"知識だけでも、技術だけでも"
「それじゃあ、行ってくるね。いい子で待っててね、エステル」
厩舎で準備を済ませたイリス達は彼女から離れ、街門へと向かっていく。
まるでイリスの気持ちが伝わったかのように、エステルはイリス達を目で追った後、放牧場の中を気ままに散歩していった。
そんな彼女の様子を遠くから見ていたシルヴィアが、ぽつりと呟いていく。
「やっぱりあの子は、私達の言葉が分かるのではないかしら」
「そんな気がしてきますよね、姉様」
「どうなんでしょうか。私はそう見えるだけにも思えますけど」
「エステルは馬だから、そこまで言葉を聞き分ける事は難しいんじゃないかなぁ」
「実際に聞き分けているというよりは、何となく感じ取っているといった方が、しっくり来るのではないだろうか」
なるほどと同時に言葉にするイリス達。
馬は人の心情を敏感に感じ取る動物だと聞いた事があるイリスは、ヴァンの言葉に納得してしまった。
勿論それぞれに個性や性格があるが、エステルはとても気性の穏やかな子だ。
そこまで感情を表現したりはしない子だが、イリスに対してだけは別である。
それが特に目立つのは、厩舎にいる時と野営の時だろう。
ここ最近ではイリスもエステルと一緒に眠ると、とても熟睡出来ると知った。
イリスの傍を離れる事のないエステルに可愛らしさを感じて微笑んでしまうシルヴィア達だったが、実際にはイリスと離れる事が不安に思えているのかもしれない。
それを言葉として知る事が出来ないのが残念ではあるが、もしそうなのだとしたら、エステルにとってイリスとは、とても大切な存在という事になるだろう。
彼女もまたシルヴィア達と同じ様に、イリスに魅せられた一人なのだろうか。
そんな事を考えながらシルヴィアは言葉にする。
「イリスさんにべったりですからね、あの子は」
「寂しがり屋さんですからね、エステルは」
「とっても可愛いですけど、私にばかり懐いている気が……」
「一番波長が合うんじゃないかな。馬はそういう事にも敏感だって聞くよ」
「相性が悪いと蹴っ飛ばす馬もいるからな。そういった点でエステルはイリスにとても相性がいいのだろう」
「……もしかして、保護のせいでしょうか?」
同時にイリスの方を見てしまうシルヴィア達に、何やら考え込みながら言葉にしたイリスは話していった。
「保護の優しく温かに包み込む感じが、エステルにはっきりと伝わっているのかもしれません」
「なるほど。であれば、エステルがイリスに懐く理由にもなるな」
「常にかけている防御魔法で、イリスが護っている事を認識しているという事ですね」
「私達もそれを感じてはいますが、エステルにはより強く思えるのですわね」
「あの陽だまりのような暖かな光に、エステルも安心しているのでしょうね」
仲間達はそう答えるが、それだけではない事は明白だと感じていた。
それを言葉にする事はないが、イリスにはとても不思議な魅力がある。
はっきりとしたものではないが、何か特別なものを感じるイリスに、やはりこの世界の住人ではないからなのだろうかと思ってしまう、ヴァンとロットだった。
街の入り口である街門まで来ると、警備をしているケヴィンが話しかけてきた。
「これから外に出るのか?」
「はい。北西にある浅い森に向かおうと思います」
「なるほど。この周囲は平原だし、浅い森も視界は悪くないが、気を付けろよ?
それと北部にある岩石地帯は、魔物が多発している。行かない方が賢明だぞ」
「ありがとうございます、ケヴィンさん」
イリスの言葉に笑顔を見せながら、仲間達に開門を指示していくケヴィン。
重々しい音を立てながら開いていく扉と、その先に広がる広大な景色に向かうように、イリス達は北西へと歩みを進めていった。
「それにしてもケヴィンさんは、現役でも通用しそうなほど強そうですわね」
「そうですね。とても力強い気迫を感じますね」
「ケヴィンさんはニノンの警備をされている方達の中でも、リーダーのような方ではないでしょうか」
「そんな印象を受けるね。立ち振る舞いだけでも、ゴールドランク冒険者以上の覇気を感じるよ」
「うむ。中々に経験もあると見受けられたな。嘗ては名の知れた冒険者だと思われる」
彼は元冒険者だとニノンに着いた時に話をしている。
フィルベルグにいるレナードを高齢にしたような印象を受けるイリスだったが、ケヴィンは若手冒険者の訓練教官もしていた経緯があるそうだ。
これが中々に好評だったらしく、ギルドの信頼も厚かったのだが、体力的な理由で故郷に戻って来たらしいと、イリス達がニノンに入ってすぐ出会い、そういった話を彼はしてくれた。
「訓練教官は、教えている者の訓練を見るだけでは務まらないらしいからな。
時には街の外での訓練を、時には模擬戦もしなければならない。体力がなければ、かなり厳しいと思われる」
「訓練教官の殆どは、熟練者でも四十代半ばまでといったところらしいよ。気力はあっても、体力が追い付かないんじゃないかな」
「それで故郷に戻って来た、という訳ですわね」
「とても長閑なニノンを見た後だと、それも納得してしまいますね」
「そうですね。ケヴィンさんもそういった理由から、故郷に戻ったのかもしれないですね。私もああいった景色は凄く落ち着きますよ」
そんな話をしながらイリス達は、北西へと向かっていく。
十ミィルほど歩いた頃だろうか。
先ほどエッカルト夫妻と話していた事が気になり、イリスに訪ねていくシルヴィア。
「そういえば、オルーウェリーフとスールオイルとは、どういった物なんですの?」
薬師ではない彼女達にはそれが何か理解出来なかったが、いい香りがする物だという事くらいは、イリスの言葉から察する事が出来た。
だがその程度しかない知識なので、興味本位で尋ねていくシルヴィアだった。
「オルーウェリーフは薬草で、スールオイルは花から抽出した油の事なんですよ」
そう答えていくイリスは、二つの花の説明を始めていった。
オルーウェと呼ばれる花の香りによく似た薬草であるオルーウェリーフは、胃痛に良く効くとされている。
少量のリラル草と、乾燥させたオルーウェリーフを粉末にしたものを合わせ、水で抽出して薬を作るのだとイリスは話していく。
スールオイルは、スールという花を圧搾して抽出したオイルで、これを微量使う事で薬の効果を弱める働きを持つ。
効果を弱めてしまう事に疑問に思ってしまうシルヴィア達だったが、これを使わないで薬を作り上げると、副作用が出る薬になってしまう場合があるのだと答えた。
少々効果が強過ぎるものになってしまう薬にスールオイルを一滴垂らす事で、その効果を副作用なく安定させる事が出来るのだと説明する。
中でも腹痛や吐き気を抑える薬などに使うらしく、これを使わないと効果が強く出過ぎてしまい、却って気分が悪くなったり、頭痛や微熱といった副作用が現れる場合があるそうだ。
「スールオイルを使わず、水やリラル草を多めにして薬を薄めてみた薬師さんもいたそうですが、様々な検証を繰り返しても副作用が消える事はなかったそうです。
スール自体に好影響を与える薬効成分はないと言われていますので、副作用を抑えるだけの中和剤として利用されているんですよ」
「……お薬を作るのは、本当に難しいのですね」
しみじみと言葉にしたネヴィアは、改めて薬師とイリスに敬意を表していた。
エルマの子供達に教えた自然回復薬と魔法薬の知識は、薬師からすると基礎的なものとなる。それだけ作れる者が薬師を名乗る事も多いのだが、他の薬を作る事が出来ないとあまり良い評判は得られない。
所謂世間一般で呼ばれている薬師には、大きく分けて三種類いる。
一つは基本的な魔法薬くらいまでしか作れない、調合師見習いを卒業した者。
これは厳密に言えば薬師ではない。
知識も技術も足りないのだから、薬師とはとても呼べない。
一つは調合学をしっかりと身に着けた者。
それだけの者となれば、当然薬学にもそれなりの知識がある。
しかしこれでも薬師とは呼べない。所謂調合師と呼ばれる存在だ。
ここまでの技術を習得していれば、今現在では十分に薬師と名乗れるだけの存在となっているのだが、こういった者は本当の薬師ではない。
薬学知識だけでも、調合学技術だけでも、本来であればまだ薬師とは名乗れない。
その両方を兼ね備えた者が薬師と呼ばれ、尊敬される存在となるのだが、これはもう今現在では一部の薬師にしか知られていないような、古い話となってしまっていた。
世界にいる薬師の大半は、調合師見習いばかりである事を知る者は少ない。
当然こんな知識をレスティは愛孫に教えるはずもなく、イリスもそれを知る事はなかった。
* *
視界に見えて来る浅い森の入り口付近を見つめながら、言葉にするイリス。
「あれが浅い森みたいですね」
「そうみたいだね。それで、どの辺りに素材があるのかな?」
「そうですね。木の根元に生えているんですけど、中々に珍しい物なので、暫く捜し歩く事になりそうですね」
「構いませんわよ。浅い森とはいえ、いい訓練になりますし」
「そうですね、姉様。そういった経験も私達は少ないですから、素材を探しながら魔物の警戒をしていきましょう」
思えばイリス達は、冒険者としての経験がまだまだ浅い。
それこそエデルベルグ周辺くらいしか、浅い森での経験はない。
そんなイリス達は、魔物への警戒を緩める事はなかった。
視界も開けて見えるし、遠くまで見通せるほど天気がいいとはいえ、何が起こるか予想が付かない事が起きかねないのだから。
今一度、周囲に魔物がいないのを確認して、イリス達は森へと入っていく。
「それでどんな素材なんですの?」
「えっとですね、形は……。あ! あれです!」
眼前の木の根元に生えているモノを指さしながら、イリスは声を高らかに発言するも、仲間達はその場で凍り付くように固まってしまった。
「ありました! "褐色キイロタケモドキ"です! わぁ! こんなに早く、それもこんなに近くで見付かるなんて!」
そう言葉にするイリスは、とても楽しそうだった。




