"世界はとても理不尽で"
『私はね、神様を信じていないんだ』
そう彼女が思っても、仕方のないことなのかもしれない。
どんなに祈っても、どんなに願っても、結局は何も起こらなかったのだから。
『祈りや願いで救われることは、きっと無いんだよ』
本当に彼女が言葉にした通りなのかもしれない。
もしそうでないのであれば、何かしらの救いの手が差し伸べられていたのかもしれないと思ってしまう。
そうだ。
あの日、イリスは確かに尋ねたのだ。
そう言葉にしていた女性の、魂から発せられる慟哭のような悲痛な言葉を。
* *
「本当に優しい子だね、イリスちゃんは。……じゃあ、その言葉に甘えちゃおうかな」
彼女は旅立つ前のイリスに言葉にした。
どうなるのかは分からない。
ブリジットも世界中を旅した訳ではない。
大きな都市には仕事で向かったこともあるが、本格的に生き別れの親友を探そうとするのならば、物凄く時間がかかるだろう。
世界には、大きな国以外の街も多数存在している。
何百人と暮らす街だけでなく、何千人と住まう街もある。
そんな中、たった一人を見つけることは、難しいと言わざるを得ない。
ましてや生き別れたのは、あの日故郷を追われて以来、二十五年ぶりとなる。
それは更に探し人と再会するのを、難しくしてしまう状況となってしまうだろう。
だが、それでもあの時の彼女は、確かにお願いをしていた。
ブリジットの言葉を真剣に聞いたイリスは、笑顔で答えていく。
「私も信じてますから」
「……うん。……ありがとう。イリスちゃん……」
優しく強く、イリスを抱きしめたブリジットの頬に、涙が静かに伝っていった。
ゆっくりと開かれていく唇から、想いの全てを言葉にする様に、言葉にしていった。
「あの子の名前はね――」
* *
「……あ、アデルさん…………。
貴女は、まさか……アーデルトラウト・ヴァイスハウプトさん……なのですか?」
どうか嘘であって欲しいと願う気持ちと、生きていてくれて嬉しい気持ち。
イリスはどちらを表に出せばいいのか、とても複雑な表情をしてしまう。
いっそ人違いであればとも思ってしまうが、イリスも心のどこかでは、もうその答えが出ている。風体や名前、子供の頃の性格をブリジットから教えてもらい、アデルが聞いていた通りの存在に思えてならなかったのだから。
この世界はとても理不尽で、不条理だ。
どんなに願っても、どんなに祈りを捧げても、それは決して届かないのではないだろうか。
イリスの周りだけでも、女神に祈らなくなった人物は二人もいる。
それぞれが違う苦しみの中、祈ったところで何も解決しないのだと諭されてしまい、祈る事がむなしく思えてしまったのだろう。
実際に、女神が何かをしたという記述も、その痕跡すらも一切見つからなかった。
女神アルウェナも、この世界のどこにも存在しない存在だった。
エリエスフィーナもこの世界の人々が苦しむのにも、手を差し伸べる事はなかった。
恐らく何か理由があるのだろうが、それはまた別の話となる。
だが、ひとつだけ確かなのは、彼女が言っていた言葉だ。
『この世界は辛く、厳しく、残酷で、無慈悲』であると。
でも……。
でも――。
イリスはそれでも、そう願わずにはいられない。
どうかアデルが、人違いであって欲しいと。
そして彼女は口を小さく開き、静かに言葉にしていく。
……驚きの表情を浮かべてしまいながら、言葉にしていった……。
「……どうして、その名を……。
その名は子供の頃に一度口にしたきりで、知る人も殆どいないはずなのに……」
アデルの言葉に確信を得てしまったイリスは意識を散漫させてしまい、その場でふらりと足をふら付かせた。
思わず隣にいたヴァンが支え、大丈夫かと言葉にするも、大丈夫だと伝える事ができないほどの精神状態となってしまっていた。
イリスが落ち着きを取り戻し、仲間達へと説明ができるようになったのは、十ミィルほど経ってからとなるも、イリスの異変に誰もが口を出すことなく、静かに見守り続けてくれていたようだ。
その事にお礼を言葉にしながらも、何と話していいのやらと考えるイリスは、意を決してアデルに彼女の想いを告げていった。
「……ブリジットが、私を、探しているのですか……?」
「はい。必ず生きて、世界のどこかに暮らしているはずだからと、ブリジットさんはアデルさんに再会する事を心から望んでいるんです。
数年前までは、大きい国を中心に世界中を飛び回っていたそうですが、現在はフィルベルグで魔法道具屋さんを経営しています。
逢いに行く事は難しくても、どうかお手紙だけでも書いて下さいませんか?」
懇願するようにアデルへと尋ねるイリスだったが、彼女はとても辛そうに言葉にしていった。
「……それは、できないわ」
「な、なぜですの!? 大切な幼馴染で、親友なのでしょう!?」
強く反論するシルヴィアの気持ちも尤もではあるが、そうはできない理由が彼女にはあった。
「……親友……。そうね。ブリジットほど一緒にいて楽しめていた子はいなかったわ。彼女が話す特別な道具の話も、お人形遊びも、本当に幸せなひと時だった」
「――ではなぜ!?」
「言葉が見つからないの……」
彼女の問いに静かに話すアデルは、どうしていいのか分からないと言葉にした。
どういうことですのと聞き返すシルヴィアに、ぽつりととても小さな声で、何よりも辛そうにアデルは答えていった。
「私には手紙は書けないわ……。
もし書いてしまえば、彼女は飛んできてしまう。
全てを投げ打ってでも、私のために逢いに来てしまう。
そんな子なのよ、ブリジットは。
……子供の頃からそうだった。いつも自分の空想の話をしていたけれど、全ては私を楽しませたいという気持ちしか、あの子にはなかったの。
それが申し訳なくも思っていたけど、何より彼女は私が笑顔になってくれる事を心から喜んでくれる、そんな子だったのよ。
きっと、今でも変わらないはずだわ。あの子はとても優しい子なのだもの」
「……どうして、ですの? 逢いに来られるのは嬉しいのでしょう?」
最早、涙を目尻に溜めてしまっていたシルヴィアはアデルに問う。
お互い逢いたいのであれば、合わないでどうするんですのよと、今にも泣き出しそうな震える声で言葉にしてしまうも、そうはできないのよとアデルは寂しそうに返していった。
「……手紙なんて、出せる訳がないわ。
第一、何を書けばいいのかも分からないもの」
「……それは、アデルさんが思っていることを書けばいいんじゃないの?」
シルヴィアに釣られて、涙を流しそうな表情を見せてしまいながらもファルはそう聞き返していくが、とても辛そうに言葉にしていった。
「……二十五年ぶりの生存報告をした後で、もうじきいなくなるわだなんて、そんなこと書けるわけないじゃないですか。
彼女に手紙を出せば飛んできてしまうのだから、私は書いてはいけないんです。
あの子には、あの子の人生があります。
私の事で、辛い想いをして欲しくはありませんから」
あまりの悲痛な面持ちで、今にも涙がこぼれてしまいそうになる彼女に、イリス達は誰もが口を開く事ができなかった。
アデルの言う通り、もしもブリジットに手紙を書いてしまえば、希望と絶望を与えた上に、弱っていく大切な親友を目の当たりにすることとなる。
あの日、狂乱とも言えるような状況下で生き別れ、もう一度会うことができたらと切に願い、そしてまたすぐに旅立ってしまうだなど、ブリジットには耐え難い苦しみを与えてしまう事になるのだからと、アデルはとても悲しそうに言葉にした。
イリス達は、それでもブリジットに手紙を出すべきだなどと言葉には一切できなくなってしまい、どうすれば彼女達が幸せになれるのかを真剣に考えていくも、いくら考えてもいい案など生まれずに時間だけが無常にも過ぎ去っていった。
彼女が宝物と呼ぶ、可愛らしくもとても不恰好で、子供が作ったとしか思えない人形の瞳から、涙がこぼれたような錯覚をしてしまうイリスだった。




