その広大な"熱帯草原"で
転がるティグリスを一瞥しながらも、シルヴィアは周囲の警戒を怠る事はなかった。
たった一匹であっても、襲撃してきた魔物の強さが跳ね上がったようにも思えてしまう彼女達であったが、これがこの地方特有とも言える魔物なのだと先輩達は語る。
あれから、二日と少しが経ったところだろうか。
空は美しい茜色に染まり、雄大な熱帯草原はどこまでも広く、見通しは非常にいい場所となっていた。
まるで大地に溶け込む赤色と黄色を合わせたかのような太陽を見ながら、広大な草原に立つイリスは何かを考え込みながら、乾燥した空気を感じる大地に立っていた。
この辺りは既に"あの国"の領土へと入っている。
とは言っても、その地域一帯を国や街が支配しているという事ではなく、あくまでも魔物の分布が完全に変わる場所、という意味合いが非常に強い。
特にツィードや周囲にある街となっている南西のリストール、更には西に位置するアルバなどから次の街へと進むと、それを色濃く感じることができる。
アルリオンやエークリオ、フィルベルグなどはこの地域と比べてしまうと、とても穏やかだと言えてしまうほど、この一帯は言葉通りの危険地帯とされていた。
だからこそ、この地域に住む人々、中でも冒険者を生業としている者達は、血の気がとても多く、非常に荒々しい者達で溢れ返ってしまっているという。
それはこれから向かいつつある国に根付いてしまった精神とも言われる"国の方針"がそうさせてしまっている、とも言えなくはないのだが。
ともかく、この地域の魔物は、そういった冒険者達が目の色を変えて戦うに値する強さを持つ、ということだ。
しかし危険な魔物と言えるほどの存在を倒す事ができれば、かなりの収益となる事が多いのも事実であり、世界中のギルドの中でも相当に潤っているのも間違いではない。
もちろん倒した魔物の価値や状態にもよって金額は変動するが、希少種とも言える魔物を倒せば、一夜どころか、たったの一回の戦闘で莫大な報酬を得ることも可能だ。
当然それには相応の危険が伴うことだし、もし倒せるのであれば、ではあるのだが、希少種と判断されている魔物を捜し歩くチームも、あの国にはとても多いそうだ。
そういったことを抜きにして、この大自然と断言できる雄大な大地に立っていると、とても不思議な気持ちを感じてしまうイリスだった。
この地域に生息している魔物は、厄介なものがとても多い。
非常に獰猛な存在であるヒョウ型の魔物パルドゥス、トラ型のティグリス、サイ型のライノスィロ、スイギュウ型のブッフェルス、ハイエナ型のハイアニィス、カバ型のアムピビウス、ワニ型のクラカダイル、ゾウ型のエレパース、キリン型のギラッファ、ライオン型のレオルなど。
正直なところ、どれと遭遇しても初心者冒険者では、とても倒せないような存在であることは間違いないだろう。
そんなことからあの国にいる冒険者を目指す者は、まずはギルドから冒険者として認められる"強さ"を求められ、それに応えられなければ冒険者としての活動を認めてもらうことができないという、とても特殊な制度が設けられている。
獰猛な魔物と対峙した経験者は口を揃えたように『実力を手にしてから戦え』と言葉にするが、冒険者を目指す若者の中には言い渋る者がとても多かった。
憧れの冒険者という職業になりたくともなれない歯痒さ故に、そう思ってしまうのも仕方のないことではあるのだが。
先日遭遇したクラカダイルが一匹であれば、初心者でもその対処法をしっかりと学んでいる者なら倒せなくはないのだが、攻撃を一度でも当たってしまえば致命傷になりかねないために、再起不能になってしまう者や、最悪の結果となってしまう者も、残念ながら出てしまっているのが現状だ。
全ては自己責任と言われてはいるが、行き急いで手痛い教訓では済まない者も少なくはないこの地域では、ギルドが提唱しているしっかりとした訓練に耐え、魔物の対処法を頭に叩き込んだ者でなければ、冒険者の登録ができないような仕組みになっていた。
ちらりと再び一瞥するシルヴィアの視線の先に転がるそれも、そんな危険で獰猛な魔物の一匹となっている。
ティグリス。
動きは速く、驚異的な力に獰猛さを併せ持つ、トラ型の魔物だ。
百七十センルは軽くあるだろうという巨体に、血の気が引いてしまう爪とおぞましい牙を持つ、明らかにフィルベルグ周辺では見かけない強さを持つ存在だった。
これでも小型だと学んでいると言葉にするイリスに、姫様達は引いてしまっていた。
この転がっている魔物は、最早危険種と認定してもいいのではないだろうかと思える強さを感じてしまう彼女達だったが、ヴァン達によるとこの魔物は、この地域の大型種の中では上位に入る強さではあるものの、流石に危険種にギルドが認定することはないだろうと言葉にした。
しかし、この熱帯草原一帯には、大型種を超える"巨大種"と呼ばれる存在がいる。
肩高四メートラを軽く超えてしまう、エレパースやギラッファなどがそれである。
これらの魔物に1チームで討伐する事は、非常に危険だと言われている。
その巨体から繰り出される攻撃は、当たれば即死と判断されるほどの驚異的な威力を叩き出し、その大きさがまるで物語っているような耐久性を持ち、こちらの攻撃に一切怯むことなく襲い続けてくるという非常に危険極まる存在だ。
現実的に逃げられない状況へと追い込まれた冒険者達は、1チームで討伐する事も、あの国の長い歴史の中で言うのであれば無くはないのだが、そのどれもが全滅しかけているという結果が文献に残っているそうだ。
そういった経緯から、単独チームでの討伐をギルドは禁止し、余程の事がない限りは1チームで闘うことはない。
そしてそれらを発見した場合は、その場から退避することを推奨している。
討伐する場合は、遠距離攻撃を得意とする冒険者を多く起用し、最低でも十五人から二十人ほどの冒険者を、三チームから五チームに分けて結成しなおし、指揮官を置きながら戦う"レイド"と彼らが呼称している戦い方をするのが主流となっている。
こうすることで、巨大種を安全に狩ることができるようになり、レイドを起用して以降は滅多な事で死者を出すことはなくなっていた。
そんな巨大種も非常に危険な存在であることは間違いないだろうが、それらを凌駕するとんでもない魔物が、極々稀にこの周辺で発見されている。
その名を"モニタリザルド"。
リザルド種最凶と言われるこの魔物は、厄介な事この上ない存在とされている。
全長は二百五十センルから三百五十センルが一般的で、大きいものとなればそれ以上の個体も存在すると文献には記されている。
性格は獰猛且つ狡猾。一度敵として見定めると、執拗に同じ対象を攻撃し続ける点は危険種であるグラディルと同じではあるが、流石にあれほどの攻撃力はない。
だが、そう簡単に安全だと看過できるほど甘い存在では断じてなく、鋭い牙や爪からの攻撃を受けてしまえば、ただでは済まない驚異的な威力を持つ。
中でも取り分け非常に厄介なのは、体長と同じくらいの長さもある尾だ。
一振りで大岩を破壊する事ができるほどの威力を叩き出してしまう為、背後だろうが側面だろうが危険な事に変わりはない。
その攻撃速度も非常に速く、違った形でそれを体験してしまっているイリスにも、思うところはあったようだ。
流石にドレイクほどの凄みは全くないだろうが、問題はそれだけではない。
このモニタリザルドは厄介な毒を持つ存在で、一度その牙に捕らえられてしまえば、出血が止まらず、そう時間もかからずに果てる事となってしまう。
生息地域も非常に広く、この国の全域で発見報告がされている。
年代も判別できないほどの大昔の文献には、大量発生した記述までされているそうで、恐らくはそれ以降からこの魔物が発見され次第、真っ先に倒せと指示されるようになったのだろう。
今現在では、発見しただけで情報料をギルドが出すほどの存在となっている。
運悪く遭遇した時のために、解毒剤を常備して歩かねばならない危険な地域となっているが、それについての対策も既にイリスは取っていた。
モニタリザルドが持つ毒はリンカルスとは違い、どんな個体からでも抽出した毒から中和剤を作ることが可能となっている。
解毒剤となる薬も、ツィードの薬師のひとりであるソラナの店でも取り扱っており、既に人数分以上の解毒薬を購入して馬車に積み込み、もしもの時に備えてあった。
数が非常に少ないと言われる存在であっても、数年に一度は発見報告と討伐が今現在でも繰り返されているらしく、残念ながら絶滅させるには至っていないのが現状なのだとヴァンは言葉にした。
しかしこの魔物は同時に、多額の報奨金が出される存在となってしまっており、モニタリザルドを捜し歩く冒険者が非常に多いんだよと、先輩の一人であるロットがとても微妙な表情で語っていた。
彼からすればお金などではなく、人々の安全と安心のためにそうして欲しいと思ってしまうのだが、どうやらそういった考えを持つ者も、残念ながらあの国のギルドに所属する上位冒険者には存在していないそうだ。
王やギルドの件だけでなく、血の気が多く私欲で行動する者も多いあの国に留まる理由は、ヴァンとロット、そしてファルの先輩たち三人には、全くと言っていいほどなかったのだとイリス達は肌で感じ取っていた。




