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この青く美しい空の下で  作者: しんた
第十二章 一花の歌姫
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花が"咲き揃う"草原で


 アデルが指し示した先の引き出しには、五通の封筒がとても綺麗にしまわれていた。

 イリス宛、ソラナ宛、エンリケ宛、テランス宛、そして……、


「……ブリジットさん宛ての、お手紙……」


 思わず手紙を持ったまま、涙が溢れてしまうイリス。

 声は震え、感情を抑え込まなければ、今にも泣き出してしまいそうだった。

 続けてアデルへ視線を向けていくと、彼女は精一杯の笑顔でそれに応えてくれた。


 イリス達がこの家で暮らすようになってから、彼女が手紙を書いている姿を見たことがない。恐らくはそれよりも前から用意していた事になるのだろう。


 そんなアデルは、これまでずっと悔やんでいた。

 親友であるブリジットへ手紙を出さないと言葉にしたことを。


 もし手紙を出してしまえば彼女の迷惑になってしまうかもしれないし、彼女の生き方を乱してしまう可能性や、心に深い傷を与えてしまうかもしれないと感じていたアデルだったが、それでも抑える事のできない想いが溢れてしまっていた。


 この手紙を出すことは、自分の我侭だとアデルは思っている。

 自分勝手な手紙となるだろうことは、良く分かっているつもりだ。


 でも、それでもアデルは、どうしても書きなくなってしまった。

 生存報告と、これから旅立つ旨を伝える事となる、我侭で、本当に身勝手な手紙になると分かってはいても、それでも彼女に想いを伝えたいと思ってしまった。


 遅かれ早かれ、自分の存在を知ることとなり、彼女はこのツィードへとやってくるだろう。

 それならばせめて、手紙だけは書くべきと思えてしまった。

 これが一番、自分の気持ちを込められるものだと信じて。



 ……謝罪から入る手紙を読んで、彼女はなんと思うのだろうか。

 苦笑いをしながら、アデルちゃんらしいねと言葉にしてくれるのだろうか。

 それとも、二十七年間も縛り付けるようにしてきた想いから、開放されるような気持ちになってくれるのだろうか。


 それでも彼女の事だから、涙を流しながらも、笑顔でまた歩き出してくれるのではないだろうか。


 そうであってくれるのであれば、これ以上ないほどに嬉しく思う。

 ずっとずっと心配してくれていた彼女の心が、まるで美しい青空のように澄み渡ってくれるのであれば、こんなに嬉しいことはない。


 そして四通の手紙には、それぞれ感謝の気持ちを込めて書いたものとなる。

 これまで頑張って来ることができたのは、ここにいる皆さんと、これまで支えてきてくれているエンリケさん達のお蔭だ。

 それならば、ほんの少しでも、感謝の気持ちを伝えたいと思った。


 本当なら言葉で伝えようと思っていたけれど、残念ながらそれはもう叶いそうもない。手紙を書いておいて正解だったかもしれない。

 まさか、こんな状況になるとは思っていなかったけれど、それでもこの手紙を読んでもらえたのなら、感謝の気持ちのほんのひと欠片でも伝える事ができるはずだ。

 正直なところ、そんな手紙程度では伝えきれないほどの感謝をしているのだけど、流石にもう、それ以上の想いを伝える事はできなくなってしまった。


 ……でも、きっと……。

 私の想いは、伝わると思う。


 みんな、本当に心優しい人達だもの。

 言葉で伝えなくても、きっと分かってもらえる。


 今の私にできることは、伝わると信じることだけだろう。


「……イリ……さ……の……てが……み……」

「私宛のお手紙を、読んでもいいのですか?」


 アデルは頬を少しだけ緩ませながら、こくりととても小さく頭を縦に動かしていく。

 その様子に笑顔で応えたイリスは、丁寧に封を開けていき、中の手紙を拝見させてもらった。



 ……ありがとう、イリスさん。

 ……本当に、感謝の念に堪えません。

 私の拙い言葉でも、貴女はしっかりと想いを受け取ってくださるのですね。



 手紙を読んでいたイリスは目を大きく見開きながら、アデルへと尋ねていった。


「……お人形を、ブリジットさんへ?

 でもあの子は、アデルさんの大切な宝物では?

 これからもずっとずっと一緒にと思っていたのですが……」


 そう言葉にするイリスへ、微笑みながら首を横に小さく動かしていくアデル。

 本当にいいのですかと尋ねてしまうイリスだったが、彼女の意思は変わらないようだ。


「わかりました。お手紙と一緒にブリジットさんへ届けます」

「……あり……と……イリ……さ……」

「いいえ、こちらこそありがとうございます。

 お手紙を書いてくださって、本当に嬉しいです。

 何か私にできることはありませんか?」


 顔色も、声色も一切変えず、普段通りの笑顔で言葉にしていくイリスだったが、内心では泣き叫びそうなほど辛かった。

 そんな彼女の痛みを知ってか、アデルは優しく微笑み返すと、ひとつのお願いをイリスにしていった。


「唄、ですか? 私の唄でいいんですか?」


 少々驚きながらも、はにかみながらアデルへと答えていくイリスだったが、どうやら彼女はそれを望んでいるようだった。


 そう広くはない寝室で、イリスは静かに唄い出す。

 アデルの身体に障らないように、優しく、静かに、何よりも丁寧に。

 彼女のためだけに、イリスは唄い続けていった――。





 人は、何かを成す為に生まれてくるのだと、何かの本に書いてあった気がする。


 本当にその通りなのかもしれない。

 現に私も、何かを成すことができたのかもしれないと思えてしまう。


 それでも私は、そうではないと思えた。


 "何かを成す為に生まれてくる"だなんて、そうする事が正しいと言われているみたいに聞こえてしまう。

 まるでその人の価値を、成したもので決められてしまうように感じてしまう。

 私にはそれが、とても乱暴な言葉に聞こえてならなかった。


 だから私は、そうではないと思えた。


 人は、何かを成す為に生まれてくるのではなく、何かを成して残すことができる人もいるかもしれないと、そんな風に思えてしまう。

 それはとても小さなことであったり、家族や友人のために遺す事ができるものであったり、何か世界に影響を及ぼしてしまうほどの、とても大きなものなのかもしれない。


 でも、そのどれもがとても素晴らしく、何よりも尊いものである事に違いはない。

 誰かを想って何かを遺しているのだから、尊いことに違いなどあるはずがない。


 ただそれが大きいのか、それとも小さいのか。

 その程度でしかない。


 私には、そう思えてならなかった。


 これが正しいのか、それとも間違っているのかは私には分からないけれど、でもきっと正しいことなのだと思えてしまう。

 そうであったらいいという希望を込めて、そう思えてしまう。



 ……あぁ。

 私の人生は、痛みと苦しみの中にあったけれど……。

 最期には笑顔で過ごすことができた。


 大好きだった歌も、唄うことができた。

 それもあんなにも多くの人の前で、あれほどの最高の唄を……。


 きっと私は、あの瞬間のために、生き続けていたのかもしれない。

 今までの苦しみが、たった一回の唄で全て報われたようにも感じられた。

 そう思えてしまうほどに、とても幸せで、何よりも尊い時間を過ごす事ができた。


 私は、本当に幸せ者だった。

 あれだけ多くの人に喜んでもらえて、今も尚、これだけ多くの人達に愛されながら眠る事ができるのだから。


 きっとこんなに幸せな人は、そうはいないと思えてしまう。



 ……ねぇ、お母さん。

 お母さんの言葉は、間違いなんかじゃなったよ。


 いい事をしていれば、本当にいい事があるんだね。

 もしかしたら世界は、そんな風にできているのかもしれないね。


 ……ごめんね、ブリジット。

 私、先に歩いていくわ。


 ずっと待たせてたんだもの、今度は私が貴女を待ってるね。

 だから貴女は、ゆっくり歩いて、私に逢いに来てね。

 私の分まで、精一杯歩いてから逢いに来てね。


 ……テランス、ごめんね。

 ずっとずっと、大好きだったよ。


 ……だから、私ではない誰かと、どうか幸せになってください。


 貴方なら大丈夫だよ。

 必ず素敵な女性が現れるから。

 テランスは本当に素敵な人だもの。

 だから絶対、大丈夫だよ。


 ……ソラナさん、本当にありがとうございました。

 貴女がいてくれなければ、私はずっと前にこの世を去っていたと思います。

 きっと五年という月日を過ごす事ができたのは、貴女の作って下さったお薬のお蔭ですね。貴女のお蔭で、沢山の素敵な思い出ができました。


 ……イリスさん。本当にありがとう。

 貴女に出逢えたことは、私の人生でも、とても尊いことでした。

 本当に不思議な方ですね、貴女は。


 感謝してもしきれないほどの多くのことを、イリスさんはして下さいましたね。

 唄の事も、手紙の事も、ブリジットの事も。


 貴女がこの街に来て下さったのは、もしかしたら偶然などではないのかもしれないと、私にはそんな風に思えてしまうんです。


 もしかしたら挫けそうだった私に、女神アルウェナ様が遣わせてくれた"天使"

なのかもしれないと、私にはそんな風に思えてしまったんです。


 そして、貴女の唄で眠りに就けるのが、何よりも嬉しく思います。

 こんなに穏やかで、幸せな気持ちで旅立てる私は、本当に幸せ者です。


「…………ありがとう。……イリスさん……」



 次第に瞼が重くなるアデルは、不思議な感覚を感じていた。

 "眠る"時は、きっと暗闇に覆われるものだと思っていたが、どうやら違うようだ。


 徐々に光に包まれていくように思える感覚。

 とても暖かく、心地良い光に包まれていく彼女は、少しだけ、ほんの少しだけ瞳を見開くと、微笑みながらゆっくりと瞼を閉じていった。



 ……本当に、不思議な感覚だった。

 まるでここではない、どこかとても穏やかな世界にいるように思えた。


 例えるのなら、春の陽気と心地良い風。

 花の甘い匂いに誘われてその瞳を開けたアデルは、一面の花で覆われた大地に両足をつけて立っていたようだ。

 思わず左手足を確認する彼女だったが、背後に気配を感じ、ゆっくりと振り向いていく。


 彼女のすぐ近くで遊んでいる一人の少女の名を笑顔で呼びながら駆け寄り、二人の少女はとても楽しく遊んでいった。


 日が傾き、太陽が沈みかけた頃、自分を呼ぶ声が聞こえてきた。

 振り返るアデルは母の姿を見つけると、遊んでいた少女に言葉をかけていった。


『またね、ブリジットちゃん』

『うん! またね! アデルちゃん!』


 抱きつくように母へと飛び込むアデルは、視線を親友に向けていくと、そこにはもう彼女の姿はなく、とても寂しい気持ちにさせられてしまった。


 でも、それも母の顔を見るまでだったようだ。

 母の笑顔に安心し、満面の笑みでアデルは母の腕を抱きしめていった。



 これは夢だ。


 でも、それでも良かった。

 もう一度大好きな母と、大切な親友に逢えたのだから。


 これからは母と、ずっと一緒にいられるような気がしたアデルは、幸福感に満ち足りた気持ちの中、ゆっくりと、その意識を離していった。





「…………おやすみなさい、アデルさん……」



 愛おしそうに彼女の美しい額に唇を優しく触れたイリスは、止まらない涙を抑えることなく流し続けた。


 笑顔を決して崩すことなく、涙を流し続けた。



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