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この青く美しい空の下で  作者: しんた
第十二章 一花の歌姫
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"聞いてくれた人達の心に"


 広場に広がる、心地良い音色と歌声。

 リュートの演奏が彼女の声を、より一層引き立てているように思えてしまう。

 

 ビビアナの店で聞いていた時よりも遥かに素晴らしく、そして美しい旋律に、まるで周囲の世界が幸せな場所へと移ったかのように錯覚してしまう、本当に不思議なひと時を味わう事ができたイリス達だった。


 そしてそれを体現するかのように、歌声が静まると起こる万来の拍手が、演奏を終えた彼女達を温かく迎えていった。

 今度は道行く人も徐々にアデル達の方へと歩み寄ってくれて、とても幸せそうな表情を見せながらその旋律に酔いしれていたようだ。


 観客にお辞儀をする二人の姿はとても様になっていて、こうやってあの店で少ないながらも歌い続けてきたのだろうと思えてしまうイリス達だった。


 店に戻ったイリス達は、アデルとテランスを加えて夕食を取っていた。

 少々遅めとなるが、ゆっくりとしてから歌わせて貰うことにしたようだ。

 彼女の姿を見つけた者達はこぞってアデルに言葉をかけ、彼女もまたこのあと歌うことを伝えていくと、誰もが嬉しさのあまり微笑んでしまっていた。


 食後のお茶も終わる頃になると店内が客で溢れ返り、混雑していた。


 そろそろ行きましょうかと言葉にしたアデルに続き、イリス達も行動を共にしようとするも、ここは大丈夫ですよと笑顔で答えた彼女は、ゆっくりとくつろぎながら聞いていて下さいねと言葉にして歌う場所へと向かっていった。


 あの時と同じ場所で歌うアデル、そして演奏をしていくテランス。

 その二人はまるで違う世界を創り出しているかのように、とても特別なものに思えてしまう、そんな素敵な演奏と歌を奏でていた。


 何て至福な時なのだろうかと感じるイリス達。

 鳴り止まない拍手がそれを象徴しているかのようで、まるで自分のことのように嬉しく思えてしまった。

 本当に不思議な気持ちにさせられる、とても特別な歌に思えたイリスだった。



   *  *   



 アデルを自宅まで送り届け、挨拶をして宿へと戻っていくイリス達。

 途中、店の裏手を通ると、そこにテランスが待っていたようだ。


「テランスさん? どうかされたのですか?」


 店の裏手にいることはあまりない事だろうと思ってしまうイリスがそう言葉にしてしまったのも、無理からぬ事だったのかもしれない。

 複雑な表情をしていた彼は、とても言い難そうに言葉にしていく。


「……皆さんに聞きたい事があって、ここで待ってたんだ。

 さっきの歌は、彼女らしからぬものを感じたんだよ。

 ……アデルに何かあったんじゃないかと、そう思えてしまうほどに……。

 君達なら何か知っているんじゃないかなって……。いや、違うか。

 君達は知っているんだよね? それを教えて欲しいんだ」


 徐々に顔色を曇らせながら言葉にした彼は、本来ならば彼女に直接聞かなければならないんだけど、どうしてもその勇気が出ないんだと、とても辛そうに話していった。


 もしかしたら彼はもう、それに気が付いていたのかもしれない。

 その何かが違和感となり、彼女がとんでもないものを抱え込んでしまっているのではないだろうかと、薄々と感じていたのかもしれない。


 そんな彼に、どうしてその事をと思ってしまうイリスの表情を見て、彼はそれに答えていく。


 彼は見習いとはいえ、吟遊詩人を目指している者だ。

 歌い手の微妙な違いくらいはすぐに分かるが、今回のアデルの歌は明らかに別のものだったと彼は言葉にする。


「僕はこれでも吟遊詩人を目指しているから、声色で判断できるんだと思うよ。

 特に彼女の歌は、普通の人では到底出せないようなものを持っていた。

 それも今日の歌は、今までの比じゃないほどに、とてもいい歌だったよ。

 凄まじいと言えるほどに、全ての人の心に届くかのような、そんな歌だった。

 ……まるで思い残す事がないように、だなんて、悪い方に捉えてしまった、そんな覚悟の声にも、僕には聞こえたんだ」


 彼女にこれを聞いてしまえば、いらぬ不安や恐怖を与えてしまう事になりかねない。だからイリス達に教えてもらえないだろうかと、彼は悲痛な面持ちで言葉にしていた。


 この場で独り考え続け、それでも聞かずにはいられなかったのだろうことは見て取れるが、その考えに至るまでに、一体どれだけの心の葛藤があったのかも想像に難くない。

 彼はこれまで彼女の歌を支えて来たのだから。


 ただのパートナー以上の関係である事は、聞かなくても分かる彼女達だった。

 テランスはアデルのことを、一人の女性として想っているのもはっきりと理解できた。


 だからこそ躊躇ってしまう。

 本当に彼に、真実を言葉にしてもいいのだろうかと。

 それは彼自身を苦しめるだけでなく、絶望させてしまいかねない最悪の説明となってしまうだろう。

 もしかしたら、演奏する事も空しく思え、辞めてしまう事だって考えられる。


 一体どうすればいいのかと考えてしまうイリス達へ、どうかお願いしますと頭を下げ、懇願されてしまった。


 そんなテランスへと、アデルの病状を言葉にしていくイリス。

 本来であればプライベートな事は話すべきではない。

 アデルの知人としても、そして薬師としてもだ。


 この事をテランスに言葉にしたのは、彼の想いに根負けしたのではなく、イリス自信の意思で言葉にしようと決意したためだ。


 彼にとってアデルとは、とても大切な女性なのだから。

 それが分かるから、イリスは彼女の事を伝えていった。

 アデルが抱えている病魔と、その病状、そして今後必ず訪れてしまう事になる最悪の結末も。

 イリスは悲痛な面持ちと震える声で、嘘偽りなく説明をしていった。


「……アデルさんも、この事は知っています。

 知った上で、彼女は歌うことを望んだんです。

 これから先も、ずっと歌い続けることを、決意したんです……」


 イリスの言葉を静かに聴いていたテランスはゆっくりと空を見上げ、満天に輝く夏の星空を見つめていった。


 今日も美しく輝く星と月が、何とも皮肉さを見せているようで、その輝きひとつひとつに悲しみを感じてしまう彼が言葉にしたのは、とても大切な事を教えてくれたイリスへの感謝の言葉だった。


 擦り切れるようなその声に、何も返せなくなってしまったイリス達。

 誰よりも大切な人が抱えてしまっているものに、何もできない無力な自分。

 たとえ薬師であったとしても、彼女の治療は最早不可能なのだと理解し、それでも自分にできることを探していくも、何もいい考えなど浮かぶ事はなかった。


 彼にはとても辛い想いをさせてしまい、申し訳なく感じているイリス達へと視線を戻したテランスの瞳は、とても美しく輝いていた。


 彼にもまだ、彼女のためにできることがあると気が付いたテランスは、彼にしかできないことではないかもしれないが、それでも、それくらいしか自分にはできないのだと思いが至っていた。


 彼は、歌の力を信じていたからだ。

 歌うこと、演奏する事、共に音を奏でる事。

 それを聞いた者だけでなく、歌っている者、演奏した者にまで、大切な想いや幸せな気持ちを与えることができる。

 時としてそれは魔法の様に、信じられない様な力を発揮できるかもしれない。

 音楽とはそういったものなのだと、彼は心から信じていた。


 だからこそ彼はもう一度、イリスへとお礼を言葉にする。

 今度は力強く、はっきりとした口調と、意志の強さを感じる瞳で。


「ありがとう、イリスさん。

 偽りなく話してくれて、本当に感謝します。

 僕も小さいながら、覚悟を決めました。

 彼女が望むのであれば、それを支え、僕も演奏をし続けます。


 アデルが望むことを全て叶える事は難しいかもしれないけど、それでも僕は、彼女と共に歩いていきたい。それがたとえ、とても僅かで、とても短い時間だったとしても、ずっとアデルの傍にいてあげたい。


 僕にできることは、彼女の歌をより良く思って貰えるような、そんな演奏をし続けていきたいと思います。

 聞いてくれた人達の心に、幸せな気持ちや、楽しい思い出として残るように。


 そうすればきっと、彼女の歌を聞いてくれた人達の心に、アデルが生き続けてくれると思えるから。

 ずっとずっと先にまで語り継がれ、彼女がここに居た証を残せるように……」


 静かに、そして力強く言葉にしたテランスの瞳には、一切の迷いを感じられないものをしており、その瞳を見たイリス達は、胸が締め付けられる想いをしてしまっていた。


 最愛の人と一緒にいられる時間を決められてしまったどうしようもない現状で、果たしてこれほどの覚悟をイリス達ができるのだろうかと考えてしまう。


 自分だったらどうだろうかと、考えてしまうイリス。

 大切なひとや両親、大好きな姉と別れてしまったのは、そのどちらも突発的な出来事であり、それをイリスは心の準備などできようはずもなく、突如としてお別れを余儀なくされた。

 彼のように、大切な人といられる時間を決められてしまうような状況ではなかった彼女は、彼と同じ境遇となった時、どうなってしまうのかと考えていた。


 だが、何度考えても何度悩んでも、出ることのない答えを捜し求めるように、心の中でその最悪の出来事を考え続けるも、決断と言えるようなものは一向に出せず、出口のない暗闇を手を伸ばしながら歩き続けているような、そんな恐怖心が付きまとう考えとなってしまった。



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