"本当に強い子"
悲痛な表情を見せながら話していくイリスの言葉は、シルヴィア達の心に痛いほど伝わってくるようだった。
「……"ラデク病"は、リンカルスと呼ばれる毒蛇に良く似た魔物から毒を受けると、ごく稀に発病すると言われています。アデルさんの足元には、噛まれた跡がありました。
傷の具合から見て、恐らくは二十年以上前に発症したと思われますが、この病気の厄介なところは、発病した人の体内で別の毒に変化してしまう事にあるんです」
言うなればそれは、全く別の毒と言い換えられるものになってしまうらしく、治療薬を処方したところで効果は殆ど見られないのだとイリスは言葉にした。
発病から早期であれば、ある程度進行を遅らせることも可能なのだが、彼女の場合は発症してから相当に年月が経ってしまっているようで、彼女の身体を何が蝕んでいるのかですら判断ができないのだと、とても辛そうに話していく。
故にこの病は、一度発症し、そのまま適切な処置ができずにいれば、数年で命を落とす事になると言われている恐ろしい病気だ。
そしてこの病気とその対処法を知っていたとしても、その魔物と思われる存在から毒を抽出して血清を作らなければ、たとえ世界四大薬師と言われる最高峰の存在であろうと、治療薬を作ることは叶わないのだと、イリスは仲間達へと説明していった。
それも最悪な事に、同じような魔物からは血清は作れないことも判明しており、発病させた魔物から毒を抽出しなければ、治療薬を作ることは不可能とされている。
「……解毒薬でも……だめなのですか?」
藁をもつかむ思いでネヴィアは尋ねていくも、あの薬ではとても治療はできないのだとイリスは言葉を返した。
そもそも解毒薬は微弱な毒にしか効果がない。それも飲まなくても大丈夫なほどの弱い毒に対してしか効力を示さない。あれは名前負けした薬であり、とてもではないが猛毒を治すことなどできない。
そしてアデルが受けたものは、その猛毒にあたる。
触れただけでも命を脅かす、とても危険な毒だ。
放っておけば数日で命を落とす事も考えられる事から、恐らくはその対処を知っている者が傍にいて、最善とはいかないまでも、適切な処置をとってくれたのだとイリスは言葉にした。今でも彼女が存命である事が、それを証明している。
「……イリスさんなら……」
そうシルヴィアが言葉にしかけて口を噤んでしまう。
彼女が言いたい事を理解しているイリスは、シルヴィアに答えていく。
直接的な言い方ではなく遠巻きではあるが、あの魔法でも治療はできないのだと。
イリスが使う"毒化除去"は結局のところ、身体を蝕んでいる原因とその対処法を理解できなければ、発動させても効果を得る事はできない。
今回の場合は、以前使った二日酔いの時とはまるで違う。
アデルを蝕んでいる元凶も、その対処法すら分からない状態では効果がない。
力の発動だけで全ての毒を浄化できるのは、それこそ神の力でもなければ不可能だ。あのひとならばそれも可能としてしまうが、この世界に彼女はいない。
人の身ではもう、どうしようもない状態にまで悪化してしまっている。
何も言えなくなってしまったイリスに、ソラナは話していく。
どこか遠くを見つめるようにしながら発したその声は、とても辛そうで、とても悲しそうで。その言葉を聞いただけでイリスは、涙が溢れてしまいそうになった。
「……アデルは本当に良く頑張っているわ。
涙が出るくらい痛いはずなのに、嫌になるくらい辛いはずなのに。
人前では弱音を一切吐かないのよ、あの子は。
本当に強い子よ。強くて優しくて、とても美しい。……でも――」
そう言葉にしながらソラナはイリスを見据え、話していく。彼女の声色は変わらなかったが、まるで助けを求めているような悲痛なものにもイリスには聞こえた。
「……弱音を誰にも言葉にしないのが、私にはどうしようもなく辛いのよ。
独りで抱え込んで、人には一切それを見せない。心配させたくないのね、きっと。
昨日の診断で、病状も悪化の一途を辿っているのが分かったわ。
ここ数日で急激な変化が見られるところを考慮すると、今後は一気に病気も進行していくわ。……数日で立てなくなる可能性が高い。
レスティから学んだ貴女であれば、"余命"も大凡の見当が付くはずよ」
「……よ、余命……?」
思いもよらないことに、目を見開きながら聞き返してしまうシルヴィア。
他の仲間達は完全に言葉を失ってしまっていた。
そんなに悪いのかと思わずにはいられないシルヴィア達だったが、イリスの様子から察すると、それは間違いではないのだと理解させられてしまう。
そんなイリスは様々な条件を言葉にしながら、震える声で答えていった。
「……傷跡の具合、半身の不自由、左目、出難い声。急激な症状の悪化。
……この病気に関して、私にはおばあちゃんに教えて貰った知識と、本によるものしか持ち合わせていませんが、それから推察すると、アデルさんの……余命は……」
話が止まってしまうイリスは右手で左手首をぐっと強く掴み、瞳を閉じながら言葉にしていく。
それはまるで、激痛が身体を走り抜けているかのような表情になりながらも、彼女は言葉にしていった。
「…………もって、あと……ひと月ほどと……思われます……」
しんと静まり返る店内に、外の賑やかな活気が耳に届いてくる。
夜でありながらこの賑わいは、グラディル討伐の喜びから来るのだろう。
だがイリス達にとってその活気は、ひどく物悲しく思えてならなかった。
既に彼女の病は左目だけでなく、全身にまで毒素が行き渡ってしまっているように思えた。今はまだ半身だけで済んでいるが、それももう時間の問題だろう。
ソラナの診断も間違っていないとイリスには思えたし、彼女自身も同じ診断をしてしまっている。本当にもう、どうしようもない状態なのだと思い知らされた。
外とは対照的に思えてしまう肌寒い室内に、ソラナの声が静かに響いていく。
「……アデルはね、よく頑張ったのよ。これまで本当によく頑張ったの。
病気を発症してから激痛と死の恐怖に怯える日々を過ごしているはずなのに、それを一切見せる事無く戦い、笑顔で頑張り続けてきたのよ。
症例によれば、本来であれば適切な処置をしても、二十五年なんて生きられないらしいわ。……それだけあの子が頑張っていたってことなのね」
悲痛な面持ちをしてしまっているイリス達へ、ソラナは言葉にする。
今にも泣き出しそうだった顔を無理にでも微笑みに戻し、元気付けようと声色を優しく明るいものへと変えていった。
「もう、そんな顔しないの。ものは考え様よ。
毒が原因で早く旅立つ事になると思うのか、それでもこれだけ頑張ってくれているんだと思うのか。
後ひと月しか生きられないと思うのか、まだひと月も生きられると思うのか。
……残酷な事を言うけど、結果は変わらないのよ。
ならイリスさんは、アデルにどうしてあげたい?」
「……私、は……」
彼女の事を想うイリスは、何が一番彼女に必要なのかを考えるも、そう時間は掛からずに答えが出たようだ。
「私はアデルさんに、ずっと笑顔でいて貰いたいです」
「……そう。やっぱり貴女はレスティの孫なのね。とてもよく似ているわ」
とても優しい微笑で見つめる彼女は、イリスの出した答えに心から感謝する。
親友からの手紙でしか知らなかったが、彼女が語っていた弟子はただの弟子ではなく、愛孫であることが文面一杯に書き記されていた。
そんな彼女に以前から興味を持っていたソラナは、逢ってみたいと思っていたが、同時にそれは実際に逢ってみると違う印象を受けるかもしれないという怖さも感じていたようだった。
だがそれも、どうやら取り越し苦労だったようで、胸を撫で下ろしていたソラナは安堵した様子でイリスの優しさに微笑みながら見つめていた。




