"一番近くで"
こんこんと、静かに叩かれる家の扉に大きめの声で返事をしたアデルは、杖をつきながら席を立ち、ゆっくりとではあるが玄関へ向かっていった。
この時間がとても申し訳なく思ってしまう彼女。
身体が自由に動いてくれないとは言え、訪問している人には関係のない話だ。
自分のことでお待たせしてしまっていることに変わりないのだから、そう思ってしまうのも仕方のないことだったのかもしれないが、それはあくまでアデル自身がそう思っているに過ぎない。
彼女を訪ねる人達は、彼女が杖を使っている事もしっかりと理解している者達だ。
寧ろ、先日の訪問者達もそうだったが、身体に不自由があるのを知っているのだから、却ってこちらが申し訳ないと思う者しかいなかったのを彼女は知らない。
ようやく玄関の扉前までやって来たアデルは、かちゃりと静かに音を立てながら扉を開け、お待たせしてしまっている来客者に返事をしていった。
「お待たせしました。あら、おはようございます、皆さん」
外にいたのは、先日アデルの歌を聞いたという冒険者一行だった。
彼女の歌を素敵だと言葉にしてくれた人達で、身体が悪いのを知って、診察にまで来てくれた心優しい女性が、美しい笑顔で微笑みながら挨拶をしてくれた。
「おはようございます、アデルさん」
* *
重々しい空気に包まれてしまったイリス達は、無言で夜の道を歩いていた。
見上げると、まばゆいまでに輝く星ぼしが天を彩っていて、優しく月に触れるように雲がかかり、幻想的な雰囲気を見せていた。
だが美しい夜空とは違い、イリス達には重苦しい空気に包まれてしまっている。
どうすればいいのか、その答えとなるものがまるで出て来ない一行は、無言のまま宿へと到着してしまった。いくら考え続けても、言葉にすらでないほどの衝撃を受けてしまっていたようだ。
そんな彼女達の異変に気が付いたカーリンだったが、それをあえて問いただすような事は一切せず、丁寧な挨拶をしたあと鍵を渡し、新たに四人部屋へと移る彼女達の案内をしていった。
「他に何かございましたら、受け付けまでお越しください」
それでは失礼いたしますと言葉にしたカーリンへ、お礼を告げたイリスだったが、その声色もとても辛そうなものを感じてしまう彼女は、内心では聞きたい気持ちで溢れてしまいそうになるも、笑顔で静かに部屋の扉を閉めていった。
それぞれのベッドに腰掛けるイリス達四人は、尚も言葉にならず、ひたすらに考え続けていた。
暫しその状態が続くも、ようやく口を開いたイリスの言葉は、重く暗い現状を打破するには十分過ぎたようだ。
「……私はそれでも、アデルさんには、笑顔で歌っていてもらいたいです……」
「……そうですわ。それですわ! 私もそうです! アデルさんにはそうしていて欲しいですわ!」
「うん。あたしもそうしてもらいたいよ。あたしに何ができるのかは分かんないけどさ、それでもアデルさんには笑顔でいてもらいたい」
「私もアデル様にはずっと笑顔でいてもらいたいです。
何かお手伝いできる事もあると思いますが、何よりも私自身がお傍にいたいです」
まるで暗い気持ちを吹き飛ばしたかのように元気を取り戻した女性達は、早速男性達のもとへと向かっていった。
重々しくも言葉を交わすヴァンとロット。
どうすればいいのかも分からない現状で、いい結果など導き出す事などできず、まるで愚痴のようになってしまってはいたが、それでも何かいい案が浮かぶかもしれない。
そう思っていた彼らは、考えながらも話し合っていた。
そんなところへ、ノックが響いてくる。
その心なしか元気な音に思わず彼らは目を合わせ、二人同時に立ち上がってしまった。軽く手でロットに俺が出ると合図を送り、扉を開けていくヴァンが目にしたのは、先ほどとは打って変わって明るい表情を見せる女性達だった。
とりあえず部屋に通していくヴァンだったが、本当に女性とは強いものなのだなと考えながら、扉を静かに閉めていった。
そして彼らはイリス達の提案を、二つ返事で賛成していく。
そうすることが彼女のためだけではなく、自分達にも必要だと思えたからだ。
このまま旅に出る事も危険である以上、ツィードに滞在する事も必要だったし、何よりも、彼女を放ったまま旅などできようはずもない。
ならば、イリス達のできることは決まっていた。
それに気付けなかった自分達を情けなく思ってしまう。
それはとても単純で、本当に簡単なことだった。
ただイリス達は、彼女の歌をいちばん近くで聞きたいと思えてしまったのだ。
彼女を支えるのはその延長線上のことであり、何も難しく考える必要などなかった。
単純に、彼女の歌を一番近くで聴くために、ツィードを滞在したいのだと女性達は言葉にし、それを快く了承していくヴァンとロットの二人を加え、今後の事を話し合っていった。
* *
その経緯をアデルへと伝えていくも、目を丸くして驚かれてしまう。
そして、『ブリジットの件は』と申し訳なさそうにアデルが言葉にするも、イリスはそれとは違うのだと笑顔で言葉にしていった。
「ブリジットさんへのお手紙の件は私達の考えであって、アデルさんがそう望むのであれば、これ以上口を出す事はできません。
ですがそれとは別に、アデルさんのお手伝いをさせてもらいたいと仲間達と話し合って決めたんです。もし、ご迷惑でなければ、私達をお傍に置いてくださいませんか?」
驚いたまま、固まり続けてしまうアデル。
イリスが言葉にした内容が分からない訳がなかった。
しかし、そう簡単にも応えることができない彼女は、とても言い辛そうに話していった。
「……でも、私はもうじき、動けなくなりますし、それに、そう遠くないうちに……」
先に続く重苦しい言葉を言い渋るアデルだったが、イリスは笑顔で答えていく。
「お歌の件もありますから、是非ご一緒にと思ったんですよ。
どの場所で歌うにしても、その一番近くで素敵な歌を聞けるんですから、こんなに嬉しくて幸せな事は他にないと私達は思ったんです。
だから、是非傍にいさせてくださいませんか?」
とても嬉しそうに話しているイリスだけでなく、シルヴィア達も同じようにいさせて欲しいと言葉にした。
彼女達の想いが、アデルに伝わらない訳がない。
彼女達はこう言っているのだ。
『ずっと傍にいさせて欲しい』と。
それはすなわち、アデルを看取る決意をした、ということでもある。
人を看取るということは、それほど簡単に決められる事ではない。
そして、軽々しく口にすることでもないはずだと、彼女は思う。
重く、辛く、寂しく、痛い。
そんな記憶として、ずっと残ってしまうかもしれない。
自身がいなくなったその先も、まるで重りのように、その人たちの心にのしかかってしまうかもしれない。
だが、イリス達の表情は迷いが晴れたかのような、とても清々しい気持ちでいるようにアデルには思えた。
これから確実に訪れるであろうことをしっかりと見据え、その全てを受け入れ、どんなに辛くとも傍にいたいのだと、彼女達は笑顔で言葉にしてくれている。
……あぁ。何て優しい人達なのだろうかと、アデルは想う。
きっと彼女達は、自分がブリジットの親友でなかったとしても、たとえ歌を唄えなかったとしても、同じ事をしたいと言ってくれるのだろう。
そして今と同じような笑顔で、優しく言葉を紡いでくれるのだろう。
迷惑をかけてしまうと感じる私に、そうではないんだと応えてくれている。
言葉に出さなくても、その気持ちがはっきりと伝わってくるようだった。
そんなイリス達へ断る事などできないアデルは、静かに、そして涙ぐみながらありがとうと小さく言葉にした。
そして彼女は心から想う。
旅路の果てに彼女達がいてくれるのであれば、きっと恐怖することなく、安らかな気持ちで眠る事ができるのだと。




