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この青く美しい空の下で  作者: しんた
第十二章 一花の歌姫
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"いい記念に"


「…………えっと……。これは……どうしたことでしょうか……」


 思わず苦笑いをしながら言葉にしてしまうアデル。

 彼女に釣られるように、同じ表情をしていたイリス達だった。


 確かに先日は二百人という大盛況とも言えるほどの聴衆が、広場に集まっていた。

 それだけ彼女の歌はとても素晴らしかったことに間違いはないだろう。


 だが、これはいくらなんでもと思ってしまうほど、広場が埋め尽くさんばかりという人の数でひしめき合っていた。

 朝だというのにも拘らず、今か今かと待ち望んでいる姿にも見えた。

 最早これは、異常事態だと言えるほどの混雑だろう。


 驚いていいのか、それとも喜んでいいのか。

 とても複雑な気持ちになってしまうアデルだったが、彼女の姿を見つけた聴衆の何人かが拍手をすると、それに気が付いたほかの者達も後に続いていった。

 広場にぽつんと一箇所だけ空いている場所があり、そこでアデルが歌えるようにと聴衆が気を利かせて取っておいてくれたようだ。


 非常に強い戸惑いの中、その場所へと歩いていったアデルは、思わず目の前にいた中年女性へと尋ねていくも、どうやら本当に彼女目当てで聞きに来てくれているようだ。

 驚きよりも嬉しさの方が勝ってしまうアデルは、折角自分のために時間を作ってくれた人達に感謝をしつつ、心を込めて歌うための準備をしていった。


 そして彼女が一音を発した瞬間、まるで世界が変わるかのような感覚をイリス達は感じてしまう。


 広がる光景は、果てなく続く草原、優しく穏やかな春の風、温かく心地良い陽の光、そして大好きな姉と大切なひとの姿。

 それが現実ではないのは理解できるが、その幸せな光景を感じてしまったイリスは、瞳を閉じながら目尻に涙を溜めてしまっていた。


 なんて幸せなのだろうかと彼女は想う。


 いや、イリスだけではない。

 シルヴィア達も同じ気持ちのようだった。

 それぞれが幸せだと思えるものを見ているのだろう。

 瞳を閉じながらとても幸福そうな、穏やかな表情をしていた。



 アデルが唄い終えると、やはり拍手は起こらない。

 聴衆は思い思いに、幸せな余韻に浸っているようだった。


 聴衆に深深とお辞儀をしたアデルは退散しようと席を立つと、ぱらぱらと拍手が遠くから起こり、次第にそれは割れんばかりの喝采となっていった。


 思わず目を丸くしてしまう彼女は、ぽかんと呆けてしまうも、心から嬉しく思いながらもう一度深々とお辞儀をしてその場を後にした。



 少々遅めの朝食を"春風の宴亭"で取っていたイリス達。

 流石に席が足りないので、テーブルをくっつけて使わせてもらっていた。

 アデルは広場でも使っていた椅子に腰掛け、美味しそうにサンドイッチを食べていた。


 それにしてもと言葉にするシルヴィアは、尚も驚いた様子で話していった。


「それにしても、今日の観衆はとても多かったですわね」

「そうですね。アデル様のお唄がとても素晴らしかったので、それも良く分かります」

「ふふっ。様はいりませんよ、ネヴィアさん」

「ネヴィアの言い方は癖ですので、どうぞお気になさらず。誰にでも様を付けてしまうのですわ」


 少々あきれた様子を見せながら言葉にしていく姉だったが、全員ではありませんよと妹は答えていく。


「イリスちゃんは、様を付けていませんから」

「あー、そう言えばそうだね。やっぱあれかな、友達だからかな?」

「そうですね。それだけでなく、初めてイリスちゃんと出逢った時から、とても不思議な感覚を感じていたんです。

 まるで昔から知っているかのような、本当に不思議な感覚でしたね」


 しみじみと思い出している、遠いあの日の清らかな泉。

 彼女の運命は、あの時に大きく変わったのだとネヴィアは思っていた。

 それはあの危険種から逃げられなかったという事もあるのだが、それだけではなく、イリスとの出逢いが大切なロットとも出逢えたのではないだろうかと、最近になって思うようになっていた。


 あの日、あの時、もしもイリスが泉に来ようとしていなければ。

 もしもイリスがロットと知り合っていなかったのならば。

 ネヴィアは今もこうして笑っていられたはずがない。


 危険種のグルームなど、今でこそ倒せるようになったと思われるが、あの時はとてもではないが逃げるのが精一杯だった。


 こういったことに"もしも"を考えてはいけないことではあるのだが、それでも何か別の選択を選んでしまっていたら、そしてイリスがフィルベルグを離れる事がなかったのなら、こうして笑っていられる事など不可能だっただろう。


「そういえば、ロットと運命的な出会いをしたのも、フィルベルグ周辺にある聖域だったんだっけね。……ねね、実際はどんな感じで出逢ったの?」


 興味本位で尋ねているファルだったが、彼女もこれまでの間にそういった男性を知り合う機会など全くなかったと言えるほどの日常を過ごしていた。

 それを不満に思うことはなかったし、特定の男性を作る気もないのだが、それでも運命的な出逢いというものに憧れがない訳ではない。

 彼女もお年頃なのだから、機会があればとも思っているようだ。


 そんな彼女に、二人の馴れ初めを話していくネヴィア。

 以前の彼女であったのならば、顔を赤らめて俯いていたところだろう。

 母に鍛えられた事もあるのだが、婚約をしてから彼女は随分と心が強くなったように思われた。

 恥ずかしがる様子は今も見せる事はあるが、芯の強い女性になったと実感できたシルヴィアは、そんな妹の成長がとても嬉しかったようだ。


 少々頬を赤らめながらも馴れ初めを話していくネヴィアに、最初はどきどきといった様子で聴いていたファルは、すぐさま顔色を変えてしまう。


「……ぐ、グルーム? ……そんなのに追われながらも、よく逃げられたね」

「グルームとは、危険な魔物なのでしょうか?」


 そう言葉にしたアデルだったが、彼女は冒険者ではないのだから流石に遠くに出現すると言われるグルームの存在を知らなかったようだ。

 それについて詳しく説明していくファルだったが、徐々にアデルの顔色が曇り、次第に真っ青になってしまった。


「……まぁ、無事で何よりだよね。

 グルームは持久力が低いって聞くし、必死で逃げれば逃げ切れるのかな」

「実際に逃げ切れた訳ではないのです。

 何とか防御魔法でグルームの攻撃を防ぐ事はできたのですが、聖域手前で意識障害を起こしてしまって……」


 暗い表情で言葉にしていくネヴィアは、ぱぁっと顔色を明るくしながら話を続けていった。


「そこにロット様が助けに来て下さったのです」

「おぉー! 王子様の登場だね!」


 茶化すように言葉にするファル。

 その様子にアデルだけではなく、テランスも目を輝かせて聞き入っていた。

 そんな彼へと『(うた)にしないでね』と釘を刺すロットだったが、テランスは苦笑いで応えてしまったため、あぁこれは時間の問題だなと諦めた様子を見せた。


 確かにあの時、助けに行ったのはロットだし、あのままでは本当に危険だった事に違いもない。だがそれも、本当にぎりぎりだったのだと、彼はぽつりと呟くように言葉にしていった。


「……本当に危なかったよ。

 あともうほんの少しの差で、本当に大変な事になっていたんだ。

 あれは運が良かったとしか言えないし、もう二度と、あんなのはごめんだよ」


 とても辛そうに言葉にしていくロットに続き、ヴァンも話していく。


「グルームは危険な存在だ。瞬発力が並外れているため、ロットの攻撃であっても正面であれば避けられていた可能性が非常に高い。おまけに攻撃力も高い。

 不意を突いたとは言え、たった一人でグルームを撃破した事にも驚きを隠せないが、何よりもネヴィアが助かったのは、本当に運が良かったと言えるのではないだろうか」

「……そうだろうね。あたしもグルームとは遭った事がないけど、相当厄介な相手だって聞いてるよ。

 何よりも動きが非常に速いらしくて、並みの攻撃じゃ当たらないそうだし」

「……正直なところ、危険種はそのどれもが特殊で異質であり、危険な存在である事に変わりはないのでしょうが、できることなら遭遇したくはないですわね」


 切に願ってしまうシルヴィアだったが、それはイリス達の誰もがそう思っていた。

 誰が好き好んで、そんなものと対峙しなければならないと言うのだろうか。

 近隣にそれが出現したとの報告があれば、街の人達を護るために討伐へと向かう気持ちはとてもよく分かるが、それでもできることならば関わりたくないと思ってしまう方が、自然な事なのではないだろうか。


 それだけの危険性を孕んだ存在であるということもあるが、基本的にイリス達は戦う事が好きではない。

 わざわざ危険な存在相手に走って突っ込むほど、イリス達は戦闘が好きなのでは決してないのだから、できるかぎり戦う事を想定したくはないと思ってしまうのも致し方のないことなのかもしれない。



 話はネヴィアが目覚めてからの話となり、ケーキ屋でのことや、教会でのことを惜しげもなく、そしてとても嬉しそうに言葉にしていくネヴィア。

 その表情は頬を赤らめる様子ではなく、心からの幸せを体現するかのような姿をしており、それを聞いただけでファルもアデルも、そしてテランスも、幸せな気分になることができたようだった。


「……もしよければ、ネヴィアさんの話だけでなく、イリスさん達の事を(うた)にさせて貰えないだろうか……」


 テランスの言葉に、流石にそれはちょっとと思うイリスとネヴィア、そしてロットだったが、それ以外の者達からは中々に好評を得てしまっていたようだ。


「あら、素敵ではないですか。是非(うた)にしてもらっては如何かしら。

 吟遊詩人さんに謳って貰えるなんて、とてもいい記念になると思いますわよ」

「……確かに貴重な事だよね。普通は詩になんてしてもらえないし、世界中で謳ってもらえるのって凄い事だとあたしは思うよ」

「……むぅ。確かにそうかもしれないな。

 詩人の詩は、何も英雄譚ばかりではないと聞く。寧ろ、恋愛ものの詩を謳ってもらえることは、とても貴重で、そういった機会はもうないかもしれないな」

「出逢いと婚約までの詩だなんて、とっても素敵ですね。

 それだけの素敵な出逢いだったのですから、遠慮することなく謳ってもらってはどうでしょうか。テランスであれば、本当に美しく優しく謳ってくれますよ」


 それにはまず、じっくりと詳しく話を聞くことから始めたいですと言葉にしたテランスは、詳細に至るまで事細かに尋ねていき、その時の心情まで深く質問していった。


 きらきらと瞳を輝かせながら詳細を尋ねていく彼は話を聞く内に、最高の詩となるかもしれないと考えつつ、真剣に彼女達の気持ちを聞いていった。



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