その"石"の名は
テーブルへ置かれた黒くてごつごつした石を見つめる4人。そこへイリスが話を始めていく。
「これがさっきお話に出てきた黒い石なんだけど、おばあちゃんなら鑑定できるかなって思ったんだ」
「あらあら、ほんとに黒いのね。でもイリス、私の鑑定魔法はハーブやお薬くらいにしか上手に使えないわよ?」
「なんとなく気になっちゃっただけだから、上手に鑑定できなくてもぜんぜんいいよ。もともと鉱石専門の鑑定士さんも普通の石と鑑定したみたいだから、特に変わった所はないと思うんだけど、何か引っかかるんだよね、これ」
そうなの?とレスティがイリスに聞くが、当のイリスは上手く説明ができないでいた。まぁとりあえず鑑定して見ましょうかねとレスティが言いながら鑑定を始めた。そしてレスティが出した鑑定結果にイリスが聞き返していく。
「石ね」
「石?」
「石と私の鑑定では出たわ」
「あはは、やっぱりハズレ石だったね」
苦笑いのミレイだが、ロットは続けてハズレとも言えないんじゃないかと言った。
「遺跡にあったらしいから一応は古い石ってことなんだろうし、歴史的な価値はあるんじゃないかな」
「古くても石は石だよ、あははっ」
「ふふっ、はじめての冒険記念ってことで十分ですよ」
そう言いながらイリスは草原を思い出していた。魔法も修練できるようになったし、草原はとても気持ちがよかったし、すごく有意義な時間だったなぁと改めて言うイリスだった。
「うふふ、懐かしいわねぇ。私が初めて草原へ行った時のことを思い出したわ。あの時は今と違って草原の魔物も多くてね、半日で5匹もホーンラビットに出会ったのよ」
「うわぁ、大変だったねレスティさん。あたしならへこんでもう草原に行けなくなってたかも」
「半日で5匹は今の草原からすると考えられない数ですね」
「そうねぇ、それから1ヶ月は街に篭ったわね。さすがにトラウマになりかけたわぁ」
レスティはそう言いながら遠い目をしていた。
魔物を見たことがないイリスにはよくわからないが、やっぱり初めての魔物となると相当怖いよねと思いながら、できるだけ魔物には出会わないようにしたいなぁと強く願うイリスであった。
ゆっくりとした時間が流れ夕方の鐘が鳴った頃、そろそろお暇しようかとロットが言い、ミレイもそうだねと言いながら席を立った。
「あらあら、せっかくだから夕食もご一緒にいかが?」
「いえ、さすがにそこまでは。でもありがとうございます。次に機会があった時はぜひお願いします」
「ありがとね、レスティさん。あたしの方はこの後レナードさん達と会わないといけないから、ご馳走になるわけにもいかないんだ、ごめんね二人とも。はぁ、ざんねん」
物凄く残念そうなミレイに、イリスが優しく提案した。
「今度ゆっくりお食事しましょ、ミレイさん」
「うん、ぜひご飯食べようねー」
「その時はロットさんもご一緒しましょうね」
「ありがとうイリスちゃん。そうだね、時間があればぜひお願いするよ」
席を立つロットはミレイと共に店を出ようとしていた。そんな時、ミレイはふと思い出したようにイリスに向かって行った。
「ごめんごめん、完全に忘れてた」
そう言いながらミレイは、自慢の耳をにゅっとイリスに差し出してきた。どういうことか理解できていないイリスは戸惑ってしまう。
「え?えと、どういうことです?ミレイさん」
「だって草原でイリスをぎゅっとしたでしょ?だからだよ」
「なるほど、っていいんですか?もふもふしても」
「あはは、1ぎゅっと1もふもふだよ。草原で1回、魔法道具屋から出てここに向かう前に1回の2回分もふれちゃうよ?だから好きなだけもふっていいんだからね」
「わぁ。それじゃあ遠慮なくっ」
「あらあらうふふ」
イリスはミレイの素敵耳にふれただけで幸せな顔になってしまっている。いつも素敵なお耳ですねとイリスが言うと、毎日しっかりブラッシングしてるからねーとミレイが答え、その様子を温かく見守るレスティがそこにはいた。とても微笑ましく思えてしまうような仲のよさだった。
だがロットだけはその様子にかなり驚いていた。驚愕と言ってもいいほどに。まさかあのミレイがそんな事をさせるなんて。しかも自分から耳を差し出すとは思いもよらなかった事だ。
「ミレイって、耳をさわられるのを極端に嫌がってなかったか?」
静かに響くロットの言葉に驚くイリスと、もふられてにこにこのミレイ。衝撃の言葉にびたっと耳をさわっていた手が止まってしまう。
「え!?ミレイさん、お耳さわられるの苦手だったんですか!?」
イリスのその言葉に若干まったりしながらミレイは話し始める。
「んー?そうだよー?でもイリスにさわられるのはすごい好きだよ。最初はぎゅっとの報酬としてお耳さわってもらったけど、今ではどっちが報酬かわかんないくらい好きだねー。だからそのままさわっていいんだよ、イリス」
そう聞くとまた笑顔に戻り、ふたたびもふり出しながらうっとりするイリス。
ロットはさすがに思うところがあったようでしばらく考え込むが、ふとミレイを見ると余計なことは言わないでね、という目をしていたので、それ以上は考えないようにした。しばらくもふって堪能したイリスが満足したような顔でミレイの耳から離れていく。
「はふぅ。とっても素晴らしいお耳でした。ありがとうございます、ミレイさん」
「いえいえ、どういたしまして。これでも自慢のお耳ですので」
さわられた方のミレイもとても幸せそうに微笑んでいた。その顔を見てロットは、本当にイリスちゃんは特別なんだなと改めて思っていた。
(話に聞いたことがある程度だけど、あの事件を引き起こした耳だからなぁ、さすがにさわらせるのは信じられ・・・)
と思いかけたロットであったが、ミレイがじーっと見ていたため、ふたたび考えないようにした。
「よろしい」
「そのようで」
「ん?どうしたんです?ふたりとも」
「ううん、なんでもないよー、あはは」
ミレイにそう言われながらもイリスは首を傾げてしまった。
「それじゃあまた何かあればいつでも言ってね。護衛くらいなら受けられると思うから」
「あたしもいつでも受けるよ。さすがに依頼を受けた後だと難しいんだけど、なるべく最優先にするからね」
「言葉がちょっとおかしくなってるよ、ミレイ」
「あはは、イリスは全てにおいて最優先なのだよ、ロット君」
「ふふっ、それじゃあまた何かあればぜひお願いしますね、ミレイさん、ロットさん」
「私も二人が守ってくれてるだけでとっても安心だから嬉しいわぁ」
挨拶を二人に言いながらミレイとロットはお店を出て行った。レスティはそれじゃあお夕食の準備をしましょうかと言い、イリスもうんっ、と同調する。
今日も色んな事があった。草原に行って魔法を練習できるようになって、ブリジットさんに会えて。そんなことを話しながら二人は食事を作っていく。
* *
食事のお茶を取りながらイリスは、魔法をどこで練習しようかと考えていた。その顔を察したレスティがイリスに提案してくれる。
「それなら空き部屋を使ってもいいんじゃないかしら。2階の倉庫に椅子もあるから持っていって置いておけば休憩にも使えるわよ」
「ありがとう、おばあちゃん。それじゃあお部屋使わせてもらっちゃおうかな」
「うふふ、あ。でも、魔力減衰には注意してね?修練するなら重い眩暈になったら止めないと意識なくなっちゃうわよ」
魔力減衰による意識障害だったねとイリスは思い返していた。
「そうだったね。意識ってどのくらいで戻るのかな?」
「うーん、そうねぇ。使った魔力にもよるんでしょうけど、30ミィルくらいで目が覚めるんじゃないかしら」
「30ミィルかぁ。ほんとに使い方を誤ると危ないんだね」
「そうね。もし外で使うのならしっかり気をつけないと危険ね」
「外に行くかはまだわかんないけど、今はまず修練し続けてみるよ」
「うふふ、がんばってね。でも無理しちゃだめよ?」
「うんっ、ありがとうおばあちゃん」
ゆっくりとした時間も終わり、お風呂に入る前に修練してみようと思ったイリスは空き部屋へ向かう。2階に上がり倉庫から椅子を持って自室の向かいにある部屋に入っていく。
相変わらず何もない部屋だったが、とりあえず椅子を適当に部屋の片隅に置き、さっそく修練して見ようと思った。
(まずは最小限で風を身体に纏う・・・)
美しい淡い光がイリスを覆っていく。イリスは続けて風の魔力をぎりぎりまで抑えつつ、最低限と思われる状態まで魔力量を落としていく。そのままの状態を維持し続けることにしたイリスは、この状態がどのくらい続くか試して見ることにした。
しばらく魔力を放出し続けると、急に目が眩んでしまった。恐らくこれが第一段階だろうと思いつつも足にぐっと力を入れて踏ん張り、そのまま魔力を放出し続ける。だがすぐに世界が歪んでいく。これが第二段階と思われる重い眩暈のようだ。すぐに魔力放出を解き、休憩するイリス。倒れないようにふらふらとしつつも、椅子までゆっくりと向かっていく。すとんと座りながら深呼吸をして呼吸を整え、今起こったことを考えていった。
どのくらいで影響が出たのか数えてはいなかったが、割と早い段階で眩暈が起こっていたようだ。そしてこの眩暈はかなり厄介なものだと思われた。正直なところ2段階目の眩暈を起こした時点でもうふらふらの状態だった。慣れていけばもしかしたらまだ動けるのかもしれないが、今のイリスにはその状態が危険にしか思えなかった。
しばらくの休憩の後、また修練してみるも、今度はさっきよりずっと早く眩暈を起こしてしまった。同じく休憩を取りつつ、眩暈が落ち着いてきた頃にまた修練をして眩暈がすると休憩。これを何度か繰り返していくうちに、なんとなく魔力減衰による影響というものが理解できたイリスであった。
(つまりはそういうことなんだろうけど、これって結構時間が経たないと回復しなさそうだね)
「これは地道に修練し続けるしかないよね、きっと」
そう思いながらイリスは休憩と修練を繰り返していった。
* *
「・・・あれ?」
ふと記憶が飛んでいることに気が付いたイリス。椅子に座りつつも軽い虚脱感に似た身体の重苦しさを感じていた。
(えっと確か、魔法の・・・)
と思いかけて一瞬で気が付いてしまった。
(そうだ思い出した!私、魔法の使いすぎで意識を失ってたんだね)
最後の記憶を辿って行くと、重い眩暈を起こしてしまったので椅子に座り休憩を取っていた所、ふとこのまま使い続けたらどうなるかを試してみたくなった。意識障害はいつかは知らなくてはいけない限界点なので、それが早まっただけではあるのだが、さすがに立ったままでは危ないと思い、座ったままで試したのだった。
当然そのまま意識を刈り取られ現在に至る、というわけだ。
「ふぅ。椅子から転げなくてよかったよ。さすがにおばあちゃんが飛んできちゃうし、心配させたくないもんね」
そう言いながらも現状の把握をして行くイリス。どうやら眩暈もなくなっているようで。
「うん。やっぱり勉強することと使ってみることは遥かに違うんだね」
そうぽつりと言いながらも、イリスが得られたものは大きいようだった。
「さて、そろそろお風呂に入って眠ろうかな」
時間はまだ夜の鐘が鳴っていないくらいだろうからね。・・・まさかもう朝なんてオチはないよね?そうどきどきしながらも、イリスは1階へ降りて行くとレスティがいるようだった。さて、どちらだろうか。
「あら。魔法のお勉強はもういいの?」
・・・よかった。どうやらまだ夜のようだ。
「うん。やっぱり勉強したことと使って見ることってぜんぜん違うんだね」
「そうね、何事も試して見るのが一番だと思うわ。でも無理はしちゃだめよ?」
「うん。ありがとう、おばあちゃん」
お風呂入ってくるねとレスティに言いながら、イリスはお風呂へ向かって行く。そんな後姿を見ながらレスティはまた何かを得られたのね、と微笑ましくも思いながら、本当に賢い子ねと感じていた。
お風呂から出た後、歯を磨き、レスティにおやすみなさいと言ったイリスは、そのまま自室へ戻って行く。髪を乾かしながら、魔法の修練を続ける。今度は重い眩暈を起こさないように。
ふとイリスは、このまま魔力が上がっていって強い風を起こすことができたら髪が早く乾くんじゃないかな、などと余計なことを思ったせいで魔力が分散してしまった。どうやら集中力が切れてしまったようだ。
「あはは、まだ余計なことを思えるほど余裕はないみたいだね」
そう呟きながらまた集中し修練して行くイリス。瞳を閉じた方が遥かに集中できると判断したようで、その状態で静かに魔力を高めていく。そしてあの時のように幸せな情景を想い浮かべていく。温かな風に包まれ、イリスにはここが自室ではなく、まるでかつての草原にいるように感じられた。
瞳を閉じながらあの草原にいるイリスは、まるで大切なひとが寄り添うようにいてくれているような、そんな温かさで包まれながら、その懐かしくも心地よい気持ちに、イリスは少しずつ心が穏やかになっていった。
徐々に高まる風の魔力はだんだんと光が強まっていき、白緑の魔力から淡黄蘗色の力に変わっていった。
部屋全体をほんのり明るくするほどの暖かな光が出ていたことに、瞳を閉じ続けている少女が気づくことはなかった。