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この青く美しい空の下で  作者: しんた
第十二章 一花の歌姫
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"この唄が届きますように"


 人は、何かを成す為に生まれてくるのだと、何かの本に書いてあった気がする。

 それがどんな内容で、どんな方が書いたのかは憶えていないけれど、その言葉だけは鮮烈に忘れることなく、私の記憶の中に今も残っている。


 ……本当にそうなのだろうか。


 私も、何かを成す為に生まれてきたのだろうか。

 ……何かを成さなくてはならないのだろうか。


 ずっとずっと考えていた。

 私という存在の意義を。


 人が生きる上で、何かしらのことを成さなければならないのであれば、私はそれを成しているのだろうか。

 その実感をまるで感じない私は、まだそれを成していないのではないだろうか。

 もしそうであるのならば、この限られた時間の中で、何かそういったことを成す事ができるようになるのだろうか。


 ……それが成された時、私はどうなってしまうのだろう。


 この気持ちは不安、ではないように思える。

 これから大舞台とも思える場所に立つのに、妙な落ち着きを感じている。

 強い痛みの中に居続けていたので、感覚が麻痺してしまっているのかもしれない。

 今まで感じたことのないほどに、心が落ち着いているように思えた。


 こんなに穏やかな気持ちでいられたのは、どんな時だったのだろうか。

 母に子守唄を唄ってもらっている時に感じた気持ちに似ている気がするけれど、やはりどこかそれとも違うように思えてしまう。


 とても不思議な気持ちだ。

 高揚感も、緊張感も、まるで感じていない。

 ただひたすらに、落ち着き払っているように思える。


 この気持ちは、一体何なのだろうか。

 眠る直前の、温かな安らぎの世界にいるような気がする、とても不思議な感覚。



 アデルは考え続けるも、その感覚が何なのかを理解する事はできなかった。

 それはきっと、言葉で表現することは難しいものなのかもしれない。

 そんな事を思っていると、広場の見える場所にまで出てこられたようだ。


 しかし、広場を見ることはできなかった。

 今まで見たこともないほどの群集に溢れ返ったその場所は、以前から見知った広場とはとても思えないような別世界にアデルには見えてしまっていた。


 群衆の一人が彼女の姿を捉えると、それを皮切りに盛大な拍手と共に彼女達を迎え入れてくれた。そして広場の中央へ道が開けていくように、人並みは下がっていき、いつも彼女が歌っていた場所が見えてきた。


 まるで街全体がアデルを祝福しているかのように思えてしまう。

 それほどまでに多くの人達で広場が溢れ返っていた。


 ヴァンに抱かかえられている彼女は、現状を整理しようとするも思考が追いつかず、

いま自分の身に訪れている状況と光景を目の当たりにしながら、考えを巡らせていた。


「…………これ、は……どうして……こんなに……」


 目を大きくしてしまうアデルに、優しく響くイリスの声が耳に届く。


「アデルさんが来てくれるのを、皆さんずっと心待ちにしていて下さっていたんです。

 アデルさんが頑張っている間も体調が良くなる事を信じて、いつ来られてもいいようにと、そう想い、願って下さっていたんですよ」


 イリスの言葉に驚きと戸惑いで溢れるアデルは、思わずぽつりと呟いてしまっていた。


「……そんな……私は…………ここに来れるのかも…………分からなかったのに……」

「それでも彼らは待ち続けてくれたわ。

 たとえ貴女が来れなかったとしても、待ち続けたでしょうね。

 そうすることで、何か貴女に力をあげられるような気がするんだって、うちのお店に来た人が言ってたわ。貴女のためになるかもしれないから待ち続けたいんだって。

 とても嬉しそうに微笑みながら話していたわ」


 ソラナの店を訪れた人の大半はそういった想いを持っていたようで、言い方は違えど、その誰もがアデルを心配し、いつか必ず訪れるだろうその日を信じ、待ち続けていてくれていた。

 中にはアデルの家にまで何度お見舞いに行こうかと考えてくれていた者も多かったそうだが、彼女の負担になってしまうと心を抑え込み、諦めていたという。


 アデルを見守り、支えてくれていた者は、イリス達だけではなかった。

 この街に住まう沢山の人が彼女を支え、快復を祈り、必ず元気な姿を見せてくれるのだと信じてくれていた。

 いや、この場にいてくれている全ての者達が、多かれ少なかれ同じような想いを持っている。見守るという形で、アデルをずっと支えてくれていた気持ちを知った彼女は、感謝の心で溢れてしまい、知らず知らずの内に涙がこぼれていたようだ。



 ……そうか。……そうだったんだ。

 私はこうして、唄い続けていれば良かったんだ。


 聴いてくれる人達がいて、待ってくれる人達がいて、支えてくれる人達がこんなにも沢山いてくれている。


 私はその人達のために、唄い続けていれば良かったんだ。

 それが私の存在意義なのかは分からないけれど、そうしていれば良かったんだ。


 唄おう。精一杯。

 私を守り続けていてくれる人達のために。

 聴いてくれる全ての人達の"幸せ"を願って。


 それが届くのか、なんて、もう悩まない。

 "届くのかな"、じゃなかったんだ。"届ければ"いいんだ。


『いいんだよー。だってわたし――』


 そうだ。

 ブリジットも言っていた。


 できるよ、私なら。

 今ならきっと出来る。


 だって、今日は――。

 

「……一つだけ、我侭を聞いて貰える日だもの」

「あら。なぁに、それ」


 ぽつりと小さく呟いたアデルの言葉を、笑顔で聞き返すソラナ。

 そんな彼女に満面の笑みで応える彼女は、置かれたソファーに座らせてもらうと、先程と同じような落ち着いた気持ちになっていく自分に語りかけた。私ならきっとできると。


 瞳を閉じて精神を研ぎ澄ませていく。

 今出来る、最高の、これ以上ないほどの唄を。

 この一瞬に、全てを込める勢いで。


 聞いてくれた人達が全員、幸せになれるように――。



 瞳を開けたアデルは、テランスへと視線を向け、彼は頷きながらリュートで伴奏を始めていった。


 この時の彼は、ただただアデルが無事に唄いきれますようにと、女神に懇願するように祈りを捧げていた。

 自分にできる事は彼女のために祈る事と、間違えずにリュートを奏でる事くらいだ。

 ならばそれに全力で挑む。彼女の唄を支え、今出来る最高の歌を唄って貰えるために。



 しかし、その覚悟は叶うことなく、意識をアデルへと向けてしまう事になった。


 彼女が一音を発した瞬間、完全に世界が変わったかのような錯覚を感じてしまった。

 まるで街の隅々にまで、アデルの想いが行き届くようにも思えてしまうものだった。

 これほどまでに凄い唄を聞いたことがない。以前のものが最高だと思っていたのにも拘らず、まさかそれを軽々と超えるほどの唄を彼女が奏でてしまうとは、全く想えっていなかった。



『あのね! いつかアデルちゃんが、たくさんの人のまえでうたうのを見てみたいな!』



 それは幼き日の、友の願い。

 母と同じくらい大好きで、とても大切なお友達。

 彼女はあの時、確かにこう言葉にしてくれた。


 それをようやく、アデルは思い出すことができた。





「わたしが、たくさんの人のまえで、うたうの?」

「うん! アデルちゃんのおうたをきくのがわたしだけなんて、もったいないもん!」

「たくさんの人のまえでうたうのは、なんだかはずかしいよ」

「だいじょうぶだよ! きっとアデルちゃんならできるよ!」

「そうなのかな?」

「そうだよ! アデルちゃんはたくさんの人のまえで、うたいたくない?」

「んー、よくわからないや」

「じゃあ、たくさんの人のまえで、うたうのいや?」

「んー、いやじゃ、ないかも?」

「あははっ、それじゃきまりだねー!」

「えぇ!? そうなの!?」

「じゃあ、いっぱいいっぱい、おうたのれんしゅうをしないとね!」

「おうたのれんしゅう?」

「うん! でもだいじょーぶ! わたしがまいにちきいたげる!」

「ま、まいにちうたうの? できるかな……」

「だいじょうぶだよ! だって――」




 完全にリュートの演奏が途切れ、アデルを見つめてしまうテランス。

 彼女の唄に驚愕し、呆けてしまいながらも現状把握を必死にしているようだった。


 すぐさま彼女の変化に気付かされたテランスは、アデルの身体が水色に輝いているのを目撃する。

 以前はイリスにのみ感じられていたその光は、より強く発せられた事により、聴衆にもそれが見えるほどのものとなっていた。


 そんな中、イリスは驚きながらも、彼女の発している魔力の質が変わっていることに思考が移る。

 少し前に発していた彼女の魔力であれば、明るく輝く、空色とは違う、とても落ち着いた大人の色をしていたとイリスは記憶しているが、マナの質が目に見えるほどにまで大きく変化する事など、あり得ることなのだろうかと考えていた。


 それはまるで迷いが完全に晴れたかのような、透き通る青空を思えてしまう美しさだった。ここに至るまでの戦いの中で、何かを感じ取った彼女が手にする事のできた力、なのだろうか。


 レティシアに託された知識にも、このような事は載っていない。

 "想いの力"に似ているが全く別の力にも思えてしまうそれは、魔力に想いを乗せた力となって人々に優しく降り注いでいくようにもイリスには感じられた。


 もしかしたら彼女は、全く新しい力を創り上げてしまったのかもしれない。

 レティシアのように。アルトのように――。



『だいじょうぶだよ! だってわたし、アデルちゃんのおうた、だいすきだもん!』



 そう親友は、笑顔で言葉にしてくれた。

 私の拙い唄を、大好きだと言ってくれていた。


 今だからこそ分かる。

 私は唄う事に、何よりも喜びを感じている。

 そう思えてしまうのは、一度唄えなくなってしまったからなのかもしれない。


 でも、今出来る最高の歌を唄う事に変わりはない。

 上手か下手かという意味では違うが、ただそれだけだ。


 でも、そんなものは、瑣末なことだった。

 私はただ、聴いてくれる人のために唄い続けていれば良かったんだ。

 上手か下手かだなんて、気にする必要などなかった。

 私はただ、たった一人でも聴いてくれる人のために、唄い続ければ良かったんだ。


 ブリジットがそう言葉にしてくれたように。


 精一杯の歌を唄う事ができれば、もしかしたら彼女に届くのではないだろうか。

 今は遠い場所にいる彼女にも、この唄が届くのではないだろうか。


 そうだ。私にできる事は、これしかない。

 私には、精一杯唄う事しかできない。

 それなら、私は――。


 今出来る最高の唄を、最高の想いに乗せて、もっと大きな場所へと向かって唄う。

 私の想いの全てを唄に乗せて、遠く離れた彼女の元へ願いを込めて――。

 

 どうか私の唄が、彼女に届きますように――。



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