"愛しているからこそ"
多くの人で溢れ返るツィード中心部にある広場。
本当に多くの聴衆が彼女の歌に浸っていた。
この街にいる全ての人が、広場に集まっているのではと思えてしまうほどだった。
そんな中アデルの唄は、更なる凄みを増していった。
それは上限がないように思えてしまうほどのもので、まるでそれは、ツィードの街全体へと、彼女の想いが広がっていくかのようにも感じられた。
聴衆は戸惑いよりも、彼女の唄の凄さに驚いていた。
これほどまでに素晴らしい唄を、人の身で唄う事など適うのだろうかと。
そう思えてしまうほどの途轍もない唄を、目の当たりにしていると感じていた。
尚も演奏に戻ることができず、アデルを見つめてしまっているテランスの下へ、声が聞こえてくる。
『そっか! それじゃあ――』
「え……?」
聴き覚えのある少年の声に、テランスはそちらへと意識を向けてしまう。
続けて彼の見ている世界は文字通り姿を変え、あの懐かしい日を呼び覚ましていく。
テランスはそれを目の当たりにしながら、温かくなる心に心地良さを感じていた。
「ぼくはテランスっていうんだ。……君はなんていうのかな?」
「…………アーデルトラウト」
「うぅ。長くておぼえられるかな……。
あ、それなら、"アデル"って呼んでもいいかな?」
「……え? ……う、うん。いいけど……」
「そっか! それじゃあ、アデル。友達になろう!」
今はもう、遠く、懐かしいあの日の情景。
テランスは眼前にいる二人の子供達を見つめていた。
それは本当に、本当に懐かしい光景だった。
そうだ。僕は――。
『ぼくはこの時から、アデルのことが好きだったんだ』
声のする方向へ視線をゆっくりと向けると、彼の右隣には小さな少年が立っていた。
目の前の光景へと視線を向けている少年の表情は見て取れないが、それが誰かは言葉にしなくともテランスには理解していた。
続く少年の言葉を聴きながら、彼は目の前で楽しそうに遊んでいる少年と少女に視線を戻し、隣にいる良く知った少年の声に耳を傾けていく。
『本当に可愛かった。今までこんな気持ちになったことがなくて、どうしていいのか分からなかったけど、ぼくはただ、この子と友達になりたかったんだ』
そう言葉にする少年に、テランスは視線を子供達に向けたまま答えていった。
「そうだね。それは間違いじゃなかったよ。彼女は可愛くて、とても魅力的だった。
初めて逢った時から彼女は、僕の心に大切なものを宿してくれていたんだ」
『でも、アデルは、身体が弱くって』
「うん。病気だって聞いていた彼女の症状が魔物によるものだったなんて、初めて聞いた時には本当に驚いたよ」
『ぼくには何も、できなくて』
「そうだね。子供だったから、なんて、言い訳だと思うけど、本当に僕には何もできなかったね。僕はただ、彼女の傍にいて、彼女を支えようとする事しかできなかったね」
『いいの?』
「え?」
思わず横にいる少年に視線を向けるテランス。
少年はこちらを向いているようだが、前髪でその瞳は見えなかった。
しかし、彼が何を言おうとしているのか、分からない訳ではない。
彼はテランス自身なのだから。
彼は、いや、僕は、こう言おうとしているんだ。
「アデルと一緒にならなくていいのかって?」
『うん』
楽しく遊んでいる幼いアデルへと視線を向けるテランスは暫し考え込むも、はっきりとした言葉で答えを出していった。
意志の強さを感じる覚悟の言葉で、自分自身に語りかけるように言葉にしていった。
「いいんだ。彼女はそれを望んでいるし、僕自身もそれが一番だと思っている。
もし彼女と結婚をすれば、きっと色々な形で彼女が心に残ってしまう。
大切な妻としてのアデルや、指輪という形で。
それは決して悪いものではないし、僕には幸せにしか思えないけれど。
でもいつの日か、それが僕自身を蝕む事になるかもしれないとアデルが思っている。
だから僕は、彼女とは結婚しない。添い遂げることはできない。
きっと、最期の時を、アデルの一番近くで過ごしてはいけないんだと思うんだ」
そんなテランスへ、少年は言葉にする。
その声はとても寂しげで、まるでそれが、自分の気持ちを代弁してくれているかのように、彼には思えてしまった。
『本当にいいの? 大好きなのに、大好きな人と一緒にいられないの?』
「……大好きだからこそ、愛しているからこそ、その人の幸せを一番に願うんだ。
もし一緒になれば、彼女自身がこの世界に未練を残してしまう事になりかねない。
最期を一番近くて看取ってしまえば、きっと彼女は僕を心配してしまうだろうから。
それがわだかまりとなって彼女は苦悩し、悩み、後悔してしまうかもしれない。
だからいいんだ。いいんだよ。こうすることが、僕たちの選んだ答えなんだ。
僕が心から望むのは、彼女との幸せな暮らしでも、永遠を誓った指輪でもない。
アデルが安心したまま、笑顔で旅立てるようにしてあげたいんだよ」
何よりも、誰よりも大切だからこそ、一番好きで、愛している女性だからこそ。
一番近くに居てはいけないんだと、テランスは思っていた。
そしてそれは、アデルも全く同じ気持ちを持っている。
まるで想いを重ねているかのように。想いが通じ合っているかのように。
僕が選んだ答えが正しいのかは、正直なところ分からない。
でもそうしなければ、アデルはきっと辛い想いをしてしまうような気がした。
彼女と一緒になれば、きっと幸せな日々が続くだろう。
それはきっと、輝きに満ち溢れた素晴らしい暮らしとなるような気もする。
今まで生きてきた中でも幸せだと、アデルに実感してもらえるかもしれない。
でも、だからこそ、"その時"が来たら、幸せだったことの反動がくるように、不の感情が押し寄せてしまうのではないだろうか。
そうなればきっと彼女は苦しみ、共に生きた短い時間を後悔してしまう気がしてならないテランスは、そう選ぶことがより良い答えなのかもしれないと感じていた。
だが、テランスが出したその答えは、とても大変な道となるだろう。
誰よりも愛している女性を、一番ではない場所で見送ることになるのだから。
『さみしいね』
ぽつりと内心を代弁してくれる自分に、寂しそうな声でテランスも答えていった。
「そう、だね……。
でも、きっとそれが、彼女にとって、より良い選択になるんじゃないかな……」
『アデルが望んでいること、だもんね』
「……うん」
寂しげな言葉を交わすテランスは、あの日の幸せな情景を見つめながら、落ちゆく涙を拭うことなく、ただただその幸せそうな少年と少女へ視線を向けていた。




