"後学の為に"
まさか一般的な食材である二つの食材が病気の原因だと聞いたエッカルトは、目を丸くしたまま呟くように言葉にしていった。
「ヤロスラフ病については治療法も調合法も知ってはいましたが、まさかリーキとアルガ芋が原因だったとは……」
アルガ芋とは、大陸北部で多く作られている、とても栄養価の高い食材だ。
少々香りに癖があるが、ほんのりと甘みのある芋で、よく煮物にして食される。
だが今回はタイミングが悪く、弱っていたエッカルトが更に病気にかかってしまった事に、申し訳なく思いながら言葉にするヘルタだった。
「ごめんなさい、エッカルト。私の作った料理が、貴方を更に病気にさせてしまっただなんて……」
しゅんとしてしまう妻に、エッカルトは笑顔で話していった。
「いいや、薬師である俺が、病気である事すら気付かなかったんだ。ヘルタは何も悪くなんてないよ」
でもと言葉にするヘルタに、イリスは答えていく。
「大丈夫ですよ。先ほども言いましたように、この病気は決して重いものではありません。そもそもヤロスラフ病は、かなり限定された環境でなければ発病しないと言われていますから、一般的にはまず知られていない病気の一つでしょう。
この病気は薬師であっても知らない人が多い、とても珍しい病気なんです。
後はお薬を飲めば、すぐに良くなりますよ」
イリスの説明に、ぱぁっと明るくなる妻。
どうやら風邪が長引いていた事にも、相当心配をしていたそうだ。
なるべく栄養価が高く消化にいい物をと料理を作っていたのだが、まさかそれが却って最愛の人を病気にさせてしまうだなんて、思いもしなかったようだ。
実際にこの病気は、様々な条件下でのみ発病するものと言われている。
まだ正確に解明出来ている訳ではないのだが、例を言うと、風邪で弱っている身体にリーキとアルガ芋を取り続ける事も、発病させる一つの原因だとイリスは言葉にした。
「様々な組み合わせがあるそうですが、時期的にみても、一般的に食される食材という点でも、アルガ芋が原因だと思えました。
診たところ風邪はもう治っているように思えますので、病気さえ治療してしまえばリーキとアルガ芋を食しても全く問題ないですよ」
お薬の在庫はありますかとエッカルトに質問するイリスだったが、どうやら流石に置いていないようだ。
材料となる素材も置いてはいないらしく、近くの林まで採りに行かないといけない。
仲間達へと視線を向けるイリスだったが、どうやら答えは皆一緒のようだ。
イリスはエッカルトへ向き直りながら言葉にしていった。
「折角なので私達が採取してきます」
「え? いやいや、それは申し訳ないですよ」
流石にそこまでお世話になるのは申し訳がないとエッカルトは言うが、イリスとしてはこのまま放っておく事も出来ないので、散歩のついでに採りに行きますよと言葉にした。
「それに今日ニノンに着いたばかりですから、周辺のお散歩もしてみたいですし、何よりも私は薬師ですので、あの素材を一度は見てみたかったんです。
これは私自身の後学の為でもありますし、どうぞお気になさらないで下さい」
イリスの言葉に申しなけなく思うも、エッカルトは申し出を受ける事にした。
「ありがとうございます、イリスさん。それではお言葉に甘えさせて頂きます。
ニノン北西に三十ミィルほど歩いていくと、浅い森が見えて来ます。
その辺りに生えているとは思うのですが……」
「ありがとうございます。早速行ってみようと思います。私は知識だけですので、実物を見るのが楽しみですよ」
「分かりますよ、そのお気持ちは。私もあの素材は用途が限定されるので、滅多に目にする事がありませんので、楽しみに待たせて頂きます。
でも、見通しが良いとはいえ浅い森ですので、無理はなさらないで下さいね?」
はいと元気に言葉にしたイリスは、早速行きましょうかと仲間達と共に夫妻の元を離れていった。
しんと静まり返る室内に、優しい妻の声が響いていく。
「……本当に良かった。怖い病気じゃなくて」
「ごめんね、心配かけて。でも大丈夫。この病気は命に関わる事はないよ。
イリスさんの言った通り、自然回復もする病気だし、薬を飲めばすぐに良くなるものなんだ。だから大丈夫だよ」
優しくヘルタの頬を撫でながら、落ち着かせるように静かに言葉にしたエッカルト。瞳を閉じながらヘルタはその声に浸っていると、エッカルトは言葉を続けていく。
「それにしても、イリスさんは凄い人だね」
「そうね。貴方も気付かなかった病気に気が付いたんだものね」
ちょっとだけ意地悪な言い方をしたヘルタだったが、エッカルトはイリスの凄さの方が強く印象付けられていたようだ。
「あの知識は、俺なんかとは比べ物にならないほど深いものだよ。博識と言っていいと思う。どう見ても成人したてとしか思えない様な若さで、あれだけの知識量を持つ人なんて俺は知らないし、聞いた事もないよ。一体どんな勉強をしたのやら」
「あれだけ詳しいのだから、薬学だけじゃなく調合学も習得しているのかしら?」
「そうだろうね。恐らくは相当の技術を持っていると思えるよ。全てにおいて、俺なんかじゃ敵わないほどのものを持っているだろうね」
「薬師を名乗るのだから、私以上なのは理解出来るけど、とてもお若く見えたから貴方以上の技術も持っているとは、あまり想像出来ないのよねぇ。それにイリスさんは冒険者も名乗っているし、旅の薬師さんを連想するのだけれど」
極々稀に、旅の薬師がニノンにもやって来る事がある。
それは大抵の場合、後学の為の薬師修行のようなもので、簡単な治療薬やポーションを売り歩いている者達の事だ。
最近ではあまり見かけなくなったが、十年ほど前にはニノンにも一年に二回ほど、そういった者が訪れる事があった。
イリスもそういった薬師の一人で、仲間達と共に旅をしているのではとヘルタは思っていたが、エッカルトは違うと思うよと言葉を返した。
「イリスさんはきっと冒険者なんだよ。にわかには信じられないような事だけど、あの格好は戦う人のものだった。もしかしたら元々冒険者として旅をしていた途中で、大きな国にいる凄腕薬師に師事しているんじゃないかな」
「となると、アルリオンのハヴェル・メルカさん、エークリオのヴァレリアーノ・ノヴェッリさん、リシルアのビルギッタ・エルヴァスティさん、フィルベルグのレスティ・リアムさんといった所かしら」
「そうだろうね。そういった方達であれば、十分に知識も技術も備わっている人格者達だと聞くし、イリスさんがあれだけの知識を持っている事にも納得するよ。それを踏まえた上でも、イリスさんの凄さは変わらないけどね」
いくらその国で一番の薬師に師事したとしても、結局学ぶのは自分自身なのだから、イリスが凄い事に変わりはない。
本来であればヤロスラフ病とは、とても珍しい病気とされている為、並の薬師では知る者も少ないと言えるだろう。
それを知っていた事だけでも相当の腕という事は分かるのだが、恐らく彼女はそれ以上の知識と技術を身に付けているとエッカルトは感じていた。
それは所謂直感と呼ばれるものではあるのだろうが、エッカルトもまた、並の薬師に師事している訳ではなかった。
「……ハヴェル先生の元ではないだろうね。もし先生なら凄い弟子が来たって、嬉々とした手紙を送って来るだろうから。ヴァレリアーノさんは病気には詳しいけど診察するほどの知識を持たない薬師らしいし、ビルギッタさんは黙々と研究を続けると聞くから弟子は取らないだろう。
となると、フィルベルグのレスティさんだろうね、イリスさんが師事しているのは。彼女であれば薬学や調合学だけでなく、病気や毒の造詣が深い。
世界を放浪しながら人々を治療した偉大な方だと言われているから、恐らくイリスさんはレスティさんに師事しているんだろうね」
「レスティ・リアムさん……。薬師であれば一度はお会いしたいと思う、世界最高の薬師ね」
レスティは王国一の薬師と呼ばれているが、それはフィルベルグに限定しての事である。
世界にいる一流薬師達からすれば、彼女はたった四人しかいないと言われる最高峰の薬師の一人であり、それぞれ専門や分野が多少違えど、人格者である事を含む知識量の多さや調合技術、そして病気を診察し、多くの人を笑顔にしたという点から、世界最高の薬師と呼ばれる事も多かった。
彼女の優しい笑顔の奥に秘めた、儚げな悲しい色をする瞳に魅せられて、彼女の事を"創薬の女神"と呼ぶ者もいるくらいだ。
容姿や人格だけではなく、そう呼ばれるだけの知識量と技術力を持ち合わせている事は、間違いないと断言出来るだろう。
尤もそれは、今現在の彼女の事が知られていないだけであり、もうそんな儚げな瞳をする薬師など、フィルベルグのどこを探しても存在しないのだが、それを知る者はどうやらここにはいないようだった。
祝! 二百五十話でございます!




