心からの"笑顔"を
「こんにちは、ブリジットさん」
イリスは何事も無かったように平然を装いブリジットに笑顔で挨拶をする。少しでも元気になってくれればという思いから、自然とそう出てしまっていた。
ブリジットはイリスに挨拶を言った後、自分の座っている長椅子の横を手で優しくぽんぽんとしながらイリスを座らせる。イリスにはブリジットの寂しさを感じさせる笑顔に、やはり何かあったのかなと思っていた。
「イリスちゃんは散歩かい?」
「はい、少々疲れたので教会に癒しを求めに来ました」
「疲れて癒しかぁ、なんとなくわかったよ」
「はい。魔法書でお勉強を少々・・・」
苦笑いしながらイリスは答えた。
「あはは、あれはすごく疲れるからねぇ」
「教えてくださる先生がいればとっても助かるんですけどね」
「あはは、魔法は教えられるよりも自分で学んだ方が良いかもしれないね」
「そうなんですか?」
「うん。一応、経験談だね」
「となると、どうしても本から学んだほうが良さそうですね」
「あはは、そうだね。さすがに私も魔法に関しては教えない方が良さそうだよ」
ブリジットがそう話した後、しばらく無言が続いてしまっていた。どうやら何かを考え込んでいるようで、少し話しかけづらくなってしまったからだ。
イリスはそのまま素敵なステンドグラスを見上げていたが、少しの間を挟んでブリジットがとても小さい声でぽつりと言葉を出した。
「ここは静かだね」
「はい。そうですね」
やはり何かあったのだろうかと心配してしまうイリス。いつも顔に出ているようなので、表情に注意しつつ美しいガラス模様を見続けていたが、イリスちゃんは優しいねとブリジットに言われてしまい、結局は心配してることが伝わってしまっていたようだった。
ブリジットは続けて言葉を発したが、それはとても優しく静かで、そしてとても悲しそうな声だった。
「ありがとうね、イリスちゃん。心配してくれて」
「私じゃ何もお役に立てないと思いますけど、何か出来ることがあったら言ってくださいね」
「ふふっ、ありがと」
そう言ってまた静寂が訪れた。少しの時間が過ぎた頃に、ブリジットはぽつりと小さな声で呟いた。
「じゃあちょっとお話しの相手になってもらっちゃおうかな」
「私でよければ」
そう言いながら笑顔で見つめてくれる少女の優しさに、ブリジットはとても嬉しくなってしまう。
「でも、イリスちゃんにはちょっと辛い話かもしれないよ?」
「大丈夫ですよ。それに誰かに話すことで、ブリジットさんが少しでも楽になるのなら、いくらだって話を聞きますよ。上手な答えを言う事は出来ないかもしれませんが、それでも話すだけで気持ちが楽になることもあるかもしれませんから」
問いに即答してくれた心優しき少女。自分の事よりも他人を優先してしまう、なんて優しい子なのだろうかと、ブリジットはまるで光り輝く天使を見ているような錯覚に陥ってしまう。そうさせたのはここが教会だからだろうか、彼女の慈しみの心だろうか、それとも両方なのだろうか。それはまるで心に凍りついた闇が溶けていくようだった。
だからかもしれない。ブリジットは今まで誰にも話さずに溜め込んできた事を、こんな幼い少女に甘えるように想いを吐露してしまったのは。
それはまるで、一言一言話すだけで、少女の優しさに心が次第に癒されていくような、そんな感覚に包まれながら、ブリジットはぽつりぽつりと話し始めていく。
「私は、ここから東に行った所にある聖王国アルリオンの、更にずっと東にある小さな村の出身なの。
私は父と二人暮らしで、母は私が小さい頃に他界してるそうよ。でも、母がいなくても寂しくはなかった。父がそれ以上に愛してくれていたから。
私達が住んでいた場所は、村と呼べるほど大きくもない集落で、名前すら聞いたことが無かった。
丸太を組んだだけの粗末な壁で囲われた静かで寂れた村、それが私の"世界"だった。
昔はそこそこ賑わっていたらしくて、多くの人が村の近くにある鉱山で採掘をしながら生計を立てていたらしいんだけど、それも若者や大人の男性がアルリオンへ出て行ってしまってからは閉鎖されたらしくてね。名産品も特産物も何も無い、ただの寂れた村になってしまった。
アルリオンまでの道程は遠く、戦うことの出来ない私達は、この世界で生きていくしか選択肢が無かったの。
だからって棄てていった人たちを恨んだことなんて一度も無いのよ。村を棄てる気持ちもわかるから。あんな所で一生を終えるようなこと、私にだって出来ないもの。
それでも残された人たちにとっては辛い日々だった。粗末な壁に守られた世界で生きていくには厳しすぎたの。
私は物覚えが付いた頃から、心からの笑顔を見せている村の人を見たことがなかった。誰もが魔物の脅威に怯え、日々を無事に過ごせるように、ただただ神様に祈りながら暮らしていたのよ。
私はそんな世界が大嫌いだった。楽しい事も、幸せな事も、何一つなかったから。なんでこんな怖い思いや、辛い思いをしなければいけないのか、全くわからなかったわ。
だから私は、いつも自分でおもちゃを作ってお友達と遊んでいたの。まるで恐怖心を忘れるように。魔物の脅威に怯えないようにね。
おもちゃなんて作るほど、心にゆとりなんてなかった世界だから、そんなもの村のどこにもなくてね、自分で作るしかなかったのよ。
粗末な人形を作っては、いつも頭の中で夢のような道具を描いてはその子と遊んでいたわ。
彼女は私の物心が付いた頃からの幼馴染で、この恐怖に染まった世界の中で、私と一緒に笑いながら遊んでくれた大切な親友だった。
いつもありえないような空想上の道具の話をしては、いつも決まって素敵な笑顔で彼女は笑い返してくれていた。
私にはそれが何よりも嬉しくて、楽しくて、本当に幸せなひと時だった。彼女が笑ってくれている、たったそれだけで私は幸せで、他には何もいらなかった。
その笑顔を私は今でも忘れられないわ。とても印象的で、大好きな子だった。
そんなある日の冬の明け方に事件が起こったの。当時、私は8歳だった。村の大人達が必死で叫びながら逃げ惑っていたの。それに驚いて飛び起きた私は、父と家の外に出たわ。叫んでいる人達の声を必死で拾って聞き取ると、壁を壊して魔物が入って来たようだった。
私達は着の身着のまま村を飛び出したわ。必死で走って、必死で歩いて、歩いて。殆ど休憩も取らず、眠る事もせずにひたすら歩き続けた。休憩を取って休みたい事よりも、魔物が襲ってくる恐怖の方が遥かに強かったから。途中で父が背負ってくれたから、私はなんとかアルリオンまで辿り着くことができたの。
でも、いくら待っても、村から逃げた人たちの殆どがアルリオンへ辿り着いて来る事はなかった。無事に辿り着けたのは、逃げた村人の1割にも満たなかったそうよ。そしてそこに私の親友の姿はなかった。
でも私は信じなかった。どこかで彼女はきっと生きてるんだって。きっとアルリオンとは少し方向がずれてしまって迷ってるだけだから、すぐに辿り着けるんだって。
私は毎日神様に祈り続けたわ。どうか彼女と会わせてください、どうか彼女をお守りください。そう祈り続けたの。毎日、毎日、祈り続けた。でも祈りが届くことはなかった。
結局、その親友とは会えずに、私はアルリオンからフィルベルグへ向かうことになったの。父は友人の雑貨屋の手伝いをする為に行くんだよって言ってくれたけど、襲われた村の近くに住むことで私が怖がるのを忌避したんでしょうね。
揺れる乗合馬車の中でも、私は彼女の無事を祈り続けた。どうか無事にアルリオンに辿り着けますようにと。たとえ会えなくても、無事でいてくれさえすれば、いつかきっと会えると思ったわ。遠くはなれてしまっても、生きてさえいればって。
フィルベルグに着いて雑貨屋のお手伝いをしながら、それでも私は親友がどこかで幸せに生きていることを願いながら生活していたわ。
何年かして、父の友人が雑貨屋を辞める事になったらしくて、父がそのお店ごと購入したの。それからは二人で雑貨屋を経営していって、順調に暮らしていけたわ。かなりの借金は出来てしまったけれど、それでも私は幸せだった。
そんなある日に、父が手に入れた魔石を勝手に使って遊んでたの。それが見つかって怒られていた所に、ある男性が私が遊んでいた魔石を見てね。ぜひお嬢さんを私の研究所で学ばせたいって言われたの。
その人は私の師にあたる人でね。魔石の事やその応用と、秘められた可能性を教えれくれた恩師なの。
数年かけて勉強した私は、魔石の研究に没頭していったわ。これを使えば頭に描き続けていた物を、現実に生み出すことが出来ると確信したから。
何年もかかってしまったけれど、街灯用魔石が作れた時は、叫び出すほど嬉しかったわ。
これさえあれば、どんなに暗い夜でも明るく照らすことが出来ると思ったから。
暗い場所で星を見上げるよりも、人を優しく照らす光の方が遥かに大切だと私には思えたの。
それから私は、次々と便利な魔石を生み出し、人々の生活水準は上がっていったわ。たくさんの国の、たくさんの人達に感謝され、世界から暗い気持ちが少しでも取り除けたのだと思った。
国から莫大な褒章を受け取ることが出来た私は、そのお金で父のお店を購入し、父には楽しんで暮らしてもらうことにして隠居してもらったの。父の借金も無事に返済することができて、雑貨屋を好き勝手改造して、自分の好きな道具を作りまくったわ。少しでも多くの人に笑ってもらうために。
そして、私が作ったアイテムが世界中に溢れさせることが出来れば、世界のどこかで親友がそれを見つけて私に会いに来てくれるんだって、私は心のどこかでそう思っているのよ」
静かに淡々と語るブリジットはしばらく間を空けて、『まぁ、私のアイテムを買ってくれる人って殆どいないんだけどねー』と、けらけら笑っていたが、イリスにはそれがとても寂しそうに笑っているのが手に取るようにわかってしまう。
それに気がついたブリジットは、本当に優しい子だねと言いながら、イリスを優しく抱き寄せて落ち着かせるように頭を撫でながら言葉を発していく。
「ありがとうね、イリスちゃん。私の為に泣いてくれて」
イリスは涙が溢れ、止められずにいた。辛い話もそうだが、何よりもブリジットの優しさに心を打たれてしまった。
なんて優しくて強い女性なのだろうか。私がそんな状況にあったら、きっと塞ぎ込んでしまうだろう。
なのにこの優しい女性は、自分のことよりも他者を想い、どうすれば世界が光で満ちるかを本気で考えてくれている。
私にそんなことが出来るだろうか。私がそんな事になったら笑えるだろうか。世界の人たちに笑って欲しいと心から思えるだろうか。
「私はね、あの時から涙が出ないんだ。感情が少し壊れちゃったのかもしれないね」
「そんなこと絶対にないです。ブリジットさんは心で泣いてるから。それがわかるから、私は涙が止まらないんだと思います」
「・・・うん。ありがとう」
そう言いながらブリジットは、また静かに優しくイリスを抱きしめながら話を続けていく。美しく静かな教会に優しく響いていたブリジットさんの声は、とても綺麗だった。
「私はね、神様を信じていないんだ」
「え?」
思わぬ言葉にイリスは耳を疑ってしまう。思わず抱かれていたブリジットから離れてしまっていた。
「正確にはね、神様に祈ることをやめたんだよ。この世界の神様はどうやら放任主義らしいからね。祈りや願いで救われることは、きっと無いんだよ。
だからこそ私は、自分の努力でここまで上がってきたんだ。自分の足で立ち、自分の力でここまで歩いてきたんだ」
そう言いながらブリジットは美しいステンドグラスをゆっくりと見上げ、自分に言い聞かせるようにぽつりと話した。
「でも気が付くとここに来ているんだ。どんなに祈っても、どんなに願っても、助けてくれない神様に、まるでお願いをするように、私は救いを求めているのかもしれないね」
静寂に包まれる中、しばらくの時間を挟み、ブリジットは言葉を続けていった。
「アルリオンには女神アルウェナと交信する事が出来る祭壇があるらしいんだ。言葉を受け取るだけっていう噂もあるけど、それだけじゃきっと人は神様を信じないと思うんだ。
だから私はいつかそこで、女神アルウェナの言葉を聞いてみたいと思ってるんだよ。本当にいるなら、だけどね」
「いないかもしれないって事ですか?」
イリスには女神がいないとはとても信じられないことだ。実際に何柱もの神様と出会ったことがあるイリスにとって、神とはとても近しい存在であった。大切なあのひととは一日として離れたことすらない彼女にとっては、女神アルウェナがいるのかいないのか、などという考えそのものが理解できないことだった。
「実際、女神アルウェナに会った人はいないんだ。もっともアルリオンの中心にいる法王や、近しい場所にいる枢機卿は別だろうけど。
でもね、結局の所、民は会った事がないんだよ。女神が登場して数百年、誰一人として会ったという記録が残っていない。時の法王とその側近以外にはね。
だから確かめてみたいとも思った時期があったけど、そもそも神様に会うのってどうすればいいんだろうね」
そう言いながらブリジットは静かに笑っていた。
「神様に会う方法・・・」
イリスは思う、それは私も見つけてみたい事だ。いや、必ず見つけないといけない。そう心に誓ったことだ。いつになるのかも、どうすれば良いのかも全くわからない。でも、それでも努力すればきっと適うはずだと、今はとても遠い、本当に遠い場所にいる大切なひとを想い、改めて決意するイリス。
そんな少女を見ていたブリジットは、本当に素敵な子だねと優しく微笑んでいた。
「聞いてくれてありがとうね、イリスちゃん。すごく楽になったよ」
「お役に立てたのなら私もとても嬉しいです」
「・・・うん。本当にありがとう」
優しい時間が流れていく。音の無い静寂と溢れる光に包まれた教会で、二人は静かに過ごしていった。
* *
教会でブリジットと別れた後、イリスは戻ってきた噴水広場でロットに出会っていた。やはりこの場所は街の中央と言うこともあり、知り合いに多く会えるようだ。
「こんにちは、ロットさん」
「こんにちは、イリスちゃん」
「そういえばロットさんは世界中の色んな所へ冒険に行ってるんですか?」
「そうだね、依頼次第だけど割と色んな場所に行ってるね」
「リシルア国にも行かれました?」
「え?リシルア国?一応1年ほど前に行ったけど、またどうして?」
(あれ?なんだか聞いちゃいけない感じだったかな?)
「いえ、獣人さんが多くいらっしゃると知識にあったので、ミレイさんみたいな素敵な方が多いのかなって思ったんですよ」
「あー、うん。どうだろうね。色んな人たちがいるからね」
色んな人たちという言葉に若干引っかかったイリスであったが、それを特に聞くこともなくどんな国かをロットに聞いてみた。
「リシルア国ってどんな所なんですか?」
「そうだね、自然がとても豊かで素敵な所だよ。自然と共に生きているっていう感じがする、生命力に溢れた国だね」
「わぁ、行ってみたいなぁ。大人になって正式に冒険者になったら、ロットさん達に連れて行ってもらおうかな」
笑顔で語るイリスにロットは微妙な顔をしている。はて、と思うイリスにロットは話を変えるように続けた。
「大人になったら冒険者になるつもりなの?無理して危険な冒険に出なくても良いと思うけど」
「私、いずれは色んな所に行って世界を見てみたいです。色んな所に行って、色んな事を学びたいです」
「イリスちゃんらしいね。それなら聖王国アルリオンとかお勧めだよ。すごく綺麗な街並みに立派な大聖堂があるから、一度はイリスちゃんに見せてあげたいなぁ」
「聖王国アルリオンかぁ。女神アルウェナ様が建国されたと言われる国ですね。そこも一度は行ってみたいなぁ」
白を基調とした街並みと大聖堂で作られたとても素敵な場所だと知識にある。だが少し気になってしまったイリスは、ロットに立ち入ったことを聞いてみた。
「ロットさんはリシルア国にあまり行かないんですか?」
「え!?い、いや、そんなことも、ないけど」
明らかに動揺しているロットに、イリスは申し訳なく思ってしまう。どうやら的中してしまったようだ。少々取り乱すロットを初めて見てしまった。
「ごめんなさい、興味本位で立ち入ったことを聞いてしまって」
苦笑いするイリスに、いやそんなことないよ、こっちこそごめんねとロットが返した。どうやら普段お笑顔に戻ってくれたようだ。そしてロットは少々意味深な言葉を続けた。
「正直な所、俺はあまり行けない場所なんだよ、リシルア国は」
「行けない場所、ですか?」
どういうことだろうかと首を傾げてしまうイリスにロットは答えてくれた。
「うん。なんていうかね、俺はあの場所では多少有名というかね。俺はなるべくならリシルア国には行きたくないんだよ」
うん?よくわからない表現をしてるなぁとイリスが首をかしげていた所へ、近くにやって来た人がロットに声をかけてきた。
そしてその聞き慣れない呼び名にイリスは目が点になってしまい、思考が完全に止まってしまった。
「これはこれは、英雄殿じゃないか」
目が点になったままのイリスと、こんなに遠いのに見つかってしまった、といった顔のロットが同時に振り向くとそこには一人の獣人の男性が立っていた。