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この青く美しい空の下で  作者: しんた
第十二章 一花の歌姫
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"彼女のような存在を"


 更に三日が経った頃、広場は埋め尽くしてしまうほどの大観衆で溢れていた。

 千二百人は軽くいるのではないだろうかと思えてしまうほどの聴衆は、既に広場を埋め、その周囲にある道にまで溢れていた。

 周囲の建物の二階から顔を覗かせた人達も、彼女の到着を待っているようだ。


 エンリケの経営する"春風の宴亭"でのみ唄っていた彼女の知名度は、それほど知られていない存在だった。

 知る人ぞ知る、といった歌い手だった彼女は、ただ唄える事が嬉しかった。

 それだけで幸せな気持ちになり、それだけで満足だった。


 だが、最近になって、欲が出てきてしまっていた。

 もっと多くの人に唄を届け、聞いてくれた人達の心を幸せになってもらいたい。

 名前は知らなくとも、その人の心に残るような歌を唄う事ができたらと、アデルは思うようになっていた。


 それはあの日、ソラナから聞いた自身に置かれた現状を聞いてからなのだろう。

 自分に時間がないと知り、そう遠くない先に、できることが極端に制限をかけられてしまうかもしれない今、思い残す事のないようにと考えてしまうアデルだった。


 もうそれは、覆る事はないのだろう。

 だがそれを悲観して無気力になるのではなく、自分自身にできる事を考え、どうしたいか本心が望んでいる事に勇気を出して、一歩だけ足を前に出すことを彼女は選んだ。


 そんな彼女の決意をまるで受け入れるかのように、広場に訪れてくれている人達の数は、このツィードに住まう者達の三分の一にもあたる人々で埋め尽くされていた。


 これほどまでに広場に集まることは、まずないだろう。

 お祝い事を含むフェスタであったとしても、これだけの人で溢れかえる事はない。

 恐らくここにいてくれる聴衆の殆どは、仕事に都合を付けてまで集まってくれているのだろう。そのくらいしなければ、とてもではないが集まれる人数ではなかった。


 それほどまでして自分の唄を聴きに来てくれた事に驚くアデルだったが、聞いてくれている者達を含むイリス達には、人々がこの場にいる理由をはっきりと理解していた。


 彼女の唄は素晴らしい。

 いや、そんな言葉ですら表現など出来ないものにまで、到達していると思われた。


 聞いた者の幸せな気持ちを呼び起こすかのように、思い出させる不思議な唄。

 そう思わせるのは、透き通る歌声に彼女の想いが乗っているからなのだろうか。


 彼女の優しさ、温かさ、慈しみといった想いだけでなく、聞いてくれている人々の幸せを心から願い、これからの未来へ、まるで何かを託しているかのようにも思えてしまう、温かくも切ない唄だった。


 そういった尊い想いを乗せる事の出来る歌い手。

 彼女のような存在を、人は"歌姫"と呼ぶのだろう。


 本当に不思議なひと時を過ごしていると、アデルの唄を聴いた者達は口をそろえて言葉にする。

 こんなことを感じたことはもちろん、人から聞いたことすらない。

 特別な時間を体験していると、本心からそう思える幸せな唄だった。



 彼女の唄が止むと訪れる、いつもの静寂。

 暫しの間を挟み、まばらな拍手が聞こえると、続けて起こる万雷の拍手。

 これもいつもと変わることはない。だが、今日は違っていたようだ。


 割れんばかりの拍手に包まれた彼女は、街全体を揺るがすような大喝采とも表現できるほど大きな声援の只中にいた。

 感情がこみ上げてきたアデルの目尻に涙が溜まり、ただただ感謝をしていた。

 自分の唄を聴いてくれた人達に、その唄を褒めてくれている人達に。


「……この街に、少しでもお返しができたかしら……」


 とても小さく呟いた独り言は、大喝采にかき消されてしまった。



   *  *   



 可愛らしい小鳥のさえずりで目が覚めたアデルは、暫く瞳を開けたまま、まどろみの中を余韻に浸るように、ぼんやりとベッドの上で過ごしていた。


 時間をじっくりと使い、上半身を起こした彼女。

 昨日の事が嘘のような静寂に包まれた寝室に寂しさを感じるも、まるで現実感のない出来事に疑問が生じてしまう。


 あれだけの大観衆の中、唄えることはとても素敵なことだ。

 だがそれは、本当にあったことだったのだろうか。


 昨日の事はもしかしたら夢の中の出来事で、実際にはそんな時を過ごしてなどいないのではないだろうか。

 そう思えてしまう自分に悲しさを覚えるも、どこかそう納得してしまっている自分がいるようで、どこまでが現実で、どこからが夢なのかの区別が付かなかった彼女は、記憶の糸を手繰り寄せていくも、明確な答えが出る事はなかったようだ。


 本当に、夢の中の出来事だったのかもしれない。

 そう思えてしまう彼女は、ぽつりと小さく言葉にする。


「…………私、どうやってここまで……帰って来たのかしら……」


 そんな事を考えていると、寝室の扉がかちゃりと小さな音を立てながらゆっくりと開いていった。


「あら、もう起きていたのね、ごめんなさいね、ノックもせずに」

「おはようございます、アデルさん。今日もとっても素敵なお天気ですよ」


 笑顔で言葉にする二人の女性。

 ひとりは五年も前から面倒を見てくださっている薬師の女性。

 もうひとりは、最近私の願いを叶えてくれている人達のひとりだ。


 私はとても恵まれている。

 二人の薬師に診て貰えているのだから。

 これほどまでに大切にされているのだから。


 薬師である彼女達だけではない。

 イリスさんの仲間である皆さんにも、そしてエンリケさんやビビアナにも、とても良くしてもらっている。

 事情を話した上で、それでも私にいてもいいと応えてくれた。

 私の望みを叶え続けてくれていた。


 私は本当に恵まれている。

 こんなにも優しい人達に、護られているのだから。


 ……そうだ。最後の記憶は、地面が見えていた。

 ゆっくりと近付く地面を見ながら、そこで記憶が途切れている。


「……私、また倒れてしまったんですね……」


 独り言のように呟く彼女に、暫しの沈黙の後にソラナは答えていった。


「……まったくもう。倒れるまで歌い続けるだなんて、何をしているのよ。

 貴女が倒れた原因の一つは"過労"よ? 朝昼晩歌い続けるなんて、どれだけ無茶な事なのか分かっているのかしら……」

「すみません、私が傍にいながら……」


 申し訳なさそうに言葉にするイリスと呆れ顔のソラナに、アデルは笑顔で言葉にしていった。


「お二人とも、ありがとうございます」

「……どうして貴女がお礼を言うのよ。私は呆れているのよ?」


 半目になりながら自分に叱るように言葉にする彼女へ、アデルは想いを巡らせる。

 それが過労などではない事は、自分自身が一番理解していた。


 彼女達は嘘を吐いている。

 私を不安に思わせないように、私を護る為の嘘を吐いてくれている。

 

 そんなアデルの記憶の端に、ある感情を思い起こす事ができた。

 最後に感じたその感情は、"痛み"だった。

 見えている世界が歪んでしまうかのような、鈍く、重々しい痛み。


「……正確には、イリスさんの仲間が支えてくれたから、地面に倒れ込む事はなかったみたいだけれど、貴女はそのまま意識を失ったそうよ」


 彼女を心配させないようにと、ソラナは笑顔で言葉を続けていく。

 それは発作のようなものだったと、イリスもソラナも推察していた。

 近くにいたロットは、支える事ができて本当によかったよと言葉にしていたらしく、後でお礼を言わなくてはと、少々申し訳なさそうに話していくアデルだった。


 寝室に沈黙が続いてしまい、静まり返る室内。

 意識を失うだけの痛みを感じたというのに、それがただの発作だとは思えない彼女は、真剣な面持ちで二人へと尋ねていった。


「…………私の病状が悪化している、ということなのでしょう?」


 沈黙で応えてしまう彼女達に、瞳を閉じたアデルは心を落ち着かせるように深呼吸をしていき、二人を見つめ直しながら言葉を続けていった。


「……大丈夫です。左手に痺れは残っていますが、まだ歌えますから」


 そう笑顔で答えるアデルに、ずきんと胸が痛むイリスとソラナ。

 これを言葉にしていいのかと考え続けてしまっているイリスを察し、先に言葉にすることを決意したソラナは、辛そうに彼女へと現状を伝えていく。


「……その痺れは、もしかしたら、治らないかもしれないわ。

 症例も資料も少ないために断言はできないのだけれど、その状態は身体を蝕んでいる毒が攻撃し続けている事によるものだと思うわ。

 私達の予想以上に、病気の進行が早いみたいなの。

 ……これから貴女は、悪化の一途を辿ってしまう事になると予想されるわ。

 今はまだお薬が効いているから痛みを抑えられているけれど、それも時間の問題となるでしょう。

 処方しているお薬以上の効能を持つものとなると、あまり身体に良くない副作用がでることになるの。……本当に辛い闘病生活となる可能性が高く、歌い続ける事もそう遠くない内に難しくなるでしょう。

 ……ごめんなさい。まさか、こんなにも早く影響が出るだなんて、想定していなかったわ」


 言い訳をする事しか出来ない自分の、なんと情けない事かと思ってしまうソラナ。

 だがそんな彼女へ、アデルは笑顔でお礼を言葉にする。

 自身の無力感を噛み締めていたソラナとイリスは、目を大きく見開いてしまう。


 どうしてそんなに優しい言葉をかけてくれるのかと、思ってしまっていた彼女達へ、アデルはその笑顔を崩すことなく、話を続けた。


「大丈夫です。まだ……。まだ、唄えますから」


 満面の笑みで答えるアデルの右腕は、とても小さく震えていた。


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