"闇からの使者"
だが、そんな穏やかな日常は、翌日の昼には音を立てて崩れ去ってしまう。
目の前にあるひとつの大きな鍋を凝視するイリス達。
正確には鍋ではなくて、その中に入っているモノではあるのだが……。
「…………なん、だ……これ、は……」
思わずヴァンが言葉にするも、誰も答えることができずに鍋の中身から視線を動かせずにいるようだ。
「……えっと……これは……お料理……なんでしょうか……」
「……そう……なのかな……」
様々な知識を持ち合わせているイリスとロットであっても、この物体の正体を掴めず、ひたすらに思考を巡らせていくも、明確な答えに辿り着くことはなかった。
「…………これは……想定外でしたわね……」
「……ど、どうしましょうか、姉様……」
「……どうもこうも、私の想像の範疇を大きく逸脱し過ぎていて、言葉になりませんわよ……」
「どうかな!? 今回のは、かなーり自信作なんだー!」
笑顔で両手を腰に当てながら、おたまを右手に持つ料理人。
噂には聞いていたが、まさかこれほどまでのモノを作り出すとは、流石のシルヴィアも思っていなかったらしい。
面白半分でヴァンとロットの見ていない隙を見計らい、ファルに料理をさせていたシルヴィアだったが、やはり止めるべきだったと今更ながらに後悔していたイリスとネヴィアは、視線を尚も鍋のモノに向けたままどうするべきかと考えているようだ。
しかし、作り出してしまった以上、これを食さねば素材に失礼だ。
そう考えながらも試食する事を躊躇ってしまっているイリスに、ファルは笑顔で言葉にしていく。
「イリスほど美味しくはないけど、それなりに美味しくはできたと思うんだー」
そう言葉にしたファルは、スプーンで掬ったモノを口に運んでいき、もぐもぐとして空を見上げながら感想を述べていった。
「んー。お塩ちょっと足りなかったかな? まぁ、これはこれで美味しいか」
塩がどうとか、そういった話ではないのではないだろうかと口にしそうになるも、中身の異質さに言葉にならなかったヴァンは、背中に冷たい汗を掻いていた。
ヴァンとロットの本能がそれを食すのは危険だと、警鐘を鳴らしているようだ。
シルヴィアとネヴィアも、それが"良くないもの"であることは理解できていた。
言葉に例える事など、とてもではないが難しいだろう。
しかし、それをあえて言葉にするのであれば、"闇からの使者"といった所だろうか。
だが、このままではと意を決したイリスはスプーンを手に持ち、味見をさせてもらう事にしていくも、赤と黒のマーブル模様を毒々しさを彩っている物質を掬った手が、かたかたと震えていた。
香りはとても良い。
寧ろとても美味しそうないい香りだ。
入れた食材も、変わったものや危険なものなど一切なかった。
食材の切り方や調理法で変わるとも思えないが、それでも特に変わった事はなかった。
ではなぜ、こんなにもおどろおどろしい色をしてしまっているのか……。
その理由がどうしても分からないイリスだったが、相当の覚悟でスプーンを口にぱくりと運んでいった。
「――ひぅっ!」
身体が硬直したようにピンと真っ直ぐになりながら、真後ろに倒れこむイリス。
そのあまりにも衝撃的な光景に、ファル達は取り乱しながら彼女の名をほぼ同時に叫んでいった。
「え!? ちょ、イリス!?」
「イリスさん!?」
「イリスちゃん!?」
「「イリス!?」」
仲間達の心配する声が徐々に遠のいていくイリスは、彼女が創り上げてしまったモノの本質を捉えつつも、堪えきれずにその意識を手放していった。
イリスが意識を取り戻したのは、三十ミィルほど経っての事だとシルヴィアから聞かされた。
彼女にその自覚はなかったが、目が覚めるまで、ひたすらにうなされていたそうだ。
「ごめんね、イリス。まさか気絶させちゃった上に、うなされるようなものを作っていたなんて思ってもみなかったよ……。
でもおかしいなぁ。そんなにヒドイ味じゃないんだけど……」
とても申し訳なさそうにイリスに謝るファルだったが、自分で作り上げたものをボウルに盛り、もぐもぐと美味しそうに食べていた。
そんな彼女の姿を、とても微妙な表情で見つめるシルヴィア達。
彼女には本気で料理をさせない方がいいらしいと考えていると、イリスがそれについての説明をしていった。
「ファルさんが作り上げたものは、お料理に違いはありません」
「そ、そうなんですの!? とてもそうは思えませんわよ!?」
「……シルヴィア、ひどいよ……」
「あ……。申し訳ありませんわ」
「いいよいいよ。聞きなれてるから」
若干鼻をすする彼女に口を滑らせてしまったことを申し訳なく思うも、それでもやはりあれは人の食べるものではないのではと思ってしまうシルヴィアだった。
「ファルさん、お料理を作る時、どんな事をされたのか覚えてますか?」
「あたしはただ材料を切って、調理始めて、おたまでぐーるぐるしてただけだよ?」
「そのぐーるぐるの時、何か言葉にしていませんでしたか?」
「え? 言葉? …………『美味しくなぁれ』って言ったけど?」
「それですわ!!」
「ふぇ!?」
勢いよく言葉にしたシルヴィアに、びくっと身体が飛び跳ねたファルは未だ疑問符が抜けずに要るようだった。
だが、それこそがこの作り上げたモノの原因だと確信したシルヴィアは、言葉を続けていく。
「その『美味しくなぁれ』が問題だったのですわ! 知らず知らずの内にファルさんからマナが溢れ出し、お料理へと混入されていたのですわよ!」
「こ、混入って……」
その表現はいかがなものだろうかと思えてしまうファルだったが、どうやらイリスも同じ考えだったようだ。
尤もこちらは一度彼女の料理を食しているので、その身をもって体験してしまっているが……。
「ファルさんのお料理には、マナが含まれている気がしました。
味自体はとても美味しかったのですが、お料理に含まれるマナが私の体内で反応してしまったらしく、気を失ってしまった、という事ですね」
所謂"マナの相反作用"ですねと、イリスは続けて言葉にした。
「な、なるほど。それでイリスのマナが拒絶したかのようになってしまった訳か」
「……それはつまり、同じように作ったファルの料理は、ファル自身じゃないと食べられない物ってことなんじゃないかな……」
「……それじゃ、今まで作ってきた物は、本当に食べられない物だったの?
……食べた人へ、確実に影響が出るものを、あたしは出していたの?」
それらは、良かれと思って出した料理である事に違いはない。
ただ、それこそが元凶だったと知った彼女は、瞳一杯に涙を溜めてしまっていた。
自分のせいで文字通りの犠牲者を出していた事実を知り、心の底から申し訳なく思っていたファルは絶句していた。
そんな中、ネヴィアの優しい声が彼女の耳に届いていき、それに続いてイリスも続けて言葉にしていった。
「……では、マナを込めなければ、普通の美味しいお料理になる、という事ですね?」
「ええ、その通りです。マナが込められていたのが原因なんですから、それに気を付ければファルさんも美味しいお料理を作ることが出来ると思いますよ。
折角クラカダイルのお肉が沢山あるのですから、これを使って塩焼きから練習してみましょう! マナが込められていれば見た目でも分かると思いますから、簡単なお料理から試してみましょうね」
「……ねびあ……いりず……」
ぽろぽろと涙を零し、彼女達に抱き付きながらありがとうと言葉にした彼女は、それ以降、凶悪とも言える料理を作ることはなくなったという。




