"移入"
レティシアが石碑の中に自身を移し入れる計画をアルエナ達へと伝えたのは、それから七年ほど先の事となる。
久しぶりの再会となった事を喜んだアルエナとアルリオだったが、彼女が持って来た話はとんでもないものだった。
石碑に自身を移すという驚愕しか出来ない話を、彼女はとても真剣な表情で語っていたが、あまりの内容に言葉にする事が出来ない二人は、レティシアを目の前にして完全に固まってしまった。
流石のアルリオにも全く理解出来ない事だったようだ。
気持ちを落ち着かせるように深呼吸をしたアルリオはレティシアに問い返すも、同じ答えが返って来てしまう。
「……身体を、石碑に、移し入れる?」
「そう。身体を石碑に移し入れるの」
どうしてそんな事が必要になるのよと質問をしてしまうアルリオだったが、それも即答されてしまった。
「私の力は後世には残せないわ。でも、必ず必要となるこの力を残しておきたいの。
この力を軽々しく人に渡す訳にはいかない。だから私が後世まで残り、直接この手で渡す道しかないと思うのよ。
それには永遠にも等しい時間を耐え得る身体が必須になるわ」
「……永遠って、どれだけ待つつもりなのよ」
言葉通りよとレティシアは表情ひとつ変えずに答えた。
唖然として言葉が出ない二人に、彼女は話を続けていく。
「理由は先に言った通りよ。これはあの子が研究しているテーマだけれど、そこに私の力が必須だと思うのよ。その理由も説明したわね?」
「……それは、聞いたけれど、本当にそれを実行する気なの?
いえ、それ以前に、そんなこと現実的に可能なの?」
アルリオの言葉に勿論よと断言する彼女だったが、その理論は中々に大変だったと言葉にした。
「理論を構築するだけで、七年もの歳月がかかってしまったけれどね。
でも無事に魔法書も書き終えたし、フェリシアの教育もほぼほぼ終わったわ。
今やフィルベルグもとても安定している。私のやるべき事はもう本当に少ないのよ」
「フェリシアはまだ幼いじゃない。母親なんだから、もっと傍にいてあげるべきだと思うのだけど……」
「完成したのは理論だけで、実行するのにはまだ何年もかかると思うわ。失敗は許されないのだし」
「……それで、私達に何をさせたいの?」
そう尋ねるアルリオだったが、彼女が本当にそれが分からないはずなどない。
要するにレティシアは"お願い"をする為にアルリオンへ来たのだと理解していたが、それを本人の口からしっかりとした言葉で話すのを待っていた。
その気持ちも理解した上で、レティシアは真剣な表情で言葉にする。
「アルエナ。貴女にも石碑に入り、来るべき時に備えて欲しいの」
「いいわ」
「――アルエナ!?」
即答してしまった彼女を勢い良く見てしまうアルリオは、驚愕した表情で言葉にするも、すぐさま鋭い瞳になりながら彼女に注意を促していった。
「少しは考えて言葉にしなさい! 自分が何を言っているのか、本当に理解しているの!? レティの事だから失敗はないだろうけど、もう二度とこの世界に帰って来れないかもしれないのよ!? 少しは慎重になりなさい!」
聖王国アルリオン大聖堂七階にある法王の部屋に、怒号が響き渡る。
続けて彼女は、しっかりと考えてから言葉にしなさいとアルエナを叱りつけた。
「ありがとう、アルリオ。でもね、何となくだけれど、これも私の成すべき事だと思えたの。表に出られなくなってしまった私は、どこにいても"女神アルウェナ"なのよ。
それならばここにいるのではなく、出来る事をしたいと以前から思っていたの。
レティの力になれる事も嬉しいけれど、何よりも本当の意味で世界を救う力になれるかもしれないのよ。こんなに素晴らしい事はないわ」
満面の笑みで言葉にするアルエナに、最早言葉が出なくなってしまったアルリオは、額を手で覆いながら深くため息を付き、ぽつりと囁くような声を出した。
「…………好きになさい。……でも、レティの話をしっかりと聞いた上で、後悔の無いように決めなさいね」
「ええ。ありがとう。アルル」
「……その名は棄てたわ」
アルエナの言葉に、とても寂しそうに返すアルリオだった。
* *
穏やかな暖かさを感じる空間に、優しい声が静かに響いていく。
「彼女が言葉にした石碑に身体を移し入れる方法は、ある意味では永遠の命を与える禁呪とも言えるものでしょう。
レティが伝えたように、私達が何故それを成さねばならなかったのかを、今この場でお伝えする事は出来ないのですが、八百年もの長きに渡り、何の影響もなく私もレティも存在しているという事は、無事に成功したと言えるのでしょうね」
レティから話を聞いて数年後、それを彼女は実行したとイリスに話した。
不安は少々あったが、失敗すると彼女は全く思っていなかったようだ。
それよりもレティシアの力を受け継ぐ者を導く事が、きっと世界には必要になるとアルエナには思えたのだと言葉にする。
彼女が認めた者でなければ、その力を使うことは出来ないだろう。
ならばその力を手にする可能性のある"適格者"をレティシアの元へと導く為に、アルエナ自身がその役割を担っていたのだとイリスに話していった。
だからこそ彼女は、エデルベルグとはかなり離れたアルリオンに石碑を置いた。
これにはアルルの傍にいる事で、石碑自体を護って貰うという意味も含んでいたが、他にもなるべく別の場所に石碑を置く事で、適格者がアルリオンに訪れた時点で直ぐに導けるように、との意味合いもあったそうだ。
流石に世界中へと意思を飛ばす事が出来ないとレティシアも推察していたので、なるべく人口の多い場所に置いて貰っていたのだとアルエナは語った。
だがイリスには気になる事があった。
「大変言い辛いのですが、レティシア様とは違い、アルエナ様の石碑からは声がとても聞き難かったように感じました」
なにか石碑に問題が出たのは出ないだろうかとイリスは考えていたと言葉にするが、アルエナは首を傾げながら逆にイリスへと言葉を返してしまった。
「そうだったのですか? 私は意志を出来る限り飛ばしていたつもりだったのですが、届いていなかったのは問題ですね。
私も思念を飛ばす事はレティから仕方を聞いただけですので、上手に飛ばせていなかった可能性が高いですね」
何故声が届かなかったのか、アルエナには正確なものは分からないし、確かめようのない事ではあるが、恐らくという曖昧なものでなら分かる気がした。
この石碑はレティシアが創り上げたものだが、そもそも彼女であっても石碑の中での事は想定するだけで、どんな状況になるのかなど理解出来ないはずだった。
最後の石碑の中にいる者は、自身で出入りが出来るようにするつもりだなどと、とんでもない事を言っていたそうだが、そんな事など出来るとは思えないアルエナには、否定する事しか出来なかった。
元からアルエナは魔法に長けていた訳ではない。人一倍"想いの力"は強かったが、レティシアと比べればその強さは天と地ほどの差がある。
そういった点から、力の扱いが上手にいかなかったと、アルエナは思っていた。
そういえばと思い出したように、イリスが言葉にしていく。
「現在の枢機卿様のお話では、五百年ほど前にも石碑が輝き、"適格者"が現れたと思われたそうですが、その時はこちらまで来る事は無かったそうですね」
「石碑が光る事も今初めて聞きましたが、以前その波長を感じ目覚めた事があります。その時も思念を飛ばしていたつもりでしたが、届いていなかった可能性が高いですね。
ですが、幸い特に大きな問題も無かったようで安心しました。大きな事件は二百五十年前にあったという魔獣の出現と、一年半前に訪れた魔獣のみですか?」
「それ以前の文献が残っていない為、断言する事は出来ませんが、大きな世界の変化はその二つだと言われています」
「言の葉の制限がされている世界で、レティのフィルベルグが魔獣に襲われた事に心臓が跳ね上がりましたが、色々問題と課題を残しているようですね」
やはり言の葉の制限をしてしまった事が、多くの人命を失わせてしまった原因に繋がっているとアルエナは言葉にする。
そしてそれが魔獣による蹂躙劇だったと記録されていた事をイリスから聞き、更に目を丸くしてしまう彼女だった。
「六十万人という凄まじい数の尊い犠牲を出してしまった嘗ての事件よりも、ずっと抑えられてはいると思います。
人の意識が魔物へと向かっていますので、大きな争い事も起っていないようです。充填法はフィルベルグ王家が秘匿し続けている技術となっていますし、それを扱える者は限りなく少ないと言えるでしょう。
……三千七百名以上もの被害を出してしまっているので素直に喜べないですが、それでも私は、レティシア様の成した事が間違いであったとは思いません」
力強く言葉にするイリスは、アルエナに伝えていく。
そう言葉にしなくても、彼女には伝わるはずだと信じた上で言葉にした。
三千七百四十三名もの犠牲者を出してしまった、二百五十年前の事件。
被害を抑えられたのだと、軽々しく言葉にする事は間違いだ。
簡単に口に出してはいけない事であるし、今現在でもアルリオンの民はあの忌まわしき事件を忘れないようにと献花を絶やす事が無い。
だがイリスがあえてそれを言葉にしたのは、アルエナに配慮しての事でもあった。
当然それだけではないが、イリスは彼女にこう伝えたのだ。
『貴女が成した事は、無駄などでは決してない』と。
言葉に出す事はしなかったが、それでもイリスは彼女に伝えたのだ。
アルウェナという女神の存在も、アルエナが石碑にいる事も、アルルが成した事も、レティシアがしようとしている事も。
アルエナの話の全てを含めて正しい事だと。
イリスの言葉を静かに聞いていたアルエナは、ぽつりと囁くように言葉にした。
「……ありがとう、イリスさん。そう言って下さいますと、救われた気持ちになります」
「アルリオンでは、二百五十年という月日が経った今でも、献花を絶やす事無く捧げ続けられています。
アルル様のお創りになられた国は、今も尚色褪せる事の無い優しさに満ち溢れた素敵な場所であり続けていますよ」
優しいイリスの声が、アルエナの心に響き渡っていくように感じられ、瞳を閉じながらその温かな言葉の余韻に浸っていく。
そして彼女は、瞳を閉じたまま小さく囁くような声でぽつりと一言、ありがとうと言葉にした。




