風がそよぐ"草原"で
「こっちの方が全体を見渡せて風もあっていいかもねー」
「そうだね、その辺りなら魔物も確認できていいね」
ミレイとロットが魔法の練習に良さそうな場所を見つけてくれている。草原のどの場所が良いかは、イリスにはよくわからないことなので、言われるまま二人について行った。ほんの少し歩いたところでロットが、この辺りがいいんじゃないかなと言い、ミレイもそれに賛同した。
そこは少々高く、草原全体を見渡せることができ、風が穏やかに吹き抜けていく心地のいい場所だった。
「見た感じ遠くにも魔物はいないみたいだねー」
「魔物がいなくて良かったですよ」
「あはは、魔物がいてもあたし達がいるから大丈夫だよ」
「そうだね、安心してゆっくり魔法の練習をしてね」
「はい、ありがとうございますっ」
地面にバッグと短剣、バスケットを置き、魔法の練習を始めるイリス。その様子を二人は優しく見守っていた。
それじゃ魔法のおさらいをしましょうか。まずは体内にある"もやもや"しているもの、つまりはマナを身体の中心に集める。それを指に集めていくと、魔法を発動させる為に必要な魔力になる、という意味だと思う。
そしてその魔力を大人な魔法に変える。勉強した時はよくわからなかったけど、これはきっと魔力をさらに込めて高めていくという意味だと、今ならそう思えた。高めて魔力を大きく、これがきっと大人という意味だと。
その指に集まった魔力を色に変える。つまり私の属性である風の魔力に変える。これが私の魔法になるはずだ。『基礎魔法おさる学』は、今はここまででいいはずだね。
次に『魔術による傾向と対策』に記された属性魔法の初期修練法だね。風を感じる場所で意識を集中し、体内にあるマナを風の属性に変化させる。
・・・たったこれだけの一文を調べるのにどれだけの時間が・・・ううん、今は考えないようにしよう。あ、やだ涙でちゃいそう。
つまり体内にあるマナを集め、それを大きくした魔力を、風を意識し集中しながら風の属性の魔力に変えていく、と言うことだと思う。
とりあえずあれこれ考えるより、まずはやってみようね。心を落ち着けて・・・身体の中にあるマナを探してみよう・・・。
イリスは瞳を閉じ、心を落ち着かせ集中しながら、今まで感じたことの無いマナというものを探し始めた。どんなものかを想像するよりは、実際に探した方がいいと思ったからだ。
その考えはどうやら当たっていたようで、しばらくすると不思議な感覚が身体の中にあることを感じられた。その大きさはおよそ1センルほどで、とても小さくて丸みを帯びており、薄い水色のような白い形をしているのが、なんとなくだがわかった気がした。
恐らくこれがマナと言うものなのだろう。今まで感じたことの無い感覚だが、確かに存在するようで、温かくも冷たくもない、それはとても不思議な感覚だった。これが魔法の子供なら、このまま高めていけばいいのかな、そう思ったイリスは、指を胸の高さほどまであげて力を込めるようにマナをさらに集めていく。
だが、そこからいくらやっても上手くいかないようだ。
マナを増やしていく事はできたようで、大小さまざまな大きさのマナが少しずつではあるものの、ぽつぽつと身体の中に現れていった。それを集めるように意識を指に集中して見ると、少しずつ指の方向へゆっくりと流れて行きながらくっついていくのもわかり、順調そうに大きくなっていってはいたのだが、そこから先には進めないようだった。
魔法を風に変える、という事がいまいち理解できないでいたからだ。しばらく色々と試してはみるものの、どうやってもこの先へ進めないようで、若干集中するのに疲れたイリスは、ふぅっと軽く息をついた。
「うーん むずかしいですね」
「あはは、だいじょうぶ、時間はたっぷりあるよ」
「それに今日初めてなんだから、焦らないでゆっくりいこう。俺なんて3日は魔力を火に変えるのに時間がかかったよ」
その言葉に驚いたのは、イリスではなくミレイだった。3日という言葉が思いのほか強烈に響いたらしい。
「3日で済んだんだ・・・あはは・・・」
半目になり目を逸らし若干へこむミレイを見つつ、イリスはどのくらい時間がかかるかの見当が付かなくなってしまった。ミレイは察するに相当時間がかかっているようだ。私はどのくらいかかるのだろうと考え、不安な気持ちになってしまう。
「そんなに大変なんだ・・・」
「気長にいこうね。イリスちゃんならきっと大丈夫だよ。必ず使えるようになると思うよ」
「3日で・・・」
目を逸らし耳が垂れてるミレイに、とても可愛らしさを感じてしまうイリス。その白くてふわふわの素敵なお耳にさわりたくてうずうずしながらも、気持ちを抑え魔力の勉強に戻る。
ふたたび瞳を閉じ、しばらくマナを溜めつつその感覚を感じるイリス。なんだろう、この感じ。不思議な感覚だ、そう思いながらもマナを集めていく所まではいくが、魔力の属性変換が難しい。いくら試しても魔力が風に変わらない。だが、マナを集めた状態を保つ事は問題なく出来るようだった。
というよりも、よくわからない。変換しようとはするものの、どう魔力を変えればいいのかが全くわからない。本に書かれた情報では少なすぎるからだ。
本から得た知識を思い起こすイリス。風を感じ、意識を集中、体内のマナを風に・・・。
(マナを風に?風とは何?この吹いている風に変えるの?魔力を変換させる?風にあわせる?何を?魔力を?魔力を風にあわせる?・・・わからない・・・)
考えながらマナを集めるイリス。しばらくその状態で考えるも、一向に答えは出ない。
しばらく考えていたイリスに、草原の風が優しく頬を撫でた。そんな時にふと、風に変えるんじゃなくて、風になっちゃえばいいのにと考えた。
(風に変えるなんて、まるで使役してるみたい。魔法を行使って言うくらいだから、きっとそれでいいんだろうけど、なんだかやだな、そういうの。それってなんだか、とても乱暴に感じる。そういう感じじゃなくて、もっとこう、自由に、優しく、温かい気持ちで・・・)
魔法の練習のために集中しているというのに、穏やかに風が吹くこの静かな草原で、イリスの心は次第に落ち着いていった。
(・・・それにしても、ここはとても気持ちがいい。今日はとても温かくて、風の優しい日だ。こんな日はいつもみたいにお昼寝に限るね)
(・・・いつも・・・みたいに?・・・・・そういえば、いつも風を感じながら、こうやって草原にあのひとと一緒に行っていたっけ)
そう思いながらイリスは、あの世界のあの場所を思い出していた。
(とても温かくて、幸せな時間だったなぁ。ふたりのお気に入りの場所で、いっつもあのひととお昼寝してたね)
イリスは心がどんどん落ち着いていくのを感じられた。大切なひとを想い、幸せだった日々を思い出しながら、イリスは温かい気持ちで満たされていく。
「!」
「(これは)」
ふたりは同時にある変化に気が付いた。イリスの放つ魔力の"質"が変わったという事に。そんな中、さあっと強めに風が吹いて地面の草を揺らし、がさっと音を鳴らせた。その音でびくっとなったようにイリスが少し跳ねてしまう。次の瞬間、集中力が切れ、その変質した力が霧散していった。魔力の維持が出来なかったためだ。
集めた魔力が消えてしまった理由を、横で見ていた二人には十二分に理解していた。
「ふぅ」
「だいじょうぶ?」
ミレイは心配したようにイリスに話しかける。
「はい、大丈夫です。なんとなくいい感じの感覚が掴めたような、そんな気がしたんですけど・・・」
ロットはなんと言っていいのかを考えていた。どう言えばイリスに上手く伝わるのかを考えていたのだか、そんな中、ミレイは核心をついてしまう言い方をした。
「イリス、いま怖くなったでしょ?」
「!?」
「・・・ミレイ、直接的すぎだよ」
「あはは、つい、ね」
そう、イリスは今、別の事に意識を取られてしまい、それが集めた魔力を消失させることになってしまった。原因は恐怖であり、そしてそれは魔法に対してではない。その事に二人は経験上で気が付いていた。
ロットはなるべく穏やかに言うつもりだったが、先に言われてしまっては後の祭りだ。さて、どうしようかと考えたとき、ミレイはずばずばと核心をついてしまう。
「イリスは魔物が怖いんだよね?いい感じに魔力が変わっていったのに、一瞬びくっとなったでしょ?あれは恐怖だ。あたしはその感覚も理解してるつもりだからよくわかったよ」
その通りだった。私のいた世界にはいない存在であり、言葉が通じず一方的に襲ってくるという存在。イリスにはまだ魔物を見た事がなかった為、さらに恐怖心を煽る結果となってしまっていた。何も言い返すことが出来ないイリスに、ミレイとロットは同時に『大丈夫だよ』と、とても優しく応えてくれた。
「大丈夫だよ、イリス。あたし達が付いてる。絶対イリスに怪我を負わせない」
「そうだね。どんな魔物が来ても絶対に護るから。だからイリスちゃんは魔法に集中して。大丈夫だから」
それはまるで魔法の言葉のようで、さっきまで怖かった心が嘘のように落ち着いていた。そうだ、今は二人がいてくれている。護ってくれている。こんなにも頼もしいことは無い。大丈夫に決まってる。そう思いながらイリスはふたたび瞳をゆっくりと閉じ集中していく。
感覚は掴んでいる。あとはもう一度思い出すだけ。あの時の感覚を。あの平和で、幸せに満ちていた、大切なひととの優しくも温かな時間を―――
次第にマナは形作っていき、徐々にイリスの身体から溢れてきた。瞳を閉じているイリスは気がついていない。それは、とてもとても美しい色をした魔力。淡く、儚くも美しい白緑の魔力だ。
風の属性と言っても、その色は千差万別とさえ言われている。その魔力の色は使い手自身の質によって変わるからとも言われており、それは荒々しい緑であったり、主張の激しい強烈な緑であったりと様々だ。
ロットは仕事上、たくさんの風属性の使い手に会ってきたが、これほど美しく、優しさに満ちた風の魔力を見たことが無かった。
(すごい、すごいよ!イリス!)
(なんて美しい色なんだ。こんな綺麗な色、見たことが無い)
イリスを覆った光は、やがて風を起こしていった。それはとてもとても弱く、草原の風で簡単に掻き消されてしまうほど微弱な風ではあったが、優しく頬を撫でるような、とても心地よく暖かな春のような風だった。
しばらく暖かな風で周囲を包んでいた後、次第に風は弱くなっていき、イリスを覆っていた光も無くなっていく。全てが消えた後、イリスは瞳を開き、ため息をつくように呼吸した。
「ふぅ」
しばらく呼吸を整えるようにしていたイリスは、瞳を閉じていたため、どうなったのかを二人に聞いてみた。
「どうでしたか?魔力ちゃんとでてました?」
「すごいよイリス!とっても上手く魔法が使えてたよ!」
「そうだね、あんなに綺麗な魔力を俺は見たことが無いよ」
「綺麗だったんですか?目を閉じてたからわかんないです」
「あははー、とっても綺麗だったよー。暖かくて綺麗で優しくて、まるでイリスのような風だったよ」
そう言われながらミレイに抱きつかれながら頭を撫でられるイリス。すごく嬉しいけれど、褒められすぎてる気がしてちょっとくすぐったかった。
「っと、ごめんごめん、革鎧着てたんだった。痛かったでしょ、ごめんね?」
「いえ、大丈夫です、すごく嬉しかったですよ」
微笑ましい空気に包まれながらも、ロットは呟くように話し出す。
「それにしてもまさか、たったの1日で魔法を使えちゃうなんてね。いや、まだ鐘は聞こえてこないし、朝の鐘が鳴ってから合流して移動した時間を考えると、2アワールとちょっとくらいか・・・」
そう言われてくすぐったくなるイリスだったが、ミレイはがくっと両手両膝をつき、全身が真っ白になりながら、消え入りそうな声でささやいた。
「・・・たったの2アワール・・・そりゃイリスは賢い子だし、使えるようになってすごく嬉しいけど・・・まさかこんなに早いなんて・・・」
ミレイの耳はすでにふにゃふにゃになって地面に垂れ下がっていた。なんだかとても悪い事をした気分になりつつも、イリスはその可愛らしい耳を見てつい微笑んでしまっていた。
しばらくして、ミレイが落ち着きを取り戻した後にロットは『そろそろお昼にしようか』と言った。
「この辺りは見通しがいいから、ここで食べようか」
「あはは、そうだね、さすがにお腹すいたでしょ?イリス」
「はい、実はおなかぺこぺこです」
「ふふっ、それじゃあご飯にしようね」
そう言っておばあちゃん特性のサンドイッチをみんなでつまんだ。なんだかピクニックみたいでとても楽しかったのだが、やはり魔物がいるという状況だと、どうにも落ち着かずどきどきしてしまう。
そんな中、食事を取りながらミレイは、どうやって魔法の感覚を掴めたのかを聞いてきた。普通ならあれほど早く習得できるとは思えないし、ミレイもロットもここまで早く習得した例を聞いたことがなかった。そしてその問いに対するイリスの答えを聞いて、二人は驚愕することになる。
「よく草原でお昼寝してた時のことを思い出したんですよ」
「「草原でお昼寝!?」」
同時に二人からすごく驚かれ、そのあまりの迫力に若干後ろへ身体を引いてしまうイリス。ミレイだけではなくロットも物凄く驚いているようだ。
「いやいや、さすがにそれは危ないよー」
「そうだね、よく無事だったね?」
気分を落ち着かせる為に水を飲みだした二人に、イリスは微笑みながらさらっと言葉にした。
「女神様が一緒に眠っていてくれたので、とっても安心して眠れましたよ」
との凄まじい内容に水が変な所に入りむせ返る二人。しばらくげほげほと苦しそうにしている二人に、大丈夫ですかと声をかけるイリス。言った後ですぐに自分の言った言葉の意味を知る。
「(あ。さらっと前の世界のこと話しちゃった・・・。まぁ二人ならきっと大丈夫かな)」
と軽く考えるイリス。思えばこの二人にはつい気を許してしまう。今もさらっと言ってしまったが、それほどに心を許してしまっていた。
「め、女神と昼寝?・・あぁ、女神様みたいに素敵な女性と、という意味か。ごめんごめん、変な勘違いしちゃった」
「あ、あはは、そうだよね、あたしも変なこと想像しちゃったよ、ごめんねイリス」
そう笑顔で言った二人の表情はとても硬く、声は引きつっていた。レスティの時のように嘘をつきたくなかったイリスは、『実は』と話し始めた。自分のいた世界の事を、そして今に至るまでの経緯と今の気持ちも含め包み隠さずに。そして最後に嘘をつきたくなくて、二人に知ってもらいたかった、と。
「そうか、そんな事があったんだね。大変だったねイリスちゃん」
「ありがとね、イリス。言ってくれて嬉しかったよ」
「信じてもらえるんですか?自分で言うのもなんですけど、結構、というかかなり突拍子も無いことだと思うんですけど」
「正直、女神様と一緒にいたって言うのは想像が付かないなぁ」
「魔物のいない世界っていうのも俺には想像もできなかったね。ずいぶんすごい世界だなぁ」
「あはは」
苦笑いをするイリスにふたりはそれでも信じてくれた。レスティの時もそうだったが、なぜこうも信じてくれるのか不思議な顔をしていたイリスにふたりは優しく答えてくれた。
「イリスちゃんが嘘をついてないのは良くわかるからね」
「あはは、そうだね、イリスはそういう子じゃないからね。正直信じられないような世界だけど、イリスが言うんだからそうなんだろうね。そっか、別の世界なんてのがほんとにあったんだね」
「私の場合は特殊らしいので、他にはいないそうですけどね」
「もしいたらその人にも前にいた世界ってのを聞いてみたいねー」
「いいね、それ。面白そうだ。きっと知らない事で溢れてるんだろうな」
そう楽しそうに語り合う二人に、自分のことを話してよかったと心から思うイリスだった。ゆったりとした時間が流れるが、ここは草原だったとイリスは思い出したイリス。
「さて、どうしようか。もう少し休憩してから勉強するかい?」
「いえ、もう大丈夫だと思います。あの感覚をはっきりと覚えてますので」
そう笑うイリスにロットはまた驚かされてしまう。まだたった一回しか魔法を出していないのだから、もう少し練習した方がいいのではと思うが、よくよく考えてみると、以前から風を感じていた事が幸いしてるんだなと理解してしまい、まぁもし何かあればまた来ればいいか、と軽く考えた。そしてロットはミレイにはとても言えない事に気が付いてしまっていた。
(どうやらミレイは気が付いていないみたいで良かったよ。最初に草原で昼寝をしていた感覚を思い出していたら、きっと物凄く早く習得してたんだろうけど、さすがにこれを言ったらミレイはショックを受けすぎちゃうだろうから、黙っておいた方がいいだろうね)
ロットはそう思いながら立ち上がり、イリスたちに話しかけた。
「それじゃあ戻ろうか。魔物が寄って来て怖い思いをさせるのも良くないし」
「そうだね。それじゃあ戻ろうー」
「はいっ」
二人は周囲を警戒するも、ここは見通しがとても良い場所だから、一目見て安全と確認できてしまった。
城門まではほんの10ミィルほどで辿り着いてしまうが、気を緩めずに最後まで警戒を続け、大切な妹を護りながら街へと向かう姉と兄であった。