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この青く美しい空の下で  作者: しんた
第十二章 一花の歌姫
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"歌姫"


 ツィード全体に広がるかのような、優しく温かい彼女の想い。


 どうしてなのだろうかと聴衆は考えてしまう。

 この気持ちは、自分のためのものではない。

 これは聴いている者達へと向けたものだ。


 どうして彼女は自分のためではなく、誰かのために唄えるのだろうか。

 どうして彼女はこれほどまでに、優しく光に溢れた歌を唄う事ができるのだろうか。



 聴衆の誰もがそれを感じ、彼女の想いに浸るように瞳を閉じながら、その至福の時を過ごしていた。

 これ以上の唄をこれまで聴いたことも、いや、これからだって聴く事はないだろう。

 そうはっきりと言葉にできるほどに、彼女の唄は本当に素晴らしかった。


 筆舌に尽くし難い、とは、こういったことを言うのだろか。

 例えるならそれは、天上に住まうという、美しき慈愛に満ちた女神の歌声。

 女神アルウェナが彼女に降臨したかのような、人ならざる極上の調べ。


 彼女のような歌い手のことを、人は"歌姫"と呼ぶのだろう。


 彼女がそう呼ばれずして、誰が呼ばれるというのだろか。

 それほどまでに彼女の唄は、人の領域を大きく越えてしまっていた。

 それは今も尚凄みを増している気さえ、聴衆には感じられた。



 だが、イリスだけは、彼女の発している唄にぴくりと眉を動かしていた。

 彼女は力を使い過ぎている。たとえそれが真の言の葉ワーズ・オブ・トゥルースのように消費するマナが極端に抑えられている力であったとしても、戦うことのできない彼女が使うには余りにも多くの力を使っているようにしか見えなかった。

 いっそ中断するべきかと考えてしまうほどに、力を使い過ぎていると思えてしまう。


 そんな彼女の様子に戸惑いながらも、イリスは考えを巡らせる。

 簡単に決断などできない出来事に、どうすることが正しいのかを考え続けていた。



 アデルさんはそれを聞いたとしても、唄わせて下さいと言葉にするんでしょうね。

 もし止めてしまえば、彼女に思い残しをさせてしまうことになるのだから、そのまま唄い続けることが、貴女の望んでいることなのでしょうね。


 ……でも、アデルさん。

 ……本当にそれで、いいのですか?


 その美しい光は、貴女を苦しめる"毒"になっているとも、言い換えられるのですよ?

 それだけ大量のマナを使えば、影響が出ないとは言えない身体をしているのですよ?

 貴女の限られた命を、更に短くしてしまう可能性だって、考えられるのですよ?


 でも、きっと貴女はそれを聞いたとしても、変わる事なく唄い続けるのでしょうね。

 まるでそれが自分の使命感のように、思えているのかもしれませんね。

 きっと貴女が使っている光がどういったものであるのかは、ソラナさんには分からないでしょうから、貴女を止めることができるのも、私だけなのでしょうね。


 心では貴女を止めたい気持ちで溢れています。

 薬師としても、私個人としても。


 でも、そうすることが正しいとは、どうしても私には言い切れないんです。


 だって、この唄が言葉にしてしまっているから。

 大切な人達の幸せを、自身よりもそれを強く願ってしまっているのが分かるから。



 あぁ……。

 なんて美しい輝きなのだろうか……。


 貴女の容姿も、貴女の心も。

 発せられているマナの光も、空に溶け込む優しい想いも。


 そのどれもが、とても美しい輝きに満ちている。

 まるで貴女の心を表しているかのような美しさです。




 イリスは想う。

 これほどまでに美しい光を見たことがないと。

 

 しかし、だからこそ、イリスは不安になってしまう。

 その美しさはまるで、彼女の生命が空に溶け込んでいるように思えてならない。

 身体が弱りきっているとも言えるような状態で、これほど強力なマナを放出し続けるなど、とてもいい事だとは思えない。



 ……でも、唄い続けることを、彼女は望んでしまっている。


 全ての人が幸せでありますようにと。

 大切な人に、想いが伝わりますようにと。


 これは、彼女の覚悟だ。

 誰よりも、何よりも純然たる覚悟だ。

 きっと彼女は、これがどういった影響を自身に与えるのかも、どことなく理解しているのかもしれない。




 ……なら、私には……止める事はできない……。

 彼女の想いと覚悟を踏み躙る権利など、誰にもないのだから……。




 たった数ミィルという、ほんの僅かな時間の中で、彼女の世界は広がり続けていく。

 純粋で、ひたむきな想いが、彼女を迎え入れてくれた街へと広がり続けていく。


 唄いながらアデルはそれを感じていた。

 身体の奥底にある何かが、空に溶け込んでいくのを感じていた。

 何が原因かも理解できていた彼女は、それでも唄うことを止めなかった。


 そして彼女の唄は、更に変化する。

 人々の幸せを願っていた彼女の唄が、温かくも切ないものへと変わっていった。


 イリス達は、テランスは、ソラナとラウラは、聴衆は、それを感じとってしまう。


 自分ではない者の大切な想いを。

 大切な親友と幸せそうに遊ぶ、一人の少女の姿を。

 夕暮れ時になると、二人で手を繋ぎながら家路へと向かう姿を。

 それを温かく、優しく迎え入れる母の姿を。


 これは彼女の心のひと欠片なのだと、誰もが感じていた。

 幸せに彩られた日々のひと時なのだと、誰もが思えた。

 そして優しく、穏やかな心が、周囲へと静かに響いていった。




 ねぇ、ブリジット……。


 この世界は私には厳しく、辛く思えてしまっていたけれど、そんなに悪くないんだって思えるようになったのよ。


 貴女ともお友達になれたし、唄う事もできるもの。

 聴いてくれる人達がいて、好きな歌も唄う事ができて、それを支えてくれる人達で私の小さな世界は溢れているもの。


 私はきっと、誰かに唄を届けるために生まれてきたんだと思えたの。

 それが私の存在意義かは分からないけれど、そう思えてしまったのよ。


 ……ごめんね、ブリジット……。


 貴女に逢う事は叶わなかったけれど、貴女には沢山の幸せを貰ってばかりだけれど。

 幸せのお返しをする事ができずに、私は先に、歩いていくわ。


 でもね、私、不思議と怖くないのよ。


 これまではずっと、夜を越えるのも怖くて、震える身体を抑えることに懸命だったけれど、今は不思議と怖くないの。それどころか、とても穏やかな気持ちで一杯なのよ。

 もしかしたら、お母さんとも逢えるかもしれないと想っているからかもしれないね。

 逢ったことはないけれど、お父さんとも出逢えるかもしれないね。


 だからね、怖くないのよ。

 それどころか、とても安らかな気持ちで進めそうな気がするの。

 本当に不思議な感覚なのよ。



 ……ただ、唯一心残りなのは、貴女に逢えなかったこと、だと思う。


 でもそれも全て、私のせい。

 私がもっと前から貴女を探していれば逢えたかもしれないし、重い病気だと分かってからも手紙をすぐに出していれば、貴女は飛んで逢いに来てくれたんだもの。


 あの時は、それが最善の方法だって想っていたけれど、今では後悔しているの。

 まるで意固地に、貴女へ手紙を送る事なく過ごしていたことを。


 貴女には貴女の人生がある、だなんて理由をつけたけれど。

 私はただ、貴女に逢うのが怖かっただけなのよ。

 もし私と逢えば、きっと貴女に辛い想いをさせてしまうと思ってしまったから。


 それが間違いだった。

 ブリジットはきっと、それでも笑顔で、私と一緒にいてくれたんだよね。

 ただ一緒に、私のすぐ横で、笑っていてくれただけなんだよね。


 親友だなんて言葉にしておいて、私は貴女のことを分かっていなかったね。


 もう一度、逢う事ができたら、貴女に謝りたいよ。

 きっとそう言葉にした私に、いつもみたいな優しい笑顔で気にしてないよって、貴女は言ってくれるんだろうけど、それでも私は、貴女に謝りたいよ。



 ……あれ? 私、いつの間にか、唄が声に出ていない?

 ……もう、唄い終えたのかな? よく分からないけど、唄いきったのかな?


 ……テランス? どうしたの、そんな顔をして。


 ……ごめんね、よく聞こえないわ。

 ……大丈夫。大丈夫よ。身体は全然痛くないもの。


 ……ただ、とても、眠いだけなのよ。

 

 


 ……私は、唄いきったのだろうか。

 それとも、途中で残念な事になってしまっていたのだろうか。

 今の私には良く分からないけど、瞼が重い事だけは理解できた。


 もう一度だけ、この場所で歌うことができた私は、本当に幸せ者だ。

 ここに来るまでに、たくさんの人達に支えてもらったけれど、それでも唄いきれたのだと信じたいと素直に思える。

 この唄が親友に届くかは分からないけれど、それでも届いたんだと信じたいと思う。



 ……私は、何かを成すことが、できたのかな。

 誰かの心を、幸せにすることが、できたのかな。


 もしそうだとすれば、私の人生は、決して悪くなかった。


 痛みに耐え、寂しさに耐え、それでも歩き続けてきた人生だったけれど、最後には報われた気持ちになることができた。

 そうしてくれたのもまた、私を支え、私の願いを受け入れてくれたイリスさん達と、この街に住まう人々だった。


 感謝してもしきれない。

 でも、ほんの少しでも、お返しできたかな。

 そうであったのなら、何よりも嬉しく思う。



 あぁ……。なんだろう、この気持ちは……。


 満足感とも違うものに思えるこれは、達成感と呼ばれるものなのだろうか。

 これまでそういったことを感じた記憶のない私には良く分からないけれど、何となくそう思えてしまっている自分がいるみたいだ。



 ……でも、なんでかしら……。


 ……これで、やっと、眠れそうな気が、するのよ。



 ……ゆっくり、休むことが、できそうな……気が…………するの…………。



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