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この青く美しい空の下で  作者: しんた
第十二章 一花の歌姫
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"心を癒すには"


 アデルの希望から、今後は薬による痛み止めと、栄養剤による生命の維持をしていく事が決まった。


「ソラナさんのお話を聞いて覚悟はしたつもりだったけれど、それでもまだ、何か私にもできる事があるんじゃないかなって思えるんです。

 ……こんな身体でも、まだ何かできるんじゃないかなって、そう思えたんです」


 儚く微笑むアデルは本当に美しくて、目の前に音もなくじわじわとにじり寄る恐怖に怯える事なく笑顔を見せ続けていた。

 天井に浮かぶ月を見つめる透き通る瞳はとても綺麗で、月明かりに照らされる彼女はベッドにいながらも、清廉で気高い女神のように見えてしまうイリス達だった。


 そんな彼女に、イリスはひとつの提案をする。

 その言葉に少々驚きながらも答えるアデルは、イリスへと話し始めていく。


「アデルさん。歌を唄われてはどうでしょうか?」

「……歌、ですか? でも、私はもう、人前で歌う事は難しくて……」


 そう答えていく彼女にそうではないんですと、イリスは言葉を返していった。


「誰かのためではなく、自分のために歌うのはどうでしょうか。

 歌うこと自体が好きでなければ、あれほどまでに素敵な歌声を持つのは難しいのではと私は思うんです。自分のための歌であれば、自由気ままに歌うこともできますから、いい気分転換にもなると思いますし」

「あら、それはいいですわね。折角綺麗な歌声を持っているのですから、歌わなくては勿体無いのでは?」

「そうですよ。歌であれほどまでに感動したのを、俺は覚えがありません」

「うむ。あれは本当に感動した。アデル殿は、人の心に優しく伝える事のできる歌を唄える人物だと俺は思う。だが、自由気ままに歌う唄も、悪くないのではないだろうか」

「正直なところを申しますと、私はアデル様に歌い方を教えて頂きたいくらいです」

「わぁ、素敵ですね! 私も教えてもらいたいです!」

「わ、私は誰かに歌を教えた事はないので、とても難しいと思うのですが……」


 思わず苦笑いが出てしまうアデルだったが、それはいい考えじゃないかしらとソラナもそれに賛同していってしまったようで、どうしていいのやらと考え込んでしまう彼女に、ファルが言葉にしていった。


「ここひと月、アデルさんの歌を聞き続けていたけど、本当に綺麗で、聞くだけで幸せになれる気がしていたんだ。とても幸せなひと時だったよ。

 だから、お店で歌うのが難しくても、歌うことはやめて欲しくないとあたしは思ってる。あんなに心に響く歌を唄えるのは、誰にでもできることじゃないよ」

「……そう、なんですね。……私の歌は、人の心にまで、届いていたのですね。

 とても嬉しいですが、この気持ちは同時に、気恥ずかしく感じるものなのですね。

 ……いずれ歌えなくなってしまうのなら、歌えなくなるまで続けてみようかしら」


 彼女の発した言葉に、まるで自分のことのように喜ぶイリス達の様子を幸せそうに、そして気恥ずかしそうに頬をほんのりと赤く染めて微笑むアデルを見たソラナは、自分には決してできなかった事をしてくれた彼女達に、心からの感謝をしていた。


 ほんの少し前までその瞳には、諦めや無気力感が支配しつつあったが、彼女達のお蔭でアデルに活力が戻ったのが手に取るように理解できた。

 どんな薬であろうとも、そんなことは決してできないであろう事を成し遂げてくれたイリス達は、確かにアデルにしてくれたのだ。

 病気を治すことはできなくとも、確かに彼女の心を治療してくれたのだ。


 これのなんと凄いことかと考えてしまうソラナ。

 次期世界最高峰の薬師だなどと人から言われても、たった一人すら救ってあげられない自分にできることは、薬を出すくらいしかないだろうと勝手に思い込み、本心からアデルを救いたいと思っていなかったのかもしれないと思わずにはいられなかった。


 そんな彼女のできなかったことを、軽々と成してしまったイリス達。

 それはきっと、アデルの歌のように、誰もができる事では決してないはずだ。

 そう思えた彼女は、薬師の限界と、その先を見据える事ができたような気がした。


 傷を癒す事は薬師でもできる。

 だが、心を癒すには、別の力が必要になる。


 そこに新たな可能性を見出す事ができた気がしたソラナは、彼女もまた、イリス達に癒されたひとり、だったのかもしれない。



 次第に話はアデルと、イリス達の今後の話になっていき、どんなにたどたどしくも、それでも人前で歌いたいと強く想うようになった彼女に、是非そのお手伝いをさせてくださいとイリス達は各々言葉にしていった。


 お店で歌うのは少々狭いですわねとシルヴィアが言葉にしたのを切欠に、中央広場で歌うのはどうでしょうかという話となっていく。

 流石に目立ち過ぎるのはと言葉を返していくアデルだったが、結局は沢山の人に歌を聞いてもらえるという魅力に負け、広場で歌う方向に話が徐々に纏まっていく。


 たとえ、身体が動き難くなったとしても、精一杯歌うことで、人の心に伝わるのではないでしょうか。そう言葉にするイリスに、アデルは決意をする。

 どんなに歌が途切れ途切れだったとしても、たった一人でも聴いてくれる人がいるのならば、きっとその人には自分の歌が届いているはずだ。


 それなら私は、これからも歌い続けたい。

 一人でも多くの人達に、この歌を捧げたい。


 そう強く、とても強く決意をするアデルだった。



 ふと天井を見上げるネヴィアは、窓から降り注ぐ優しい月明かりを見つめながら、笑顔で言葉にしていった。


「今日も綺麗なお月様ですね」

「そうですわね。これだけ明るいと、外とあまり変わりませんわね」

「天井に窓を作るのは珍しいな。強固なツィードグラスあってのものだろう」

「なるほど、ツィードならではの建物なんだね。あたしはあんまりこういったのを気にしたことはなかったけど、こういう建物だと夜でも明るくて過ごせていいなぁ」

「この技術はこの街ならではだろうから、流石によそで再現するのは難しいね」

「そっかぁ、残念だなぁ。これだけ大きい窓を入れれば、ひなたぼっこもできるのに」

「お日様もいっぱい入ってきそうな造りなので、とても暖かそうですよね」


 そう言葉にするイリスに、冬は結構寒いんですよと話していくアデルだった。

 温暖な気候であるフィルベルグよりも北に位置するツィードでは、冬場はそれなりに寒くなりかねないらしいが、春と秋にはこの天井が非常に暖かな空間を作り出し、とても快適に過ごせる場所になるのだそうだ。

 残念ながらこの造りは独自の技術で創り上げたものらしく、言葉通りツィードならではの窓となっているようだ。


 残念ながら今は夏なので、日中はそれなりに暑くなるらしいが、彼女には丁度良く感じるのだと言葉にしていった。

 その話にイリスは、彼女の病が身体の体温調整を難しくしているのだろうと感じるも、今の季節が冬でない事に安堵していた。

 これについての対策もイリスができるため、軽く話を受け流していく彼女だった。

 

「それにしても、素敵なお部屋ですわね」

「ね、姉さま、人様のお部屋をあまり見ては失礼ですよ」

「構いませんよ。どうぞご自由にご覧くださいな。

 特に何も置いていませんので、面白くもないと思いますけど」

「あら、そんなことありませんわ。

 インテリアも素敵ですし、花瓶の花もとても綺麗ですわ。

 それに可愛らしいものも置かれていて、とても魅力的に思えるお部屋ですわよ」


 そう言って視線を向けるシルヴィアに釣られるように、イリス達は壁際の棚に置かれた可愛らしいものを見つめていく。


「へぇ。アデルさんも、ああいったものを置くんだね。

 大人の女性だから、そういうイメージがなかったよ」


 子供っぽいでしょうかとファルに尋ねていくアデルだったが、首を横に振りながら彼女は、寧ろ逆のイメージを持てたよと話していった。


「アデルさんが、すごく可愛らしく思えたよ。美人さんだし、綺麗な歌も歌えるから、どことなく近寄り難い雰囲気があったけど、なんだかほっこりしちゃった」

「うふふ。貴女でも、こういったものを持ったりするのね」

「それは私の宝物なんですよ」


 とても嬉しそうに話すアデルに、一同が温かな気持ちになっていく。

 ただひとり、イリスを除いては。


 その異変に真っ先に気が付いたのは、ネヴィアだった。

 たまたま視線を向けただけに過ぎないのだが、今まで見たこともないほどに驚愕していたイリスへ、思わず言葉を小さく発してしまった。


「……イリスちゃん?」


 一同の視線が彼女に集中するも、あまりの驚愕にネヴィアの声が届かず、口を小さく開けながら、その一点を見つめ続けているイリス。

 これ程までに驚く彼女を見た事がない仲間達は、思わず言葉を噤んでしまう。

 それほどの表情をイリスは見せてしまっていた。


「…………そんな……まさか……まさか、そんな……。こんな、こんな事って……」


 小さく震えながらも言葉にしている彼女に一同は驚きながらも、ヴァンがはっきりとした口調で彼女の名を呼ぶまでその状態は続き、その声に意識をこちらへと戻す事ができたイリスは、尚も驚愕した表情を戻すことなくヴァンへと視線を向けていく。


 そして彼女が言葉を向けたのは彼ではなく、アデルに向けたものであった。

 とても複雑な表情を向けられるアデルは少々戸惑うも、イリスを見つめながらその様子を伺っていた。


 意を決したように話し始めるイリスの問いに答えられる者は、この部屋でもたった一人だけであったようだ。


「……あ、アデルさん…………。

 貴女は、まさか……アーデルトラウト・ヴァイスハウプトさん……なのですか?」


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