"同じ薬師として"
「さて、この切り取った斑点の使わないものは空瓶にいれて、と」
斑点の部分をひとつだけ小皿に入れたイリスは、斑点を切り取っている間にエッカルトが用意してくれていた、粉末状になっているリラル草をトレイに乗せて、彼にお礼を言いながら竈へと向かっていく。
既に火を熾してくれていたヘルタにも感謝の言葉を述べながら、竈の近くにある作業台にトレイを置いて言葉にする。
「それじゃあ、お薬を作りますね」
必要となる綺麗な布や、ボウルなどを確認したイリスは調合を始めていく。
使う水は一リットラと一株分のリラル草、そして褐色キイロタケモドキの紫色の斑点ひとつだ。これだけで二十本のヤロスラフ病治療薬が作れる。
今回使うリラル草は乾燥されたものだが、使い方は変わらない。注意すべき点はリラル草の花が乾燥された事により、ぱらぱらと崩れ易くなっている事だろう。
崩れてしまえばその花は使えない。花の中には少々強い成分が入っている為、これだけは細心の注意を払う必要がある。もし花の中に含まれる薬効成分が染み出してしまうと、軽い副作用を齎す粗悪品の薬となってしまう。
既にエッカルトが用意してくれたリラル草の小鉢は、全て夫妻がこの店で使っているもので、それぞれ根、茎、葉、そして花に分けられて用意してくれていた。
薬研で細かくされた以外は普通のリラル草なので、そのまま使う事が出来る。
シルヴィア達には粉末状だと見分けが付き難いと思っているようだが、これらはある程度の調合師見習いであれば、どの部分であるかは問題なく理解出来るものだ。
それは調合師見習いであるヘルタであっても、その見極めは問題ないだろう。
イリスは水を入れた鍋にリラル草の根を入れて火にかけ、ひと煮立ちさせたあと一旦火から鍋を離し、時間をほんの少しだけ空けて茎を投入した。
段々と液体に色が出て来る時機を見極め、葉を入れて丁寧に混ぜていき、再び火にかける。そして煮立つ前に火から離し、花を浮かべるように静かに入れていった。
ここまでは自然回復薬と同じ作り方だ。
ここから花を取り除き、この中に先ほどの斑点部分を入れて蓋をする。
このまま五ミィルほど蒸らすと完成だ。
時計などないので大凡ではあるが、蓋をしたまま放置する時間が長いと、とてもえぐくなって飲み難い薬となってしまうようだと、イリスは説明していった。
逆に蓋を開ける時間が短いと、その効果は微々たるものとなってしまう為、ヤロスラフ病治療薬を作る上で、ここが一番難しいと言えるだろう。
だがそれだけだ。
基本的にこの治療薬は難しい調薬では全くない。
自然回復薬が作れる者がこの調合法を知っていれば、後は材料を用意するだけで問題なく作る事が出来るだろう。
エッカルトが様子を伺いに来たのは、褐色キイロタケモドキをどう素材にするのかを見に来ただけに過ぎない。
キノコ自体は珍しいとはいえ、近くの森に生えているのだが、文献と師から学んだ情報を確かめ、実際に調合するところを見させて貰う。
それだけの為にエッカルトはベッドを抜け出し、イリスの元を訪れたのだった。
後学の為と言えば聞こえはいいが、本心はただの知識欲である。
実際にこの病気の薬を誰かから求められる事はないだろうし、エッカルトも作る事がないかもしれない。結局は自身が学びたいと思っただけなのだ。
そんな気持ちが分かるイリスは彼に尋ねる事もなく、調合に集中していた。
時間が経った頃、水滴がなるべく鍋に入らないように蓋を開けるイリス。
蓋を水平に保ちつつ横に除けていくイリスの手は、一切の迷いがないように思えるほど、とても静かで丁寧な動きを見せていった。
立ち上る湯気からは、想像もしないような爽やかな香りとなって部屋に広がっていき、その香りを嗅いだシルヴィア達は、驚きのあまり言葉を失ってしまった。
これは自然回復薬とは少々違う、微かに甘い香りが増えた印象を受けた。
あの見た目の素材から、それも一番禍々しいと思えた部分を使った薬が、これほどまでに清々しい香りが出るなどと、誰が想像出来るだろうか。
だが、驚き戸惑っているのはシルヴィア達だけで、イリスもエッカルト夫妻も平然とした様子でいるようだ。
実際にはそういった見た目の素材を混ぜ合わせると、良い香りとなる事が多い。
寧ろ、とても美しい花のごく一部に、とんでもない香りが秘めている可能性があり、素材として切っただけでもそれを知る事が出来ず、火にかけて他の素材と混ぜ合わせる事で初めて、その凄まじい香りが立ち昇る場合がある。
そして見た目にはとても問題が無いと思える二つの可憐な花を混ぜ合わせると、途轍もない強烈な匂いを発生させてしまう事があった。
その中でも有名なのが、魔物除けや魔物寄せに使われる花だろう。
特に魔物除けとして使われる素材は、見目麗しい貴婦人のような花を二種類掛け合わせて作り上げるのだが、どちらも素材本来はとても良い香りが出ており、薬の素材としてだけではなく、観賞用としても使われるほどの美しさを誇る花だ。
だがその二つを混ぜ合わせて作り上げた薬は、途轍もない異臭を放ってしまう。
薬師の間でも、何故そのような香りになるのか未だに解明されていない。
エルマ南東にある"星見の洞窟"と呼ばれた、ドミニク達が避難していた場所の入り口に漂っていた凄まじい魔物除けの臭気でヴァンが意識を失いかけたように、彼以上に嗅覚が優れた魔物を寄せ付ける事がないほどの効果を見せる薬となる。
まるでいがみ合うかのような事から、"貴婦人達の確執"と言葉にする薬師が大昔にはいたそうで、その言葉は今現在の薬師にも広まるほど有名な名言として伝わっていた。
そんな話をイリスはしながらボウルに綺麗な布を敷き、使ったリラル草とキノコの斑点を取り出し、液体を水を張ったボウルに浮かべて冷やしていく。
これまでイリスが見せた鮮やかな手際に、驚かされたのはエッカルトだった。
自然回復薬は作り上げる薬の中でも基本中の基本だが、持ち得る技術力がはっきりと浮き彫りにされてしまうものでもあった。
素材の切り方、火のかけ方、そして素材を入れ、取り出すタイミングも。
数多くある薬剤調合の中でも、この技術は多くの薬剤造りの為の基礎として多く取り入られているものであり、自然回復薬の作り方は薬師の実力を見極めるのに最適とさえ言われていた。
その技術を完璧に、それも自然とこなしていたイリスにエッカルは驚き、ヘルタは彼女の無駄のない、流れるような鮮やかな手際に目を見開いていた。
若年層と思われるイリスがこれほどまで高い技術力を持っているとは、流石のエッカルトも思っていなかったようだ。
その手際から並の薬師が持つ実力どころではない事がはっきりと証明され、知識量の深さでも明らかに年齢とは異質のものを持っている事が理解出来た。
彼もまたレスティと同じように鑑定魔法を持っているが、そんなものなど使わなくとも高品質に作れている事を感じられる、そんな腕前をイリスは見せていた。
何と凄い女性なのだろうかと、エッカルトは感嘆してしまう。
始めは知識欲の一環として調合を見学するつもりだったのに、気が付けばイリスの技術に目を見張り、彼女の腕に見惚れてしまっていた。
これだけの技術力は、凄腕薬師の元を卒業し、独立して店を構えているエッカルトでも持っていないものだ。その知識量も含め、明らかに自身よりも上位の薬師であると彼は理解出来た。
そして同時に、それほどまでの技術を習得しているイリスを、同じ薬師として尊敬するエッカルトだった。
それはヘルタも同じ気持ちのようで、これほどまでの調合を見せて貰えてとても参考になったどころか、とても良い経験をさせて貰ったと感じる彼女は、イリスのような丁寧で手際の良い薬師になりたいと考えるようになっていた。
完全に液体が冷えたのを確認したイリスは、漏斗を使って空瓶に入れていく。
丁度五十ミリリットラと、自然回復薬と同じ二十本の治療薬が完成した。
ほんの少しだけ鍋に余ってしまうのも、自然回復薬と同じと言えるだろう。
蓋の水滴をなるべく避け、水分を飛ばす事無く、上手に薬を作れた証である。
最後の一本には蓋を付けず、エッカルトに差し出すイリス。
お礼を言いながら治療薬を受け取った彼は、薬を飲み干していく。
飲み終えたエッカルトは瞳を閉じながらその余韻に浸るように、じんわりと身体に薬が浸透していくのを感じていた。
そんな様子を見ていたヘルタは、思わず効果を尋ねていくも、魔法薬ではないから即効性はないよとエッカルト笑いながら返されてしまった。
「ただこの治療薬には、えぐみが付き物だと言われていたけど、イリスさんの作った薬にはそれが一切感じられない。
透き通るような清々しい香りと喉越しを感じる上に、仄かな甘みもあるみたいだ。製造過程で高品質なのは明白だったけれど、これは高品質どころではなく、最高品質のものと言えるだろうね。
こういった最高の薬を作れるのは、世界でも四人だけだと思っていたけど、どうやらそれは間違っていたみたいだ。本当にすごい技術力です、イリスさん」
べた褒めするエッカルトに、頬を若干染めながら少々照れてしまうイリスだったが、それは教えてくれた先生が凄かったからなんですよと言葉にしていった。
その事も大凡見当が付いていた彼は、イリスに尋ねていく。
「繊細な調合技術。造詣の深い知識。そして病気に対する博識さ。
……貴女はフィルベルグにいらっしゃる、レスティさんのお弟子さんですね」
「はい。血の繋がりはありませんが、家族として迎え入れて下さり、薬学、調合学に関するものだけではなく病気の事に至るまで、様々な知識を授けて下さいました」
なるほど、そうですかと、優しい眼差しでイリスに言葉を返していくエッカルトだった。




