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この青く美しい空の下で  作者: しんた
第十二章 一花の歌姫
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"君が望むなら"


「――ル。……アデル?」

「え?」


 幼馴染の声に引き戻されるかのように、アデルは思考の中から戻ってくることができたようだが、その表情は硬く、内心ではどうしていいのやらといったものを感じさせる顔をしていた。


「どうしたんだい、アデル。心ここにあらずって感じだったよ?」

「あら、ごめんなさいね、テランス」

「何か心配事かい?」

「……そうね。心配、ではあるかもね」

「僕でよければ相談に乗るよ? いい答えが出せるかは分からないけど」

「ふふっ。ありがとう、テランス」


 テランスの言葉に頼もしく思えるアデルは、悩み事とまではいかないまでも、少々考え込んでしまっていた事を彼へと話していった。

 彼女が悩んでいる様々なことを想定していたテランスだったが、どうやらアデルの悩みは少々複雑というか、余り聞いたことのない悩みだったようだ。


「――なるほどね。お店で唄っていたものを聴かれて、そうお願いされたのか」

「そうなのよ。でも、唄っていうほどのものじゃなかったのよ。

 鼻歌に近かったし、自然と口ずさんでいたものだったの」

「でも、お店で歌わないかって言われること自体、凄い事なんじゃないかな」

「確かに凄い事だけど、お店で唄うって事は、誰かの前で唄うって事なのよ?」

「それは、そうだろうけど……」


 人前で歌うことを渋るアデルだったが、歌うこと自体は決して嫌いな訳ではない。

 子供の頃から彼女は、気分がいいと決まって唄を口ずさんでいた。


「僕はアデルの唄を聴きたいけどなぁ」

「もう、人事だと思って……。貴方だって、人前で演奏するのは苦手でしょう?」

「それは、確かにそうだけどさ……」

「私だって本格的に歌を唄った事なんてないのよ?

 それをいきなり"唄ってほしい"なんて言われても、戸惑うだけじゃない」

「そうか、エンリケさんじゃなくてビビアナの方か、そんな事を言い出したのは」

「あの子は言い出したら聞かない子だから、どう断っていいのか分からなくてね」


 それで悩んでいたのかと彼は言葉にすると、頬に手を当てながらアデルはそうなのよと困ったように答えていった。


 昼間の噴水前は、何組かの恋人が楽しそうに語らう場所となる。

 自分達もそんな風に見えていたらと心を弾ませてしまうテランスだったが、幼馴染である彼女からすると、それ以上の存在には見られていないのかもしれない。

 そう思うと、無性に寂しい気持ちになってしまう。


 でも、言い出す勇気も、残念ながら彼にはなかった。

 もし断られてしまえば、今の関係もなくなってしまうかもしれないのだから。

 あと一歩だけ、踏み出す勇気があればと、彼は思わない日はなかった。


「そういえば、旅の薬師さんがこの街に来ているらしいね」

「旅の薬師さん? 珍しいわね」

「そうだね。何でも凄腕の薬師さんらしくて、世界でも有名な方なんだとか」

「そんな方がお店を持たずに、どうして世界中を周っているのかしら?」

「さぁ、どうしてだろうね。何かを探している、とかかな?」

「有名なお薬の素材とか、知らない技術とかかしら」

「どうだろうか。一度会って聞いてみたい気がするけど、そんな用事で会いに行くのも失礼だろうし……」

「縁があればきっと逢えるわよ。……さて。そろそろ戻らなきゃ」

「あ、うん。そうだね。僕も戻らないと」

「今日の夕食はどうするの?」

「特に予定はないよ」

「それじゃあ、今夜もお食事をご一緒しましょう?」

「うん。そうだね、アデル。それじゃあ、仕事が終わったらお店に行くからね」

「たまには別のお店でもいいのだけれど」

「エンリケさんの作る食事はかなり美味しいからね。

 その内、ツィードでいちばんのお店になるんじゃないかな」

「看板娘も可愛いし、きっと繁盛していくでしょうね」


 楽しそうに広場に響いていく笑い声に、周囲の注目を少々集めてしまったようで、

話を切り上げながら、その場を後にしようとする二人だった。


「それじゃあ、そろそろ行くわね」

「うん。あ。アデル。杖、忘れているよ?」

「え? ああ、そうだったわね」

「身体は大丈夫かい?」

「大丈夫よ。この間はたまたまふらっとしちゃっただけだもの。

 エンリケさんは心配性なのよ。いいから持っとけなんて、私には必要ないのに」


 右手で杖を持ちながら、両足でしっかり立ち上がったアデルは、杖を持ったまま『本当に心配性なんだから』と小さく言葉にするも、その表情はどこか嬉しそうだった。



 アデルは何も語らないが、彼女が抱えているものが何か良くないものだという事は、病気に詳しくないテランスであっても想像できたことだった。


 初めてそれを感じたのは、彼女と出逢って五日目の事だった。

 徐々に打ち解けつつあった彼女との会話が、急に途切れてしまった事があった。

 彼女はなんでもないと言葉にしたが、そういった表情をしていなかった。


 エンリケに杖を渡された日もそうだった。

 彼女は立ち上がろうとしただけで、そのまま床に倒れてしまった。


 少し足が痺れただけよと言葉にするアデルだったが、とてもそうとは思えないものを抱えているのを感じたテランスは、良かったと安心したそぶりを見せるも、内心では心臓が張り裂けそうなほどの想いをした。


 先ほどのこともそうだと思えた。

 テランスの呼びかけに反応できず、何かに集中しているように思えた彼は、痛みのようなものを我慢していたのではないだろうかと思ってしまっていた。

 それを彼女が言葉にすることはなかったが、心配をかけまいとする彼女の姿を見る度に、まるで自分がアデルに拒絶されているようにも思えてしまったテランスだった。


 自分は彼女にとって、心配をかけまいとするだけの存在なのだろうか。

 その抱えているものを、共に分かち合う事はできないのだろうか。

 彼女にとっての"特別な人"になる事は、叶わないのだろうか。


 そんな事を考えながら、ある事を思い付いたテランスは彼女へ言葉をかけていく。


「……ねえ、アデル」

「なにかしら?」

「やっぱり歌を、唄わないか?」

「え?」

「君は気分がいいと、よく口ずさんでいたよね。あれ、すっごく良かったよ。

 もっともっと聞きたいって思えてしまうほどの唄だったんだ」

「で、でも、私、誰かの前で唄うなんて……」

「一杯練習すればいいじゃないか。君が望むなら、僕も練習するよ。

 独りじゃ嫌なら、僕も一緒にその舞台に立つよ。二人でならきっと出来るよ」

「二人でなら……」


 テランスの言葉をじっくり考えていくアデルは、一つの答えを出していく。

 彼女の発したものに満面の笑顔になりながら、テランスは心から喜んでいった。


 また彼女の唄が聞ける。

 それも今度は、しっかりとした舞台で、しっかりとした唄が聞ける。

 こんなに嬉しいことはないと、テランスは思っていた。


「……お互いにもっともっと練習しないといけないのよ?」

「うん。そうだね。でも、大丈夫だよ」

「もう。本当に分かっているのかしら……」


 そう言葉にするアデルは、とても嬉しそうな表情で答えていた。

 


 


 ゆっくりと、本当にゆっくりと瞼を開けていくと、良く見知った天井が見えた。

 どうやらいつの間にか眠ってしまっていたようだと感じながら、少々ぼやけている視界が戻っていくのを待っていた。


 あれは、夢、だったのだろうか。

 とても現実感のある夢だった。

 でも、あの日から、今に繋がっていることなのかもしれない。


 ……今に繋がっていること?


 それは何だったのだろうか。

 何かとても、大切な事だったような気がする。


 たしか、私は……。


「おはようございます、アデルさん。今日もとてもいいお天気ですよ」


 ……イリスさん?


 ……そうだ。

 この記憶が夢でないのであれば、私はあの広場で歌を、最高の歌を唄う事ができていたんだ。

 本当に夢のようなひと時で、本当に夢の事のようにも思えてしまうけど、あれは確かに現実に起きたことだったのだろう。


「…………イ……リ…………さ……」


 ……あれ? 声が……出難い……?

 上手く言葉を発する事が、できない?


 こんなこと、初めてだった。

 明らかな異常を感じることに取り乱しそうになると、イリスさんは大丈夫ですよと優しく、穏やかに言葉にしてくれた。


 本当に不思議な言葉だった。

 たったの一言を耳にしただけで、私の心はとても穏やかな状態に戻っていった。

 

「昨日は一杯唄いましたからね。喉も身体も疲れちゃっているんです。

 暫く休めば良くなりますから、ゆっくりして下さいね」


 あぁ……。

 なんて、安らげる声なのだろうか。

 貴女の声は、本当に特別なものを感じます。



 ――でも。



 ありがとう、イリスさん。

 私のために嘘を吐いてくれて。


 ごめんなさい、イリスさん。

 私のために嘘を吐かせてしまって。


 あの時、何があったのかは憶えていないけれど、自分が今、どのような状態なのかは理解できているような気がするんです。


 自分の身体ですから。

 きっと自分が一番良く分かっているのかもしれませんね。



 ……私にはもう、本当に、時間が……ないのですね。

 ……身体がもう、眠ろうと……しているのですね。



 でも、不思議な気持ちです。

 いざ"その時"が来れば、もっと取り乱すものだと思っていました。

 取り乱して、生きる事に足掻きたくなるものなのだと思っていました。


 ……本当に不思議ですね。

 こんなにも心穏やかな気持ちでいられるなんて、想像もしていませんでした。


 きっと私は、全てをやり遂げた、ということなのでしょうね。

 だからこんなにも、安らかな気持ちでいられるんでしょうね。


 心残りがない訳ではないけれど、それでも私は――。




 …………あぁ、そうだ。



 ……もうひとつ。

 もうひとつだけ、やるべきことが、残っていた……。




「……イリ……ス……さん……」

「はい」


 彼女も理解しているのだろう。

 とても優秀な薬師なのだから、全て理解した上で言葉にしているのだろう。


 きっと彼女であれば、しっかりとした言葉でなくとも大丈夫だと思えた。


「…………ひき……だ……」

「引き出し、ですか?」


 もうベッドから手を動かすこともできないが、辛うじて人差し指だけは僅かに動かす事ができたようだ。とても小さな言葉を告げたアデルの指し示した先へとイリスは進み、引き出しを静かに開けていった。


「……これ、は……」



 ……あぁ。


 ……これでようやく……。


 ……長かった旅路を……終えることができる……。



 ……あとは、のんびりと、"その時"を待てばいい……。



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