺っていましたが、その気性の激しさ故、とても誤解されやすい方だと、勝手ながら私にはそう思えました。
もし貴方が、ただ戦うことのみを欲しているのであれば、それこそ魔物をひたすらに狩り続けても不思議ではありません。
そうされないということは、戦うこと自体が好きなのではなく、戦うことで己を磨き、高めていくことで視える"その先"を見ようとしているように感じられたんです。
それはまるで、未だ見えぬ空の先に手を伸ばすかのように、私には思えました」
「……未だ見えぬ空の先に手を伸ばす、か。本当にお前は良い表現をする。
ここで戦ってはエステルもさぞ驚くことだろう。少し場所を移すか」
次から次へと彼から飛び出す想像だにしていなかった言葉に、最早ヴァンとロットは、彼が全くの別人にしか見えなくなっていたようだ。
そしてそれは、ファルも同じ気持ちだった。
彼の性格をシルヴィア達よりは遥かに知っているつもりだった彼女にとって、彼という存在は非常に面倒でうざったい人物だという位置付けであった。
しかし、どうやらそれらは間違っているのかもしれないと思える反面、どこか彼が偽者なのではと思わずにはいられないファルは、訝しげに彼を洞察し続けているようだった。




